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華光大会の余韻

 広島支部の当番で開催された華光大会も終わった。その余韻を味わっている。

 大盛況の大遠忌直後とあって、例年に比べると参加者は少なめだったが、法話や信仰体験発表、そして座談会と、内容は充実していた。

 個人的には、とても自然な形で、法話や座談会に臨めたし、自然発生的に始まった称名念仏の輪が、30分以上も続いた場面は、生きたお念仏の威力をまじまじと魅せられて、尊かった。静かに称えるものあり、リズム感をもって大声で称える人あり、号泣する人、温かく見守る人もあれば、皆さんのお念仏がシンクロして、同じ親の南無阿弥陀仏ででひとつにつながる時間だった。南無阿弥陀仏。

 法座だけでなく、例年の会議や直前の資料変更に加えて、大遠忌のご喜捨に対する記念品手渡しの作業もあって、かなり忙しかったこともあって、他の先生方の法話を、じっくりと聞けなかったのは残念が、どの先生もお話も、リラックスしながらも、大切な要点が示されており、もう少し丁寧に、分級で分かち合いができれば、なお深く味わえたことだろう。

 そして比較的ご縁が新しい4名の方の信仰体験も、例年以上に多種多彩。マンネリ化ではないが、どうしても定型的な起承転結になりがちな話の筋の中で、今回は、歌あり、ダンスもどきあり、絵あり、そして正統な求道話ありで、とにかくおもしろかった。4名の聞法歴の背景がそれぞれ異なるので、それぞれの個性がうまく発揮されたからであろう。ただし白熱しすぎで、時間がオーバー。フロアーと分かち合いの時間が持てなかったのが、残念。来年は、さらに人数を減らした方がいいのかもしれない。

 また総会も、例年になく白熱したものになった。いろいろな反省点もあるが、「おかしい」と感じたことに対して、同人から建設的な批判意見が出されたことを取っても、まだ華光会も健全な組織である証拠ではないかと納得できた。いろいろなやりとり、ご批判を聞くうちに、逆に心の重荷が少し軽くなる気がしたのが不思議。またこのことは折に触れて述べていくかもしれない。

 いずれにせよ、お世話広島支部の皆様、講師先生方、役員の皆様、そして参加くださった皆様に御礼申し上げる。尊いご教授、ありがとうございました。南無阿弥陀仏。

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