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阿弥陀様からのお手紙

 高山のご法話は3席。

 まず、称名破満では、名を称する、一切の衆生の無明を破り、志願を満たしてくださるご利益について、いま、私に即して破られる無明とは何か、また満たされる志願とは何かを、お取り次ぎした。とくに、志願については、得難い人身を得て、聞き難い仏法を聞かせていたいだところで語らないと、単なる人間の欲望に終わってしまう。逆にいうと、衆生の志願が満ちることは、如来様の願いが成就することと合わせ鏡であるのだ。

 では、如来様の願いとは何か。
 どう私を願ってくださっているのか。
 それは、私のどこに願いがかかっているのか。

 それを、今回は、法蔵菩薩の発願について(讃仏偈以下の世自在王仏と法蔵比丘との問答)の選択のおこころについて、「大無量寿経」にあたりながら1座。そして同じく、そこを親鸞様が「正信偈」で歌われた「法蔵菩薩因位時~重誓名声聞十方」の六句で、1座話した。次回の法座では、そこを踏まえて四十八願の内容に展開していきたい。

 といっても、堅い聖教の話だけでは、みんな退屈される。

 本願寺から出ていた子供向け教材にあった、42歳にで亡くなった僧侶(父親)の、『子らへ』という手紙(詩)を音読した。
 そこには、世間の出世や成功はどうでもいい。ただ、お念仏の教え聞き、仏様のためにいのちを投げ出す人になってほしいという親の願いが伝わってくる。しかし、これは、あくまでも人間の親の願いである。だから、その願いは子供たちの成長への願望に近い。

 では、人間の親ではない、阿弥陀様は、どう私に呼びかけ、願いをかけてくださっているのか。どんな人間に成れと言われているか。どうして来いと呼びかけられているのか。それぞれが、自分の言葉で、実際に書いてもらった。

 「○○(自分の名)へ。 
 ………………………………………………
 ………………………………………………
 ………………………………………………
 ………………………………………………
 これが弥陀の願いです」

 みんな、真剣に取り組まれた。
 そして、ひとつとして同じ手紙はなかった。しかも、阿弥陀様の本願が信じられない、頷けないと嘆き、悩み苦しんでおられる求道者のほど、阿弥陀様からのお手紙は、熱く、そして有り難かった。

 ただ書くだけでなく、声に出して読んでもらった。時に、何度も読んでもらった。時に、ぼくが読み聞かせしたりもした。

 ご自分の悩みに即した願いが、かかっているんだなー。まさに、何の条件も、見返りもないでのある。直ちに来れ、そのまま来れ、早く帰ってお出での呼び声が、それぞれの人の具体的な苦しみに即して響いてきた。一同、その阿弥陀様のお名前を呼ばせていただくしかなかった。

 自分の口から出た言葉を、そのまま、ただ聞くだけで満ちる世界があったのだ。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

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