大悲の発動
生死勤苦(しょうじごんく)の本(もと)を抜かしめたまへ
「法蔵比丘、この頌(讃仏偈)を説きをはりて、仏(世自在王仏)にまうしてまうさく、『やや、しかなり。世尊、われ無上正覚の心を発せり。願はくは仏、わがために広く経法を宣べたまへ。われまさに修行して仏国を摂取して、清浄に無量の妙土を荘厳すべし。われをして世においてすみやかに正覚を成りて、もろもろの生死勤苦の本を抜かしめたまへ』」と。『大無量寿経』
真実の経である『大無量寿経』には、阿弥陀様のご本願(四十八願)が説かれています。では、そのご本願の根本になるお心は、「もろもろの衆生の生死勤苦の本を抜かしめん」というお言葉に凝縮されているのではないでしょうか。まさに、これが法蔵菩薩(阿弥陀様)の本源の願いなのです。
「生死」(しょうじ)とは、生まれ死ぬことで、詳しくは、生、老、病、死の四苦のこと。「勤苦」(ごんく)とは、悩み苦しみのことです。この果てしない生死流転(るてん)の迷いの苦悩は、無明・愛執という迷いの心から生まれてくるというのです。つまり、私達、迷いの一切衆生が、生死流転の苦を繰り返す姿をご覧になった法蔵菩薩様は、それを哀れみ、大悲のお心から、私の生死の苦難を根本から抜きさるために、最高の仏の悟りを完成させたいと願われました。そのために、すべての生きとし生けるものを、我と同じ仏にしてみせるという広大な願いを起こされたのです。そして、その法蔵菩薩の願心が、具体的に発動して、私のためにお浄土が建立されてきました。五劫(ごこう)のご思案も、兆載永劫(ちょうさいようごう)のご修行も、すべてこの願心から発起しているのです。
その私にかけられたこの阿弥陀様の根本の願い、お心を、よくよくお聞かせに預かるのが、真宗のご聴聞なのです。
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