大谷本廟
9月に入っても、残暑は厳しい。
1周忌の法要で、東山五条の大谷本廟に向かう。何十ぶりであろうか。
京都の人や、華光同人でも、大谷本廟といっても知らない方もけっこうおらて、ちょっとびっくりした。
親鸞聖人が荼毘(たび)に付され、墓所がある場所で、いわば本願寺の始まるきっかけとなった地(正確には移転しているが)なのだ。
華光でも750回忌を迎える月に、祖師親鸞聖人へのご報告をさせてもらえることは、なにか不思議なご縁を感じて、お参りさせてせらった。もっとも、聖人は、こんなところに骨でおられるわけではなく、いまも、御影をうつし、生きて働き続けてくださっているのである。
大谷本廟内の仏間を借りての1周忌法要と、新しくお墓を立てられたので建碑式と、納骨式を合わせて行なうことになった。これでも、一応、本派の僧侶の端くれ(ぎりぎりだけ)なのだが、法衣姿で本山の中を歩くと、どうも妙に落ち着かないのは何故か?
ご遺族のご要望で、皆さんで勤行しやすい「正信偈念仏偈」をあげて、法話を聞いていただくことになった。でも、なかなか称名念仏の声がでない。正信偈を声にだされるのすら難しい。ご法話も無反応という有り様だっ
た。でも、たったひとりでも、喪主の方は熱心に考えおられるのだから、こうしてご縁が結ばれたのである。何度も何度も、同じことをお伝えしていくかしない。声に出しての念仏を促し、南無阿弥陀仏のおいわれをお話しさせてもらっていく。自分の後生の問題として聞法する云々の前に、まず手を合わすこと、称名念仏申すことすら、
たいへんなお育てのおかげなのである。
法要が終わって、休むことなく、すぐに墓所へ。無量寿堂という室内の納骨施設ではなく、墓石を建てられた。清水寺にまで延々と墓が続いてる姿は壮観で、お盆やお彼岸には、かならずニュースになっている。でも、ぼく自身、西大谷で建碑式の導師をさせてもらうことがあるとは思ったことはなかった。もっとも、浄土真宗では、世間でいわれるような、仏壇や墓石にお性根を入れたやお魂を入れなどはしない。墓石の碑文もあくまで「南無阿弥陀仏」(もしくは「倶会一処」)であって、お名号に手を合わさせていただくのである。まずは家族だけで、建碑式の表白をあげ、勤行。そのあと、親族が集まって、納骨式と続いた。今日だけは曇り空で、ちょっと暑さが一服するという天気予報は大ハズレで、朝から好天で、まだ真夏のような暑さ。衣姿の炎天下での法要で、汗だくになった。
ところで、この墓所も、聖人の荼毘の地だけではく、ゆっくり回るとけっこう著名な人、歴史上の人物のお墓があるようだ。でも、やはり戦争の陰が色濃くある。先の大戦の軍人戦死者の碑が、立派で、とても立地のよい場所に建立されているのも、積極的な戦争協力の歴史の証であろう。
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