少しの変化で、大きな収穫
2月の東京支部法座。
通常の宿泊の支部法座だったが、いろいろな意味で、少し通常とは異なるところがあって、新鮮で、個人的には収穫の大きな集いとなった。
週末の宿泊法座の予定が、宿泊会場が取れずに別会場で、しかも、日曜日の1日法座になった。でも、東京に行くのに、1日では勿体ない。ということで、急遽、土曜日は、夕方から、世話人を中心にしたワークを行なうことにした。
新幹線も、のぞみ号ではなく、通常より安く乗れるひかり号を利用した。ポイントが貯まっていたので、グリーン車を利用する。座席も同じ窓側でも、A席側を指定した。見慣れた車窓でも、少し違うのだ。富士山は見えなくても、熱海付近では、かなり太平洋が見えることに、驚いたりもした。ほんの少しのことでも、視点は新鮮になる。
宿泊場所も別だ。「御茶の水」でおりて、ニコライ堂の前を通.ってすぐの、ビジネス街の宿だ。といってもホテルではなく、日本間の旅館である。といっても温泉旅館ではなく、ホテルのサービスに近いが、畳に布団が、やはり落ち着く。ロピーには、ひな飾り。寒いが、まもなく弥生3月である。
今夜は、法座ではなく、ワークが中心である。開始も、夕方5時から7時30分と、通常は休みの時間帯だ。その後で、ゆっくり一杯やりましょうという企画である。
当初は、仏青で行なったブレーンスートミングを使って、支部の問題点や座談会のありようを共に考える予定でいた。しかし、なかなか人が集まらず、また僕自身も心境が変化していて、先週に参加したフォーカシング・サンガの集いを通して感じた、信仰座談会での課題について取り上げることにした。もちろん、一方的な講義ではなく、先日、学ばせてもらった簡単な伝え返しや、こころの天気などのワークを一緒に勉強させてもらった。ほんのデモ程度のことで、たぶん、戸惑われたと思うが、少なくても、今回の趣旨や、ぽくの思いのところだけは、充分に伝わったようだ。ただ、思いが強すぎて、スピードが早かったり、容量が大きすぎたという反省はあるが、この成果は、翌日の法座で、さっそく現れることになった。
翌朝は、珍しく朝食を食べた。長らく朝食抜きだが、こだわりはなくなっている。朝食付きなら、食べる。しかも、和食の豪華なもので、おいしかった。
2日目の会場へ移動。いつもと同じ、地下鉄茗荷谷の駅を降りたが、歩く方向は違って、後楽園にひたすら戻っていく。住宅街を入って、普通の民家の建物が、会場になっている。庭さきに、水仙が、かわいい華をつけていた。
10帖の部屋が二間で、家庭法座の雰囲気がして、落ち着いていい。顔ぶれが同じでも、会場の雰囲気が変わるだけで、ずいぶん、新鮮に感じられた。
法話は、朝が、「親鸞聖人のご恩徳」、昼が、「破闇満願」の、無明の闇と願いを中心にお取り次ぎした。
午後からは、座談会もあった。前の記事にあるように、より積極的に感じに焦点をあてながら、聴いていった。これも、いつもとは異なる関わり方だった。
安心・安全のルールに乗っ取り、しかも、事柄や状況、その思いをおいかけないで、状況や人に対する感じに焦点をあてて聴いていくように努めたら、法座の雰囲気が変わったのだ。 ある方の長年硬直した「○○でなければならない」「△△すべし」という正解を確認するような聞き方が、その場では一変した。劇的というほど大きな動きがあって、共に、お念仏させてもらった。気付きや変化だけを成果して焦らないという思いがこちらにあるだけでも、ずいぶんゆったり聴けるものだ。もちろん、それが獲信云々ということではない。しかし、こちらの態度や関わり、聴くボイント一つで、座談会の動きが変わることを、身をもって知らされた尊い法座であった。
こうしてもみると、まだまだ学ばねばならないこと、そしてよりよき方向へ変わっていくことと、その可能性をずいぶん感じさせられた。
それに、会場ひとつ、座り方ひとつ、法座の時間の使い方ひとつ、役割をひとつ。そんなほんの少しの変化でも、マンネリ化したり、膠着化していた大きな淀みを破る起爆剤にもなりうることを教えられた。 もちろん、一番の収穫は、聞き方の焦点のあて方だ。しっかりした態度を備わっていると、そのことでひとつでも、クッキリした展望が開けることに驚いている。
これからもしっかり勉強していこう。
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