「瞑想と語りのサンガ」のWS
土曜日、日曜日は、土江先生を招いての真宗カウンセリング研究会のワークショップ。真カ研で2度目、司会者研修会を含めると、3度目となります。
円座禅から、フォーカシング指向エンカンター、そして瞑想と語りのサンガになり、今年から、フォーカシング・サンガという名称となって、またスタイルも違ったものになっていたけれど、終始一貫流れているものは同じ。
しかも、からだほぐしや楽健法の実践もあり、「こころの天気」もあり、もちろん、瞑想と語りのフォーカシング体験もありという、実りある内容でした。
実際にフォーカサー役をして、体験的にもかなり収穫大。参加していても、実際にやってみないと勿体ないですね。昔は、なかなかフェルトセンスがつかめなかったけれど、しっかり聴いてもらう経験をとおして、フェルトセンスとその変化を体験できるようになった気もします。
フェルトセンスとは、気になっていること、難しい状況や人などに対するからだの感じのことで、非言語ながら豊かな意味を含んでいて、それは外からの示唆ではなくて、そのもの事態が状況に対して調和的ないられるのかを感覚的に示唆する、智慧の源でというのです。しかしながら、変化してやまない豊かな源泉も、ともすれば意識されやすい感情や痛みが大きな声だけが固定化され、豊かな小さな声はかき消されて、常に固定的なものの見方でした捉えられずいることが悩み苦しむの元で、その固定(固着)したフェルトセンスをスカンダ(蘊)として定義された説明は、新鮮でした。その固定化から正見をえて智慧の源が、フェルトセンスということになるのでしょうか。
とにかく、実践。今回は、フォーカサーになり、自分自身が長年抱えている課題に取り組んでみました。そして変化するプロセスも味わわせてもらったり、「状況」そのものと、「状況に反応する感じ」の違いなどにも気付かせてもらったりもしました。
また安心安全のルールとして、守秘義務と、肯定的受容にならんで、第3番目にある、非暴力。もちろん、殴る、蹴るといった身体の暴力は当然として、ここでは、「変化や気づきを強制しないで、急がないで自然のプロセスを大切にすること」。そのことで、より豊かな、温かい人間関係が結ばれる源となるのだけれども、ここは易しくて難しい課題。特に、華光の座談会では、第3番目。熱心であり、言わずにおれないというところで、早急すぎることもしばしばあって、熱になるけれど、凶器もになるわけです。でも、まずそれには、他人との関係ではなく、自分自身にもこのルールは大切で、自分が自分自身をどれだけ肯定的に受容して、そして気づきや変化を強要せずにいることができるかにかかっていて、もし自分自身がそうでなかったなら、他者とその程度で接することはできないということなるわけですね。そこを再認識させてもらっただけでも、意味は大きかったです。
自力他力の仮説などは、もう少し聴いてみないと分からない点もありましたが、とにかく、たいへん気づきの多い、豊かな集いでした。
間違いなく、これからの法座やご示談の場面での、ぼく自身の関わりは変化していくだろうという予感もあります。
まだまだ余韻を味わっているところかなー。
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