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東京支部法座~弘誓~

 10月の東京支部法座。

 9月の大遠忌法要の余韻がまだ残っている。参加くださった皆さんらも、法要の感激や、信楽先生の講演について、かなりつっこんだ話題もでた。ただ不参の方もあったので、懇親会で、ぼくの思いを語ったりもした。

 大遠忌は終わったが、親鸞聖人の『ご本典』(教行信証)の、総序と後序を取り上げて、そのお心を3座でお取り次ぎをした。夜座は、嗜好を変えて、最近出会った、真宗以外の方との二つの出来事をとありげて、ブレーンスートミング風に、自由に話し合ってもらったが、毛色が変わって、これはこれでおもしろかった。

 総序にも、後序にも、共通するキーワードは、「弘誓」ということだ。

「難思の弘誓は、 難度海を度する大船~」

「ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく~」(総序)

「心を弘誓の仏地に樹てて~」(後序)

とあるのだ。もちろん、本願も、弘願も、弘誓も、弥陀の誓願も、みな、同じ意味ではある。浄土真宗の中心に、本願があるのは間違いないことだ。ただ、親鸞様が、ここでは「弘誓」とたびたび表現されているのに、こころをひかれている。

 単なる誓いではない、弘い、誓いなのである。誓願というと、願いと誓いは、狭義では同一ではあろうが、厳密には、意味合いは違ってくるように思う。衆生に「救わせてくれ」と願いをかけ、諸仏に向かっては、その正覚をかけて「必ず救ってみせる」と誓ってくださっている。その広大な、わが身の正覚をかけられた誓いは、衆生が思うことが難しいほどの広大で、超世希有なる誓いなのである。その弘誓をわれわれ一切衆生を度する大船に譬えられているのだが、その強縁に会うことの難しさとすばらしさ、さらに、弘誓の仏地に心をうち樹てよとのお示しである。

 同時に、総序には、「行」と「信」、「行信」、「教行証」を敬「信」と、浄土真実の「行信」にたまたま出会った慶びが綴られている。なぜ、ここでは、行信なのか。ということも、ぼくなりに味わってみたかったのだ。

 幸い4座もある宿泊法座なので、まとまったテーマでお話できるのは有り難い。他の法座でも、またよくよく味わっていきたいものだ。

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