教行寺法座
9月に奈良県の教行寺にお世話になりだして、何年が経たのだろうか。公私ともに、K先生にはずいぶんお世話になっている。
雨。朝、玄関を開けると、サァッーと冷気を感じる。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、猛暑も、一転、秋の風である。涼しくなったのは助かるが、これだけ寒暖の差が激しいと、体調管理も難しい。
例年の法座だが、今年は、例年の平日の昼・夜の2座の永代経法座から、日曜日の朝・昼の2座に変わったので、早朝から出発となった。高齢の方には、夜座のお参りは不自由だし、日曜日に開かれることで、少しでも、若い人やお勤めの方にもお参りいただきとのお気持ちである。
その思いが通じたのか、例年よりもずいぶんお参りが多くて、多めに用意してきたプリントが不足するほどの盛況。日曜日なので、華光同人も、4~5名お参りくださっていた。それは、昼座も同じで、施主として年忌を勤められたご家族が、ズラッーと前列に並ばれていた。これまであまりお寺にもお参りされたことがないとのことで、予定していた「法蔵発願」を取りやめて、なるべく平易な形で、仏様の願い(仏願)についてお取り次ぎさせてもらった。有り難いことに、後席になっても残ってくださったり、「仏様からの手紙」という参加型のワークでは、若い娘さんが積極的に挙手して発表してくださった。直接的な反響があると、うれしいものだ。信仰座談会がないので、一方的にならないように、朝も昼も、参加型の教案を用意した。
皆さん、楽しそうに取り組んでくださっているはよく分かるが、しかし、どう受け取ったもらったのかまでは、なかなか分からない。発表もどうしても限られてくるし、皆さんの反響は伝わりづらいのだ。このあたりは、後日、K先生に電話して、法話の反響や皆さんの率直な声を教えていただいた。その場では発言がない方も、それぞれが、その人なりに「阿弥陀様からの働きかけ」を味わっておられる様子を窺って、尊かった。中には、かなり聞き込んでおられる方もおられるようだ。K先生ご家族の長年にわたるご教化が、徐々にではあるが、実を結びつつあるのことを、先生と喜びあった。
お寺に生まれて、この蝉は、お念仏の声を聴くことができたのだろうか。
きっと、こんなことでも宿善となって、いつか、いつかは人間に生を受け、そしてお念仏に会えることができるのであろう。人ごとではない。この姿こそ、何生も前のぼく自身である。
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