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日高支部報恩講

 F家を後に、高速を使って、兵庫県豊岡市の日高町に向かう。京都、大阪、兵庫、そしてまた京都に戻り、兵庫県に入るルートである。丹波篠山あたりの山沿いに入ると、緑の木々に、オレンジや黄色、赤色へと、紅葉のグラデーションが美しかった。

 長年、春は、大人の法座と、子供の花祭り。秋は、大人の法座と、子供報恩講を勤めてさせてもらってきたが、今回は、子供の行事はなく、日高支部の報恩講法座を勤めさせてていただくことになった。

Img_2834 大遠忌法要にご寄進いただいて法衣を持参したので、正装して、一緒にお『正信偈』を唱和してもらった。参加者も、ずんぶん高齢化し少なくなってきたが、皆さん、大きな声でお勤めし、お念仏の声も高らかで、もうこれだけで言葉はいらないほど、有り難かった。お念仏が自然に発生する雰囲気は、長年の念仏繁盛の土徳だといっていい。

 ご法話のあとで、古老のS代さんの味わいに、頭が下る。高齢になられて、今生事ではいろいろとたいへんなようだが、後生の問題は別格だ。

Img_2829 昨晩の夕食時。解禁されたばかりの松葉ガニをいただいく。皆さんが、席を立たれて、お宿をくださるご主人と二人きりになった時、日頃は無口をご主人が、突然、老・病・死で先細りする中で、壮年の世代の後継者生まれたことを慶ばれ、そして自らの覚悟のほどをお話くださった。父が、初めて江原(日高)の地に、足を踏み入れた時に依所となったのが、このお宅である。それから、もう60年に近い歳月が流れた。そして、ぼくが大学生の時、初めて布教させていただいたのも、このお家である。それからでも、30年以上が経過している。その後、何があっても、今日まで変わらずいただいたご厚情と、ご主人の華光に対する想い深さに、胸が熱くなった。先人の種まきがあったのだろうが、不思議な宿縁があるとしかいえない。

 夜座は、法話のあとで、同世代の方との一対一でのカウンセリングの時間をもってくださった。皆さんの深いご配慮に感謝である。一人の方が受けるには、余りにも大きすぎる悲しみの現実をお聞かせに預かった。「人生は苦なり」と、お釈迦様は説かれたが、時には、背負いきれないほどの苦しみや悲しみを受けていかねばならないこともある。しかも、人生は残酷だ。非現実的な、あまりにも理不尽な苦しみの中に沈む身にも、現実の生活は容赦なく、止まることなく迫ってくるのだ。何の力にもなれないが、ただお聴かせに預かることだけは出来る。涙は涙のまま、沈黙は沈黙のまま、相手のペースに合わせて、自然体でお聴かせ預かり、こちらにボッー、ボッーと浮かび上がる言葉を口にさせてもらった。こんなぼくにも信頼を寄せてくださったことが、有り難かった。

 いつもの法座でありながら、今回の日高法座は、明かに一味違う法座であった。

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