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2012年8月の14件の記事

大遠忌特別号に向けて

 華光誌の編集作業が大詰め。

 さすがに、猛暑の中、仏の子供大会、お盆、週末の法座と続き、他に、大遠忌の細部に渡る打ち合わせもあるので、なかなか厳しい。

  今号は、大遠忌法要の当日に配る特別号。いつものような、誌上法話や体験記はない。

 その分、記念講演会のご講師である森達也氏、信楽峻麿先生の他、法話講師全員と、役員や担当者の記事が揃った。加えて、3月の大遠忌記念の法話大会の特集号として、6名の講師陣の原稿も掲載しているので、すべてが法話といばえ法話のよううなものだ。

  表紙も、超シンプルで、しかしインパクトのあるものを考えた。聖教のこころも、ちょっと工夫している。4頁に渡り、前回の700回大遠忌や、今回、既に終わった越後、東京、京都での行事の写真も掲載した。

 印刷所渡しを前に、事務所はたいへんだ。深夜近くになっても、まだ作業中。T君は、今日は会館に泊まって、明日の夕方の完成を渡しをめざしているが……。頑張って! 

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チベット体操?

   朝、今月最後の自力整体の教室へ。今日は10名の生徒さんがあったが、相変わらず黒一点。年齢は、若くて40歳すぎ、だいたい50後半から60歳台前半が中心。代替医療や健康法に関心のある方は、どこか同じような雰囲気がするのが不思議。始まって30分ほどしたら、初老の男性が入ってこられる。こんなことは初めてだ。しばらく入り口で立っておられて、「あの、チベット体操の教室ですか?」。もちろん、違います。どうやら貸し会場の日を間違えられたようだ。男性が出て行かれたら、先生の「チベット体操? 興味ありますね」の一言で、みんな大笑い。確かに、何をするのだろうか。きっとヨガの一種の気もするが…。

 でも、今日はそれで終わりではなかった。終了間際にも、今度は、年輩の女性が入ってこれらて、入り口の長椅子座って待っておられる。レッスンが終わるなり、「今日からお世話になります。○○です」と、ごあいさつ。こちらは、午後の別教室の初参加のようだ。教室名を訪ねたら、「タイ式ヨガの××ですよね」。

 ぼくも、自力やら、他力やらで何かと忙しいが、皆さんも、チベットやら、タイやらで、お忙しいようで…。

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法座の合間の一コマ

 高山支部法座での一コマ。

 父親と、娘(サラちゃん)のお昼寝の様子。

 見物のお子さんたちは、勝手にエサを与えないでください。

 まだ面白い写真もあったけど、やはりお顔がハッキリ映るのは、すさがに控えましょう。
それにしても、ずいぶんお疲れのご様子。ご本人は、写された覚えはないらしく、一応、ブログ掲載の承認もくださいました。さすが、器が大きいわーImg_2550_2

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平等院

Img_2498_2 不思議なご因縁があって、宇治の平等院で、阿弥陀如来と対面した。

 昔、K先生が企画Img_2490された「京都阿弥陀さまめぐりの旅」で訪れた以来だ。

 毎年、お盆参りには宇治を巡っているで、平等院のすぐ近くまで来ているが、Img_2507なかなか中に入ることはなかった。

 9月から、数年の間、鳳凰堂が改築のために閉鎖されるというニュースもあって、久しぶりに拝観させてもらった。Img_2512

 この当たりも、先日の豪雨の被害があって、境内は修復作業中だったが、拝観に差し障りはない。

S1280 久しぶりで驚いたのは、お庭も整備され、別館に宝物館(鳳翔館)が完成していたことだ。国保の梵鐘や鳳凰 そして、多くの来迎の菩薩方が、照明や展示に工夫された、冷房のよく効いた部屋で、間近に拝ませてもらえるようになっている。確かに、隅々まで、じっくりと拝見できて、すばらしい。浄土教美術の頂点の名にImg_2508ふさわしいものである。しかし、何か違う感じもする。ここにあるのは、信仰対象の仏や菩薩ではなく、あくまで国宝のすばらい美術工芸品としての価値が、前面Img_2514に出ているからだろう。

 その後訪れた、鳳凰堂は暑かった。薄暗い本堂では、照明がないので、九品の絵画も、よく見えない。しImg_2487かし、この場所で、阿弥陀如来様を間近に拝観すると、手を合わせさるおえない雰囲気が漂ってくる。平安時代の屈指の寄木作りの阿弥陀如来で、定朝の最高傑作だ。しかし、価値ある美術品としてではなく、また当日の最高権力者が力と財を集めた世俗の力のせいでもない。

Img_2526 浄土真宗の阿弥陀様と違い座っておられる。しかし、丸みるあるお体で、静かに端坐されるお姿には、観るものを静寂(平安)へと誘うようなお力を感じさせられた。Img_2529

 平等院には、違う2つの宗派のお寺の管轄になるそうだが、浄土宗の塔頭には、「南無阿弥陀仏」の石碑もたっている。

 余談だが、不思議なことだが、数ある寺院国宝の中でも、日本の硬貨や紙幣に、2箇所も登場するのは、平等院だけだ。昔からの10円硬貨は有名だが、1万円札にも鳳凰が描かれているのだ。

 あらためて、宇治川と山城の背は低いが緑豊かなに山々に囲まれた宇治は素敵なところだった。

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「仰せ」を聴くばかり

 8月の輪読法座。平日にお昼だったが、それなりの参加者がある。

 K先生の「火事場の真っ最中」を、みんなで声に出して輪読して、分かち合ったり、感想や質問を出し合う。少し残念だと思うことは、せっかくの華光誌の誌上法話を素材にした輪読法座なのに、その文章をたいせつに味わったり、繰り返し読みながら、内容を吟味しあうというより、すぐに通常の法座のような我が胸の算段ばかりになって、そんな話題を巡ってのやリとりが多いことだ。どんなに短くても、また単純ものでもいいので、「この○○○のところをこう読んだ」とか、「○○○のところをもう少しみんなで味わいたい」といった声が、あまり聞こえないのが残念だ。

 今回のところでも、胸の変化や気づきばかりを追い求めて(いわば信心決定病)、本文にあった、胸の算段ばかりしないで、如来さまの「仰せ」をそのまま聴く、もしくは先輩同行や知識の言葉を、頭を垂れてお聞きしないと、「獲信、獲信」と必死になっても、結局は、自分にしっかりした、ハッキリした、何か確かな変化ばかりを求めるだけでは、いつまでも立っても如来様のお心は分からない。

 という内容の箇所を読んでいるのに、「どうしたら、どうしたら」とか、「仰せを黙って来ているが、実感がないのはどうしたか」などの発言ばかりが続くと、お育て、ご因縁とはいえ勿体ない気がした。

 競争に参加して、トラックを走りもしないで、優勝トロフィーが「ほしい、ほしい」と手を出してみても、絶対にもらえないのと同じである。

 ただ如来様の「仰せ」をお聞かせに預かるひとつなのであることを、重ねてお伝えするばかりだ。

 たった一言を聴くだけで、すべてが収まるみ教えなのである。

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大遠忌特別号の作業など

 例年、8月は始めに「仏の子供大会」があり、そのあとでお盆参りがあって、そのあとは、週末毎に宿泊法座に出るのが、だいだいの予定である。

 しかし、今年は違う。

 子供大会、お盆までは例年と同じだが、例年は、9月にある華光誌の編集作業を、大遠忌で配布する特別号として、お盆が済んでからすぐに取りかかっている。

 9月の法要法座の講師-森氏や信楽先生だけでなくすべての講師先生方と、役員や担当者の記事と、3月の法話大会の6名の講師陣の一言や感想集で構成されている。だから、毎回のような誌上法話や体験記はないが、それだけに通常のような編集作業とは異なる点もある。こちちは、あと1週間が勝負だ。

 それにしても、今週は、大遠忌の種々の打ち合わせが続く。やはり、近づけば近づくほど、細かなことが気にかかってくる。それは担当の方も同じで、あれこれと相談が続く。今日も、豊岡からRさんがお出でになって、法要に配る記念品の相談をした。Rさんは、京都出張の仕事の合間を縫って、週に2度、3度とと顔を出してくださている。担当のRさんを初めとして、積極的に動いてくださる方があるので、こちらも大いに引っ張ってもらって、大助かりだ。

 他にも、信楽先生との対談時の司会役のS先生、森達也氏との打ち合わせでK先生、法要担当のMさんと゛会計の相談を兼ねて、米寿祝賀の相談はYさんとスカイプで会議。そこに、出版の白馬社、販売の法蔵館と会ったりと、連日、相談のために来客が続いてる。華光誌の編集や宿泊法座の合間に、同人だけでなく、ビデオ撮影の業者や写真撮影の業者との相談もあれば、法要時の法衣や祝賀会での皆さんへのお返しの品なども買いに行く予定もある。また、なかなか動かないところは、変わって作業をせねばならないので、少々焦り気味にもなるが、逆にいうと、とても意味のある充実した仕事をさせてもらっているので、とても有り難い。これもひとえに同人の皆様のご協力と、何よりも、親鸞聖人のご遺徳であろう。

 今回の大遠忌を通じて、何か新しいものが生まれる予感がしている。

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「大遠忌法要」〆切!

 9月15日(土)・16日(日)・17日(祝)の3日間に渡って営まれる、華光会の親鸞聖人大遠忌法要の申し込みが、〆切となった。

 これは華光会館での宿泊や食事に関するものが主で、華光会館以外の、別会場で行なわれる15日の森達也氏、16日の信楽先生の記念講演は、大ホールなので、まだ若干の余裕がある。ぜひ、この勝縁に、ご参加いただきたい。参加費は、無料だが、事前にお申し込みいただいておくと、その人数分は座席を確保されるので、立ち見になったりすることはない。

 特に、15日(土)のドキュメンター作家の、森達也氏の講演会と、若手講師(華光の若手三羽烏?)との対談も、これまでにない企画で、たいへん楽しみだ。ただ、華光会のご講師でも、また僧侶でもない方なので、同人の方が敬遠されている様子もあって、定員に達していない。一般の方に呼びかけても、十分に集客力のあるご講師だか、せっかくのご縁である。華光同人の皆様とも、ぜひ同じ体験を共有したいものである。

 また、16日(日)の夕方からは、悟朗先生の米寿祝賀を同人の皆様が企画してくださった。こちらも、またとない機会なで、ひろく参加いただきたいと願っている。ただし、事前の申込みと、参加費が必要であるが、さまざまな企画も用意されているし、華光会で行なう祝賀である。単なる飲み食いだけではおわれらない「法座」になるのが、通例である。

 これからも、行事の詳細や、見どころ(聞きどころ?)は、プログラムに沿いながら、随時、紹介していこうと思っている。

 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/09/daionki2012-9.htm

 大遠忌のチラシは以下でどうぞ。

 大遠忌チラシ(表) 行事内容
 大遠忌チラシ(裏) 講師紹介

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東京支部法座

Img_2475 8月の東京支部法座。

 新幹線の車窓も、東京に近づくほど曇天だったが、到着時には、かなり強いり雷雨になっていた。しかし、路上には水たまりもあったが、すぐに夏空が戻って、暑い1日となった。

 東京都心の空も、青い。しかし、お盆をすぎて、少しは秋の気配を感じる空である。

 前回の6月は、講習会として、第2回目の「正信偈」の講義、その前は4月で、支部法座だったが、法話は、『大経』の法蔵発願を中心に讃仏偈や選択思惟の心を、お聖教をもとにいただいたり、その前には、真宗の得益論をテーマにしたりと、最近は、真宗聖典も必携してもらい、教義的なテーマで、まとまった法話をしてきた。

 でも、今回は、お聖教や教義ではなく、9月に開かれる「大遠忌法要」の意義を中心に、単発の法話が4回。話すうちに統一したテーマになってきて、いま、私に、届く、連続無窮の願力のお働きの手強さに触れてもらうことになった。

 また、ただ念仏といっても、その「称えごころ」を問うのが、浄土真宗である。しかし、それは、阿弥陀様からいただく他力(いただきものの)の「称えごころ」であるが、その発起について、妙好人「お園」同行の3つのエピーソドを交えて窺った。先手の勅命が届くからこそ、信順のお心をいただくのである。つまりは、その先手の「仰せ」をただ聴くひとつで届くご法なのである。

 ところで、今回は、うれしい参加者が多かった。中年の初参加の男性は、ずいぶん、他でもご聴聞されてきた熱心な方だった。最初は様子見で、昼座だけの予定が、夜座も残ってくださり、また翌日もフル参加で、「大遠忌」にも興味を示してくださり、打ち解けた様子。新潟からの親子での参詣者は、4月の支部法座で会われたご縁について御礼。他にも、何年かぶりに再会できて同人や、病気でお目にかかれないと思ったいた方が元気に参加くださったりと、ずいぶんうれしい参加が続いた。
 おかげで、ぼくも法話に力が入ったが、ただ信仰座談会になると、遠方の方や初めての方に比べて、全般に皆さん、大人しく控え目なのがちょっと勿体ない。

 親鸞聖人のご遺徳を讃仰する大遠忌も近い。せいぜい、各々の喜びや仏徳讃嘆の想いを分かち合って、喜びの輪を広げたいものである。

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カウンセラーの先生方と

 大遠忌が迫ってきている。今日も、日高から、Rさんが来て、打ち合わせ。今日は、掲示する写真の相談で、若手のS君も加わっての相談。そのあとで、少しメンバーを替えて、真宗カウンセリング研究会の発送作業がある。

 ところが、その直前に、急な葬儀の依頼。長年、父が月参りをしていたのが、急にご自分から音信不通で、途絶えていたので、びっくりした。それも、あまりにも急な話で戸惑う。これから、3時間後にお通夜が始まるというのだ。どうせ、明日は、支部法座なので、葬儀は無理だ。他の方にお願いするのかどうかお尋ねても、どうも話がうまく通じず、おかしい。総合して考えてみると、経済的な理由で、お寺は頼まないで、ご自分でお父様の葬式の勤行をするもつもりだったが、直前になって、法名がないのを、一部の親戚(または葬儀会館?)から苦情がでて、急に連絡されたというところ。お布施云々の話ではなく、一方的な言い分にとまどったが、法名(位牌)と、お通夜はお引き受けした。葬儀の他の方への手配も申し出たら、それは不要とのこと。ほんとうは、法名だけが必要だったのだろう。まもなく、位牌が届いたので、打ち合わせの合間に、急いで法名を書く。父に依頼して母と二人でお通夜に列席してもらった。
 別に、宗教や仏教だけが葬儀だというのでなはい。人前もあれば、宗教家抜きでも、どんな形で故人を見送ってもいい。それぞれのご家庭の事情もあろう。ただ、なんとなく今回のケースは、寂しい思いがした。

Img_2462 予期せぬ自体に、バタバタしながらも、大遠忌の打ち合わせも、研究会の発送も無事に終え、通夜の準備も整えることができた。あわてて、研究会の慰労会に出る。仏光寺近くのビストロでの会食。時間までに到着したのに、定刻までに現れたのは、1人だけ。急なキャンセルや遅刻が続出して、45分もImg_2463待って、やっとスタート。皆さん、プロのカウンセラーなのに、ちょっと時間にルーズすぎないかと、苦笑。まあ、話の内容もいろいろあった。みんな心理臨床士か、シニア産業カウンセラーばかりで、専門的は話は楽しかったけれど、ちょっと呑みすぎたのか、どことなく後味はいま一つの話題も。まあ、いまはしかたない。

 それでも、毎年、幹事をしているのが、今回もリーズナブルな選定Img_2467(夜のコースで3000円)だと、皆さんにも大好評。甘いものがおいしかった。

 明日は、東京。このあと、法話の教案が待っていた。

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盂蘭盆会法要

Img_2459 法座案内にはない行事だが、お盆の一日は、父とぼくとで、盂蘭盆会の法要を営んでいる。

  一家族だけお参りがImg_2460あった。今年は、三世代、六名もお参りくださった。

 『阿弥陀経』と、「其仏本願力~」の文の勤行のあと、悟朗先生のご法話を拝聴する。小さなお子さんがいたでの、今年は短め。我善し、人悪しの自分中心の心と、阿弥陀様の慈悲心についてのお話。

 終わってから、大遠忌のお勧めする。もう〆切が近い。

 

 

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集中豪雨

 お盆になって、大気が不安定で、曇ったり、雷雨が続いてた。

 とうとう京都府南部、特に宇治では、集中豪雨で死者もでるほどの多大な被害となる。2日前に、お盆参りをしたばかりの地域で、人ごととは思えない。宇治の檀家さんや同行の方に安否確認の電話。車が浸かった程度の方もあったが、家まで浸水して、後の掃除に疲労困憊の様子の方もある。炭山の方は、道路が寸断されて、孤立状態で、連絡もつかない。数日後、救援物資のオニギリでの食中毒のニュースを見ていたら、檀家さんのお宅が映っていて、びっくり。家の前の道路は、土砂と流木でぐちゃぐゃちになっている。やっと軽自動車程度なら道路が通れるようになった矢先に、今度は、支援のはずが、食中毒に巻き込まれるダブルパンチだったようだ。その方は、さいわい軽症だった模様。でも、映像を観る限り、復旧にはしばらく時間がかかりそうだ。

 誰も、私のことではない、わが身の上にはおこるはずはないと思っている。

 しかし、私の上にも必ずおこるのが無常の理。

 

 

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お盆参り

 今週の土曜日、日曜日は、法座はないが、お盆参りで、京都の南や北を走る。

 土曜日は、珍しく朝から雨。暑さも一服である。宇治周辺の檀家が中心。天神台をスタートして、宇治川を渡り、莵道、木幡へ、そこからクネクネした山道を進んで炭山は、初盆のお宅。そして五ケ庄に戻って、帰宅する。

 翌日は、やはり南部だが、京都市内の伏見や南区を午前中に回って、午後は、鞍馬街道を市原へ。もともと宇治に住まれいて、ひとつながりで便利だったが、いまは市内でも貴船に近くて、一軒だけ別方向。でもこのうちが、いちばんの楽しみ。

 勤行も称名も、本気でつきって、ぼくより大声で、お念仏をされる。法話の最中でも、わからないことがあれば、積極的に質問される。音楽や読書の趣味もあう。本棚の本も借り出しているのだが、前回は、フリーサックス奏者の阿部薫の自叙伝を、今回は、トランスパーソナルの吉福伸逸氏の『流体感覚』を借りた。吉福氏と中沢新一氏の対談の中での日本的霊性の浄土真宗の位置づけが面白かったからだ。

 勤行、法話が終わったら、少し長居。ご夫婦で、反原発から、単なる反対運動に疑問を感じて、いまはフクシマの支援活動されている。今週末からは、1週間の予定で、相馬の親子を京都に招いく活動をされるという。オープニングは、真宗の岡崎別院で、ベイちゃんを招いてのウェルカムパーテーもある。偶然だが、学生時代には同じミュジシャン仲間だったというのだがら、世界は狭い。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-7d3f.html
 そこから、社会活動としての浄土真宗、社会資本としての寺院の役割から、個々の目覚めの体験としての浄土真宗の世界へと、いろいろと話しあった。とうとう旦那さんは、将来、真宗の僧侶をめざしているというのである。ならば、ぼくの話だけでなく、華光の法座でも体験的な信仰に触れてもらわねばならない。というわけで、9月の大遠忌を誘ったら、好感触。

 道は遠いかもしれないが、この積極性は楽しみ。

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仏の子供大会In和知

Img_2362_2 3泊4日間の仏の子供大会も、無事、終わった。

 今年、楽しい子供大会だった。

 大人も、子供も、笑顔で、班活動の課題に取り組んだ。大人の4班も、O班Img_2240長を先頭に、子供に負けずに頑張った。もちろん、M先生の指導でしっかり勤行し、また各先生のご法話を聴聞して、分級座談にも取り組んだ。

 勤行では、いつもの勤行に加えて、正信偈や大遠忌法要の練習も取り組んだ。法話は、特に初法話のママさん先生のHさんは、いImg_2320ろいろと工夫した教材で、大健闘だった。

 野外活動も充実。山のプールも楽しかったし、追ハイも短いコースをなんとか工夫してもらった。ギャンプファImg_2422イヤーの各班のスタンツの充実ぶりは、近年でも出色。先生方のショートコントもおもしろかった。

 ただ、初めての会場は、何かと気をつかう。今年は、民間の委託業者とはいえ、京都府の施設で、公共としての細かな制約はないが、委託業者としては、収益をあげたいので、料金規定にとてImg_2361も細かい催促があって、動きづらかった。それでも、食事はおいしかった。BBQでは大人は乾杯し、そのあと餓鬼のスライドをみた。流し素麺もおもしろかった。

 周りの環境もよかった。昨年の「海ぼうず」は、文字通り海の子という感じだったが、今年の「山の家」は、山の子である。前面に府道が走っているが、次ぎの集落で行き止まりの道なので、隣にImg_2378用事のある車(バスとか、公共車)以外は、滅多に通らない。バスも、1日に4本あるが、結局、行ってきたバスが、10分ほどして戻ってくるという有り様である。

 ケイタイもつながらない。「京都でケイタイがつながらないところがあるんですね」と驚いてた方もあったが、京都といっても広い。ただ仕事の関係Img_2416の保護者は困っていたようだか、さすがに2日目をすぎるとみんなあきらめた様子である。ケイタイがつながらないというもの、また悪くはない。

 ケイタイなし、PCなし、テレビもなし。新聞もなしで、4日間、世俗と隔離された緑豊かな環境で、すごすことができたようだ。

 ただ、今年の夏は猛暑だったので、久しぶりにImg_2345病人がでた。もっとも、子供の発熱である。1日ゆっりく休むと、すっかりよくなった。でも、市販薬などは飲まない。ホメオパシーと、コウケントーの豪華2本立てある。コウコントーの登場は、3年ぶりである。

 それにしても、子供たちの笑顔だけでなく、大人も笑顔や大笑いが絶えなかった。最後には、ずいぶん賑やかなファミリーになっていた。

 「自由にして保護された環境」(河合隼雄氏)といういわれが、まさにここImg_2171_2はそうである。団体生活として守らねばならないことはあるが、個々の振舞えや言動には、日頃の規制を超えた自由が尊重されている。それが子供にもわかるので、みんな楽しいそうである。各班での課題に取り組むにしても、けっしてやらされているという雰囲気が微塵もない。みんな入浴や食事の時間を惜しんで、自主的に取り組んでいる。大人も、バカのことに真剣に取り組む。いろいろない意見が自由に出る。それが尊重される雰囲気あるので、みんな楽しいのだ。あっちでも、こっちでも笑顔である。

 子供の参加者は少なかったが、こんな雰囲気で、お念仏をさせていただくことほど贅沢はない。(ちなみに最後の写真は、別に音なしの時間(昼寝)ではない。おつとめの作法での発声法の一こま)

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手紙

 子供たちに、初めて真剣に手紙を書いた。

 交換留学の母親について、1年間のアメリカ生活である。二人が不安であるのがよく分かるので、なんとも不憫ではある。書くうちに胸に迫るものがあって、何度も筆がとまる。

 これまでの子供たちとの思いを綴るうちに、子供たちを励ましているようで、結局、これは自分自身への手紙だと思わされる。

 ぼくも、どんなことがあってもくじけずに頑張るよと、二人に誓った。

Img_2088 子供たちからも、ぼくに手紙があった。一緒に勤行をして、短いご法話をした。お別れに、「南無阿弥陀仏」の屏風名号を渡す。

 メンバーを替えながら何度か記念撮影をして、いよいよお別れだ。異国での生活はたいへんだろうけれど、どうぞ、1年間、無事に過ごしてほしい。

 しばしの別れになるのだと思うが、みんなやはり涙になったなー。

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