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2012年10月の17件の記事

共に学びませんか?~NLP研修会のすすめ

  真宗カウンセリング研究会で、★11月3日(祝)に、★華光会館で、★1日カウンセリングの研修会を開くことになった。

カウンセリングといっても、今回は、NLPという、初めて挑戦する分野である。世話人のシニアの産業カウンセラーのお勧めである。

みんな初体験である。デモを兼ねて、会費を割安にしてもらった。本来なら、0がひとつ違ってもおかしくないが、1日で、3500円(会員は3000円)は、破格に易い値段だ。

  まだ定員に達していないので、体験してみようという希望者は、以下をクリックして、申し込み先(問合先)に、お申し出ください。

http://dbpca.web.fc2.com/details/20121103.html

  講師の先生から、こんなメッセージをいただきました。

NLPは、いろいろな分野で幅広く使われていますが、今回は、人間関係の改善に焦点をあてて、たくさんあるNLPの技法の中から3つをお伝えする予定です。

1つめは、信頼関係を築く基礎を体験する

2つめは、2つの視点で物事を見てみる

3つめは、3つの視点で人間関係をみてみる

というものです。「視点」をかえて見たときに、

どんな気づきが得られるのか?

それが、どのように実際の人間関係に影響していくのかを「体験」していくというのが今回のメインテーマとなります。

~以下補足~~~~~~~~~~~~~~~~~~v

講義の時間はシンプルにして、とにかく体験したり、話したり、感じたり…。
そんな時間を参加しているメンバーと共に一緒に楽しめる1日にしていきたいと考えています。

とは言え、実は盛りだくさんの内容になっていますので、朝から夕方まで休み時間も惜しみながら進めていきたいと思います。

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福山家庭法座(広島支部)

 宍粟は夜座だったので、そのまま宿泊し、翌朝は、広島支部法座ため、福山のU家へは、そのまま車で向かうことにした。

 宍粟市山崎から福山市まで。中国道を少し大阪方面に戻って、福崎から姫路に入って山陽道を進む。180キロぐらいで、2時20分くらいかかるようだ。出発は、雨。途中、かなり強く降っているところもあったが、岡山に入るころには雨は止んで、福山では、晴れ間も見えている。せっかくの車での移動だったが、会場から会場で、結局、どこにも寄らなかった。

 昨年の年忌法座をきっかけに、今年は広島支部法座の会所として、家庭法座を開いてくださった。ちょうど、その日は、亡くなった故人の三周忌にご命日にあたっていた。このあたりは、安芸ではなく、備後になる。会場が移動すると、お参りの顔ぶれも、ずいぶん違った。福山、三原、尾道あたりの方も多いし、初参加の方も多かった。参詣の半数が、Uさんの妹さんであるSさんの縁者・知人ということになる。

 ぼくにとっては、毛色は違うが、2日間続きの法座になるので、ずいぶん話し手としての心も開いているのがわかる。話題は、昨晩の法座で感じたことも話したかったし、最近の出会いで感じたこともお話したかったが、妙好人お園さんの3つのエピードを中心に、浄土真宗の聞法の要についてのお取り次ぎをした。要点は、しっかりお伝えできたと思う。

 信仰座談会では、初参加の方が、自分を開き、自己の悩みを、懇切丁寧にお話くださった。一旦、巻き込まれ、捕らわれると、問題(悩み)との適当な距離を取るのは、なかなか難しい。問題(悩み)と自分が一体化していると、どんな適切なアドバイスも届くことはない。その聞く自分自身が問題(悩み)そのものに同化しているのだから。

 かなり毛色の異なった法座となったが、なかなかいいご法縁だったのではないか。

 京都まではちょうど300キロある。終了後、すぐに車を出した。秋の日が落ちるのは早い。山間部にはいると、突然、暗闇を引き裂くように、東の空を閃光が照らしだす。雷鳴も轟いているが、このあたりは雨は降っていない。雷とはかなりの距離がありそうだが、ぼくの行く手には、雷雨が待ち受けているのだろう。

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宍粟組連研

Img_2818 兵庫県宍粟市周辺の本派寺院の集まりである、宍粟組(しそうそ)の連研(連続研修会)のご講師に招かれる。たまたまた内陣が修復中で、阿弥陀さまの絵像が、一歩前に出でおられた。この組では、ぼくは3期連続の出講であるが、1年以上の前のことは、もうすっかりわすれている。
 連研は、本派の門徒の中から法座を推進するリーダーである門徒推進委員を養成するための講座で、単なる知的勉強に留まらず、話し合い法座をめざしている。その趣旨は、けっこうだが、実のところ、門徒も僧侶も、講師も、話し合い法座を未体験の方が大半で、単なる議論や会議で終わるケースもある。ところによっては、勉強会や講義が中心で、話し合いは形式になっていることも多い。

 その点、この組は、積極的な話し合い法座をめざしておられる。以前、ぼくなりに、ブレーンストーミングを活用した、6項目にその要点をまとめた「楽しい信仰座談会のすすめ」をお話したら、それがテキストの中央に印刷されていた。

Img_2819 それをもとにしながらも、なぜ、聴聞が大切なのか。聴くとは、何を、どう聴くのか。また話し合いがなぜ重要なのかを、単なる一方的な講義で終わることなく、ゲーム形式でお伝えした。このゲームは、すこぶる好評で、效果てきめん。こちらが驚くほど、話し合いの必要性が一発で伝わったようだ。

 こうなるとあとは、やりやすい。テーマを決めて、いろいろと話しあってもらった。

 最後に、最近の輪読法座からの話題提供。

「阿弥陀様はお慈悲な方で、生きとし生きるものを救いたいと立ち上がられた。だから、どんな人でも、亡くなったら仏となって、お浄土にお迎えくださるのですね」-という問いに対して、皆さんに尋ねたところ、「そのとおりです」という答えが多かった。さらに条件を絞って、「日頃の聴聞や信心の有無を問わず」を頭につけて、協力して、皆さんの思いを率直に話し合ってもらった。

 このひとつの問いだけでも、それぞれの聴聞の居所がよく分かっる。極難信の法ともいわれるが、自分の後生の問題として聴聞する方は、稀だ。まさに宿善の方であるなー。

 住職方も10数名参加されていた。皆さんも、檀家さんと交じImg_2820ったり、車座になって、このテーマで真剣に話し合ってくださった。あとで尋ねたところ、けっこう、日頃の聞法の姿勢が問われたよう。

 なかなか、楽しい異色の法座だったので、ぼくもけっこうのって話せた。極力、正解(答え)は言わなかったが、最後だけは、ひとこと、バシッとお伝えした。どこまで伝わったかはわからないが、一方通行で終わらないで、こうしたご縁をいただいたことが尊いともいえよう。

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東京支部法座~弘誓~

 10月の東京支部法座。

 9月の大遠忌法要の余韻がまだ残っている。参加くださった皆さんらも、法要の感激や、信楽先生の講演について、かなりつっこんだ話題もでた。ただ不参の方もあったので、懇親会で、ぼくの思いを語ったりもした。

 大遠忌は終わったが、親鸞聖人の『ご本典』(教行信証)の、総序と後序を取り上げて、そのお心を3座でお取り次ぎをした。夜座は、嗜好を変えて、最近出会った、真宗以外の方との二つの出来事をとありげて、ブレーンスートミング風に、自由に話し合ってもらったが、毛色が変わって、これはこれでおもしろかった。

 総序にも、後序にも、共通するキーワードは、「弘誓」ということだ。

「難思の弘誓は、 難度海を度する大船~」

「ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく~」(総序)

「心を弘誓の仏地に樹てて~」(後序)

とあるのだ。もちろん、本願も、弘願も、弘誓も、弥陀の誓願も、みな、同じ意味ではある。浄土真宗の中心に、本願があるのは間違いないことだ。ただ、親鸞様が、ここでは「弘誓」とたびたび表現されているのに、こころをひかれている。

 単なる誓いではない、弘い、誓いなのである。誓願というと、願いと誓いは、狭義では同一ではあろうが、厳密には、意味合いは違ってくるように思う。衆生に「救わせてくれ」と願いをかけ、諸仏に向かっては、その正覚をかけて「必ず救ってみせる」と誓ってくださっている。その広大な、わが身の正覚をかけられた誓いは、衆生が思うことが難しいほどの広大で、超世希有なる誓いなのである。その弘誓をわれわれ一切衆生を度する大船に譬えられているのだが、その強縁に会うことの難しさとすばらしさ、さらに、弘誓の仏地に心をうち樹てよとのお示しである。

 同時に、総序には、「行」と「信」、「行信」、「教行証」を敬「信」と、浄土真実の「行信」にたまたま出会った慶びが綴られている。なぜ、ここでは、行信なのか。ということも、ぼくなりに味わってみたかったのだ。

 幸い4座もある宿泊法座なので、まとまったテーマでお話できるのは有り難い。他の法座でも、またよくよく味わっていきたいものだ。

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『阿弥陀さま』~極楽浄土への誓い~

Img_2793 両親のご機嫌窺いとお手伝いで尋ねてきた姉と、両親を連れて、大津へ博物館に行く。 

 法然上人八百回忌と、親鸞上人の七百五十回忌を記念した企画展である。

 その名も『阿弥陀さま』、直球である。サブタイトルは、~極楽浄土への誓い~とある。Img_2791

 京都や奈良に隠れて影は薄いか、滋賀県も、国宝や重文級の文化財は、日本でもトップ5にはいる県である。特に、大津市には、天台宗の総本山、比叡山延暦寺、三井寺(園城寺)、そして、不断念仏で名高い、天台真盛(しんせい)宗総本山、西教寺などの大本山がある。京都市や奈良市に並ぶ、仏教都市といっていいが、両市に比べると知名度は低い。

 さて、大津市歴史博物館のHpに今回の企画展の趣旨が出ている。

 大津市の比叡山延暦寺は、平安中期に恵心僧都源信が『往生要集』を著して以来、我が国の「浄土教」の中心地として著名でした。ここで修行した後、阿弥陀の浄土信仰を広めたのが法然上人(法然房源空)です。もっぱら阿弥陀如来の誓願を信じて「南無阿弥陀仏」の名を唱える人は、みな極楽往生できるという画期的な信仰でした。さらにその弟子の親鸞聖人はわかりやすく念仏を広め、この後我が国の仏教は浄土教を中心に広く展開していきました。本年は、浄土宗開祖の法然上人が入滅して800年、さらには浄土真宗の祖、親鸞聖人も、今年が入滅して750年の節目の年にあたります。
 本展では、それらを記念して、大津における浄土信仰の流れを追い、そして様々な阿弥陀如来像の姿や、後の阿弥陀如来の姿のスタンダードを創出した仏師快慶・行快一派の作例を観覧し、さらには大津市内に所在する浄土宗寺院の寺宝の数々を紹介します。新発見を含む多数の初公開寺宝をお見逃しなくご覧ください

 とある。大半が大津を中心にした展示だが、日本の浄土教の発展は、比叡山をその母胎にしたことには間違いはない。法然、親鸞、蓮如さまは、みな比叡山でご修行されているので、高僧ゆかりの品や、阿弥陀さまが種々多様に展示されていた。

 それにしても、阿弥陀さまといっても、ずいぶん、いろいろなお姿があるのでびっくりした。また、弥陀三尊での来迎の姿もいろいろあったが、印相もさまざまにあるのにも驚いた。まさにひとりひとりに、それぞれについて離れないお働きを顕しているようであった。それに、けっして大きな仏像があるのではないが、幾重にも並ぶお姿は圧巻で、まるで百重千重囲繞して阿弥陀さまに守られているようにも思えた。

Amida06 法然さま、親鸞さま、蓮如さま、また善導大師の祖像も、複数展示されている。写真(右下)にあるのは、比叡山・無動寺大乗院の、親鸞様のいわゆる「そば喰い」像である。百日間、六角堂に参拝され、同輩に行動を疑われかけた時に、聖人の身代わりになって、そばを食べて窮地を救ったという逸話である。そばアレルギーのぼくには、とうていマネのできない所行だなー。

http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/1206.html

をクリックすると、(一部だが)さまざまな阿弥陀様が写真でも紹介されている。

 11月25日まであるので、興味のある方は、ぜひ、足を運ばれてはいかが?

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出会い

Img_2808_2 小学校からの同級生に誘われて、ワインの会に出た。関西初出店のワイン直売店が、出店2周年記念で開いたもの。シャンパン、白、赤、そして食後酒を、おいしい料理と共にいただいた。

 まあ、それだけなら普通の話題だImg_2807けど、興味ある話はここから。

 同席したのが、宇治に別格本山がある新興宗教の老舗、某の家の大幹部の娘さんだった。紹介された時は、ほんの一瞬、エッとは思った。でも、以前、聞法の集いに参加されていたM道会の幹部の時もそうだったが、知らないことは教えていただくのがいちばんだ。こんな機会は滅多にない。彼女自身は、専門職ではないが、いろいろとお話聞いて、刺激を受けた。それに、勧誘や批判のためではないのし、逆に、距離があるからこそ、興味をもってお話を聴くことができた。万教帰一の教えであるからか、浄土真宗のことも尋ねてくださった。信じるものは違っていも、人間としての出会いは、また別だ。同じ教えだと称していても、虫の好かない奴はいる。だいいち、同じ浄土真宗を自称する同士の方が、「われこそ真実」と、ますますケツの穴が小さくなることもある。

 それにしても、異質の話を聞ければ聞くほど、なんと不思議な教えにで出会っているのかと思う。僧侶といっても、一度も、修行をした覚えはない。善も、徳も積んでいない。戒律もたもたず、六度万行もしない。当然、人格者になれず、煩悩生活であるのはご承知のとおり。しかも、物忌みもせず、現世祈祷もせず、先祖崇拝もしなければ、感謝の日暮らしも忘れ放しという、まさに徹底した、善や徳のないないづくしである。そのうえ、今は未熟で出来なくても、それをめざす生き方をしているわけでもないのだ。そういえば、初詣も、神社祈願も、クリスマスもしていない。おおよそ、世間の信仰の常識から見ると、大きく外れている。

 が、それだからこそ、大きな幸せをいただいた。

 飾ることも、ごまかすこともなく、ほんとうの自分に出会わせてもらう。

  わが腹底の悪業めがけた、真実に出会わせてもらった。

 まさに超世の願いである。

 

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十分に機能する人間

 4月からの真カ研の月例会は、英国のブライアン・ソーン著の『カール・ロジャーズ』を輪読している。毎月、担当者がレジュメをきって、読み勧めているのだが、日本語訳の問題もあるのかもしれないが、総括的な入門書なのにわかりずらいという声が多くて、若干、責任も感じている。

 それでも、みんなで読むと面白い発見や気づきもおこる。カウンセリングという営みは、単なる甘やかしや同情ではないことが分かる。そこには、深い人間観をもとにした、自己の内面への厳しい視点と、他者への暖かいまなざしが同居し、いのちの営みを肯定した、自己と他者の成長の場であるといっていい。わたしが、建設的な出会いによって、わたしく自身になっていくという彼の仮説は、けっして、頭だけの理論や、絵に描いた理想論だけではないのだ。

 本書の冒頭にある、カール・ロジャーズの生涯を読みすすめると、彼が、保守的なキリスト教の影響の強い抑圧的な家庭環境から、さまざまな体験や経験を通して、彼自身になり、超えていくプロセスは、感動的でもある。改めて、聖人君主的に崇められがちなロジャーズ自身も、古い価値観の抑圧に苦しみ、人間としての、または仕事上でのさまざまな挫折を経験し、さらには中年の危機、それを越えて革新的な挑戦と先見性、頑固なまでの実行力、さらに晩年には、放逸的(自由な)結婚観と恋愛、そしてスピリチュアル次元への傾斜などの、彼の生涯をの歩みそのものが、ロジャーズ自身が自身の力を最大限に生かし、彼自身に成っていき、そして超えていこうとするプロセス(生涯をかけた旅)を、共にたどらせてもらっているなと感じさせられた。

 つまり、カウンセリングのめざす「十分に機能する人間」(もうすこしなめらかな表現がないのかー)は、理想的な人間であると共に、彼自身が体現しようとした世界なのだろう。

 来月からは、いよいよ中核理論(三条件プラス一)に入っていく。

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イベリコ豚のトン足?

  6月に、布教先の寺院で紹介をうけたYさんの芝居を観に行ったが、http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-ef0c.html その後、華光の大遠忌法要にも参詣してくれた。御礼も兼ねて飲むことになった。彼女は、S寺のGさんとは、朝5時まで飲むという酒豪(?)である。

 行きつけの七条烏丸のディープな飲食街にある飲み屋(じじばば)へ。カウンターだけの小さな店なのに、人気店。狙い目は開店時間である。もう若い女性がひとり、お店の前で並んでいる。でも、開店時間になっても店は開かない。お隣の姉妹店で尋ねてみたら、今日は、臨時休業。えー、がっかり。しかたがないのでお隣で飲むことにした。資格に合格したお祝いだという若い彼女も、何故か、しばらくご一緒した。

Img_2787 このお店にも、スペインから輸入されたイベリコ豚があり、目の前で切り分けてくれる。これがなかなかうまい。ふとみると、豚足が2本ぶら下げられている。切り分けたあとのものだが、欲しければ差し上げますよとのことだ。

 いや、こんなもの貰っても仕方がないなーと思っていたら、くだんの女性がもらって帰るとい出した。えー。インテリアとして部屋にでも飾っておくと言っている。といっても袋もカバンもない。これから、別のところに飲みに行くそうだが、こんな脂ぎったものをむきだしにしてタクシーに乗ったら、乗車拒否されかねない。結局、次回までとりおきということになった。ほんと?次ぎに、ここに寄った時には確かめてみよう。

 ぼくの喉は、焼酎や日本酒になっていたが、こちらのお店は、ワイン専門。料理も洋風で、比較的濃い目の味付けで、ぼくの舌には少し合わなかったのはザンネン。

 結局、早めに切り上げて、泡盛のおいしいお店へ。

 

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泉佐野の寺院布教 

Img_2774 10月は恒例で、泉佐野の本派寺院への報恩講に出講させてもらう。

 秋、まさに日本晴れである。Img_2782

 年々、規模が縮小されて、両日ともに昼座だけの法座となった。それでも、熱心にお参りくださるのは、有り難い。お念仏の声も、しっかりと相続されている。 

Img_2781 ただ、なかなか自由な信仰座談会にはならない。あまりお寺の方も、その点に関しては、強くおっしゃらない。

 それで、一方通行ではなく、皆さんに関わってもらったり、声をだしてもらえるような法話を工夫をしている。 

 今回も、阿弥陀さまからの願いのお手紙を書いてもらって、声に出して披露してもらった。それぞれの聞法の姿がよく分かって、面白い。

 結局、念仏相続について、お伝えしたかった。せっかくの親鸞聖人の報恩講なのである。しかも、七百五十回の大遠忌を終えた今こそ、この希有なる念仏の声が、連続無窮のお働きしとして、間違いなくわが胸に響いているのだ。これを、このまま留めていてはあまりにも勿Img_2786体ないではないか。他力のお働きによって、浄土に生まれることを願い、喜ぶ身とならせていただいたのである。そのお念仏を称えつつ、浄土に生まれることを願う身を、しっかり味合わせてもらおう。

 帰路。バックミラーが真っ赤に染まる。大きな太陽が、大阪の海に真っ直ぐに沈むところだ。写真では、ビルが邪魔だけど…。

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華光誌輪読法座にて

 今月の華光誌輪読は、初参加の檀家さんあり、アメリカから里帰り中の方ありと、いつもと少し違った顔ぶれ。

 しかも、本号は特別号で、通例の「巻頭言、聖教のこころ、誌上法話」のスタイルとは違う。それで、11名の役員、講師の寄稿を、3~4名ずつ読むとになった。

 悟朗先生の文章に、法要の関連し五条袈裟の話題が出でくる。今回の大遠忌でも、「法要」が参加者の皆さんに強い印象を残したようだ。そのこともあって、今回、寄進くださる方があって、新調させてもらった五条袈裟と七条袈裟を、手にとってご覧いただくことにしたら、皆さんが強く興味を示されたのには驚いた。中には、写メにおめさる人まであったが、もしかすると、女性の方には、高級な着物を観る感覚に近いのかもしれない。  

 K先生の,「すべてを救うお慈悲な阿弥陀様」「死んだらみんな仏」に通じる、法体的な、無気力安心を批判する記事も読む。親鸞聖人はもちろん、蓮如上人の御文章にも、浄土真宗は信心が要であり、それは死んでからではなく、平生の時に、獲信と呼ばれる信体験の世界があることを示されているのである。

 このことについて、初参加の方より、逆に「違和感があり」との表明。社会運動に関わりながら、社会的弱者、もしくは、救いのあることを知らずに苦しんでいる人達にこそ、阿弥陀様の絶対的なお救いがあるのではないか。逆に、信心を得られる選ばれた人たちのお救いになっていないかとの、率直な質問があった。けっして、批判的でも、または観念的でもないのは、彼が、日々、実践しながら、なんとか苦悩する人のお救いを聞きたいと願っているからである。

 もちろん、真宗のお救いは、わが身に聞くところから始まる。なにかと、彼に反論することはたやすいのだが、逆に、その真面目さが、新鮮で、共感を呼んでいた。逆に、自利利他円満の南無阿弥陀仏をお聞かせに預かり、願生浄土の身となったものは、どのように南無阿弥陀仏の利他のお働きをお伝えしていくのかが問われているようである。

 ぼく自身も、彼はきっちりとお答えしておいたつもりだか、各支部法座でも、このことを材料に話し合い法座を勧めていきたいので、いまはこのあたりで。

 

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総括

 大遠忌法要も、盛会のうちに終わったが、事務方のTさんと、担当Rさんの3名で、運営、事務に関する振り返りを行なった。反省というより、いろいろと総括しておいて、次ぎに生かすことが目的である。このような大規模なものは、何度も出来ることはないが、今後、従来の華光の法座スタイルを刷新したり、更新していく意味でも、次ぎに生かせるものは生かせていきたいのである。

 運営スタイル以外にでも、3月の法話大会にしても、今回の大遠忌にしてもそうたが、外部からご講師をお願いし、交流があった点でも、従来の法座とは違うところで、ぼくなりに、意欲的な取り組んだ部分だ。ともすると、華光や仏法以外の先生にたいして、先入観や言葉尻の違いを取られて批判的な態度でみてしまいがちだ。しかし、違いは違いとして捉えながらも、出会うことで見えてくる華光同人(わたし)の問題点や、共に歩むべき道を求めることがあるのでなら、わたし自身がを変えていく道もあるのではないか。万が一、「華光で獲信した」と握り、そこに留まるこころこそが、獅子身中の虫なのかもしれない。

 ただ内を固めたり、外を取り込んだりするのでも、頑にわが立場に固執するのでもなく、柔軟に自らの枠を広げていくことも、これからの華光のありようを左右することのように思えるからだ。そのことで、また自ずから我が身を見つめ直し、出会った教えのすばらしさを振り返らせてもらうこともある。

 終了後は、Rさんと、深夜まではしご酒。盛んに、Rさんが先の華光大会でのご法話をまとめるよにうお勧めくださる。お話を聞くうちに、ぼくの中でもなにかが動きだしていくようであった。

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気分転換

Img_2755 毎日の暮らしが、気分転換だといえば、そうだなーと思わされてる。日常のルーティンの仕事にしても、ずいぶん多岐にわたっている。週末毎に、宿泊法座で地方出張があり、毎月、大きな宿泊行事もあったりもするし、研究会や勉強会にもある。それに映画を観たり、講演を聞いたり、お客さんあったり、役員の方と飲む機会もずいぶん増えいる。Img_2749

 それでも、またには、仕事を忘れて気分転換もしたい時がある。

Img_2752 緑の中にある穴場のレストランで、友人とランチをする。

 天気はいまひとつだったが、山はすっかり秋の気配だ。Img_2753

 しばしだが、日頃の喧噪を離れられる静けさがあった。

 いろいろと愚痴を聞いてもらったり、励ましや叱咤をしてもらった。

Img_2759 仕事がらみでない気分転換も、たまにはいいものだなー。

 元気をもらって、また張り切ろう。

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仏青大会

  更新がしぱらく滞っていたが、ボチボチ戻りながら、法座や行事を振り返っておこう。

 まずは、6日(土)~8日(祝)の3日間は、秋の仏青大会である。

 過渡期に入って、10代~20代前半と、30代後半の間をつなぐ世代が育っていないので、、仏青大会にしては寂しい参加者数である。特に、今年は大遠忌法要が終わったばかりで、常連の欠席も多かったようだ。

 もうひとつ、大遠忌法要での森達也氏の講演会をきっかけに、仏青大会につなぐ計画があってが、こちらは、完全に不発。講演会事態の在り方や呼びかけにも、反省が必要なところで、これからどう総括されていくかで、今後につながるかどうかだ。

 それでも、少ないながらも、10代、20代の若い参加者が中心になっていて、いつもとは少し違った雰囲気があったし、常に、ワン・グループでのセッション(座談会)だったが、法話や企画もユーニクだったことも、雰囲気を変えたのかもしれない。

 信巻のアジャセ王の物語の法話を中心にしながら、それを演じて観るという体験型法話がユニーク。明かに、善導様は、自らをイダイケ夫人に投影されていたが、親鸞様は、アジャセ王に自らを投影され、他力廻向による逆謗の救済を明示されている。浄土真宗の信心へのプロセスの核心といっていい箇所である。今回は、六師外道やギバ大臣なども単なる脇役ではなく、しっかりと文章を読み、皆さん自分なりに演じてくださった。すべて権化の仁のお働きである。

 他にも、2日目の昼座は、京都ならびはウォーク・ラリーの企画。ギバ・六師外道グループと、アジャセ・釈尊グループの二班に分かれて、時間内に、与えられて指令をこなしていくとImg_1003いうもの。

1)真宗十派のお寺を巡り、2)親鸞聖人のご旧跡を巡り、3)河原町四条の近くにある、「○○不思議」の○○寺(正解は、誓願寺)で、阿弥陀様を拝し、その間に、4)外Img_3879人に、お念仏を勧め、5)お参りの方に、華光会を紹介し、6)何か京都らしいのもを食べ、7)俳句(川柳)を作って、8)時間どおりに帰還せよというのである。もちろん、そのあいだに、アジャセ王の劇の相談もするというだから、けっこうハードである。さすがに、若者である。スマホでサクサImg_3322クと情報を得て、楽しそうに出て行った。

 六角堂(上の写真)や仏光寺(左)、そして、ブログに登場した、ご旧跡にも足を延ばして、誓願寺(右)では、法要にお参りだきたようである。指令の成果は、ボチボチというところだったようだが、理屈先行の求道者まで、イキイキとしていたところが、おもしろかった。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_594e.html (光円寺)

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-752d.html (青蓮院)

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『あなたへ』

 名俳優の大滝秀治さんの逝去が報じられた。父と同じ年の87歳、誕生日は1日違いなので、同じ時代を生きた俳優さんだ。高倉健をして、脱帽させる演技が、彼の最後の遺作となった。高倉健主演の『あなたへ』

 健さんの主演は、大好きなチャン・イーモウ監督の『単騎、千里を走る』以来。その間に、チャン・イーモウの方は、『王妃の紋章』』(色彩美もすごい歴史大作だけど、大味)、『女と銃と荒野の麺屋』(これも独特の色彩美と、コメディタッチのハリウッドのリメイク。けっこう楽しめた)、そして、『サンザシの樹の下で』(うーん。いくらなんでも甘すぎるー)と作品を重ねていたが、健さんの方は、沈黙を保ち、久々の出演である。

 さすがに、御年を重ねられて、設定に比べると、何気ない歩き方に年齢の陰が感じられるのは悲しいが、もうこの際、そんなことはどうでもいい。

 ロードムービーなので、いろいろな地方のシーンが出てきて、回想シーンも加わってくる。出発は富山。そして、飛騨高山、琵琶湖は知内浜、京都は九条大宮の高架をくだって、東寺の塔がアップで映る。うーん、母校が映るかなー?。大阪に、兵庫県和田山(いまや豊岡市)の竹田城は、雲海で幻想的な風景。そこから一気に、下関、長崎の平戸がゴールへ。

 同時に、さまざまな名優やタレントがでてくる。健さんとの出会っで、世界がどんどん拡がり、結末の世界へとつながっていく手法だ。登場する俳優は派手なのに、ストーリーは静かな映画で、見終わってしばらくしてから、じっわりと感じるものが呼び起こされる。余貴美子の演技がいい。

 映画の影響で、山頭火が読みたくなった。

 どうしようもない わたしが 歩いてゐる

 このみちや  いくたりゆきし  われはけふゆく
                                              山頭火

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いわさきちひろ~27歳の旅立ち~

 絵本画家のいわさきちひろさんのドキュメンタリー映画、『いわさきちひろ』~27歳の旅立ち~は、感動的な1本。

120907_2 温かな、やわらかなタッチのちひろの絵からは、想像もつかない、挫折と逆境を乗り越えた強靱な不屈の精神性に、とにかく驚かされる。なぜ、彼女は、ここまで強いだろう。

 戦争の爪痕、満州での苦労、そして望まない結婚。その不幸な2年間の結婚生活は、心を開かない彼女を苦にした夫の自殺で幕。終戦、戦争協力者の家族としての逆境生活、空襲ですべてを失い、家も、仕事もない、バツイチの女。まったくマイナスだらけの中から、大好きな絵画をひとつり頼りに、27歳で自立した女性として歩みだす。その時の、幾重にも幾重にも線が重ねられた自画像は、鬼気せまるものがある。

 しかし、なかなか彼女の画風は受け入れられずに、葛藤の日々。それでも、戦争の狂気やまやかしに反対する信条で一致した最愛の夫(あれ? この方、共産党のとても有名な議員さんじゃないですか)との再婚、最愛(絵のモデルとなる)の長男の誕生。生活は苦しく、同時に権利の低い付け足し程度の挿絵画家の地位向上のための戦いを続けながら、才能が開花し、飛躍へ。その生涯の残りの時間は少なく、余白を残したままでの生涯を終える…。

 病と戦いながら、有名なベトナム反戦をモチーフにし『戦火のなかの子どもたち』。焔の中での母と子の絵が映し出される。その母の厳しくも強いまなざしと、その胸の中で安心しきった子どもの表情。静に涙がこぼれてきた。

 単に彼女の生き方に感激しただけでなく、こちらをも揺り動かされる何かが伝わってくる、まったく壮絶な55年の生涯だった。

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季節の移ろい

 朝晩は、かなり涼しくなってたきが、10月に入っても、日中は、まだ半袖だ。

 すっかり空が高い。青い空に、秋の雲が出ている。盛夏の湧いてくような入道雲とはに違う。

 夕方、5時30分を過ぎて京都シネマを出たら、すっかり夕暮れになっていた。

Img_2731 見上げると、きれいな夕焼けが、西の空を燃やしていた。それが数分もたたないほどで、闇に変わろうとしている。

 最後に、五条の陸橋の上でカメラに收めたが、驚くほどのスピードで真っ暗な闇になった。

 まだ夏の装いなのに、彼岸を過ぎれば、秋がやってくる。人の心は淀み、停まることはあろうが、そんなことにお構いなしに、刻々と移ろっていくのである。

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疲れたー

 大型台風の接近中で、心配していた九州支部法座だったが、福岡は、まったく影響がなかった。

 それでも、生きはよいよい、帰りは怖いである。

 博多駅まで行くと、通常通り新幹線は動いている。しかし、東海道新幹線は、名古屋以降で運転を見合わせているという。まあ、新大阪まで動けば、なんとくなるだろう。

 東京行きも、定時に出発。途中、きれいなお月さんである。電光掲示は、運転見合せ区間が、刻々と、東に動いている。どうやら東海に上陸して、かなりのスピード進んでいるらしい。徐行はしていも、この調子なら、名古屋駅までも大丈夫だろとうと、安心していた。

 ところが、結果は逆。急に、すべての東海道新幹線の本日の運転は見合せ、この列車も、新大阪止まりとなって、折り返し、博多行きに変更に決まったとの連絡がはいり、あわてて、京都以降の切符の払い戻し方法の説明が行なわれているようになった。

 まあ、京都までである。新大阪まで行けば、新幹線がだめなら、在来線もある。しかし、新快速は取りやめ、各停も間引いての運転で、2時間以上は遅れているらしい。最後に、大きな荷物を抱えて、混乱は覚悟しなければならなくなった。

 そのうち、1時間後に、東京行きが発車されるとのアナウンス。しばらく待つだろうが、それに乗れば楽だろう。

 ところが、新大阪駅を前に、完全にストップ。前の列車が出ないと、ホームに入れないとのことである。結局、1時間弱の遅れで到着。あわてて、ホームを移動して、東京行きに乗ろうとするが、ラッシュ並みの混雑で、乗れない。いくつか入り口を変えて、最後、強引に中に入ったはいいが、中もたいへんな混雑。見かねて、座っている人が、ここに荷物をどうぞといってくださり、助かった。聞けば、この状態で3時間以上も待ちぼうけで、さらに東京まで向かうのも、かなり時間がかかりそうだという。それからの乗継ぎ列車も心配されている。幸い、ぼくは京都駅までの20分弱の辛抱ないが、これが何時かも続くとなるとかなりのしんどい。ただ、流れで中に押しこまれたので、今度は、降り時に一苦労。

 それでも、新幹線に宿泊することなく、無事に帰宅できたけど、宿泊法座の最後の最後だけに、けっこう疲れました。

 おつかれさまでした。

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