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2012年9月の17件の記事

信心のしるし(徴)

Img_2725 福間海岸での九州支部法座。ここでは、春と秋の2度、法座が開かれる。

 台風は逸れたが、曇り空で、波も少し強めだ。まだ日中は暑いが、暦は確実に秋になっている。Img_2729

 参加予定者の急なキャセンルが相次いで、参加者は少なめだ。九州支部は、東、西交えて僧侶も多くて、葬儀が入るなどの影響があったようだ。

 まだ大遠忌法要の余韻が残っている。不参加の方も半数あったが、分かち合いも活発だった。

 法話も、大遠忌モード。親鸞聖人の教義上のご恩徳や、「今、生死を超える」のおさらいをした。

 夜の座談会では、信楽先生が示されたこの世の生き方としての「しるし」を巡って、参加者が自分を開いて、かなり活発な話し合いにあった。みんな、それぞれ刺激を受けたようだ。

 「しるし」は、決して掟や生活信条などの時代限定で縛られた行き方ではない。もしそうならば、真俗二諦で、信心と生活がバラバラになってくる。といって、親鸞様は、具体的な道を示されていない。ただ、「世を厭うしるし」とか、「往生願うしるし」などと表現されているが、真実信心の上には、その「しるし」があるだろう。これは、決して、葵の印籠のような証拠をいうのではない。各々が、聞いたところで、自分を開いて示す以外にないのである。その覚悟を巡っての、各々の領解出言が有り難かった。

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「南無阿弥陀仏」の華光誌

 昼から、華光誌の発送作業。

 今号は、大遠忌法要特別号として、法要の参加者に配布されたものである。

 表紙はシンプル。「南無阿弥陀仏」と、真ん中に、増井自然先生の揮毫。お名号が、光輝いているようである。

 大遠忌の役員、ご講師、全員の言葉や法話と、3月の法話大会のご講師の声を集めたもので、森達也氏や信楽峻麿師もご寄稿くださっている。

 通常号と違って、巻頭言もないし、誌上法話や体験記もない。

 大遠忌にお参りくださった方には、2冊目となるが、せいぜいご活用くだればありがたい。

 そのため、寄贈や支部へ無料配布分はないので、ご注意ください。多少の残部もあるので、必要な支部は、お申し出くださると、後日、配布できると思います。

 追記:M先生から連絡があり、17頁の上段、文章に、訂正箇所(1行文章が抜けている)があります。

「…生死流転を重ねる、しびれ切った『この私の業魂の中に飛び込んでくださり』摂取不捨の身にさせてもらい…」

『 』の中が抜けていました。お手許に届いた華光誌の追加、訂正をお願いします。

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教行寺法座

Img_2699 9月に奈良県の教行寺にお世話になりだして、何年が経たのだろうか。公私ともに、K先生にはずいぶんお世話になっている。

 雨。朝、玄関を開けると、サァッーと冷気を感じる。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、猛暑も、一転、秋の風である。涼しくなったのは助かるが、これだけ寒暖の差が激しいと、体調管理も難しい。Img_2690

 例年の法座だが、今年は、例年の平日の昼・夜の2座の永代経法座から、日曜日の朝・昼の2座に変わったので、早朝から出発となった。高齢の方には、夜座のお参りは不自由だし、日曜日に開かれることで、少しでも、若い人やお勤めの方にもお参りいただきとのお気持ちである。

 その思いが通じたのか、例年よりもずいぶんお参りが多くて、多めに用意してきたプリントが不足するほどの盛況。日曜日なので、華光同人も、4~5名お参りくださっていた。それは、昼座も同じで、施主として年忌を勤められたご家族が、ズラッーと前列に並ばれていた。これまであまりお寺にもお参りされたことがないとのことで、予定していた「法蔵発願」を取りやめて、なるべく平易な形で、仏様の願い(仏願)についてお取り次ぎさせてもらった。有り難いことに、後席になっても残ってくださったり、「仏様からの手紙」という参加型のワークでは、若い娘さんが積極的に挙手して発表してくださった。直接的な反響があると、うれしいものだ。信仰座談会がないので、一方的にならないように、朝も昼も、参加型の教案を用意した。

 皆さん、楽しそうに取り組んでくださっているはよく分かるが、しかし、どう受け取ったもらったのかまでは、なかなか分からない。発表もどうしても限られてくるし、皆さんの反響は伝わりづらいのだ。このあたりは、後日、K先生に電話して、法話の反響や皆さんの率直な声を教えていただいた。その場では発言がない方も、それぞれが、その人なりに「阿弥陀様からの働きかけ」を味わっておられる様子を窺って、尊かった。中には、かなり聞き込んでおられる方もおられるようだ。K先生ご家族の長年にわたるご教化が、徐々にではあるが、実を結びつつあるのことを、先生と喜びあった。

Img_2695 ふとみると、本堂の縁の下に、蝉の脱け殻があった。

 お寺に生まれて、この蝉は、お念仏の声を聴くことができたのだろうか。

 きっと、こんなことでも宿善となって、いつか、いつかは人間に生を受け、そしてお念仏に会えることができるのであろう。人ごとではない。この姿こそ、何生も前のぼく自身である。

 

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御礼

 おかげさまで、親鸞聖人750回大遠忌法要が、盛会のうちに、無事に終わった。

 これも、仏天のご加護と、華光同人の仏法繁盛の念力の賜物だと感謝している。

 多くの同人が、大遠忌募金にご喜捨くださり、同人の有志が、さまざまな形でお力添えくださった。お手伝いくださった皆様にも、御礼申すだけである。

 天気にも恵まれ(残暑は厳しかったが)、事故もなく無事に終わった。僕自身も、元気に過ごすこともできた。予想では、初日、2日目のメーン行事の進行からみて、3日目は、かなりの疲労困憊も覚悟していたが、余力はまだあった。ただし、法話は、散漫に流れて、大いに反省。少々落ち込んではいるが…。

 それはともかく3日間、ほんとうに充実した時間をすごさせてもらった。ただ、よかった、刺激を受けた、感激したという過去形で終わらないで、次ぎの1歩にどう進めていくのか。翌日は、いろいろ考えたり、感じたことを、いろいろな人たちに話して聞いてもらっていた。これを契機に、新たな展望が開けてくる予感もある。

 3日間の思いは、またこれからボチボチと綴っていこう。

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前日

Img_2621明日から、いよいよ「親鸞聖人750回大遠忌法要」が始まる。

 ぼくには、まだ細かな事務作業がいくつか残っていたが、準備は進んでいる。Img_2623

 記念品のケハ、法要用聖典を、Rさんが届けてくれた。写真ではわかりずらいが、いいできである。ご喜捨くださったの記念品の一つとなるものだ。

Img_2632 昼間には、掃除のために奈良のMさんに、宇治のKさんなど。夕方には、準備は、Rさん、M師を中心に、仮の設営をして、ぼくも七條を付けて、法要のリハーサル。なかなか難しい。表白も、長いので少し手直しが必要だ。Img_2637
せっかくの準備も、今夜にせなえて、一度撤収しなければならない。

 別会場の荷物もあらかた揃ってきた。

Img_2636 パネル展示では、S君、Rちゃんもお手伝いくださる。

 北海道からTさん、新Img_2629潟のFさんも来館された

 事務所のTコンビもフル稼働。

 みんな夜遅くで準備をすすめくれていた。

 ほんとうにごくろうさまです。

 明後日の本番を前に、後ろ姿をチョコッとだけ。

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50年に一度ということ

 大遠忌も、あと2日。準備が大詰めを迎えている。

 昨日も、Rさんが来館されて、急な変更箇所などの打ち合わせ。事務所のT嬢も、Rさんも、身を捨てて頑張ってくださっている。こんな方がおられないと、このような集いは決してできないのである。

 そのあと、S君と一緒に、掲示用写真パネルのお世話。この一年間の華光会の行事を写真で紹介することにしている。

 今日は、またRさんが来館されて、会場の下見。DVDや音源を調べるためである。

Img_2616 華光会館では、記念誌となる「華光誌の特別号」が、予定通り完成してきた。おー、シンプルな表紙だが、なかなかいいんじゃないですか。Oさんが助っ人で、アンケートや案内、華光誌などを袋詰め作業。2日間で、さまざまざな組み合わせがあるので、たいへんな作業をである。

 実際に作業くださる方と、いろいろと考えておられる方との間で、小さな行き違いが続く。どうも、小さなことの積み重ねで、片方に感情的なしこりが残ってきた。共によきものをという思いからだが、全体への視野とか、意識の差が明かになってきているようだImg_2618

 ほかの打ち合わせもあって、Fさんに話を聞いてもらっていると、どうやら、他からも相談の電話があったらしい。触れた箇所は違うが、彼も同じ思い。愚痴を聞いてもらっているうちに、Fさんが、「それが、50年に一度という事業なんですよね」との、さらっとしたひとことで、妙に納得。そうなんやなー。もちろん、相手方には、アサーションで伝えたいと思うが、当面は、準備に専念することにしよう。

 夜には、Tさん、M君、S君たちが、力仕事で、机や畳の準備をしてくれた。いつもの会館と違って、1階が受付となるので、廊下の本棚などが、なくなっている。ちょっとだけ雰囲気が違う。

 ぼくは、「表白」を考え中。もう一息というところ。明日は、法要のところでの仕事が多くなるが、他に、さまざまな打ち合わせ、問い合わせが続いてきて、気は抜けない。

 

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おみがき

 連日、大遠忌の準備が続く。

 昨日も、法要の準備にMさん、米寿祝賀会の打ち合わせのために、福岡のYさんと、次々来館される。着々と準備が進んでいく。

Img_2612 今日は、京都支部の有志の皆さんでのおみがきである。念入りに、仏具が磨かれていく。五具足だけでてく、今回は、ハートピアでの仏事もあるので、仏の子供大会の携帯用の仏具も必要なのだ。

 今回は、新人が二人だ。これまでは、お商売の都合で、お出でにならなかったが、今回は、お店を閉めてお手伝いにきてくださった。それで、写真にはないが、いつもImg_2611仏具をしてくださる方が、トイレ掃除を買って出てくださった。

 思い立って準備の写真を撮影することにした。実は、48年前の700年回忌の時にも、仏具お磨きの写真が残っているからだ。

 「皆さん、50年後の800回忌の時に飾られますよ」とカメラを向けると、

 「それなら、お化粧して、おしゃれしてきたらよかったなー」との声。

 でも、おしゃれを気にしていては、念仏道場の仏具を磨き、トイレをきれいはできない。なにかをきれいにするものは、自らか汚れ役を買って出るのである。だからこそ、そのありのままの姿が尊いのである。

 「もう皆さん、十分おきれいですよ。どんなに着飾っても、お子さんでも参詣されないかぎり、50年後には、誰が誰だか分かってもらえないですからね」と、皆さんで、和やかに進んでいった。

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大阪支部法座~大遠忌法要の意義~

 奈良県生駒市での、大阪支部法座。大遠忌の前に、念のために日程をあけていたが、都合でぼくが出講することになった。

 前席は、例によって、親鸞聖人のご出世の意義、なぜ、私達が大恩を受けているのかを、教義うえの発揮に絞って、皆さんに、時間をかけて尋ねていった。そのことで、真宗の教義のまとめであると同時に、聖人ご出世のご恩徳を明かになってくる。それは、聖人が独自の見解を声高に叫ばれるのではなくな、あくまでも、法然聖人を始め、七高僧方の発揮を讃えておられる姿勢、つまり「唯可信斯高僧説」であると同時に、その集大成と自ら身をかけて、本願をお目当ての姿を示してくださったのである。

 後席では、ますます聖人のご法に対する姿勢に触れるほどに、連続無窮の南無阿弥陀仏のお働きの尊さについて味わった。これは、最近よく味わっていることであるが、「連続無窮の生きたお働き」という「生きている」ということである。

 鈴木大拙博士は「リビング・ブッディズム」、つまり「生きている仏教」と言われた。遺跡でも、制度でも、過去の遺産としての仏教でもなく、今、ここに躍動して生きているというのである。

 では、どこに、生きた仏教が躍動しているのか。いうまでもないが、決して、セクトとしての浄土真宗や「華光会」という組織の中ではない。仏法の繁盛とは、人が大勢集い、組織が大きくなることではないからだ。たった一人でもいい。この私の生死の命の上に、阿弥陀様の命が「南無阿弥陀仏」として躍動し、働き続きてくださるところに、仏法はいきいきと繁盛しているのである。

 「生きている」とか、「生きて働く」とい言葉を、法話や座談でよく使う。ほんとうに、ある人を通して、躍動する南無阿弥陀仏の働きをまのあたりにするからだ。

 しかしである。もし「生きている」というのなら、鮮度が落ちることはないのか。病や老に悩まされたり、何より死を免れることはできないのではないか。本来、それが「生きている」ということだ。生き死に、生き死にを繰り返すことが無常であり、迷い(生死)というのではないか。

 もちろん、阿弥陀様は、迷い=生死を超えた、「無量寿」の命をもったの御方だ。無量寿とは、決して、人間の願望である不老不死というような、欲望レベルの話ではない。生きとし生きるもの、迷いの命をすべてすくいとってやまない大慈悲の心の働きによって、その願いに貫き通された命が、絶え間なく生き続けるということである。

  だからこそ、前に生まれた先達は後を導き、後に生まれた者のも前を訪ねて、無辺の生死海をすべて救い尽くすまで、絶えることなく連なり続いていくぞと言われたのだ。連続無窮にして働き続けようという真実の願心は、生きとし生きる一切衆生の「生死勤苦の本を抜かしめたまへ」という、法蔵菩薩の大悲心を根源として発起されたものである。その法蔵菩薩の涙の一雫が、宿業の身を抱えた私の身に触れた瞬間、一度も死んだことのなかった、私の迷いの自力疑心は死に絶えていく。そして、その刹那、生死の命を生きるこの身に、南無阿弥陀仏が飛び込み、生きて働き続けてくださるのである。罪業、宿業の滅びる身を抱えた私が、今、まさに、超える世界に踊りだしてもらうのだ。

 なんという不思議であろう。虚仮不実の私の口から「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と、真実の無量寿が躍動して飛び出してくださる。「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」……お一人お一人の上に、真実の御声が満ち満ちてくださる。

 これ以外に、今度の大遠忌法要の意義はないのではないか。南無阿弥陀仏

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宣伝

 大遠忌を前に、知り合いの方や、お店に大遠忌のポスターを貼ってもらったり、チラシをおいてもらっている。というのも、ボスターはずいぶん余っている。もちろん、協力してくださる方もおられるが、華光会の会員全体としては、ちょっと寂しい感じであるが、まあこんなものであろう。追加講演となった、森氏のものは、ポスターに記載がないので、別刷りを手作りして、張り合わせているので、ちょっとかっこ悪いがこれは致し方ない。

 事務所のT嬢は、自分の知り合いだけなく、会館の町内やご近所にもお願いして回ってくれた。ぼくも、いろいろなところにお願いしている。歯医者や散髪屋は、ポスターもチラシもおいてくれた。特に、キリスト教の信者である歯医者さんは、受付のいちばん目立つところにチラシをおいてくれたので、数日でチラシが無くなっていて、補充。「かりもんさん、入場無料というところで、みんなもって行かれるわ」とのこと。実は、8月の高山以降、調子が悪くて、隔日に通院しているが、これだけは有り難い。他にも、法衣店や蝋燭屋、行きつけのカフェにも協力をしてもらった。東京講演会の時も、協力してもらったお店だ。また、森達也氏ということで、映画館にも置いてもらっている。京都シネマにもお願いしたら、チラシはOK。しかし、4月から知り合いのスタッフがほとんど入れ替わって、若い人になっていて、「『A』や『A2』の映像作家の森達也さんですが」と言っても、「はあ、知りません」との一言。うーん 京都シネマにお勤め方にしては、少々、勉強不足やないですか? ちょうど森氏が推薦している『死刑弁護人』が、上映中なのになー。その映画の中にも、一瞬、『A3』の本が出てくる。スタッフは知らなくても、チラシはすぐになくなっていた。京都みなみ会館は、館長の今井さんに直接、お願いして、チラシをおいてもらうことしよう。RSC時代に、東一条の京大の近くにあった劇場で、森氏の特集を組んでいた。昔のことなので、若い館長もご存じないかもしれませんが…。

 その森達也氏のホームページにも、一言、紹介されている。トップページを少しさげれば出てくる。

http://moriweb.web.fc2.com/mori_t/

 また、京都新聞HPのイベント情報にも、掲載中である。

http://info.kyoto-np.co.jp/event/?type=week&sub_category_id=5

 これをきっかけに、問い合わせや申し込みの電話が、ほんの少しだが増えてきている。申し込みなくても、当日参加していただけばいいので、奮って、ご参加ください。

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リハーサル

 大遠忌の催しは、15、16日の両日(午後1時)の、ハートピア京都での、森達也氏や信楽峻麿師の記念講演会が中心のようにおもわれるが、実は、大遠忌法要なので、16日(日)の朝9時から始まる大遠忌法要こそが、その中心である。

Img_2602 会奉行というのか、法要のお世話を、本山で勤式を学ばれた若手のM師にお願いした。今回の担当の中でも、いちばん積極的に動き回ってくれているお一人だ。連日のように、来館しては、さまざまな準備を進められている。 

 一般の寺院とは異なり、華光会館には本堂はない。聞法道場なので、内陣がないのである。しかも、聞法の場というだけでなく、その場が宿食の会場にもなるのだから、原始真宗教団の道場のありようを、現代にそのまま体現しているといっていい。法中の出入り口も、参詣の方の出入り口も同じで一カ所しかないうえに、内陣、外陣の区別もないことで、ほんらいの僧俗一体となって勤行ができるのだが、そんな環境の中で、法要には、厳粛さや荘厳さも求められているのだから、お世話役はたいへんである。

 準備は念入りに行なわれている。今回は50年に一度の勝縁である。1度だけの法要だが、M師を中心に、本格的な法要を遺漏なくすすめるためのものだ。法中の先生方にも、ご案内状をお送らせていただいたが、いつもの華光Img_2600ではないことだ。

 普通の一般寺院なら、前日までに、内陣の荘厳や準備を終えることができるが、ここではそうはいかない。その日も、道場に同人が宿泊されているのである。布団を上げ、設営をするところから始まるのだ。しかも、参詣の方がおられる中で、短時間の間に、法要の準備をすしながら、並行して、法中の準備や打ち合わせ(差定説明)も行なわなければならない。それに全員が道場に入りきらないだろうから、教室での中継の準備も必要だ。当然、念入りに打ち合わせがなされているのだが、今日は、導師としてのリハーサルをおこなった。

 法要の流れに沿いながら、こまなか作法や所作を教えていただいた。普段の報恩講で行なっている登礼盤の三拝一つでも、美しく見える所作があるようだ。細かな点をチェックしてもらえたのは、ぼくにとても参考になって有り難かった。

 さいわい、音楽法要なので、導師は難しくないのは助かる。ただ、しっかりした750回忌の「表白」は考えていきたい。これが法要の一つの柱といってもいいだろう。

 今度は、新調した七條を着て、本番並みの練習をすることになる。

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伝道研究会~安心篇~

 伝道研究会の輪読会も、長年続いてきた真宗の基礎の「教義篇」が終わって、今月から、「安心篇」に入る。「安心篇」はもっと長い。テキストは総計は、1泊2日での講習会の9年分もあるので、相当、時間がかかる。もしかすると、みんな嫌になって、途中で、終わってしまうかもしれない。

 今日は、総説ということで、まずは、真宗の教義の概要で、他力廻向というところから始まっている。

 「如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして
 回向を首としたまひて  大悲心をば成就せり」 『正像末和讃』
 その昔、阿弥陀仏が、久遠の真実である一如法身仏であられたとき、因果の相をとって、(因果示現)、垂名示形したまい、因願酬報の報身仏たる阿弥陀仏になられたのは、実に、われわれ一切苦悩の衆生を救済せんがためであった。この阿弥陀仏の救済について、宗祖は、その主著『本典』教巻の冒頭に…。(以下略)

というところを中心に、例によって、ぼくから皆さんいろいろと質問しながら進行していった。テキストには詳しく触れられないが、この文章からは、ある意味で、如来論になるので、『一多』等の垂名示形のご文や、仏の三身-法身仏、報身仏、応身仏を、親鸞聖人のご和讃4首にあたりながら、それぞれの立場をどのようにご覧になっておられたのかを見ていった。

ちなみに、垂名示形のこころと題して、仏の三身について、悟朗先生の誌上法話があるので、それをご参照いただけると、理解深まるだろう。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/kekoushi/houwa/55-1houwa.htm

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夏の七條袈裟

Img_2596 50数年ぶりに、夏の七條袈裟を新調した。華光会の二代目の七條袈裟ということになる。

 合わせて、法要用の悟朗師の五條袈裟も新調することにしたので、改めて七条新町の袈裟匠を訪ねた。

 以前の夏の七條は、寂しいものだImg_1606ったので、今回の大遠忌法要に向けて、古参同人のご夫婦が、ご喜捨くださったのである。60年ほど前、親御さんの年忌法要の法話のご講師を探す(この地域では、法要時にでも、丁寧に、説教のためのご講師が別に立てられる)のがきっかけで、その地域に念仏の火が再燃したのである。近々までいろいろなことがあったが、何年立Img_1604ってもたっても変わらないご厚情がうれしい。今回も、匿名でご喜捨である。表には現れてこないか、古参の同人の方の支えで、本会の運営が成り立っているといってもいい。

 夏物を一式揃えた。これから何十年も使用する財産となるものなので、慎重に相談しながら、すすめていった。色衣はImg_1613、涼しげな紗であるが、玉虫色なので、角度によって色合いが変わるものだ。七條袈裟は、出来合いではなく、ベースになる生地、模様の金襴の織物、裏地と、相談しながら組み合わせを考えていった。修多羅という紐の組み合わせも、考えての選択だ。

 おかげで、夏物ながら、重厚なものが出来上がったきた。修多羅も、渋めの色あいで、その意味では、夏の涼やかさはないが、平板な組み合わせではない分、重厚さがでだと自負している。もちろん、お値段もそれなりにかかったが、ご厚情のたまものである。

 当日の法要で、披露するのが楽しみだ。

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健康診査

 小学校へ国保加入者向けた保健所の健康診査に行く。

 ここ数年は休んでいたが、50歳ということで、会場の地元の小学校へ。

 ここ1年は、食事面が変わって、栄養状態がかなりよくなったこともあって、ちょっと太ってきているのは、毎日の測定で自覚済。それに、どもうお酒もおいしいので、おなか周りも、前回(3年前)に比べると、少し出てきたようだ。まあ、それでも、20代のころとそんなに遜色ないのが、ブチ自慢。

 レントゲン(微量でも、これが嫌で、二の足を踏むんだなー)、尿検査、血液検査などとともに、大腸ガンの検査もあった。そんな歳である。でも、ここではダメで、2日間に渡って検体(つまり大ですね)を提出しないといけない。そのキッドも受け取ってきた。時間どおり、毎日、しっかりとしつけているので、快便には自信がある。しかし、問題はそこではない。1日目の検体(大)は、容器に收めて、冷蔵庫で保管して、2日目のものと、一緒に提出してくださいとの説明。えー。あの冷蔵庫ですか。確かに、説明書にもそう書いてある。

 よく考えると、冷蔵庫の中のものを食べて、ぼくの体を通したら、こんなお姿になられるわけで、それをもとの場所で冷やしてもなんの問題もないわけ。でもね、なんとなく抵抗があるのは、ぼくだけ? もちろん、直に、ブツをおくわけではない。密封した容器に入れ、ビニール袋に入れれば、匂わないし、分からないと、頭では分かっているんだけれど、あれを冷蔵庫といわれるだけでね、なんとなく、どことなく、ダメですね。

 案の定、ネットで調べると、同じような方が多いようで、アイスボックを活用するなども勧めれていた。かといって、そこまですることもないかなという気もするので、きっと、普通に冷蔵庫で保管することになるとは思いますがね。もともとは、ぼくの中で、米が異なったものになっただけなんですから…。

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お宝

Img_2585 記念誌の作業が終わって、大遠忌の打ち合わせや準備を、順番に片づけていく。毎日、誰かにあったり、連絡をしたりで、追われている。

 担当のRさんに、大遠忌法要の参拝記念品の作製をお願いした。

 詳しくは、お楽しみであるが、Img_2588イメージ(試験的)な作製のもとに、悟朗先生の「書」と「絵」を選んでいくことにした。

 新築の引っ越し以降、もう15年も経つのに、これまで飾っていた先生の水墨画は、いまだに行方不明だ。ご本人が、仕舞ったところを、まったく覚えおられないでのある。

 仕方がないので、倉庫だけでなく、手つかずのまま、山積みさImg_2594れた荷物の中をかき分けている。が、残念ながら、大型のものなのに、水墨画は出て来ない。掛け軸は2階の道場にあるのだが、他にも、色紙の絵や書がどこかにあるはずだ。 

 ほこりまみれになりながら、とうとう荷物の山から、書や絵の色紙を、大量に見つけることができた(水墨画はいまだに不明)。サイズ的にも、この中から、厳選する作業を、父たちと行なった。世間的な価値はともかく、華光同人、少なくてもぼくにとっては、たいへんすばらしい、お宝である。

 おかげで、大遠忌には間に合うようだ。

 でも、これがどのような形で、お手許に渡るかのは、当日のお楽しみ。乞ご期待!

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親鸞聖人のご恩徳

 9月の広島支部法座。例年、9月は宿泊法座だったが、今年から通常の半日法座へ。

  先月の東京や高山同様、大遠忌を前に、親鸞聖人のご恩徳について、特に、その教義(教え)の上での発揮(つまりは、親鸞さまのご出生なければ、ハッキリしなかったこと)は何か。それは、親鸞さまでなければ明確にならなかったこというだけでなく、他の教えにはない、浄土真宗の独自性ということになる。その場合は、教義の点だけでく、真宗ならでは、宗風というのもある。家庭にはそれぞれに家庭の特色があって、それを家風というならば、浄土真宗にも、浄土真宗の家風があるのだ。

  正解をぼくが言っても始まらない。皆さんに時間をかけて答えてもらい、またぼくから問いを発して考えてもらうことを繰りえして進めていたった。正解を覚えていも、ちょっとひねられると、丸覚えだったら答えられない。逆に、用語が分からなくても、いわんとすることは分かったりしたが、いざとなると、皆さん、なかなか思いつかれない。ぼくとても最低限でも、この答えは出してほしいというものがある。たとえば、他力廻向とか、信心正因や悪人正機などのキーワードである。または、現生正定聚とか、往還二廻向というのもあるかもしれない。宗風となると、肉食妻帯とか、非僧非俗もそうだし、神祇不拝や、現世祈祷の否定、御同朋御同行の精神などもそうであろう。

  なかなか進まないので、ヒントトやキーワードを示する、苦戦をされながらも、黒板が一杯になってきた。でも、本題はこれからだ。さまざまな出された答えを検討していきくと、その発揮の大半は、すでに法然さまを始め、七高僧さま方の上で示されているものだということがハッキリしてきた。親鸞様独自といわれると、ほとんどが残らなくなっる。実は、そこがいちばん尊いところなのだ。決して、聖人は珍しい法を説かれたのではない。また、自ら新宗教を建て、開祖になられる思いは微塵もお持ちではない。あくまでも、先達、お師匠さまの法然さま始め、七高僧のみ教えを、唯信するのみだという態度で、終始一貫されている。それは、お正信偈一つをみても明かである。それで、今度は、さまざまな出された教義の特色を、七高僧の何方の発揮であったのか確認していった。

  もっとも、ある人が、「念仏一つで仏に成る」といわれたら、他の人が,「信心一つ、つまり信心正因」といわれた。これはどういうことか。ある支部では、そこから「五願開示」という言葉がでた。うん、これは明かに聖人の七高僧のご指南による発揮だろう。華光同人は、一願建立と五願開示、法然聖人と、親鸞聖人の立場の違いについて、伊藤康善先生からご教示いただいている。そして、伊藤先生からは、  音声廻向の、本願招喚の勅命を聞く一つで救われる教えだというお示しを、華光同人は頂いているのである。

  結局、聖人は、七高僧さまの発揮を集大成されたのであるか、それは決して、教義の上に留まらず、そのみ教えをいただくのは誰なのかと、自ら、流罪人となり、非僧非俗として愚禿と名乗り、肉食妻帯の姿を示してくださったのだ。つまり、本願の、他力廻向のお目当てが、煩悩具足の泥凡夫の私にあることを、身をかけてお教えくださったのである。悪人のまま、凡夫のまま、現生正定聚のくらいに住し、滅後には、最高の弥陀同体の仏となって、還相廻向の身となることも、聖人のご出世と、そのお命をかけた歩みがなければ、絶対に、この私には伝わらなかったということである。

 深い深いご恩徳があるのである。南無阿弥陀仏

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はり清

Img_2581 西大谷での法事を終わって、近くの東山五条の老舗料亭はり清にお招きいただく。

 350年も続く老舗の名店で、名前だけImg_2573は聞いていたが、こんな場所に、ひっそりあるとは知らなかった。

 これも役得というか、衣の値打ちである。

 料理は、見るのも食べるものおいしかった。また、休みや水分補給の機会もないまま法事と野外での勤行が続いたので、ビールがすすんだ。こImg_2574れも、おいしく飲んでもらいましょうとのご配慮のたもまものかもしれない。

 亡き方を偲びつつ、ご親族の皆さんとゆっりくとご馳走になった。Img_2576

 ほろ酔い気分に帰宅して、今度は、布教を終えたのS先生と、記念講演会の打ち合わせ。昨日は、信楽先生とも電話でお話したてだいたいのイメージは出来ているが、対談会での勧め方などのご相談。身内だけでImg_2577盛り上がったり、分かった話にならないようにとの配慮がある。

 七条通の場末の飲み屋にご案内。さっきまでご馳走をいただき、昼からビールを飲んできたので、ソフトドリンクという選択もあったが、おつきあいに1杯だけ生ビールを飲Img_2578むことにしたら、あとは、いつのまにか、いつもの調子で、ワインや泡盛というお決まりのコースへ。ここの料理もうまい。先生の最終電車の時間が迫ってきたので、ほどよいとこImg_2580ろで切りあがったので、体も元気だ。

 どうやら今日は、昼も、夜も、ご馳走と、気分よくお酒ををいただける日。ここもおいしそうな写真だけで飾ることにしよう。

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大谷本廟

  9月に入っても、残暑は厳しい。

Img_2565 1周忌の法要で、東山五条の大谷本廟に向かう。何十ぶりであろうか。

 京都の人や、華光同人でも、大谷本廟といっても知らない方もけっこうおらて、ちょっとびっくりした。Img_2564

 親鸞聖人が荼毘(たび)に付され、墓所がある場所で、いわば本願寺の始まるきっかけとなった地(正確には移転しているが)なのだ。
 華光でも750回忌を迎える月に、祖師親鸞聖人へのご報告をさImg_2552せてもらえることは、なにか不思議なご縁を感じて、お参りさせてせらった。もっとも、聖人は、こんなところに骨でおられるわけではなく、いまも、御影をうつし、生きて働き続けてくださっているのである。

 大谷本廟内の仏間を借りてImg_2560の1周忌法要と、新しくお墓を立てられたので建碑式と、納骨式を合わせて行なうことになった。これでも、一応、本派の僧侶の端くれ(ぎりぎりだけ)なのだが、法衣姿で本山の中を歩くと、どうも妙に落ち着かないのは何故か?

Img_2569 ご遺族のご要望で、皆さんで勤行しやすい「正信偈念仏偈」をあげて、法話を聞いていただくことになった。でも、なかなか称名念仏の声がでない。正信偈を声にだされるのすら難しい。ご法話も無反応という有り様だっImg_2585た。でも、たったひとりでも、喪主の方は熱心に考えおられるのだから、こうしてご縁が結ばれたのである。何度も何度も、同じことをお伝えしていくかしない。声に出しての念仏を促し、南無阿弥陀仏のおいわれをお話しさせてもらっていく。自分の後生の問題として聞法する云々の前に、まず手を合わすこと、称名念仏申すことすら、Img_2561_2たいへんなお育てのおかげなのである。

 法要が終わって、休むことなく、すぐに墓所へ。無量寿堂という室内の納骨施設ではなく、墓石を建てられた。清水寺にまで延々と墓が続いてる姿は壮観で、お盆やお彼岸には、かならずニュースになっている。でも、ぼく自身、西大谷で建碑式の導師をさせてもらうことがあるとは思ったことはなかった。もっとも、浄土真宗では、世間でいわれるような、仏壇や墓石にお性根を入れたやお魂Img_2563を入れなどはしない。墓石の碑文もあくまで「南無阿弥陀仏」(もしくは「倶会一処」)であって、お名号に手を合わさせていただくのである。まずは家族だけで、建碑式の表白をあげ、勤行。そのあと、親族が集まって、納骨式と続いた。今日だけは曇り空で、ちょっと暑さが一服するという天気予報は大ハズレで、朝から好天で、まだ真夏のような暑さ。衣姿の炎天下での法要で、汗だくになった。

 ところで、この墓所も、聖人の荼毘の地だけではく、ゆっくり回るとけっこう著名な人、歴史上の人物のお墓があるようだ。でも、やはり戦争の陰が色濃くある。先の大戦の軍人戦死者の碑が、立派で、とても立地のよい場所に建立されているのも、積極的な戦争協力の歴史の証であろう。
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