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2012年5月の16件の記事

空調機の交換工事

Img_1000_2  今年のエアコン工事か終了した。 

 月曜日、火曜日と、今日は、残務作業があって、これで、4年前から始まった、全館の空調機(エアコン)の交換工事が終了したことになる。

 2階の道場と教室、そして廊下(ロビー)部分である。

 ほんとうは、昨年の5月に予定していたが、東日本大震災の影響をうけ、交換機種が揃わずに、1年延期となImg_0998ったのだ。2階は、これまで故障したことはなかったが、一斉交換をすることで経費が削減できる。フロアーのなかでは、台数は1番少なくて、7台だけだが、広い部屋に対応した業務用なので、いちばん高くつく。全館あわせた経費とあると、びっくりするような金額となった。15年前の機種からの交換なので、かなり節電対策は、進んでいるようだ。まあ、これで工事関係はしばらく一区切りである。

 暑い時でも、寒い時でも、皆さんが快適に聞法できるための作業なので、せいぜいお参りいただきたい。

 そういえば、旧会館の道場にも教室にも、クーラーはなかった。冬は、昔は石油で、その後ガスストーブになった。行事は、たくさんの人の熱気で、けっこう暖かかったので、それで十分だった。それより、こたえたのは夏だ。家庭用の小さな扇風機を集めるだけ集めて対応したが、法座中はかなり暑かった。しかし、どんな暑くても、ないものは仕方ないので、みんな我慢したのだ。それに、夜の法座にしたり、8月の華光会館は夏休みで、子供大会や聞法旅行などの外での行事を増やすなどの工夫もしていた。

 しかし、機密性がよくなり、しかも全館に空調機が入ると、5月の永代経でも、冷房が必要な時もある。個人的には、冷房が苦手なので、よほどでないと使いたくないが、中には人一倍、暑さを感じる方もある。なければ我慢できるものでも、目の前に便利なものかあると、ついつい頼ってしまうのが、人の性だ。
 ただ、関西は、今年の夏は少し様子が違う。節電対策も含めて、うまくおつきあいしていかないと、しっぺ返しがやってくる。ある程度の快適さと、節電につとめることとの折り合いをつけねばならない。ところが、昨年3月に、みんな身に沁みたはずなのに、最近の動きは、なし崩し的な原発再開に向けた空気が形成されている。喉元すぎれば熱さを忘れるのだろうが、一時的な再開で終わるわけはないが、ここは大切な踏ん張りどころのような気がする。

 といいつつ、「空調機を入れない」という選択は、さすがにできなかった。せめて、折り合いをつけた生活をさせてもらうしかない。

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新緑の高山支部法座

 さて高山支部法座である。

 今回は、高山以外からの参詣者が多かった。遠く福岡からのご夫妻や、岐阜からは1歳のお子さんを連れた夫婦連れでの参加もあった。あとは、最近の常連で、京都、金沢、そして愛知県と、8名がF家に宿泊された。1、2年前に比べると、ずいぶん、参加者の顔触れは様変わりしている。2日目には、富山からも夫妻で参加されたので、分級座談会になった。

 法話は、3座だったが、メーンは、「大経」の『讃仏偈』をいただくことにあった。このところ続けて取り上げている法蔵菩薩の発願だが、五十三仏の出現に続き、世自在王仏が現れ、その会座に感激のあまり、国王の座を捨て、比丘となり、「諸々の生死勤苦の本を抜かしめたまえ」との願いのもと、世自在王仏に弟子入れをされる法蔵菩薩が、師仏を褒め讃え、自らの願(四弘誓願と、四十八願のもとになる三摂の願)を述べ、そしてその決意の証明を請われるものである。師の仏を讃えるものであっても、それはそのまま、自らそのような仏になりたいという理想の表明であり、阿弥陀仏の姿そのものだといってもいい。

 ただ、よくご聴聞されているはずの重鎮から、たとえば「世尊」という言葉が出ただけで、お釈迦さまを讃えているのだと混同されたり(世尊は、如来や仏など並ぶ仏の十号のひとつ)、「讃仏偈や重誓偈は、親鸞聖人がまとめられたのですか」という質問があったりして、基礎的な部分での知識が足りないことも思い知られれた。もちろん、いつもお伝えしているのだが、そのつもりでご聴聞されていなかったのだろう。逆に、講義といか、お勉強のように思われたら、残念だ。しかし、五十三仏の過去諸仏方から、世自在王仏が現れ、そして、法蔵菩薩のご出現の流れひとつにも、諸仏を善悪相対の救いを越えた、絶対に救われることのない極重悪人の救いを実現させるためのご苦労とお聴かせいただくのだ。決して、単なる知識では収まらない、阿弥陀様の直々の私一人を救わんがためものだとお聴かせに預かると、勿体なくも、ただ「南無阿弥陀仏」しかないのである。

 昼座は「三首のご詠歌章」を予定していたが、なるべく分かりやすいものと思って、妙好人、三河のお園さんの、三つのエピーソドを中心にいただいた。たまたま、次ぎの華光誌の誌上法話に題材になっているのと、F家に「お園」という冊子本があったからである。「いつも火事場の真っ最中」と、「お差し支えなし、ご注文なし」、そして「疑いの歌」四首である。どれも、我が胸(機)の自力での詮索から、「仰せひとつを聞く」という、他力への転換が鮮やかに示されているものばかりてある。ちなみに、参考にした800円の「お園」の冊子は、ネットの古本で、 32,000円~49,800円で売られていたので、みんなびっくり。たかだか、80ページほどの本で、その種本は、「信者めぐり」にほぼ同じものなのにである。みんな、何気なく並べてあるF家の本棚が、お宝だらけに思えてきた。いやはや、法の中味ではなく、古本としての金額の価値に驚くのだから、凡夫丸出しである。そんなものが、真実そのもの、清浄そのものである法蔵菩薩の願心を語り、聴くのであるから、まったくのふしぎなのてある。
 参考までに、以下をどうぞ。購入された方はお知らせください。

http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4831886068/ref=sr_1_5_olp?s=books&ie=UTF8&qid=1338307510&sr=1-5&condition=used

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日高支部IN華光会館法座

 朝から、日高支部の皆さんが、ワゴンに乗って来館された。東山のご旧跡地(崇泰院)http://www.soutai-in.org/を参拝し、早めに華光会館へ。昨年から、悟朗先生の支部法座が無理になったので、皆さんのほうから、京都にお参りくださる企画を実現されている。ところが、日高支部の皆さんも、年々、高齢化が進んで、一人去り、二人去りと寂しい状態。そこへ、今回は、体調不良などで、直前のキャンセルも多くて、日高支部の皆さんだけだと、少し寂しい人数…。しかし、そこは、これまでの強信な念仏の地である。京都や大阪の同人も加えて、遠く広島からも参加される方もあって、びっくりした。おかげで、随分、賑やかな人数になっていた。

Img_0989 ただ、ぼくは、昼食を子供たちも交えってご一緒したところで、悟朗先生のご法話は聞かずに、そのまま高山支部法座に向かったので、その後の様子は分からない。ただ、こうして、皆さんからお出でくださる企画も、また有り難いと思った。

 さて高山へは、新幹線で名古屋まで出てImg_0990、そこから高山本線の特急に乗る。美濃から飛騨路を進む車窓は、山と川に囲まれて景勝地だ。5月末なので、道中もまだ明るい。木曽川沿を走るが、水量は多くなかったが、新緑が美しかった。車中では、教案作りと、読書である。ベストセラーになっている『『ふしぎなキリスト教』を読み終えた。これは、門外漢ながらでもいろいろと刺激的だった。続けて、島田裕巳著の『ほんとうの親鸞』を読み始めたが、こちらは、言い分もあるのだが、本願寺教団史觀でないことだけでも、刺激的な一冊。

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週末の予定

 今日は、Kさんの奥様が、東京講習会 (6月9日・10日)のテキトスプリントの作成をお手伝いくださった。講習会は、締め切りを向えたが、定員まで10名ほどの余裕がある。迷っておられ方は、まだ大丈夫です。お早めにお申し出ください。宿泊が不要な方でも、事前の申込みが必要ですので、お願いします。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/06/tokyo.koshukai2012-6.htm

Img_0942 少し遅いお昼を食べていると、子供たちが帰って来た。小学校も中学校も、なぜか短縮授業で、早く戻ってきたようだ。せっかくなので、予定変更して、京都水族館に行くことにした。平日は、団体客で混雑していたが、閉館間際になると、空いImg_0963てきた。

 ただ、ぼくは、水曜日の伝道研の前から、体調がすぐれない。昨晩は鼻水やくしゃみが止まらなかった。しばらく梅小路公園で遊んだが、疲れからかいまひとつの状態。水族館から戻ってきたら、下痢と頭痛に悩まされた。夕食は、食べずにそのまま横になると、かなり回復してきた。明日から、出張Img_0959法座なので、今日は、早寝して体調を整えることにしよう。

 明日は、華光会館に日高支部の皆さんを向えての、法話・座談会がある。最初、顔だけだして、高山に向かう予定だ。

1)日高支部IN華光会館法座 26日(土)昼1時~4時

  現地に悟朗先生が向えなくなったので、日高支部の皆さんが会館までお出でくださる。これも支部長のRさんのご尽力だ。どなたでもお参りいただける。法話もあるので、ぜひどうぞ。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/05/hidaka2012-5.htm

2)高山支部法座 26日(土)夜6時30分~27日(日)夕方4時

初日は、先日の日曜礼拝の法話を大人向けに。翌日は、『讃仏偈』を中心にいただく予定だ。今回は、遠く福岡や京都、また東海支部や富山からの参加もあるようだ。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/05/takayama2012-5.htm

3)東京支部法座 26日(土)夜18時30分(座談会)~27日(日)朝・昼法座

S先生を迎えての支部法座。東京大塚の全林野会館。初日は、座談会の予定。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/05/tokyo2012-5.htm

4)大阪支部法座   27日(日)昼1時30分~夕方4時30分

生駒市のセイセイビルで、悟朗先生の法話と座談会。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/05/osaka2012-5.htm

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羅漢の里

Img_0783_2 寺院布教は、法話が終わると信仰座談会がないので、空き時間ができる。読書や原稿書きをしたり、周辺の散策をすることもある。

 近くに、羅漢の石仏があるとImg_0824いう。道々、案内標識が気になっていたので、何気なく、羅漢の里まで足を延ばすことにした。http://rakansan.com/

http://rakansan.com/stroll.html

Img_0809_2 夕方で、誰もいない。駐車場と思われるところに車を止めて歩きだすと、上から降りてきた車が留まって、ぼくを見ながら、近づいてこられる。もしかして、車の止める場所が悪かったのかなと思っていたら、「法林寺さんのご講師の先生ではありませんか」と、声をかけらた。以前の法話で、ぼくの顔を覚えていてImg_0811くれていたという。石仏の行き方を尋ねると、細かく教えてくださる。妙なところで、声をかけられたのだと思っていたが、実は、ここの管理をまかされているのだという。昼座は仕事で参れなかったが、夜は、前列に座ってご聴聞されていた。結局、この人は、懇親会も最後まで残られた、夜中の1時すぎまでつきあって(いや、つきあわされた)ことになるとは、この時点では思わなかった。

Img_0802 羅漢の里は、整備された公園になっていて、キャンプ場もあるようだ。ひっそりと、石仏がおると思っていたイメージとは、少し違う。すぐそこかと思ったら、けっこう山の中を入っていく。夕方で、誰Img_0820もいない。ときおり小雨も降って、足元もかなり悪い。傘を差し、革靴、背広で歩く場所ではないことだけは分かった。でも、せっかくなので前に進んだ。

 濡れ落ち葉で滑りそうになりながら、岩穴を抜けて歩く。せせらぎと、野鳥の声が気持ちいい。あとで、「マイナスイオンが沢山でてたでしょうね」と言われたが、確かに、天気と相まって、心Img_0799地よかった。

 途中に、小さなお堂もあって、仏様が安置Img_0830されていた。これも暗くて見えなかったが、写真を撮るとよくて写っていた。

まだ山頂もあっるが、ここて引き返すことにした。入り口には、いまでは珍しい、水車が動いていた。

  せっかくの石仏は、うす暗くてよく見えずに、残念だったけれど、思わぬハイキング気分を楽しめた。

 

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法林寺・別修永代経法要

Img_0836 兵庫県相生市、法林寺の別修永代経法要。

 このところ、真実の教、浄土真宗である『大経』に依って、法蔵菩薩の発願の有り様を、主に、法蔵菩薩と、師匠仏である世自在王仏さまとの問答中心にいただいている。しかし、寺院布教では、お聖教の言葉だけでと、勉強や講義のようで、難Img_0777しいと敬遠されてしまう。かなり身近に引き寄せた、今生の話題もしないと聞いてもらえない。といって、ウケばかり狙っていては、本末轉倒である。もちろん、身近な言葉で、深い内容をお伝えするのがいちばんいいのだけれども、それだけなく、参詣の皆さんにも、難しくてもお聖教の言葉にも触れてもらいたい気もしている。同じことは、一方通行の説教・法話で終わらないで、信仰座談会が持てればいいのだけれども、こちらも寺院布教では、難しい。

 ただ、ここは、理解があるお寺なので、ご住職からも「好きなようにやっImg_0775てください」と、有り難いお言葉をいただている。それで、初日は、阿弥陀様の「誓願」のお心を、「生死勤苦の本を抜かしめたまえ」という大悲心の塊のようなお言葉をもとに、阿弥陀様からのお手紙ワークを行ない、みんなで分かち合いをした。けっこう、皆さん、それぞれの聞法の歩みがあり、いまの立ち位置がはっきりしてくる。

 夜座は、人数が少なかったので、後席は、ワImg_0837ークを中心に分かち合いをすることにした。藤井美和さんの死生学を紹介しながら、別れのワーク。知識で分かっていることと、体験的に分かっていること、さらに、身につくことの違いがはっぎりしてくる。同時に、死ぬことの見つめ方でも、三人称(他人の死)、二人称(身近な死)、一人称(私の死)の立場が異なると、まったく意味が変わることもよくわかった。3月の法話大会でもこのワーク紹介があったが、「目に見える大切なもの」、「目に見えない大切なもの」、「大切な活動」、「大切な人」をそれそれ3つずつチョイスして、それを眺めてお別れしていくのである。選ぶところでさまざま葛藤が生まれ、また別れるところで葛藤が生まれる。そのあと、分かち合いでの反響は大きく、それぞれが自分の言葉で語ってもらえたのは、収穫だ。

 そのまま本堂で、懇親会を兼ねて、皆さんに感想を窺う。ここは、女性より、男性の参詣が多いのが特徴。それも、壮年会だったり、門徒推進の役割を担う方で、積極的に発言くださる。いちばん、顕著で、面白かったことは、中年・熟年の男性(夫)と女性(妻)の違いである。男性ほど、「たいせつな人」に連れ合い(妻)が残る。自分以外では、いちばん頼りにしている男性が多い。ところがである。女性の側は、3人の中に、連れ合い(夫)が入りもしていない。子供や孫に心が移っているのである。このすれ違いの妙は、夫婦生活の縮図だろう。
 また、参詣のあるご住職が、「ひとつ、ひとつ破っていくと、結局なにも残らないと思っていたが、切なさ、空しさだけが残った」といわれたが、まさに体験したからの言葉である。同じく、「結局、何も残られないのではなく、ゴミの山、業だけが残るんですね」という気づきを話してくださる方もあった。とにかく、みんなで分かち合いが出来たのは、よかった。

  翌日は、一転、満堂の参詣で、縁にも女性会の方が座っておられた。別修永代経ということで、初め参拝されるという方もあった。法話は、『重誓偈』だったが、かなり難しいようだ。皆さんの反応も堅い。後半は、少し軌道修正しながら、貧苦を救う、大施主のおこころと、「名声」のおこころについて、身近なたとえでお取り次ぎした。前半の印象以上に、皆さん、熱心にお聞きとりくださったのが、有り難かった。これをご縁にもう一歩、ご聴聞に向かってもらえれば、うれしい。

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5月21日

 やはり早く目が覚めた。前日の小雨、予報は、曇りだったので、天気が気になっていたが、好天の部類だ。

 京都市は金環日食の北限だが、このあたりは1分足らずでも金環になる。フィルターがなかImg_8047ったので、カメラはうまくとれないのは分かっていたが、一応は撮ってみた。10㎝の反射鏡と、5㎝のボータブル屈折鏡が、倉庫に眠ったままだ。もう、観察の仕方も忘れた。日食そのものもだが、周りの変化にも興味もあった。その瞬間は、急に夕方みたいに暗くなるとか、気温が下るとか言われていた。しかし、ほんの1分ほどでは体感的にはImg_8091何も分からなかった。こころもち、暗くなったのかもしれない程度。時間差が、あるのでテレビでも観賞する。

 10分ほどしてから、七から連絡。「日食見えたか?」と尋ねたら、部屋にいて(寝ていて)見ていないという。いやー、せっかく学校で日食グラスを配ってもらったのになー。今からでも、部分日食は見Img_0917えると言うと、急いで、外に飛び出していった。よく時間が分からなかったらしい。ぼくも、もう少し備えていたらよかったなー。

 一仕事して、京都シネマに向かう。東寺近くでImg_0913人込み。今日、弘法さんで賑わっていたのだ。七条堀川の西本願寺まですすむと、巨大な仏旗がはためいている。親鸞聖人のお誕生日をお祝いする、宗祖降誕会が厳修されていた。朝から、日食のことしか頭がなくて、すっかり忘れていた。今年は50回の大遠忌にあたるのだから、90歳をくわえると、ちょうど840年前のことになる。40年前の800年の時には、盛大な法要が営まれている。

120506 映画は、ケン・ローチの息子、ジム・ローチのデビュー作。社会派映画『オレンジと太陽』を観る。なんと70年代まで続いた英国から豪州などへの、施設で保護されていた子供たちを、強制的、非人権的に児童移民させていた実態に立ち向かった女性の実話。善意の名でなされた非道を、声高に糾弾するのではなく、子供時代に大人によって虐待され、傷ついた大人たちが、「ほんとうの自分は誰なのか」を求め、悲しみ・苦しみを越えていこうとする者に、暖かく、厳しく寄り添うく姿勢が感動的だった。

 頬を涙が伝っていったが、しばらく流れるままに任せておいた。

 

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華光日曜礼拝の「花祭り」

Img_0885 華光日曜礼拝の「花祭り」。 昨日から、事務所では、Tさんと子供たちが、お飾り用の紙花やチェーンを造ってくれたので、花御堂がきれいに飾られている。

 新入学した高校生と、大学生の先生がお手伝いで加わってもらえて、先生方も若返り。子供も大人も合わせて、40名近い参加があって、賑やかな日曜礼拝になった。Img_0894

 献華・献灯に、灌仏や散華もあったが、小さなこども参加してくれた。お祝いの言葉は、七ちゃん。生まれたばかりのお釈迦様が、一歩、二歩、三歩と、七歩歩かれたのは、六道を一歩出る、迷いを出ることを宣言されたエピソードである。それを理解して読んだのかどうかは分からないが、上手に読めました。

 例年、「花祭り」の法話を担当している。だいたい、初参加者も多いので、お釈迦様のお誕生の意味やご一生に触れることが多い。今年は、あえてやめて、2500年前にお誕生になって、2500年たったいまも、その変わらない真実が伝っていることの尊さを実感してもらうために、子供も大人も、体験的というか、参加型の法話にした。

 私(ぼく)には、お父さん、お母さんがいる。そのお父さん、お母さんにも、それぞれお父さん、お母さん(つまりはおじいちゃん、おばあゃんがいる)が、そのおじいちゃん、おばあちゃんにも、それぞれお父さん、お母さんがいる。つまりは、私一人が、枝分かれで、二人になり、四人となり、そして八人…と増えていく。では、親鸞さまのお誕生日が、840年前で、だいだい30年を一代だいとすると、私まで届くだけに、どれだけのお父さん,お母さん(先祖)がいるのか。
 さらには、2500年前のお釈迦様までには、だいだい83代として、どれだけの総数になるのか。想像もつかないので、五択で。(1)約8兆人(約8000000000000人)、(2)約8京人、(3)約8垓(がい)人、(4)約8予(じょ) (5)約8(約8000000000000000000000000000人)。ここでは答えはともかく、簡単に、2500年前と言ってきたけれども、その間の親子関係の総数だけみても、天文学的な数字が並んでくる。

 しかもその間、変わらず真実が伝えられてきたが、それは言葉を超えた、悟り(もしくは獲信)の体験を言葉で伝えてきてくださった。しかし、単純な伝言ゲームでも、そのまま聞き、伝えるのも極難信である。それで、子供でもできる、簡単な、そのまま聴くワークを行なった。単純に、正方形一つと、丸を三つ書くだけのものだ。しかし、みんな答えは実にさまざまな。大きくわけても、5種類、なにかはそのまま文章を書く強者もあったりして、同じ文章を聞いていても、いくつもの受け取り方があることを体験し、実感してもらい、みんなに驚かれた。

 では、いろいろな自分の都合で解釈し、歪めていくものために、たった一つ、易く、保ちやすい形で、お伝えしてくださる必要があったのである。重誓名声聞十方である。名声というのが、有り難い。名号は、名乗りであり、同時に呼び声なのである。だから、間違わないように、必ず届く、「南無阿弥陀仏」ひとつを選択し、その一つをお釈迦様はお伝えくださったのなある。

 大人の分級座談会も、未信者とのやりとりをとおして、ますますこのお心を尊さを味わわずにはおれなかった。その詳細には触れないが、改めて、子供向けに工夫をしたつもりだが、大人に向けのご法話としても、またお聞きいただけると思った。

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初めてのコンパス

 下の子の土曜参観日。

Img_0846 今年から中学校と小学校に分かれたので、長女は休日。でも、一緒に、小学校へ行くことになった。

 算数の時間は、コンパスを使って、円を描く練習。なんでもないことだが、けっこう器用ではないと難しい。子供のころ、こんな丁寧な説明や練習した記憶にないが、それも必要だったんだろうー。
 「おうちの方も、お子さんの横で一緒にやったり、見てあげImg_0847てください」。というわけで、次女を囲んで、3人で丸い円を描くのを眺めることになった。その様は、ちょっと間抜けでへんな絵である。 

 なかなか器用に使っているが、均一に力をいれるのはけっこう難しいうよだ。遊びながら学べるように、うまく描けるようになると、厚Img_0872紙が配られて、丸い円を切り取り、それでコマを造る段取りである。厚紙にも、うまく円が描けた。ところが、出来上がったのは、丸とはいえないかなり歪なもの。どうやら、ハサミで切り抜く段になったのに、丸印に添わないで、適当に切り取ったようだ。やれやれ。円を描くことと、それを切り取って丸い形を造ることが、結びついていなんだなー。Img_0853リベンジして、今度は、慎重に切り取った。爪楊枝を真ん中に指したら、うまく回った。

 45分で参観は終了。長女と、学校のまわりを散策した。ちょうど田植えの最中である。好天で、日差しが強い。ところが、琵琶湖はもやがかかっている。もしかすると、黄砂なのかもしれないが、これもまた幻想的で風情があった。

 湖畔は静かな時間が流れていた。

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大遠忌法要の相談

 Rさん、法要担当のM師の3名で、大遠忌法要の打ち合わせ。

 その前後に、森達也氏や信楽先生の講演・対談交流会に目が奪われがちだが、華光会館での、大遠忌法要と記念法話が、いちばん大切な法要である。当日の勤行冊子の試作品を元に、記念品の相談、そして進行に関しても、かなり慎重に勧める必要があることがわかってきた。稚児行列はなくても、当日までに、リハーサルも必要だし、短時間に準備や会場整備、撮影などの段取りもかなり細かく見て行かねばならないのだ。

 行なう以上は、厳粛な雰囲気で、きっちりしたものを行なうけとで、三人の意見は一致した。そのためにも、事前の準備もかなり念入りに必要になってくる。前後の行事もある。宿泊もある。法中や参加者の混雑も予想されるなかで、いかに短時間で、しかも厳粛な雰囲気を造っていくのか。詰めれば、詰めるほど、難題や課題が明かになってきた。こまかく、事前の準備することもある。やはり相談した収穫は大きかった。

  その後、ハートピアの会場に掲げるために、Rさんが借りてきてくださった巨大な御本尊をみせていただくhttp://keko-kai-gyouji.at.webry.info/201205/article_3.html。ゆうに、畳三帖分あろ.う。立派な絵像である。それにともなう荘厳も必要になってくる。その段取りもあろる。ここもまた事前に一度セッテングし、当日は、テキパキと動く段取りが必要なようだ。

  終了してから、Rさんと酒場に出かける。今回の大遠忌法要も、彼が中心にいてくれればこそである。二人で飲みにいくのは、大学生の時以来。ということは、30年以上ぶりになるのかもしれない。A先生と一緒に、等持院に近かった(?)下宿先にも、遊びいたこともある。日頃飲まないウィスキーをしこたま飲んで、二日酔いどころか、三日酔いに苦しんだこともあった。 もうこの年になって、酒量は増えても、そんなに酔っぱらうことはなくなった。

  ぼくの目の前にちらつく難題、課題を聞いてもらい、意見交換。いろいろなことで心労をおかけしている。幸いなことに、彼の中にも、ぼくのなかにも、同じように一貫して流れている一味の心に触れ合える安心感があるのだ。苦しい時にこそ、信頼を寄せる法友がたくさん、ぼくを支えてくれていることに、ほんとうに感謝するばかりだ。つくづく幸せものであると、その身の幸を喜ばないとは、勿体ない限りだ。

  とにかく、おいしいお酒をいただきました。

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広島支部花祭り

Img_0736 日曜日は、午前中から広島支部の花祭り法座。

 子供も、大人も一緒に、花祭りお祝いする。ちょうど母の日なので、カネーションで、飾りつけ。

 ご法話は、「花祭りの意味」。人数は少なくても、1年生から、中1、高校生と幅広いので、なかなか難しい。いろいろ子供たちに尋ねながら勧めるも、反響は……?。でも、お祝いの言葉、散華Img_0753や潅仏など、子供だけは足りないので、親や大人も参加して、お祝いをすると、何か、いつもとは違う雰囲気。「お祝いの言葉」も、頑張って読んでくれました。終わって、おもわず拍手が…。ありがとう。

 大人も、子供も一緒になって、ゲーム。親子で指導してもらって、「猛獣狩りに行こう」の、「花祭り」バージョンと、「大悲の親さま」の手遊び。こんなことでも、大人もやると、気分が晴れるようだ。

 おやつには、同人手作りの、桜餅も…。いい塩加減と、甘さでおいしかったなー。

 午後は、予告どおり、蓮如上人の御文章、「三首の御詠歌」章をいただく。稀代の成功者といっていい蓮師をして、70歳を前に、この世のことは、夢・幻のごとくすべて過ぎ去って、何一つ実を結ばない人生であったが、ただひとつ、会い難き念仏に会い得たことの喜びを、その生涯をかけてお伝えくださる姿勢、また珍しく(?)、謙虚なものいいにも、心動かされた。

 午前中だけでは、バタバタした感じもあるので、次回は、完全に合同にしてしまって、午後からの開催でもいいのかもしれないなー。このあたりは、またご相談。

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週末は花祭りなど

 土曜日から、輪読法座、広島、寺院布教など、法座が続いた。忙しかったが、無事に終了。それぞれに味わいや報告もあるが、次ぎのご法座がやってくる。まずはそのご案内で、法座報告は、またボチボチと?…。

1)20日(日)1時30分~4時30分 華光日曜礼拝「花祭り」

 4月8日は、お釈迦様の花祭り。華光会では、5月に子供の花祭りを開催しています。いつも、ここだけはご法話を担当。例年のように、何か、工夫ができればいいけどなー。5月21日は、親鸞様の降誕会に近いので、合わせて、お祝いしてもいいかも…。ぼくには、日高支部、広島支部と3度目の締めくくり。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/05/nitirai2012-5.htm

)20日(日)午前・午後=東海支部法座

 同日、名古屋で若手講師による法座。午前、午後と意欲的です。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/05/tokai2012-5.htm

)23日(水)夜7時30分~10時=伝道研究会

 一方的な覚える講義ではなく、テキストを輪読しながら浮かび上がる問いを巡って共に、聞法しています。真宗寄贈講座をテキストに、教判論も結末です。平日の夜ですが、奮ってどうぞ。ただし、当面は、同人会員限定です。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/05/dendouken2012-5.htm

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近々の法座案内

 今日は、急に冷えた。急いで、もう1枚薄手のシャツを羽織ったが、それでもちょっと寒いので、厚手の上着を着ている。ここ数日、関東を中心に急激な天気の変化で大荒れの天気が続いている。今年の春は、爆弾低気圧の突風とか、竜巻、雹など、天の気も荒れ模様。

  さて、週末からの法座の案内。華光会館では、12日(土)が輪読法座、13日(日)が聖典講座と連続の法座であるが、ぼく自身も、12日(土)輪読、13日(日)広島(含む花祭り)とあって、15日16日と寺院布教が続く、タイトな日程。

(1) 華光誌輪読法座  12日(土)昼1時30分~5時

 華光誌を輪読しながら、味わいを深めていくもので、今月は、「聖人流罪の張本人」の1回目。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/05/rindoku2012-5.htm

(2)聖典講座  13日(日)昼1時30分~5時

 今月から、「善導独明仏正意」の善導さまの讃歌に入る。なぜ、善導さま、お一人だけが、仏様の正しいお心を明かにされたのかについて、詳細なプリントにもとづいたお話。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/05/seiten2012-5.htm

(3)広島支部法座 13日(日) 朝11時(10時30分より準備)~12時=花祭り
          昼1時~5時=支部定例法座

 5月の広島法座は、ちょっとプラスアルファー。午前中は、子供の花祭り。一緒に子供のお勤めをし、ご法話のあと、みんなで甘茶をあげたり、簡単なゲームもあります。昼食を挟んで、昼からはいつもの支部法座。いまのところ、三首の御詠歌の「御文章」を取り上げたご法話を予定。

(4)法林寺永代経法座 15日(火)・16日(水)

 テーマは法蔵菩薩の発願。ただし、三座なので、讃仏偈、選択思惟と、重誓偈になるか。座談会はないので、少し工夫も必要だ。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2012/details/05/hirosima2012-5.htm

 法話大会、永代経法座と、大きな法座続きで、皆さんもお疲れだろうが、細々としてご法座も、地道に行なっている。

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永代経は九州支部がお当番

 5月のGMの3日間の永代経法要法座も、お念仏と共に終わった。

 当番は、九州支部の皆さん。北九州や福岡以外の方は、距離的な問題から京都の法座は遠い。どうしても、日頃の九州からの参詣者は決まっていた。しかし、そこは、当番にあたってしまった(?)メリットがある。遠方から参集してくださった皆さんの中には、年輩の方もあったが、3日間、不慣れなお世話を粉骨砕身、やり遂げてくださった。また九州にゆかりの皆さんの助っ人もあったが、おかげで、無事に終えることかできた。それにしても、揃いの18願の法被や、歌の披露などの余興もあった。鹿児島からの長老Kさんの欠席は残念だったが、支部長の元、一致団結のお世話ぶり。ご苦労さまでした。

 その永代経は、七座、七名のご講師が登壇された。いわば、これもまた法話大会のごとくである。九州支部ということで、大派の福岡の先生、熊本のご講師の法話も組み込んだ。

 特に、トッブバッターの熊本のK先生は、40年近く前、華光会館に下宿されていた御方。華光会館でのご法話は、何十年ぶりなんだろうか。ぼくが、中学1年生の時だから、かなりの前だ。それが、今回、娘さん方の強い思いに動かされて、もしかすると最後の思いで臨んでくだれったのだ。体調もが思わしくないなかで、ご自坊でリハーサルを重ね、お嬢さんにダメ出しされながらも、練習よりも倍ちかい時間、自身の求道の歩みも合わせて、『御文章』にある「三首の御詠歌」(四帖目四通)のおこころをお取り次ぎくださった。

⑴「ひとたびも 仏をたのむ こころこそ まことの法に かなうみちなれ」

⑵「つみ深く 如来をたのむ 身になれば 法の力に 西へこそ行け」

⑶「法を聞く みちに心の さだまれば 南無阿弥陀仏と となえこそすれ」

⑴は、「一念帰命の信心決定のすがたを詠みはんべり」。

⑵は、「入正定聚の益・必至滅度の意を詠みはんべりぬ」。

⑶は、「慶喜金剛の信心の上には、知恩報徳のこころを詠みはんべりしなり」。と蓮如さまは言われている。またこれを『正信偈』に照合するなら、次ぎ龍樹讃にあたるといわれている。

⑴「憶念弥陀仏本願」

⑵「自然即時入必定」

⑶「唯能常称如来号 応報大悲広誓恩」

改めて、三首のご詠歌を聴かせていただき、いろいろと味わうこともあったので、今週の広島支部ではこの「御文章」自体をいただきたいと思った。

 七座もご方があったのに、最初法話で力尽きた。まるで、子供大会の低学年の感想文のようだ。だいたい、家から出発して、会場につき、開会式の法話で終わることも多いものなー。まあ、今夜はこの程度で、ご容赦を…。ほんとうは、「受け念仏」と、伊藤先生の「同行学」のことなどを書きたかった。

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750回大遠忌スタッフブログ始まる

  9月15日・16日17日の「大遠忌法要法座」に向けた、スタッフブログが始まります。

 ブログ自体は、以前の法座レポートブログをリニューアルしたものなので、以前の記事も残っていますが、今後は、スタッフによる、大遠忌関係の記事が中心となります。

 不定期の更新となりますが、情報や決定事項を、随時、お知らせする予定です。

http://keko-kai-gyouji.at.webry.info/201205/article_1.html

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御旅所

 永代経法座の準備が進んでいる。今日も、仏青や京都支部の有志の方のお掃除があった。ご苦労さまです。

Img_0732 夕方、近所の神社の屋台(夜店)に子供を連れていくことにした。京都駅の八条口側、大型ショッピングモールの向えにある、伏見稲荷大社の御旅所である。子供のころから、よくわからないまま、「おたび」と称していた場所だ。別に、神社を参拝するわけではないし、昨日は、氏子祭(神輿)があったが、これは子供のろから、参加してことはないが、屋台にはいつも遊びに来ていた。

 イオンモールで買い物をすませて、外にでると、雨になっている。傘はなかったが、子供たちは、それでも行きたいと言っている。Img_0730

 境内に入って、閑散ぶりにびっくりした。屋台が少なめなのはわかっていたが、片づけているところもあって、ますますさみしい。雨になってきたこともあるが、明日からは、藤森神社にうつるのだという。それしても、人出もさみしいなー。雨をさけて、軒下でお茶を飲んでいると、向いのみたしら団子で、タバコを吸っていた男性と目が合った。思わず、「おお、何してるんや」、「何してるって、団子焼けるのまってるねん」。まあ、そうだけど、何かあんまり馴染んでいるので、店番の人と思った。昨年12月の同窓会で35年ぶにりあった小・中学校の同級生だった。名前の漢字が同じ一文字(ただし読みは違う)だったこともあって、仲がよかった。

  いま、お祭があるので、すぐ近所の実家に戻ってきているそうだ。彼とも、ここに遊びにきたことがある。五月のこの時期、伏見稲荷から神輿がやってきて、境内一面に、びっしりと屋台が並んでいたのものだ。食べ物や、あてものや、ゲームやおもちゃ…。時には、いかさままがいのものもあったが、とにかく楽しかった。お小遣いと相談しながら、連日、足を向けたものだ。夜店もあったような気がするが、八月の地蔵盆と並んで、子どもたちの楽しみの年中行事だったのだ。

 それが、大型のショッピングモールが出来て、風景は一変した。少子化で子供たちも激変している。でも、この場所にたち、むかしの友人に出会うと、40年前の景色が、鮮やかに蘇ってくる。小雨が、ますます郷愁を駆り立てるのかもしれない。

 少ないながらも、輪投げやヨーヨ釣りをして、たこ焼きを食べさせていると、また親しげに声をかける女性があった。えー、どこかでお会いしたようだけれど、今度は思い出せないなー。うん、すいません。でも今度は、長女の同級生のお母さん。2、3度お会いした方だったが、お子さん連れではなかったので、まったく分からなかったなー。こちらが、子連れなので、分かったようだ。

 人出は寂しいけれど、今も、昔も、近所の人が集まるところにはかわりない。

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