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2012年11月の14件の記事

京都御苑の九条家跡

Img_2950 総会を受けて、役員改選の手続きのために、裁判所にほど近い司法書士の事務所へ。大遠忌法要での講演会場となったハートピアからすぐの場所にある。自転車を漕いで25分というところだ。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-Img_292072a7.html

 待ち時間を利用して、目の前にある京都御苑を散策する。大遠忌にハートピアに来た人は、ちょっと覗いていかれればよかっただろうが、ほとんどの人が、会場と会館Img_2915の直行だったのかもしれない。

寒い。時雨てはいないが、怪しい空模様。数日後には、御所の主がお出ましになる予定だが、まだ静寂にある。この時期、京都の観光寺院の人の多さには、ゲッソリするが、夕方ということもあって、ここは至って静かである。普段は通り道としてImg_2948利用されるだけでほとんど観光客の姿はない。そうか、これならわざわざ人込みの多い有名寺院にいかなくても、近場で、しかも無料で、紅葉が楽しめるのである。

 今日は、御所ではなく、堺町御門にある旧九条家の跡地の庭Img_2947を散策する。ご承知のとおり九条家といえば、法然聖人の庇護者であり、伝説では親鸞聖人の玉日姫の父ともいわれる九条兼実(かねざね)公が有名だが、五摂家の一つ九条家の邸宅が立っていた場所である。もともとは、現在の烏Img_2953丸九条に九条家が長らくあって、『陶化御殿』と称されていたという。それが、明治維新の際,九条家は東京に移され,その邸宅は庶民の教育のため、寺子屋として整備され、こImg_2959れが陶化小学校の前進となったのである。なぜ、そんな事を話題にするかというと、その九条家跡地にたった陶化小学校の古い木造小学校が取り壊されてその古木材を買いつけて、旧華光会館の校舎のような建物が生まれたからである。その意味では、遠く華Img_2958光会とも関連しているのである。そしてその九条家邸宅も、陶化小学校も、そして木造の華光会館もいまはもうないのである。

 ただ、旧茶室と、平清盛が召喚したといわれ厳島神社と、少し変わった鳥居が残っていた。Img_2963_2

  鳥居の上に、一匹の鳥がいる。最初、置物がと思ったが、よく見ると生きている。鷺である。池の獲物でも狙っているのだろうか。

 都会の中で、ここだは至って静寂の世界が広がっていた。

          

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311

 大遠忌法要のご講師のお一人森達也氏の映画、『311』が京都シネマで上映された。映画館に、大遠忌の案内チラシを置いてもらいに行くと、受付の若いスタッフは森さんのことこを知らなかった。でも、ここでちゃっんと上映されているぞ。顔見知りのスタッフに一言その話をしたら、「申し訳なかったです」と謝っておられた。

121113 そんなことはどうもいい。とにかく、ぼくには面白い映画だった。正確には、森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治4氏が共同監督を勤めている。『311』に先立って、松林監督の『相馬看花』を見ている。地震や津波の自然災害の影響はないのに、原発事故で土地を奪われた被災者に密着したドキュメンタリーだった。

 それに比べると、本作は、映画作製の意図のないまま、大震災から2週間後、原発事故の規制地と、津波の被害地を、アボなしで、とにかく行ける現地に入っておこうというような、行き当たりばったりの非構成的な作品となっている。だから、何が起こるか分からないとゆう緊張感が常に漂い、このアドリブ感のゆえに、共に被災地を歩いているかのような錯覚を起こさせるロードムービーに仕上がっている。BGMも特に流れないし、洗練されたきれいごとの映画とは明かに一線を画している。かなり粗削りなのだが、それゆえにか、ドキドキ、ハラハラするようなビビットなシーン(特にラスト)が映し出される。

 最初は、原発被害地へと、とりあえずという感じで向かう一行。放射性物質は目に見えない。たよりは、古ぼけた放射能検知器のみ。福島に近づき、福島原発に近づくにつれて、線量を示す数値は上がり、計測音が常に成り続けている。BGMは特にないといったが、このうっとおしいまでの警戒音が、ますます緊迫感や不気味を煽っていく。そして、一行は、急ごしらえ防御服体制を整え、出来る限り原発に近づこうとするのだが、準備不足で、中途半端なまま、福島での撮影を残念する。映像も、車の窓ガラス越しのものが多い。が、時にくすんだ、また雨垂れに曇った窓の外には、地震や津波の被害をうけず無事であるのにもかかわらず、ゴーストタウン化している街が映し出され、ますます不気味さ、裏寂しさを増幅させるかのようだった。

 福島を諦めた一行は、途中で、情報蒐集やインタビューをしながら、津波の被害地へと向かう。そこには、延々と続く津波の瓦礫の山。車内からの横移動撮影で見せてゆくカットに、威力のすさまじざを知らされた。これまでも、テレビ報道番組で見慣れた既視感のある映像ようで、俯瞰的なヘリ映像とは、まったく違っているから不思議だ。そして、跡形もない大きな被害を受けながら、ここには人の姿がある。自衛隊や消防の救助をする人々だ。

 ここでの森のインタビューは、ある意味意地悪だ。緊急医療にあたった医者、行方不明者を捜索中の自衛隊や関係者などへ、苦労話や英雄的行為への賛辞ではなく、悲惨な現場での救援活動の限界、人間の慈悲の限界についての葛藤を引き出そうとしている。

 避難所の様子もニュース報道とは違った角度。また遺体安置所へも向かうが、すでに他所へ搬送されたあとだった。そしてこの映画の肝といってもいい、大震災の被害の象徴的する大川小学校の被災者の捜索現場へと向かう。ここからの緊迫感は、半端ではない。

 行方不明の子供捜索中の母親に近づく。親として、グランドに集合した子供を迎えにいけなかった無念さから自己を責め、重機の必要性を訴えても、「悲しみの被害者」というレッテルでのみの一方的な報道で、ほんとうの声が届かないいらだち、何よりも、学校や地域の不手際を責めても、帰ってこない子どもの現実。そんな行き場のない悲しみ、そして怒りの感情で、子ども探す棒を地面に叩きつける母親。ここで、ぼくたちは、どんな言葉を発すればいいのか。森は、「その怒りを私にぶつけてください。そのためにいます」という言葉を使う。うん、声のトーンに違和感あり。

 さらに、発見された遺体を撮影している。常識的には無神経な行為だ。捜索中の男性が、それを見つけて、「撮るな!」と、木を投げつける。それでも、カメラは回り続けている。そして、そこで発せられる森の言い訳と、やりとりの始終。被写体の被害者以上に、撮影側の戸惑いが、あきからになってくるようだ。

 映画祭上映後、賛否両論の声が乱れ飛んだらしい。しかし、この賛否両論の声が飛ぶところにこそ、この映画の意図があるようにも思える。

 個人的には、映画としての意図されなかったことを意図的に強調されるのも奇妙だ。意図されていないわりに、複数のカメラが用意されて、たとえば映像を写す森を、もう1台のカメラが狙っている。ともかく、これは被災地を通りすがりのように上澄みだけをすくって映し出すメディアと、それをいわばハリウッド映画を見る感覚でとらえ理解したと思っている観衆に対して、制作側が自身を被写体とすることで、この下には、「絆」というよなきれいごとですまない、ドロドロした人間の感情、生死の苦のあることの一端を示しているのではないか。だとすれば、まっとうに観るものは、きれいごとで抑えていた傍観者の感情が、たとえば賛否という形で、揺さぶられかねないドキュメンターなのである。

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南禅寺

Img_2885_2 春の桜と、秋の紅葉は、家族での恒例行事になっている。

 特に、秋は、母の誕生日祝いを兼ねて、大会のあとで半日をほど出かけることにしている。昨年は金戒光明寺~真如堂http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-9e2a.html、一昨年は、永観堂http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-5056.html、その前は、高台寺http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-1702.htmlに出かけている。Img_2881

 今年は、臨済宗の別格大本山の南禅寺へ。京都五山と言われるが、ここは、Img_2888さらにその上位にある別格の大本山だ。しかも、京都と鎌倉の両五山の上に別格として位置づけられるのだから、禅宗でも屈指の大本山だ。

 大会中の連休は、京都のImg_9636_2紅葉の名所は、ずいぶん賑わったようだが、今日は平日、しかも午後からで、天気もいまひとつなのだか、それでも観光バスがひっImg_9644_2きりなしに入って、参道は、バスやタクシーと、歩く人々ごった返していた。もっとも境内は広いので、人込みに飲まれることはないが、それでも、静かな風情とは言い難い。夕方には落ち着いてきたものの、5時を前に、逆にバスや人出が増えてきたようだ。塔頭でもライトアップがあるようだ。Img_9671_2

 まずは、有名な三門へ登る。歌舞伎にある、石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」という名科白は、この南禅寺山門である。もっもと、こImg_9672_2の三門は、五右衛門の死後に完成したという説もあるようだが、史実かどうかなんて、いまはどうでもいい。急で、細い階段を上っている。足元ばかりきにしていると頭上に注意である。曇天ということもあって、まあまあの絶景という感じ。肝心の紅葉が思ったより少ないし、先日の雨と風で散りかけているそうだ。釈迦三尊が安置されているが、隙間から拝ませていただける。

Img_9688_2 それにしても、急な階段である。よく確認した、相談の上で父も母Img_9711_2も登った。どうにか、手助けして登ったのはいいが、急で狭い階段は、実は降りるほうがたいへんだ。日頃は、エレベーター生活の父は、ここで、すべての体力を遣い果たしてしまっImg_9749_2て、このあとがたいへんとなる。実は、体力だけでなく、ちょっと体調が思わしくなかったのもあったが、これは翌日になって判明した…(病院で、処置してもらって、いま元気です)。

 なんとか、境内にある琵琶湖疏水のImg_9728_2水路閣までは歩いたが、国宝の方丈の拝観では、設置されていた車椅子を借りてのラクラク拝観となった。もっとも、介添え役のぼくとしては写真に専念できずに、ちょっと残念。

 方丈の内部は、まだ静かで、建物も、枯山水の庭も、障壁画(復元)も、風格があり、落ち着いた上品さが備わっている。燃えるような赤い紅葉が、目を引いた。

 それでも休み休みとはいえ、おかげさまで今年も紅葉を見ることができたようだ。

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ままならず

 華光大会の2日目の深夜、懇親会も終了間近になって、「3階の水が断水してます」との連絡。エー、久しぶりにポンプの故障が起こったようだ。寒いなか、外にあるポンプの点検すると、故障のサイン。リセットを押すと、問題なく動きだした。また、機嫌よく飲みだすと、15分もしないうちに、「断水です」との報告。ヤレヤレ、結局、同じ作業を、1時間あまりの間に、4回繰り返すことになる。

 ポンプの修理に関しては、ここでも触れている。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-dedd.html あれからまだ3年未満である。何十万もかけて新しいポンプを交換したが、根本的な解決にはなっていないのだろう。大会ような、大人数で、1階でも、3階でも、多くの方に入浴してもらうと、急に、故障のサインで停止するようだ。しかし、もう深夜1時をまわったので、この後は、某女より、「トイレ小は、二人目で流す。男性は……でする」という厳しい指令がでたおかげで、翌日は問題なく動くようになった。

 それでも、念のためにメーカー来て、ポンプの点検作業をお願いした。以前から、指摘されているが、抜本的な解決には、地下から受水槽の移転という大工事が必要で、経費からみても頭が痛い問題。

 とはいっても、いまは、通常どおり動いているので、不良個所が特定できず、とりあえずは、このままいくしかないが、また同じようなことになりかねないという爆弾を抱えている。比喩ではなく、ほんとうに水はいのちの源である。

 夕方にはエレベエーター会社が突然の訪問。通常の現場の点検作業者ではなく、営業の女性。最近、大きな(死亡者あり)事故以外にも、同型種での事故があったそうで、エレベーターの部品の交換のお勧め。法定の交換ではないが、寿命が近い(20年)ロープ(35万程度)と、ブレーキー(55万程度)で、同時に行なうと工事費を割引との内容。エレベーターにしてもは、中規模の修繕だが、10月の法定点検時にはなんの話もなかったので、予算計上してない。

  昨年、3年間に渡る空調機の交換を1000万円近くを掛けてやっと終えたばかり。今年からしばらくは、大規模な修繕がない予定が、予算が組んだばかりなのに、さっそくの痛手。

 どんなに健康そうに見えても、人間のからだもいつ病気や怪我に泣かされるかわからないように、建物や備品も、予定どおり動くとは限らないのだ。そして修理には、それ相応の出費がかさむ。なかなかままならない現状に、ちょっぴり(;_;)。

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華光大会の余韻

 広島支部の当番で開催された華光大会も終わった。その余韻を味わっている。

 大盛況の大遠忌直後とあって、例年に比べると参加者は少なめだったが、法話や信仰体験発表、そして座談会と、内容は充実していた。

 個人的には、とても自然な形で、法話や座談会に臨めたし、自然発生的に始まった称名念仏の輪が、30分以上も続いた場面は、生きたお念仏の威力をまじまじと魅せられて、尊かった。静かに称えるものあり、リズム感をもって大声で称える人あり、号泣する人、温かく見守る人もあれば、皆さんのお念仏がシンクロして、同じ親の南無阿弥陀仏ででひとつにつながる時間だった。南無阿弥陀仏。

 法座だけでなく、例年の会議や直前の資料変更に加えて、大遠忌のご喜捨に対する記念品手渡しの作業もあって、かなり忙しかったこともあって、他の先生方の法話を、じっくりと聞けなかったのは残念が、どの先生もお話も、リラックスしながらも、大切な要点が示されており、もう少し丁寧に、分級で分かち合いができれば、なお深く味わえたことだろう。

 そして比較的ご縁が新しい4名の方の信仰体験も、例年以上に多種多彩。マンネリ化ではないが、どうしても定型的な起承転結になりがちな話の筋の中で、今回は、歌あり、ダンスもどきあり、絵あり、そして正統な求道話ありで、とにかくおもしろかった。4名の聞法歴の背景がそれぞれ異なるので、それぞれの個性がうまく発揮されたからであろう。ただし白熱しすぎで、時間がオーバー。フロアーと分かち合いの時間が持てなかったのが、残念。来年は、さらに人数を減らした方がいいのかもしれない。

 また総会も、例年になく白熱したものになった。いろいろな反省点もあるが、「おかしい」と感じたことに対して、同人から建設的な批判意見が出されたことを取っても、まだ華光会も健全な組織である証拠ではないかと納得できた。いろいろなやりとり、ご批判を聞くうちに、逆に心の重荷が少し軽くなる気がしたのが不思議。またこのことは折に触れて述べていくかもしれない。

 いずれにせよ、お世話広島支部の皆様、講師先生方、役員の皆様、そして参加くださった皆様に御礼申し上げる。尊いご教授、ありがとうございました。南無阿弥陀仏。

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まもなく華光大会です

 9月の3日間の大遠忌法要が終わって、まだ余韻が残っているが、いよいよ華光大会が始まる(11月23日(祝)・24日(土)・25日(日))。今年は、広島支部のお当番。

 講師の先生方は、法話担当以外にもおられて充実しているのに、何故か、皆さん、2日目に集中してしまった。近々になって法話予定を変更も必要になった。それで、予定では2日目の夜の「信仰体験発表」が、初日(23日の夜座)になり、僕自身も、初日のトップバッターを法話予定が、3日目(25日の昼座)の最後にまわることになった。その「信仰体験発表」の時間は、三量(聖教量=法話、現量=信仰告白、信心体験、比量=信仰座談会)のひとつを担うもので、今回は、40代の方を中心にフレシュな4の方お願いした。これも単なる意見表明や決意表明、弁論を競う場ではなく、ありのままに今に息づく信心の喜びを語りを会う貴重な時間で、何が飛び出すか今から楽しみだ。

 宿泊の申し込みは締め切ったが、まだ参加は受付けている。申し込みなしでの当日参加も可能だが、受付がスムーズに行く為にも、参加予定の方は、ぜひ、お申し込みいただくと助かります。

 この連休の京都は、観光シーズンの真っ盛りだ。見事な紅葉はなくても、お念仏の輪が轟き響き場に、奮ってご参集ください。

 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/11/kekotaikai2012-11.htm

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無明長夜の灯炬なり

 11月の輪読法座。病気で体調を崩れたり、入院があたりで、常連に欠席が目立った。しかも、始まる前には、かなりの強い雨が降って、荒れ模様。それでも、地元の京都よりも、大阪、奈良、兵庫、そして名古屋などからの参加者が集ってくださった。

 華光誌の輪読は、「大遠忌特別号」である。いつのような巻頭言や法話も、体験記もない。それで3回に渡って、各月、講師陣の法話(エッセイ)を4名ずつ読む進めることにしている。

 最後に、M先生の記事を読む。苦悩するわが身をさらけ出して、「逆謗の死骸」(五逆・法謗の死骸)にかかるお救いを伝えてくだている。

 …逆謗の死骸と見抜き切った仏智故に、臨終一念のまで、摂取の光明におさめとってお護り下さるのである。まことに不可称不可説不可思議の本願力、広大無辺の南無阿弥陀仏の大慈悲心であり、「無明長夜の灯炬なり」である。この灯し火が、この私の胸に灯してもらえなければ、未来永劫(ようごう)、生死勤苦(ごんく)を絶え間なく続けていくのである。…

 「無明長夜の灯炬なり」という言葉を味わって、今回の法座を結んだ。正像末和讃には、

無明長夜の灯炬なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり
罪障おもしとなげかざれ (正像末和讃)

とある。阿弥陀さまの御本願こそが、無明の暗闇の長夜を、常に照らす(灯)、大きな灯火(炬)である。だから私の智慧の眼が暗いことを悲しむことはない。また、迷いの大海を渡す船であり筏である。だから私の罪障が重いといって歎くことはない、という意味だ。

 阿弥陀様の広大な御本願を、「無明長夜の灯炬」「生死大海の船筏」に譬えておられるのだが、しかも、そこに「なり」=「也」をつけて、2度も断定的に力強く結んでおれらるのだ。

 私の機の愚かさを歎く暇などない。まさに、阿弥陀様の御本願だけが、私の闇を唯一常に照らし続ける灯火を灯していただこう。そして、我が罪の深いことを嘆き、悪しき心を省みる暇などない。生死の迷いの大海を渡してくださる唯一の船筏に乗託させてもらうのである。

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『Japan In A Day』

 朝から、二条にある大手のシネコンで、リドリー・スコットが総指揮をした『Japan In A Day』 を観ることにした。

 リクライニングや置き机もあるブレミアのスクリーンは快適だ。9時50分スタートと少し早いこともあったが、見事に誰もいない。3~4名という少人数は何度も経験しているが、一人でスクリーンを独占したことはまだない。初の快挙(?)かと喜びかけたら、予告編が始まってしまもなく、オバャチンが入ってきて、残念。結局、客は2人だけだったが、人数が少ないからといって、つまらない映画というわけではなかった。

  東日本大震災から1年半以上が経過し、大震災や原発事故に関連する映画やドキュメンタリーを、よく目にするようになった。まもなく、京都でも、森達也監督の『311』が上映される。当然、ストレートに被災地や被災者を描くものが多いが、本作は別。大震災からちょうど1年後の2012年3月11日に、一般人々が、その日に撮影した日常のビデオ映像、投稿作品をさまざまにつなぎ合わせて作られている。もちろん、原発や大震災での被災者や遺族、被災地の映像も多い。しかし、その視点が自然なのである。つまりは、普製作者側からの視点ではなく、被災者自らのセルフ映像やホームビデオという自然な日常の視点なのである。悪くすると、なんの脈絡もない、素人のホームビデオの細切れを寄せ集めたもので終わる。

 ただ、それが、大震災後ちょどう1年目の3月11日の映像に限定され、その日、日本全国で行なわれたイベントやこくごく平凡な日常を多数含みながら、そのメーンは、大震災で起こったことを語っているのだが、その編集がすばらしかった。

 3月10日午後11時59分40秒あたりから始まるが、時報に合わせて、タクシーの時計が0時0分を告げる。大都会東京は、いつもとなにも変わらない。暗くなったとはいえ、ネオンがきらびやかで、0時を過ぎても盛り場は賑やかだ。若者たちが飲み、歌い、踊り、ふざけ合っている。ふと、この電力を生み出しているのはなんだったのかを意識させられた。一方、東北は、雪交じりの寒々としている。暗い海に波が押し寄せる。原発事故での立入禁止区域の看板が映し出される。セピアの夜明けシーンが美しい。熱海では桜が咲いている。京都ではマラソン大会があった。ハングライダーやスカイダイビング、雪山登山や海水浴などスポーツ・シーンに、パフォームやいたずらで遊ぶ若者たちもいる。そして多くのごく普通の日常。朝の寝起きに、家族何気ない会話、食事をする人達、働く人達、無邪気に会話したり遊んだりする子供たち、特に赤ん坊や幼い子供たちの映像が多かったのは、意図されたものであろう。日常の中の非日常もある。出産もあれば、結婚式もある、慰霊もある。病院や老人、その日に、プロポーズする様子まで收められていた。震災とは、直接、関係なさそうなシーンでも、音楽と共に流されるだけで、何か胸にくるものがあった。それが震災の映像とリンクされて、さまざまにモンタージュされることで、3月11日の意味が問われてくる。 

 とはいえ、やはり震災の被害者たちとの生の声や映像に、大粒の涙させられた。まだ若い男性。仮設住宅には、スナップサイズの4名の遺影が並んでいる。津波によって、両親、妻、そしてまだ幼い一人子の4人が、車で避難中にそのまま巻き込まれ、一瞬にしてすべてを亡くしたことを、妻の兄弟たちと故人を偲ぶながら、にこやかに関係を紹介し、時に笑い声で思い出を話している。しかし、その淡々とした口調にこそ、この1年間の彼の悲しみや苦しみがダイレクトに伝わってきた。また、なぜ、一声、隣人に避難の声をかけなかったのかと、跡形だけとなった家で、自分を責めながら遺品を探す老夫婦。津波の中での避難で、周りで溺れる子供たちを見殺しにして、子供を踏みつけて自分だけが助かったのだと、涙で懺悔する方など、生の声が直接、胸に届いてきた。そして映画のクライマックスは、発生時刻の2時46分に、日本中で行なわれた追悼たその黙祷シーンだ。さまざまな角度の映像が束ねられていくところも、かなり泣かされた。

 ぼく自身も、この1年半の激動の日をいろいろと振りかえさせられた。結局、単なる大震災の被害ということだけでなく、さまざまに切り取られた1日の一こま一こまがつながることで、自分が生きるとはどういうことなのか、人生とは、が問われているように思えたからだ。

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虹の根元へ

 日本海側に属する豊岡(日高)の天候は、めまぐるしく変わる。京都が好天の時でも、時雨れたり、冬には雪が舞ったりすることが多い。

 それにしても、日曜日の天気は妙だった。

 雨が降ったり晴れたりはよくあるが、傘が煽られてダメになるほどの突風が吹いたりもした。法座の後、もう1軒残っていた月忌参りを終えたころには、半分青空なのに、雨が降るという狭間に入っていた。

Img_2862 高速は渋滞中なので、帰路は国道を経由していくことにした。すると、すぐ目の前にとても大きな虹が掛かっていた。虹の根元に向かって、車が走っているのだ。こんなに、両端ともクッキリ見えている虹は、丸2年ぶりだ。ちょうど華光大会の前だったので、よく覚えている。あの時は、湖面にかかる完璧な虹に興奮したものだ。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-d886.html

 あれから2年。またあまりにもImg_2860見事な虹に出会った。運転しながら、おもわず撮影したのが、上のの写真。フロントガラス越しにしては、うまくとれている。

Img_2856 以前、子供から、「虹の根元には、宝物が埋まっているんだよ」と、教えてもらったことがある。うん、素敵な話だ。

 その虹の根元に向かって、車は進んでいく。

 虹は、あいからず、クッキリ、ハッキリとImg_2864している。それどころか、外側にもぼんやりと掛かっている。二重の虹が見えているではないか。思わず、車を止めて撮影をすることにした。

 残念ながら、外側の虹はカメラには、ボーとしてうまく映っていないImg_2865が、2枚目の写真に少し痕跡が見える。

 この虹、全体が大きすぎて写真には入りきらなかった。

 20分たっても、30分たっても、虹はハッキリと見えている。車は、虹の根元に迫っている。ここには、どんなお宝が隠されているのだろう。

 しかし、山を越え、風景が変わっても、なかなか虹の根元にはたどりつかない。Img_2863_2

 風は強くて雲が、すごいスピードで流れていく。さきほどの雨で、空中のチリが流されたのか、とんでもない美しい青空が、雲の合間から覗いていきた。このまま、青空になるのだろうか。それでも虹はハッキリ見えている。

 40分ほどたったころだろう。青空の予感が、一転、真っ暗の雨雲が空一面を覆いだしたかと思うと、知らぬまに虹も消えて、雨が本格的に降りだしてきた。

 それからの2時間。雨は、弱まることはあっても、ずっと強く降り続いた。

 結局、どれだけ走ったも、虹の根元には行き着くことは出来なかった。

 虹も幻と消え、夕方5時にもなると、あたりは真っ暗闇に覆われていた。

 このごろのぼく自身の「こころの天気」を象徴した空模様。

 

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日高支部報恩講

 F家を後に、高速を使って、兵庫県豊岡市の日高町に向かう。京都、大阪、兵庫、そしてまた京都に戻り、兵庫県に入るルートである。丹波篠山あたりの山沿いに入ると、緑の木々に、オレンジや黄色、赤色へと、紅葉のグラデーションが美しかった。

 長年、春は、大人の法座と、子供の花祭り。秋は、大人の法座と、子供報恩講を勤めてさせてもらってきたが、今回は、子供の行事はなく、日高支部の報恩講法座を勤めさせてていただくことになった。

Img_2834 大遠忌法要にご寄進いただいて法衣を持参したので、正装して、一緒にお『正信偈』を唱和してもらった。参加者も、ずんぶん高齢化し少なくなってきたが、皆さん、大きな声でお勤めし、お念仏の声も高らかで、もうこれだけで言葉はいらないほど、有り難かった。お念仏が自然に発生する雰囲気は、長年の念仏繁盛の土徳だといっていい。

 ご法話のあとで、古老のS代さんの味わいに、頭が下る。高齢になられて、今生事ではいろいろとたいへんなようだが、後生の問題は別格だ。

Img_2829 昨晩の夕食時。解禁されたばかりの松葉ガニをいただいく。皆さんが、席を立たれて、お宿をくださるご主人と二人きりになった時、日頃は無口をご主人が、突然、老・病・死で先細りする中で、壮年の世代の後継者生まれたことを慶ばれ、そして自らの覚悟のほどをお話くださった。父が、初めて江原(日高)の地に、足を踏み入れた時に依所となったのが、このお宅である。それから、もう60年に近い歳月が流れた。そして、ぼくが大学生の時、初めて布教させていただいたのも、このお家である。それからでも、30年以上が経過している。その後、何があっても、今日まで変わらずいただいたご厚情と、ご主人の華光に対する想い深さに、胸が熱くなった。先人の種まきがあったのだろうが、不思議な宿縁があるとしかいえない。

 夜座は、法話のあとで、同世代の方との一対一でのカウンセリングの時間をもってくださった。皆さんの深いご配慮に感謝である。一人の方が受けるには、余りにも大きすぎる悲しみの現実をお聞かせに預かった。「人生は苦なり」と、お釈迦様は説かれたが、時には、背負いきれないほどの苦しみや悲しみを受けていかねばならないこともある。しかも、人生は残酷だ。非現実的な、あまりにも理不尽な苦しみの中に沈む身にも、現実の生活は容赦なく、止まることなく迫ってくるのだ。何の力にもなれないが、ただお聴かせに預かることだけは出来る。涙は涙のまま、沈黙は沈黙のまま、相手のペースに合わせて、自然体でお聴かせ預かり、こちらにボッー、ボッーと浮かび上がる言葉を口にさせてもらった。こんなぼくにも信頼を寄せてくださったことが、有り難かった。

 いつもの法座でありながら、今回の日高法座は、明かに一味違う法座であった。

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ご縁

  日高支部法座の前に、京都同人の年忌法要を勤めさてもらう。年忌だが、浄土三部経ではなくて、皆さんで勤行できるお『正信偈』を中心に、ご法話を聞いてもらうことにしている。亡くなった故人とは、法要や年忌の席で交流があっただけだか、それでも、皆さんと、一緒に声を出しての勤行の後では、とても懐かしく、故人を偲ばせていただいた。

Img_6936 御縁ということをテーマにご法話。

 わたしが、ここにいるだけでも、先祖にしても、人間関係にしても、出来事にしても、まったく遠く知らないことが、幾重にも、幾重にも重なった縁が連なり、織りなされている不思議を、具体的に味わっていった。まさに、受け難い人身を、いま受けさせていただいてるのも、種々のご方便、ご縁のたまものである。もちろん、それだけで終わった今生事の話である。順縁もあれば、逆縁もあろうが、それが、仏縁へとつないでいただいたことこそが、不思議の中の不思議である。

 そこには、まさに弘誓の強縁があったればこそである。では、どうして、わが身に届いてきたのか。まさに「遠く宿縁を慶べ」としかいいようがないのである。F家の仏間で、ご縁の方々を前に、今生で何があっても、お念仏を慶ぶ身にならせてもらったことを分かち合わせていただく。

 今日は華光会館には戻らずに、法衣をもったままで、兵庫県豊岡市の日高支部に向かう。

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広島支部法座~少人数の協力~

 今回の広島支部法座は、いつも法話、全体座談というパターンを変えて、6人組のグループに分かれて、みんなが分担(司会役も変わる)し、協力しながら、頭から否定しないで、活発に話し合うバス・セッション風の形をとった。

 まだご縁の浅い参加者もあったので、華光での信仰座談会の意義を、蓮如様が、「仏法は讃嘆談合に極まる」と言われ、なぜ、「ものをいえ、いえ」と促され、さいさいに話し合い(談合)を勧められたのか、また、華光でのその意義と、法の勧め方についての誤解などについて、体験的な例を交えながら聞いてもらった。
 その上で、最近、ぼくの上で起ってきた身近な話題をとおして、3つの課題を話し合ってもらった。

 要は、ある教えでは「万教帰一」というけれど、なぜ、浄土真宗だけで、かも弥陀一仏なのか。それは、逆に偏狭ではないか。にも、かかわらずそう言い切れるのはなぜか。

 また、わたしは、修行も、徳も積まない、善も行なわない、戒律も保たない、感謝の日暮らしも、先祖供養もしない、それでも、仏道を歩んでいる言い切れのは何故か。わたしの「徴(しるし)」はどこにあるのか。

 そして、「すべての人を平等に救うというお慈悲な阿弥陀様だから、死んだらすべての人が、浄土に生まれ仏になれるのではないか」。あるお寺では、門徒の大半が、「そのとおりだ」と言われたが、皆さん、どう思われるか、との問いを出した。

 いつもの大人数での、自由な座談会では、なかなか口が開けない方も、かなり積極的に発言されて、おもわず時間オーバー。各グループの意見を聞きながら、親鸞様のお言葉や、ぼくなりの味わいを話したが、ただ一方的に聞くだけでなく、一度、自分の問題として考えてくださっている分、しみってはいっていった気がした。

 最後の分かち合いでも、まず、問い自体から、もう一度説明して理解してもらう作業が必要だったり、頭から、分かっていると思うことでも、自分の口に出してみれば、うまく表現できないということは、実は分かってつもりでいただけだったのだという声も聞かれた。ご縁の浅い方も、積極的に参加できたようで、かなり手応えは強かった。

 ほんとうは、こんな形で、ひごろの座談会も活発だったらいいのだけれど、ここはもう一山越えねばならないところがある。

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NLP体験学習会

 真宗カウンセリング研究会での体験学習会。今回は、NLPに初挑戦である。

 NLPとは、神経(N)言語(L)プログラム(P)のことで、1970年代にアメリカで、異なるセラピーの分野で成果を上げていた「3人の天才セラピスト」-ゲシュタルト・セラピーのフリッツ・パールズ、家族療法のバージニア・サティ-、催眠療法のミルトン・エリクソンの臨床場面を徹底的に分析し、そこに誰もが結果が出せるよう共通のパターンを見出しまとめられていった心理学。さまざまな対人的な分野や、コミニケーションの場面で、誰もが実践的に活用できるように体系化され、その後、急速に実践場面で活用されいる分野である。

 でも、これを単なるHOW TOや、マニュアル化されたノウハウの伝授で終わるなら、操作的な人間関係を築くだけの便利なツール(道具)で終わってしまうだろう。しかし、道具は、使い方で、有益にも、武器や毒にもなるといわれた。

 その点、今回は、「NLPから、よりよいコミニケーションのヒントを見つける体験研修会」と題されていたが、フアシリテイター(ガイド役の先生)の、参加の皆さんを尊重する態度から、随分、学ばせてもらった気がする。お互いを尊重し、守秘義務という、安心、安全の約束に加えて、「学ぶこともOK、質問することもOK、間違うこともOK」という姿勢で、参加の皆さんを大切にしながら、参加者のペースで進行された。この参加者のペースに合わせことで、ラボール(信頼関係)が築かれ、ガイドされていくことを、態度で示してくださった気がした。何かをやらせたとか、型や手順をなぞるといった操作的な態度ではなく、人間同士の生きた交流や安心感があったので、自分を開いて、積極的に参加することできた。

 最初に、どうなりたいかの「目標」をもち、何が起っているかの「感覚」を磨き、そして、柔軟に行動を変えていく「柔軟」さというNLPを象徴する話があったが、その意味では、僕自身は、新しいことに積極的にチャレンジするという目標を掲げたが、ある意味、そのイメージどおりのWSとなった。

 詳細には触れられないが、NLPを使っての、起こった出来事、そして人間関係の「視点」を変えることで、最初の見方が変わることを体験させてもらった。多少なりとも、カウンセリングの学んでいる点からいうと、問題との距離(間)と、それが自分の思いなのか、相手の枠なのか、そして客観的な視点なのかなどにも意識しながら体験的に話を聞いていることを、うまく整理してもらった気がして、収穫は大きかった。

 楽しく学びながら、いろいろと気付きも多かったが、またの機会には、ぜひ、次ぎのチャレンジをしてみたいと思った。

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輪廻といのち~倶舍の講義

 大遠忌前の9月上旬のこと。散髪の帰り、龍大の大宮学舍前で、1枚のポスターが、目に留まった。

 仏教学科主催の特別講義の案内である。龍大仏教学科で研鑚されている伝統的な仏教学-倶舍、唯識、華厳、天台に加えて西域の五分野を、一般への連続した無料の公開講座として開講されているというのである。

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 「倶舍~絶ゆることなき法の流れ~」

 タイトルも、ポスターもなかなかいい。

 今回は、仏教の基礎学ともいうべき、倶舍論だ。昔から、「唯識三年、倶舍八年」といわれるように、仏教のテキストでありながら、一人前にわかるには八年もかかるという代物。といっても、昔の大学では、真宗学を宗乗、仏教学を余乗と称して、真宗学の学生も、宗乗のみならず、余乗の基礎は学んでいた。しかし、ぼくが学生のころには、専門化、細分化されるばかりで、総花的な学びの場でなくなっていたことは、以前にも触れている。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_164e.html

 だから、仏教の基礎学といっても、倶舍のことは素人同然で何も知らない。といっても、華光のご法のお勧めには、倶舍からの三世や業識、思業や思己業の内省の問題など、知らないだけで間接的に影響も受けている。伊藤先生や悟朗先生が勉強されていたからである。

  講義は、すでに前期分は済んでいたが、これから「説一切有部の三世実有説」、「輪廻といのち~アビダルマの業・輪廻説に関係して」など、魅力的なテーマが並んでいる。時間的にも参加可能だったが、うっかり「三世実有説」の回を聞き逃して、今回が初聴講となった。

  冒頭こそ、一般にも理解できるような、やさしい輪廻転生の話だったが、諸法の無我を明かすための組織を全九品でまとめたという倶舍の組織論に入ると、俄然、専門用語が増えて難しくなってきた。

1、界品  諸法の体(諸法説)--(諸法の体用)
2、根品  諸法の用(因果説)--有漏無漏総説
                            -諸法の事(顕正)
3、世品  果--苦諦
4、業品  因--集諦-有漏l(輪廻説)
5、随眠品 縁--
                 --有漏無漏別説
6、賢聖品 果--滅諦
7、智品  因--道諦-無漏(修道説)
8、定品  縁

9、破執我品-------------- 無我の理(破邪)

 図表なので、縦や括り括弧が使えなず、ここに示すには限界があるが、なかでも、九番目がおもしろかった。一般的な、または特定部派の有「我」論を排斥しながら、認識の主体、輪廻の主体、業の担い手は何なのかを、無我の立場から説明しようというもので、種子説が採用され、ここから唯識のアラヤ識説へ展開するそうだ。

 そこには、輪廻の主体の二潮流のひとつである主業説と、その有部の業論を批判する形で、世親(天親)菩薩の主識説が説かれていく背景の説明を通じて、ブッタの無我説に決して矛盾しないものとして、輪廻転生説を取り上げられていった。

 しかし、現代では、原始教典の原典にあたりながら、ブッタの根本思想に輪廻転生説があったかどうかは不透明、もしくは核心部ではなったという流れが強くあるが、その点の反論は、既存(かなり古い)の説明で終わり、「ここは難しいので」とサッーと飛ばれたのは、一般講義なので致し方なしだろう。

 隔週であるが、次は、名大の名誉教授の講義で「経量部」の話題。

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