あっちこっちに
日高支部法座。法座の前に月忌参りのために出かけると、あっちこっちに、大遠忌のポスターが張ってあった。写真は、ほんの一部だが、なにかうれしいな、照れくさいような気分だ。
前回、50年前の700回大遠忌。華光会館が、台風の被害を受けて、2年延期されたので、正確には、48年前に行なわれことになっている。HPでは、その時の写真を見ることができるが、http://homepage3.nifty.com/keko-kai/750.html#a1日高(当時は江原)の人達も多数参加されている。今夜お参りの皆さんも、お子さんをつれてお練り(お稚児さん)にも、参加されている。お参りの皆さんと、改めて写真を見ると、感慨も一入。ぼくも、2歳で、頭をやけどした後なので、包帯姿で参加している。その
時の中心メンバーのお一人が、日高の谷本政雄氏だった。ご子息の滝雄氏は、のぼりをもって、行列を先導されている。
彼が発案されもので、いまでも華光会で受け継がれているのが、5月の永代経法座と、夏のご旧跡巡拝の旅(聞法旅行)だ。その第1回が、越後のご旧跡巡拝であった。昨年、大遠忌記念事業として、再訪問した。お参りにいった同人宅で、その時の遺品が目に留まった。43年前、流罪の地の浜で拾われた小石である。
伊藤康善先生のことも話題にでたが、この地との関係も深い。前号の誌上法話のI先生もこの地で、後生の夜明けをされたのだ。しかし、誰の人にも、老、死は平等にやってくる。、皆、高齢になられたり、病に倒れられたり、または亡くなる同人も多くて、なかなか京都までお参りも難しくなっておられる。しかし、なんとか、9月の大遠忌に参加してもらいたいと、至れり尽くせりの方法が、計画中だと聞いている。なかなか、2度も大遠忌に参加できるのは稀なことなのである。
しかし、単なる過去を懐かしむだけではない。9月の大遠忌法要の責任者は、この日高支部長のRさんであることも、なにかのご因縁であろう。悟朗先生の名前の一字をもらわれた彼もまた、前回の大遠忌の稚児行列に参加されているそうだ。
その悟朗先生の、50年以上前の、若いころの懐かしい写真も飾ってあった。みな念仏一筋の強信なお同行さんたちであった。
人数はかなり減ったが、このお仏壇の前で、今夜もご法座勤まったのだ。
右の写真の右端が、谷本政雄氏である。この写真で生存者は、悟朗先生と、あともうお一人だけだ。その横の男の子も、昨年、50代半ばで、急死されている。その後ろがお母さんで、「バン、バン、バン」と撃ってもらわねばならない妙好人であるが、今回の法座から日高の町にはおられない。滝雄さん、艶子さん、そしてS代さんがいない日高法座など、ぼくには考えられないことだった。それが無常の現実なのである。
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