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旅の終わりは、旅の始まり

 法話大会、真宗カウンセリングWSと、その準備段階からの怒濤の10日間が終わった。

 たぶん、ぼくの人生においても、こんな経験はできないであろうという貴重な日々を過ごさせてもらった気がしている。

 1月に一区切りついて、ある方から、「長い旅がおわりましたね」とコメントをいただいて、涙になったけれど、完全に終わった感はなかった。一区切りついたのは事実だけれども、前に進む感が、まだ育っていなかったのであろう。

 それからの方が、身の回りに困ったことや想定外のこと、つまりこんなことは絶対に起ってほしくないということなどが起ってきたけれども、でも、おかけで、どっしりと仏法に腹の座った同行方に支えられて、逃げることなくあの場に立たせてもらうことができた。それは、いろいろものが剥がされて凡夫の姿になっていく自分に出会わせてもらうことであり、どこで自分が聴聞していくのかを教えてもらったわけです。

 それもこれも、結局、みんな、ぼくに仏法を聞かせる為の権仮の仁の現れなんですよね。どんな対応も、どんな態度も、すべてぼくの心にあるものを教えてくださっている。

 これまでの聞法の枠を破られる「法話大会」の充実ぶり。

 そして「これがぼくのめざす真宗カウンセリングです」と言い切らせてもらった、広島カウンセリングWSでの出会い。

 辛い日もあったけれども、何かが死んだというより、何かが弾けて脱皮して、より自分に近い露な自己が現れてきたときに、いろいろなものに、出会い直してる。他の人ではなくて、自分自身に出会い直していく。

 ひとつ苦しい旅が終わった感はあるけれど、それは同時に、次ぎの旅への始まりだったようですね。

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