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2012年6月の13件の記事

カラー複合機の導入

 事務所のコピー機が、11年以上の役目を終えて、交代することになった。その間、約24万枚以上も働いてくれていた。さすがに、ここ数年は、法座案内などのハガキが送れず、毎回、メンテナンス作業で調整してもらっていた。使用する側には、かなりストレスになっていたもの事実だ。もともとひとモデル型オチを割安で購入したので、単純な白黒コピー機は役目が減ってとうに製造中止になっていた。そのため、次ぎの故障では部品交換が出来ないと言われていたので、購入を検討していたのだ。

 それに、月々の料金がまったく違う。電気代も節電モードだし、カウンター式にすると、1枚あたりの料金も従来の半額程度になる。さらに、相見積りにしたら、白黒複合機の値段で、フルカラーの複合機の契約で出来た上に、月々の基本料金も、さらにマイナス500円、1枚あたりもマイナス1円の値引きとなった。これまでの1枚あたり単価に比べると、60%以上の経費削減となる。

 当たり前だが、複合機なので、驚くほどいろいろなことが出来る。白黒とカラーのImg_1150コピーや印刷のあとの書類の整理も便利な使い方ができるし、ネットワークで各自のPCからの印刷に、FAX、スキャンも簡単にPCに送れる、かなりのすぐれものだ。しかも購入された金額は、以前の購入額とさほどかわらないというのだから、かなりお得かもしれない。

 T嬢曰く、交換した古い機種は、彼女が会館の事務所で働きだした直後に購入されたそうで、彼女にすると、まるで同僚のように愛着があったらしい。そして、新しい複合機を見て、一言、、「まるでガンダムようなFAXだなー」。わかるようなわからんたとえだが、正確に、FAXではなく、デジタルフルカラーの複合機なんだが、そこはご愛嬌。要は、なんかすごく代わってすごいなーということだ。この機種とも、長くお付き合いしたいものである。

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華光誌の発送とお願い

 華光誌、71巻3号の発送。

 今回は、同封の案内が少なかったので、事務所の3名と、助っ人は2名だけ。超ベテランと、もうひとりは京都の初めての方にお願いした。ご苦労さまでした。

 誌上法話は、k先生の「火事場の真っ最中」。昨年の壮年の集いでのご法話だが、「機法の二種深信」を柱に、聴聞の具体的な要をご教示くだされたもの。特に、タイトルにもなっている、妙好人、三河のお園同行のエピソードが印象的だ。そうだなー、有り難いのも、ご恩徳もくそもない、わが機はいつも「火事場の真っ最中」で、煩悩が燃え盛り、今生の一大事で慌てふためいているものなー。それかしないと定まったからこそ、ご本願が有り難いのである。

 途中、複合機の搬入があって、気分は1階にあったので、何かと落ち着かなかったが、ともに無事に終了。

 お手許には、遅くても、7月2日(月)には届くだろう。

大遠忌の申込みのお願い

 なお本号の華光誌に、9月の大遠忌のチラシと、申込確認書が同封されている。

 申込みには、前号の申込書(宿泊や食事、並びに米寿祝賀に参加される方)と、必要費用の事前(8月20日〆切)振込をお願いしている。それに加えて、参加費が不要な部分に関しても、予め参加確認が必要になった。混雑が予想され、座席が確保されないことがあるからである。それで、食事やお祝いが不要な方でも、参加希望の方は、かならず、同封の「参加確認書」を提出いただきたい。もちろん、すでに申込みが完了されている方も、「確認書」の提出が必要なので、ご注意ください。

 特に、9月15日(土)昼座の森達也氏の講演会、16日(日)の午前中の大遠忌法要、そして昼座の信楽峻麿先生の講演会は満席が予想される。ぜひ、お早めに申込みいただきたい。16日(日)夜の「米寿を祝う会」は、従前どおり、事前の申込み、並びに振込が必要なので、こちらも合わせてお早めにお願いします。

 なお、華光会館以外のホテルの宿泊もある程度の部屋を確保しているので、希望の方はお申し出ください。

 華光誌が届いて、不明な点があれば、華光会館にお問い合わせください。

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機無

 6月の輪読法座。

 誌上法話、「聖人流罪の張本人」の2回目。親鸞聖人を流罪にしたのは、歴史的に朝廷や旧仏教の権力者であろう。しかし、それを「我よし」の正当性や正義感で批判するだけでは、浄土真宗のお法りにはならない。ご法、お念仏のお徳は、外ではなく、自己の内にこそ、その破邪の矢印が向くことであろう。

 そうなると、専修念仏への批判は、その辺偏さと、「念仏ひとつ」という荒唐無稽さにあった。平たくいうと、「余善、余行を否定して、たった念仏一つで、最高の浄土、仏になれるわけがない」「専修念仏のみを選び、他を否定するとは何事か」ということになる。

 でも、これをよくよく味わえば、外部からの批判ではない。まさに、私の自力心そのものではないか。「たった念仏ひとつで」-そんなわけはないのではないか。。いや、そうであっても、この胸は承知しない。もっと何かあるのではないか。こんな心のままで、救われるわけはない…などなど。

 結局、聖人が流罪になられたのは、権力者の横暴ではない。

 まさに、念仏の教えをいま聞いている、私自身の中にあるのだ。そのことを教えていただいてこそ、聖人の流罪の意義があるのだはないだろうか。

 ところで、輪読法座では、悟朗先生もお元気で、こんな法話を聞いても、まだグズグズと並べる求道者に対して、「機無、円成、回施」のお心をお取り次ぎくださった。

 特に、真実心も、清浄心も、決定心も、廻向心も大悲心のかけられない。それどころか、自身が、真実のかけらのない機無であることこさえも分からないのが、その機無の機無たる所以なのである。そのために、立ち上がり、円かに仕上げ、それを真実、清浄のかけられないものに、一方的に廻向くださろうというのであるが、機無の私に、そんな真実そのもののお働きなどが分かるわけもないのである。

 機無の身に、真実そのもののお働きが、分かるわけがない。だからこそ、この頭を垂れてただお聴かせいただくのである。お聞かせいただくままに届けられる仕組みが、円かに成就し、そして廻向される以外に、お救いはないのである。

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誕生祝い

Img_1147 父の誕生日祝い。家族で伏見に出かけた。

 同系列のお店が六角堂の横にもあるが、今日は、伏見の酒蔵を改造した風情ある佇まい のお店。駐車場には一面には、あじさいが満開だ。Img_1148

  3月の検査入院以来、断酒を貫く父だが、こんな席でも、一滴も飲まなかった。周りが呑んでいても、まったく平気である。別に、医者から止められたわけでなく、自主的に止めることにしているのだ。それにしてもだ。多い量ではなかったが、欠かさずに毎日、60年以上も呑酒を、Img_1107_2なんの苦もなくあっさり止められるとはなー、さすがー。

 料理は、豆腐とゆば料理。わざと精進を選んだわけではないが、ボリュームはあるのに、ローカロリーの精進料理とImg_1144なって、美味。

 珍しく父と二人で写真を撮ってもらった。

 撮影した長女曰く、「頭というか、おでこの感じが似ているなー」と、痛い一言。

Img_1129_2  まあ、これも光栄なこと。 

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東海支部宿泊法座IN犬山

   昨年から、宿泊法座が始まった東海支部。 昨年は三河の蒲郡市で、今年は、愛知県犬山市が会場だ。

 東海支部の方が中心だったが、高山からも95歳のおばあちゃんも含めて、3名のお参りがあった。夜には、鵜飼見物のあと、Kさんの感話もたっぷりいただいたし、2グループでの分級座談の時間も持てた。

 法話は、3席。 このところ、宿泊法座での法話のテーマは決まっている。一座だけなら、時間的に難しいが、だいたい、3座から4座あるので、『大経』の「法蔵菩薩の発願」に焦点をあてた講話風の法話にしている。といっても、四十八願や重誓偈までいく時間はないので、『大経』の構造や特色、そして、『大経』の法蔵発願の因である、五十三仏の出現から、「讃仏偈」、さらに、選択思惟の世自在王仏と法蔵菩薩の決意表明の対話を中心にいただいた。さらに、その法蔵菩薩の発願を、親鸞様は、いかに味わい、お取り次ぎくださっているのかを、『正信偈』の「法蔵菩薩因位時~重誓名声聞十方」で、頂いた。

 ただ、皆さんの反応は、だいたい決まったパターンがあって、勿体ないことだが、右の耳から左の耳に流れしまって、自分の胸に実感として届かないという方が多いことだ。でも、、よく考えるとこれは当たり前のことで、そんなところで歎いていても、仕方がない。

 どこまでも私は自己中心のこの泥凡夫である。浅ましい罪悪や機の真実についてのお説教なら、わが身に引き寄せて聴くこともできよう。しかし、ここは、お釈迦様の金口ご説法、法蔵菩薩の直々のお説法として聴かせていただくところである。そんな虚仮の身に、清浄・真実そのものの私に、自利利他円満した法蔵菩薩の真実の願心が、易々と響いて実感などできるわけがないのである。「難しい」のも当然だし、「実感がない」のも当然なのだ。第一、それを勉強して、覚えて、知識で分かっただけなら、なんの意味もない。そんな虚仮のわが身のレベルに留めようとする聴き方ではなく、この無明・無知の身でありながら、光明無量の智慧そのもの、寿命無量の慈悲そのもののおいわれを、一方的に、わが身にお聞かせに預かっている事実に触れさせていただくチャンスなのである。

 そして、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、ご法に帰られていただくのである。

 これがない限り、どんなに気張ってきいてみたところで、いつまでも遠いお話だ。

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犬山城と鵜飼

Img_1087  犬山は、東海地方の方には、定番の観光地らしいが、関西人に馴染みは薄い。初めて乗車した名鉄で、名古屋から約35分。会場まで徒歩で5分、木曽川のほとり、犬山城を眺める風向明媚な立地だ。しかし、ホテル自体はかなりボロいImg_1084。散策もでき、駅から便利な場所で、かつ参加費も安く押さえ、法話会場も安く使いたい。となると、多少(いえ、かなりの)ボロさえ目をつむれば、便所のドアが閉まらなくても、古びたエレベーターのドアに挟まれようとも、申し分ない環境だ。お世話役に感謝である。ぼくなど、今日このボロさは逆に貴重で、懇親会でも話題になった。もしかすると、犬山という観光地が置かれている環境が分かるのもしれない。

Img_1044 大浴場から犬山城の眺めもいい。

 高山法座の向かうひだ号から対岸に見える犬山城を眺めるだけだ。国宝の四つの天守閣(城郭)のうち、ここだけ入城の記憶はない。記憶にないというのは、Img_1092_2_2子供の時に、家族旅行で来ているらしいのだ。

  で、せっかくここまできたので、休み時間を利用して、木曽川沿いをImg_1091犬山城まで歩いたが、残念ながら営業終了だった。ならば、2日目の昼休みに再チャンレジしたが、今度は入城する時間はなかった。それでも、山城の雰囲気は味わえた。
 何故か、忍者も出てきたしね。

 そしてもう一つのお楽しみが、木曽川の鵜飼だ。夕食後、ホテルの前から鵜飼を観賞することになった。鵜飼って、長Img_1073良川だとばかり思っていたが、けっこういろいろなところである。とにかく、ぼくは初めて観た。舟に乗るのは有料だが、川岸からは自由に見える。実は、それほどよくは見えなかったが、解説が面白かったり、それなりに風情があって、法座の合間の気分転換には、優美な企画だった。

Img_1077 余談だが、芭蕉と鵜飼の教訓は、『親指のふし』の第一章にある。

  おもしろうて  やがて悲しき  鵜舟かな

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『釈迦内柩唄』

 季節ハズレの台風接近の中、大阪西九条に向かう。M先生、Tさんや、京都の同人の方もご一緒だ。

 劇団希望舞台『釈迦内柩唄』を観た。

 今回の担当で出演者もされる方とは、兵庫県の寺院布教をご縁で出会ったが、先日の華光会の永代経法座にもフル参加してくださった。

 各派仏教会や真宗寺院などが支援して、ロングラン上演が続けられているが、今回は法律事務所の支援だった。

 釈迦内とは秋田県の地域名だ。水上勉の原作で、死体焼き場を家業とする家族を、その娘の視点からと描きながら、1945年に起きた、秋田県大館の花岡鉱山で中国人労働者の集団脱出と、大弾圧という、いわゆる花岡事件が絡まってくる。

 火葬場、忌み嫌われる差別されている家族に加えて、朝鮮人の強制労働や弾圧がテーマになっている。テーマがテーマだけに、かなりディープな舞台のイメージがあったが、重い場面を、命の尊厳や人間の暖かさに昇華させたハートフルなものが伝ってきた。

 なんの予備知識を持たずにいたが、親鸞聖人に関する唄(ひとつはご一生の数え唄、もうひとつは、花尽くし)が2曲もでてきて、驚いた。こういう形で、庶民の中にも、真宗の法が生きているんだなー。

 帰路は、かなり雨、風も強くなってきた。京都まで、急いで戻って、皆さんでお茶を飲みながら、分かち合い。非日常的な雰囲気を味わえて、気分一新。

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座布団仕様の車

   華光誌が大詰め。

 先週は、第2回の「東京講演会」があったが、今週は「支部長研修会」がある。大遠忌に向けての大切な相談もある。今週になって、無常の厳しい理が迫り、予想外のことも起ってはいるが、それも飲み込んで、Rさんの活発な段取力のおかげで、着々と進んできている。

 そんな法座の合間での作業で、事務所の面々も、フル回転で動いている。

 T君にとっては、2度目の華光誌版下作りな作業だが、前回は、まだM君の助っ人があった。今回は、ひとりでの作業で、悪戦苦闘である。励ましたり、尻を叩いたりで、最後は、T嬢が、付き切りで細々した確認を終えて、無事、印刷所に渡せた。
 T君、ほんとうにご苦労さん。たいへんだったろうが、その分、次号に向けての自信にもなり、今後の作業にもプラスになっていくだろう。

 そんなバタバタした事務所だが、昨日のこと。

Img_1028 梅雨の貴重な晴れ間に、洗濯や布団干しをしていたら、会館に到着するなり、T嬢が車を動かして、ドアを開放している。

 うん? 忙しいのに、車の清掃? と思っていたら、2階のベランダに現れて、座布団をビッシリ干しだした。すぐにスペースがなくなると、車のボディーにもドンドンと並べだした。Img_1029まるで、座布団仕様の車のようだ。

 そして、「ベランダの手すりは、M先生(設計士)が座布団干しのために考えてくれたんでしょうかね」と、満足そうに一言。

 いや、絶対に、そんなはずはないと思うが、相変わらず、発想がユニークだ。

 真夏日に大汗をかきながらの作業されていたが、おかげで、皆さんも、快適に聞法出来るわけ。

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第2回・東京講習会

   最初、集まりが鈍かった「東京講習会」も、蓋を開けてみれば、京都や東海、また島根からの初参加者など、多彩な顔ぶれ。加えて、申込みなしでの当日参加もあって、延べではちょうど定員に達する人達が集ってくださった。

 今回は、「正信偈」の依経段の信心の五徳の第4番(横超五趣)からで、依釈段にはいって、龍樹章、天親章と進んだ。勤めて、テキストに頼らないで、つまり、正解を覚えたり、解釈したりするのではなく、皆さんに質問を問い、これまで聞いてきたことを総動員して、考えてもらうスタイルをとった。たとえ、正解を並べて教えてもらっただけなら、その場では分かったつもりになっても、あとに何も残らないことが多い。それより、たどたどしくても、自分のこれまでお聞かせに預かってきたところを思い出し、そこに戻りながら、自分の頭で考えてもらうことにつとめてもらった。ただし、そこから派生する解説になると、何分、テキストがテキストである。特に、天親讃は、一心と三信の関係や、五念門の立場での違い、さらに、五念門と五功徳門の関係など、教義的にも一筋縄ではいかない難しいところで、それが、最後の昼座になったものだから、皆さん、最後はフラフラになられたようだ。

 でも、常に、「念仏」を「正信」する偈という立場に戻りつつ、たとえ難しいところも、その教示され、一貫して流れているお心に戻っていけば、何も怖くないのである。

 中には、1日だけの参加だった方から、「これだけの内容が、丸1日で、3500円とは! 次回は、先生やTさんに、生中(ビール)でもおごからせください」という感想メールが届いた。確かに。割高だった会議室代を払うと、収益的にはもう少し欲張らないといけないのだが、それより、ご参加の皆さんが満足くださることが、まずはうれしい。せいぜい、彼の好意に甘えて、ビールをおごってもらうことで、満足しよう。

  もし、第3回があるのなら、今度は、曇鸞章、善導章が中心になる。ぜひ、来年度も実現したいものだが、皆さん、疲れすぎたかなー?

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ピアノの調律

 旧華光会館では、2階の道場にピアノがあった。いまは、3Fの研修場に移っている。その3階のピアノは、日高支部のある同人が寄贈してくださったものだ。

  もともと学生時代には、華光会館にも下宿されながら、ご縁は遠のいているのだが、毎年、この時期に、ピアノの調律のご奉仕してくださっている。それだけでも、華光会と繋がっていることを、ご自身に課してくださっているのである。聞法の上からは、せめて、もう一歩と願っているのだが、なかなかそこが難しいのは残念だ。でも、熱心な同人だけでなく、こういう人達にも支えられて、今日の華光会館があることには、ほんとうに感謝したい。

 彼の母上は、強信者ぞろいの日高同人のなかでも、その強烈なお勧めぶりで知らぬ人がなかった方だ。今日、参加の華光同人の半数以上は、彼女のことをご存じないだろう。今では、あんなすごいというか、ある意味、無茶なお勧めはまずない。いい悪いは抜きにして、まさに個性そのものであった。昔は、そんな個性的で、強烈な同人がたくさんおられたが、いま、その意味では、皆さん小粒になってきている。これも時代だろう。

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第2回「東京講習会」始まります

 いま、華光会館は、華光誌の編集作業に忙しいが、明日から、東京講習会もある。

 「正信偈」の第2回目である。前回は、父も一緒だったが、今回は、ぼくひとりである。(前回やり残した)信心の五徳から、龍樹・天親讃あたりまでは進みたい。ただ、今年は、少し交流や座談会も入れるかもしれない。最近は、行事過多もあって、集まりが悪かったが、おかげで定員近くの申込みとなった。宿泊が不要なら、飛び込みでの参加も可能なので、迷っておられる方は、どうぞ、おでかけください。

 会場は、いつもの全林野会館だが、(初日と二日目の午前中は)いつもの7階の大広間ではなくて、6階の会議室が会場となる。ご注意ください。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/06/tokyo.koshukai2012-6.htm

  ほんとうは、もう少し華光誌の作業をおこないたいところだが、明日の予習をすることにしよう。

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お赤飯

 今日は、夕食にお赤飯を食べた。

 父の87歳の誕生日だ。ただ、今夜は書道教室があったのと、糖尿病で、少し食事の量を減らしているので、特にご馳走はなし。いま華光誌の編集などで忙しいので、月末に、家族でお祝いにいくことになった。

 父は、3月の検査入院以降、見事に、断酒をし、夜食もやめている。そのせいか、昨晩の伝道研のあとで、皆さんから、去年の同じ時期に比べると、「お元気そうですね」と言われていた。確かに、おなかまわりがスリムになって、顔色もよさそうにみえる。

 いつものように、「よくこの年まで生かせてもらったなー。若いころは、(肺結核で)とうてい20歳までは生きられないと思っていたけどなー」と、しみじみと語っていた。

 9月の大遠忌にあわせて、(数えで)一足早く、米寿のお祝いをしていただくことになっている。

 長年にわたるご教授ありがとうございます。

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広島支部大会

 6月は、広島支部大会である。

 もともと、9月が宿泊の支部大会だったが、支部法座の活性化で、毎月の1日法座に加えて、年に2度、6月と9月に宿泊法座が増えていた。活性化はいいいが、各種支部行事や真宗カウンセリングWSなども増えて、過剰気味になって、逆に本部(京都)の参詣が負担になImg_1008ってきたこともあって、今年は大遠忌もあるので、宿泊1回のみでのぞむことになった。

 会場の神田山荘は、牛田山の山麓で、広島市内が一望でき、遠く宮島もみえている。ここは、原爆療養の保養施設である。原爆手帳での割引がある。広島の同Img_1014人の中には、被爆者もおられて、手帳を提示されていた。入り口にある「神田山荘」の石碑も、被爆した石で造られたものだ。被爆者の二世、三世も多いので、懇親会でも、原爆やフクシマの話題がでた。広島の方には、より身近な話題なのだろう。

Img_1007 京都から二名の参加があった。外からのお参りがあると、それだけでも雰囲気がしまる。特に、初参加のOさんは、大半の方と同世代で、皆さんに自然と馴染んでおられた。 いつも近所の華光会館で聴聞できる京都の方にしても、こうして遠方へ足を運び、ご聴聞いただく意義は大きい。支部や地域を超えた他流試合は、お互いにとって、プラスになる。せいぜい、支部間での交流が盛んになれば、違った活性化を生むだろう。

  今回は、広島支部の皆さんは、常連の方々が中心。なかなか新しい方は増えずに、高齢や病苦もあって、参加者の数は、停滞気味ではあるが、それでも、参加くださる皆さんのご法にかける姿勢、変わらないお気持ちが、とても有り難く、うれしかった。ぼくは、日高支部とはまた違った意味合いで、広島の皆さんとのご因縁は深いものがありそうだ。

  ご法話は、例によって、「大経」によって、法蔵菩薩の発願の有り様をいただいた。4座あったので、高山支部よりも、かなり丁寧に「讃仏偈」をいただき、法蔵菩薩と世自在王仏様との真実の問答である思惟摂取のところを、現代語訳を中心に味わった。そして、最後に、お正信偈でどういただておられるのかを、親鸞様のお言葉をいただいた。丁寧に、「大経」の文字を選び取りをされていることが、よく分かる。

  座談会の最後の最後に、かなり緊迫した感情的な動きとなったが、残り時間の関係で新しいセッションでの再編がおこなえずに残念だった。それでも、ぼくにそこに関わるそれぞれの方の、これまでの成長や心境をかいま見ることができたことだけは、収穫だったのかもしれない。華光の法座だけでなく、真宗カウンセリングなどでも、広島の皆さんも、ずいぶん育っておられるようである。

   来月の広島支部は、7月8日(日)で、広島市内を離れて、1年1度、安芸高田市のY家での家庭法座である。

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