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2012年2月の13件の記事

珍しくも、懐かしい

  名古屋の姉が、父のご機嫌窺いで帰って来た。忙しい飲食店や家族の世話もあるので、滅多に帰ってくることもできない。

 昨晩は、姉の知人のボサノヴァ・ライブが祇園のライブハウスがあったので、夜になってから到着した。残念ながら、ぼくは行けなかったが、彼女のCDをもらった。

Img_7196 今日は、龍谷ミュージアムに行くことにした。
 父と母に、姉と、ぼくの4名で出かけるは、何年ぶりだろうか。本願寺にお参りしてから、ミュージアムへ。義兄が館長の宮治先生のお友達で招待を受けていた。残念ながら、館長さんはご不在だったが、メッセージを残して入った。Img_7197

 先月は、子供たちと回ったので、あまりゆっくりは観れなかったが、今日は、大人だけである。母と姉はとても丁寧に見ている。さすがに、ぼくは、多少の提示替えがあっても、1ケ月の間に2度目なので(http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-9192.html)、テンポは早くなる。父は、長時間、歩いて疲れたのか、座って待っている。「昔なら、詳しく解説してくれたのに」と、母が言っている。以前に比べると関心も薄れているようだが、なにより;早起きをして眠かったようだ。いつもの昼寝の時間帯である。適度に歩いて、いい運動になったようだ。

 行きつけの静かなカフェで、お茶を飲んだ。今日は、4年に一度の閏日だ。でも、もっと珍しいのは、この4名で出かけることだ。いつもならお互いの子供たちなどが一緒だったりするので、4名だけとなると滅多になかった。「珍しいね」と話しながら、さて、何年ぶりになるか、と思い出そうとしても、誰も思い出せない。子供の年齢を考えると、25年、いや30年以上前のことになるだろうか。

 でも、子供のころは、これが当たり前の家族だったのだ。くわえて「おばちゃん」と称する伯母が、ずっと同居していたので、ぼくは生まれてから5名の家族だった。夏の旅行などは4名だけで出かけることも多かった。

Img_7199 町家の蔵を改造した薄暗いお店で、年老いた両親を前に、姉と並んで、お茶を飲んだ。

 すっかりお互い年齢だけは重ねて、中年になっている。

 別に何を話したわけでもない。でも、何か懐かく、どことなくくすぐったい温かさのある不思議な気分に覆われた。

  本山前の仏具店のショー・ウインドーには、花御堂が飾られている。雛祭りよりも一足早く、この中だけはすっかり春だ。

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傳通院~智香寺

  東京法座の昼休み。30分ほど時間があったのでImg_7190、会場付近を散策する。

 住宅街だが、近くに小石川傳通院の標示をみつけていた。詳しくは知らなくても、歴史的に名のあるお寺なので、足を延ばした。

 再建された山門。落慶法要がまもなくで、吹き流しも出されて、少し華やいだ雰囲気。

Img_7184

 ここも、葵のご紋だ。いつもの会場の全林野会館の隣も、浄土宗のお寺だが、徳川影響下の江戸の町には、浄土宗の大寺をよくみかける。

 本堂は法要中だったので外からお参り。Img_7188

 由緒ありそうな巨大な墓石が並ぶ墓地が隣接している。各界の著名人の墓があるようだか、徳川家康の生母の墓所として、江戸時代には、徳川家の手厚い外護で繁栄したというのである。

 ここで、浄土宗・智香寺という名前が目に留まった。智香寺は、徳川家康の生母於大の方を火葬し、その墓所を守護するため、正保元年当地に創建さImg_4911れて、伝通院末寺だったというのだ。

 うーん、このお寺は、もしかしたらと思っていたら、やはり全林野会館のお隣さんのお寺。へえ、大きなお寺だとは思っていたが、全然、知らなかったなー。お墓が整然と並んでいるので、いつも感心していたけれど、於大の方つながりでつながっていたことに、Img_4909妙に感心。

 まあ、それだけのことなんです。

 前回、撮影した写真が、今回、日の目をみるとは思わなかったなー。

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少しの変化で、大きな収穫

 2月の東京支部法座。

 通常の宿泊の支部法座だったが、いろいろな意味で、少し通常とは異なるところがあって、新鮮で、個人的には収穫の大きな集いとなった。

 週末の宿泊法座の予定が、宿泊会場が取れずに別会場で、しかも、日曜日の1日法座になった。でも、東京に行くのに、1日では勿体ない。ということで、急遽、土曜日は、夕方から、世話人を中心にしたワークを行なうことにした。

 新幹線も、のぞみ号ではなく、通常より安く乗れるひかり号を利用した。ポイントが貯まっていたので、グリーン車を利用する。座席も同じ窓側でも、A席側を指定した。見慣れた車窓でも、少し違うのだ。富士山は見えなくても、熱海付近では、かなり太平洋が見えることに、驚いたりもした。ほんの少しのことでも、視点は新鮮になる。

Img_7176 宿泊場所も別だ。「御茶の水」でおりて、ニコライ堂の前を通.ってすぐの、ビジネス街の宿だ。といってもホテルではなく、日本間の旅館である。といっても温泉旅館ではなく、ホテルのサービスに近いが、畳に布団が、やはり落ち着く。ロピーには、ひな飾り。寒いが、まもなく弥生3月である。Img_7177

 今夜は、法座ではなく、ワークが中心である。開始も、夕方5時から7時30分と、通常は休みの時間帯だ。その後で、ゆっくり一杯やりましょうという企画である。
  当初は、仏青で行なったブレーンスートミングを使って、支部の問題点や座談会のありようを共に考える予定でいた。しかし、なかなか人が集まらず、また僕自身も心境が変化していて、先週に参加したフォーカシング・サンガの集いを通して感じた、信仰座談会での課題について取り上げることにした。もちろん、一方的な講義ではなく、先日、学ばせてもらった簡単な伝え返しや、こころの天気などのワークを一緒に勉強させてもらった。ほんのデモ程度のことで、たぶん、戸惑われたと思うが、少なくても、今回の趣旨や、ぽくの思いのところだけは、充分に伝わったようだ。ただ、思いが強すぎて、スピードが早かったり、容量が大きすぎたという反省はあるが、この成果は、翌日の法座で、さっそく現れることになった。

  翌朝は、珍しく朝食を食べた。長らく朝食抜きだが、こだわりはなくなっている。朝食付きなら、食べる。しかも、和食の豪華なもので、おいしかった。

Img_7179 2日目の会場へ移動。いつもと同じ、地下鉄茗荷谷の駅を降りたが、歩く方向は違って、後楽園にひたすら戻っていく。住宅街を入って、普通の民家の建物が、会場になっている。庭さきに、水仙が、かわいい華をつけていた。
10帖の部屋が二間で、家庭法座の雰囲気がして、落ち着いていい。顔ぶれが同じでも、会場の雰囲気が変わるだけで、ずいぶん、新鮮に感じられた。Img_7193

   法話は、朝が、「親鸞聖人のご恩徳」、昼が、「破闇満願」の、無明の闇と願いを中心にお取り次ぎした。

  午後からは、座談会もあった。前の記事にあるように、より積極的に感じに焦点をあてながら、聴いていった。これも、いつもとは異なる関わり方だった。

  安心・安全のルールに乗っ取り、しかも、事柄や状況、その思いをおいかけないで、状況や人に対する感じに焦点をあてて聴いていくように努めたら、法座の雰囲気が変わったのだ。 ある方の長年硬直した「○○でなければならない」「△△すべし」という正解を確認するような聞き方が、その場では一変した。劇的というほど大きな動きがあって、共に、お念仏させてもらった。気付きや変化だけを成果して焦らないという思いがこちらにあるだけでも、ずいぶんゆったり聴けるものだ。もちろん、それが獲信云々ということではない。しかし、こちらの態度や関わり、聴くボイント一つで、座談会の動きが変わることを、身をもって知らされた尊い法座であった。

   こうしてもみると、まだまだ学ばねばならないこと、そしてよりよき方向へ変わっていくことと、その可能性をずいぶん感じさせられた。

   それに、会場ひとつ、座り方ひとつ、法座の時間の使い方ひとつ、役割をひとつ。そんなほんの少しの変化でも、マンネリ化したり、膠着化していた大きな淀みを破る起爆剤にもなりうることを教えられた。 もちろん、一番の収穫は、聞き方の焦点のあて方だ。しっかりした態度を備わっていると、そのことでひとつでも、クッキリした展望が開けることに驚いている。
    これからもしっかり勉強していこう。

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輪読法座で感じたこと

 今月は、聖教のこころ(正信偈の帰入一味)、誌上法話(信を獲る)の1回目だ。

 常連が中心だが、少し遠方の方もボチボチ混じって、そこそこの人数になる。それでも、研修室で、車座に座るとちょうどいい人数だ。

 聖教のこころは、信心の五徳の二番目だが、他の五つについても、ちょっと押さえておいたが、教義的な話題になるとどうしても、静かになる。

 それで、求道中の方を中心に心境を語られた。心境というより、「どうしたら信心が獲られるのか」について、これまで聴いてきたことの総動員して作られたシナリオをお話くださる。かなり饒舌にお話くださるし、解答自体は、正解に近い言葉をたくさんならべておられる。しかも、最後には(自分なりのだが)、「正解」というものをもっておられるようだ。大半の時間を費やして、お話を窺うが、後生も、自分も抜けているのようにおもえてならない。といっても、ご本人は、とても真剣であるし、自分の問題、仏法、後生の問題に取り組んでおられるのは間違いない。そう語らずにおられないお気持ちも理解できる。しかしである。そのあれこれ計らっておられる、自分自身(主人)がまったくお留守なのである。だから、周辺の話題や状況や方法ばかりをぐるぐると回っているばかりで、結局、肝心の自分には触れていないのだ。

 ここは関わる上で難しいところだ。一応、最後までお聞かせに預からないことには、納得されないだろうが、1時間話されたとしても、ただ堂々巡りをしているだけであろう。

 だからといって、「自分に触れていませんよ。堂々巡りしているだけですよ」と事実をいくら理路騒然と指摘したといても、何の解決にもならない。間違いなく、次ぎの一言は、「では、どうすればいいのですか」という反応になるからだ。それは、説き手側も、単なる「正解」を伝えているだけであるからだ。
 またはこんな関わりにもなる。なかなか動かない態度に、説き手の方が、イライラしてきたり、または有り難くなってしまって(あまりにもご法が抜きで、しかも如来様ことなど微塵もないから)、感情的に強く迫っていくことがあるのだ。もちろん、そのことで、大きな展開が起こることがあったり、まったく予期せぬところに波及することも、しばしばあるのだが、大方は、なぜ、急に涙や大声になられたのかが理解不能で、「時間ばかりとらせて、すいません。次ぎの方にお願いします」と逃げられるか、傷つきやすい方なら、防衛的な態度をとられることもよくある。なにか、叱られているか、もしくは人格的なところを否定されたようなやりとりになってしまうケースもあるだろう。

 それに、グループでの関わりという点でも、難しいこともある。ひとりではない分、違う角度や、見逃してるところを、他の人達が異なる角度から指摘てきるメリットも大きいし、思わぬ化学反応が起こることもある。しかし一人の人に、大勢が同じような反応をしていくことで、想像以上に威圧的になっていることもあるだろう。または、もう少し話を聞きたいと思っているところに、頭ごなしに強い、熱いお勧めがあったりすることもある。司会役が止める場合もあろうが、しばしその司会役が熱くなったりすることもある。

 もう少し傷つけ合うような無駄なエネルギーを使うのではなく、状況を打開する上でも、先日勉強した、実感に触れてもらうアプローチが大切だろう。頭で状況や方法をグルグル回るのではなく、その状況に対する、いまのからだの感じに焦点をあててもらうのはどうか。もちろん、それがイコールご法を聞くこというのではないが、長期の無駄な堂々巡りより、打開をする動きにつながる気がするのだ。ただし、グループで行なうには、まだまだ勉強不足だし、コンセンサスかとれていない(ミニ・カウンセリング的な聞き方でもそうだけどなー)。

 そこで、形態でもう一つ関連することを考えている。最近の法座は、法話のあと、分級座談というグループ別での座談会が中心だが、一対一のご示談や相談の時間ももっとあっていいような気がしている。性急にならないで、じっくり話を聴かせてもらうことが大切な時も多いのだ。それで、いまの法座に加えて、定期的な相談日や示談の日を設けるとか、地方の法座なら、1時間早めに法座を切り上げて、ご示談を設定するなどの工夫もできるのではないだろうか。

  直接、今回の法座とは関係ないが、そんなことをいろいろと考えさせられるいいご縁ではあった。

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通夜

 京都の古参同人が、またひとり往生の素懐を遂げられた。97歳である。

 母や事務所の皆さんと、通夜に参列する。

 ぼくが、修士論文でもとありげた、羽栗行道師のお育てもうけておられる。ずいぶんお若い導師が入場された。先生から数えて4代目が、もう立派に勤めておられるのだ。参詣は、華光の方も多かったので、皆さん、一緒に勤行された。感心したのは、遺族席でも、数名が聖典を持参し、お正信偈をあげておられたことだ。それにしても、前列には、法衣姿の僧侶が二人座っている。お若い方にはずいぶんやりづらいことだっただろう。

 ご法話も、「深い悲しみの中、ご一緒に、勤行くださり、ありがとうございます」から始まった。浄土真宗は、お浄土で倶会一処(くえいっしょ)という慈愛の世界があり、そして、皆、阿弥陀様のお力で、仏とならせていただいき、還相廻向のお働きをさせていただく教えだということをお伝えくださる。中抜き(肝心の信心はどうなるのか)ではあったが、お取り次ぎくださった。正直、『心身の革命』を精読くださっていれば、もっと嬉しいのだが、これはほんとうに大きなお世話だなー。

 それより、故人のお孫さんは、お祖母さまの影響で、子供のころから日曜学校や子供大会に皆勤で、いまでも仏青や日曜礼拝で活躍されている。子供大会では、ぼくの信頼する片腕として、随分、頑張ってくれている。確かに、仏法は、ひとりひとりが喜ぶものだ。その念仏者が亡くなれば、唯一の仏法が亡くなることでもある。しかし、同時に、またその喜びや姿を通じて、後に続くものが、仏法相続のお心かしっかりと受け継がれていく場合もある。そして、彼もまた、彼自身を姿を通して、仏法を喜び、彼の姿でそれを表現しようとしてくれている。

 仏法は、人や言葉を超えた教えだ。しかし、同時に、人から人へと伝わり、広がっていくのだから、また有り難い。

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参観日

Img_7164 学年最後の参観日。

 青空が広がる。ここ数日温かくて校庭の雪は溶けてぬかるみになっていたが、山手には雪がかかっている。

 参観日だが、通常の授業はなく、1年間、頑張ったことの成果を発表する時間だ。

 2年生は、楽器や音読に混じって、わが子は、けん玉の成果を発表する。なぜ、授業の成果がけん玉なのと思ったが、生活科でおこなったコマなどの昔遊びを成果らしい。緊張してうまくいかない子もいる。しかし失敗しても失敗しても、何度も挑戦して、大きな拍手をもらっていた。わが子は、わりとうまくて3度まで続けてやった。あとは、みんなであがり九九を順番に回していく。

 最終学年の6年生は、「自分をみつめて」~誕生、現在、未来~というImg_7175テーマでの作文。前世、現世、後生とすれば、ご法のようなテーマだ。それぞれ工夫された内容だったが、わが子は、未来ということで、将来の夢を語る。小説家になりたいという。さすがに、小説家になりたいというだけあって、表現力だけでなく、平和活動とからめた内容も秀逸で、とても驚かされた。小さな時から、物語や小説を書いているだけのことがある。その成長にぶりに、親バカぶりもピークかもなー。

 裏門から出ると、学校の前にこんな石碑が…。

 後の予定があったのでお寺には行けなかった。次回にはちょっと寄ってみよう。

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「瞑想と語りのサンガ」のWS

 土曜日、日曜日は、土江先生を招いての真宗カウンセリング研究会のワークショップ。真カ研で2度目、司会者研修会を含めると、3度目となります。

 円座禅から、フォーカシング指向エンカンター、そして瞑想と語りのサンガになり、今年から、フォーカシング・サンガという名称となって、またスタイルも違ったものになっていたけれど、終始一貫流れているものは同じ。

 しかも、からだほぐしや楽健法の実践もあり、「こころの天気」もあり、もちろん、瞑想と語りのフォーカシング体験もありという、実りある内容でした。

 実際にフォーカサー役をして、体験的にもかなり収穫大。参加していても、実際にやってみないと勿体ないですね。昔は、なかなかフェルトセンスがつかめなかったけれど、しっかり聴いてもらう経験をとおして、フェルトセンスとその変化を体験できるようになった気もします。

 フェルトセンスとは、気になっていること、難しい状況や人などに対するからだの感じのことで、非言語ながら豊かな意味を含んでいて、それは外からの示唆ではなくて、そのもの事態が状況に対して調和的ないられるのかを感覚的に示唆する、智慧の源でというのです。しかしながら、変化してやまない豊かな源泉も、ともすれば意識されやすい感情や痛みが大きな声だけが固定化され、豊かな小さな声はかき消されて、常に固定的なものの見方でした捉えられずいることが悩み苦しむの元で、その固定(固着)したフェルトセンスをスカンダ(蘊)として定義された説明は、新鮮でした。その固定化から正見をえて智慧の源が、フェルトセンスということになるのでしょうか。

 とにかく、実践。今回は、フォーカサーになり、自分自身が長年抱えている課題に取り組んでみました。そして変化するプロセスも味わわせてもらったり、「状況」そのものと、「状況に反応する感じ」の違いなどにも気付かせてもらったりもしました。

 また安心安全のルールとして、守秘義務と、肯定的受容にならんで、第3番目にある、非暴力。もちろん、殴る、蹴るといった身体の暴力は当然として、ここでは、「変化や気づきを強制しないで、急がないで自然のプロセスを大切にすること」。そのことで、より豊かな、温かい人間関係が結ばれる源となるのだけれども、ここは易しくて難しい課題。特に、華光の座談会では、第3番目。熱心であり、言わずにおれないというところで、早急すぎることもしばしばあって、熱になるけれど、凶器もになるわけです。でも、まずそれには、他人との関係ではなく、自分自身にもこのルールは大切で、自分が自分自身をどれだけ肯定的に受容して、そして気づきや変化を強要せずにいることができるかにかかっていて、もし自分自身がそうでなかったなら、他者とその程度で接することはできないということなるわけですね。そこを再認識させてもらっただけでも、意味は大きかったです。

 自力他力の仮説などは、もう少し聴いてみないと分からない点もありましたが、とにかく、たいへん気づきの多い、豊かな集いでした。

 間違いなく、これからの法座やご示談の場面での、ぼく自身の関わりは変化していくだろうという予感もあります。

 まだまだ余韻を味わっているところかなー。

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着々と

 14日の夜から15日にかけて、大遠忌法要の打ち合わせをおこなう。

 ちょうど1年前の2月に始めて大遠忌の会議を持っている。その時は、何をめざして行なうのか、また募金はどうするのかなどの相談が主で、まったく具体的な話題にはなっていなかった。というより、ほとんどの方が、「大遠忌」といわれてもまったくピンとくるものがなかった。50年前に1度のことなので、それも致し方ない。大半の時間を、華光で大遠忌を営む意義についてから話せねばならない状態だった。それから何度も会議やSkypeで相談を重ねてきた。せっかく決まったことが、中々始動しないというもどかしさも続いたが、例年の行事のノウハウがあるものは、うまく乗り切れてきた。残りの主要行事は、3月の法話大会と、9月の大遠忌法要の二つに絞られる。これは共に新企画なので、いつものノウハウだけではうまくいかない。しかも華光の場合は、それ以外に、毎月、異なった宿泊行事があり、その合間には地方での宿泊法座が続いていくので、その準備も並行さねばならないのだ。

 それでも、9月の大遠忌法要についても、かなり具体的な相談になってきた。チラシと申込案内の期限が迫ってきているので、少し急いでいる部分もある。初日のメーンの企画は、ドキュメンタリー作家の森達也氏の講演と若手との対話に決定。2日目は、法要と記念法話を会館でおこない、会場を写って、信楽峻麿先生の記念講演と、夜は、別会場での祝賀会と続く。さらには、3日目の法座への主な流れは決まってきたが、その間の法座はどうするのか。別会場と会館の移動もある。3日間の宿泊や食事もある。それぞれの役割はどうするのか。また、冊子やビデオ撮影などの決定も、予算を組み直しが必要なものもある。まだまだ簡単には進まないが、とりあえずたたき台を作るところまでにこぎつけることができたようだ。

 翌朝は、3月の法話大会の相談だ。こちらは、もう1ケ月を切って、細かなスケジュールや注意事項の確認を行なった。先月は、かなり心配していたが、いまの進捗具合なら、あとは個別の責任者と細かな点を打ち合わせて、詰めていく段階に入ってきた。最初の企画だけに、ずいぶん楽しみである。

 意図したわけではないが、3月と9月のメーンの世話人が、二人の運営副委員長に当っている。お二人とも、それぞれの持ち味で張り切っておられる。それだけでも意義があることだと思った。

  3月と9月のことばかりがクローズアップされて、まったく忘れられているが、4月には真宗法座に集いがある。世話人が揃っていたので、簡単に打ち合わせる。20名限定で、非構成のエンウカンター的な法座だが、今年は、少し構成的な導入をもつことに決めた。仏青でのブレイン・ストーミングが面白かったからである。法座でもなにかできるかもしれない。

  夕方は、真宗カウンセリング研究会の月例会があるので、龍谷題大学へ。1時間ほど早めに行って、今週末にある土江先生のWSの相談である。12名の加のワークで世話は楽だ。3名を除いて、WSの初参加組である。3度目になるが、目指す方向はひとつだが、毎回、新鮮な形でのワークが展開されるので、とても楽しみ。少しドキドキもしている自分もいるけどね。大急ぎで連絡をもらうと、まだ1、2人なら参加できるますが…。http://dbpca.web.fc2.com/details/20120218.html

 

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盛り沢山~2月の仏青研修会

2月の仏青研修会。今回は、さまざまな理由で、企画が目白押しの集いとなった。一言でいうと、「盛り沢山」という言葉に収まるだろう。

このところ、端境期を向えて、ちょっと覇気のない仏青である。そのひとつが、これまでの中心メンバーが各地に散らばって、結婚から出産、さらには就職などの時期を向えたが、中心になるべき20代世代が、いまひとつ盛り上がらないところにある。それなら、赤ちゃん連れでも参加できるような法座にしようということが決まった。その呼びかに応じて、パパ・ママが新星3名のベィビーを連れて参加してくれた。道場に人が溢れる華光大会などの大きな行事では、かなり難しいものなー。

華光は小さな集いなので、それぞれが企画するなら、すぐにニーズに合った集いがもてる利点がある。これまでも、子育てママの集いなども、同人の発案で生まれた法座があったが、その子供たちもすっかり大きくなって、ちょっと一休みしていた。あの時は、完全な育児室やベビーシッターを頼むので、正直、お世話がたいへんだった。そこまで考えなくても、夫婦で参加して交代してもらったり、参加者が赤ちゃんと一緒でもOKだったら、主催者側の負担も少なくてすむ。

Img_7132_2  その赤ちゃんたち。 とにかくみんな可愛い   可愛すぎで、すぐ気が散るという難点もあったが、ベィビー大好きの長女が、ベビーシッターを買って出て、あやしたりもしていた。彼女曰く「夢のように幸せな2日」だったそうだ。しかも、偶然に、3人とも、一昨年11月生まれで、それぞれが学生時代からの友人ということもあって、和気あいあいである。1歳2ケ月は、やっと歩けるか歩かないかというヨチヨチあたりで、もちろん、まだおしゃべりはもう少し先の楽しみである。

おかげで、ずいぶん賑やかな集まりになった。仏青といImg_7107っても、先生もくわえると、87歳から1歳まで、年齢差86歳もある集いになったからだ。

  内容も、ずいぶん盛り沢山。初日は、ぼくがリードして、ブレイン・スートミングをしながら、仏青や日礼の問題点を改善するワークを行なった。昨年のサイコドラマではないけれど、温故知新で、久しぶりだが、かなり有意義だった。

Img_7120  2日目の午前中は、9月の大遠忌に向けて、映像作家の森達也氏を招待することになったので、その勉強も兼ねて森氏の映像を一緒にみて、分かち合った。動物実験のドキュメンタリーだったが、その後の分かち合いでも、問題提起もでて収穫があった。

  昼座は、法話も30分行なって、あとは分級座談。2日間で、これだけ企画すると、いつものように、じっくり分級座談会で関わるというのは難しいが、たまにはユニークでよかった。通常は、いわば非構成的なグループが中心だが、今回は、構成的に行なったのであるが、こんな視点も大切だ。いま思い出したが、2月の仏青例会では、ゲシュタルトやボーディワークを核にした身体的ワークのみで集いをもったこともあった。あれから10年以上経過しているんだなー。あの時、学生だった皆さんが、今度は、パパ・ママで参加されている。ちょっと感慨深い。

  盛り沢山で、しかもそれそれが濃い充実した内容。ブレイン・ストーミングのことや森達也氏の映像のことで、味わったことも多かったので、次回に少し踏めこんで触れてみたい気がしている。

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50

 朝、事務所でのミーティング時を終えて、メールチェックしていたT嬢が、「アレー、skypeからお誕生日のお知らせが来てますよ」と驚いたように、「おめでとうこざいます」と祝福される。登録時に、よく事情がわからないまま正直に入力したからだ。長女からは、0時ジャストでサプライズのお祝いの言葉があったが、普通、家族でないかぎり、いちいち他人の誕生日など覚えていないものね。親切なのか、大きなお世話なのか分からないサービス。

 そのまま自力整体へ。教室に入るなり、「青空の誕生日ですね」と、先生が声をかけてくれた。おお、他人でも、さすがは気配りの方である。「区切りの大台です」と答えると、少し考えてられた様子。「もう50ですよ」と答えると、「えー、大台って40歳かと思ったわー。若いね」と、Img_7103こちらもしっかり人心を掌握されていて、うまくくすぐるなー。もっとも、体内年齢は20代だと自慢しているが、今日は一気に3歳も歳をとって、こちらも端境まできていた。何かと不規則になっているので、ちょっと用心せよとの信号か。

 子供たちからお祝いの絵やメッセージと、そImg_7105れぞれがひとつずつ選んだプレゼントをもらう。カメラのキーホルダーと、リスの置物型のクリップ。そして傘だ。これまでいい傘ほど、すぐに間違えられてしまうが、今度は、大丈夫だろう。

 心のこもった贈り物に、ありがとう。

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不思議な一日

 今日はとにかく不思議な1日だった。

 葬儀のために、身支度をしていると、ちょっとした相談の電話。最初は、「ちょっとした」と思ったが、これがけっこう重たい内容。うーん、朝からこれはヘビーだ。でも、時間がないので、一区切りで終了。

 葬儀といてっも、町内会で、不幸があり、役員の関係上お手伝いがあるのだ。長年、郵便局長で、民生委員を勤めれた父と同世代の方だ。参列者は多くても、香典も供花もお断りされているので、特にすることはない。近所のホールなので、ますます仕事はない。ただ受付に座るだけなので、会長さんにおまかせして、式に列席した。本派のご近所のご住職。弟さんが同級生なのでよく遊びに行ったが、今でも同窓会では一緒に飲む。これも勉強なので、葬儀用の勤行聖典をもって、一緒にお勤め。やっぱり本職は、堂々といいお声とは思った。ただね、まあなんといいますか、そのー、まあ、ねえ。お世辞にもねえ、あれですーわ。お正信偈も、最後の念仏や和讃も、独自の世界をもっておられまして、ぼくの実力ではついていけないレベルと申ますか…。まあね。式が終わって、出棺の準備中、故人を偲ぶスライドショーの演出。

 あわてて帰宅して、スカイプでのカウンセリング。今度は、クライエント役だ。専門カウンセラーに、定期的に相談をしている一貫だ。いつもながら話を聞いてもらうと、不思議な力をもらうなー。悩んでいたことや状況は変わらなくても、前に進む力が湧いてくる。

 勢いで、ご無沙汰の方にも、久しぶりに電話してみた。ちょっとした行き違いで疎遠になりかけていた人だったりすると、なかなか勇気がいるが、少しのことで、ぼくも素直というか、オープンに話せたので、以前と同ご縁が戻りそうな予感。こんな時が、無償にうれしい。状況に左右されることがあっても、根底の気持ちのところが変わっていないんだなー。これも、精神的に力をもらったようだ。

 遅いお昼にしようとすると、今度は、小学校から電話。なんでも、下の子が、給食のあと、喘息が激しくなって、食べたもののアレルギーかもしれないので、救急車を呼んでもよいかということ。エー! こんなことでもプチ一大事だ。状況がわかるたびに電話が入るので、前に陣取る。仕事の関係で母親に連絡がつかない。まあ、念のためという感じだけれど、病院が決まったのできてくださいとのこと。お昼もそこそこに、準備をしていたら、うまく連絡がついて、大丈夫とのこと。それでも実際に会うまでは心配なものだが、なんのことはない。しばらくして元気そうな子どもの声。エー、あんまり普通なので、またもびっくり。精神的に少しパニックになっただけなようで、一安心した。子供の病気はまったく大丈夫。それで、予定どおり、父親を定期診察のために病院に送る。結局、病院に行くことにはかわりない。こちらは、ただ待合室で待つだけ。

 夜には、子供大会の会場、仏青研修会の打ち合わせ、さらには、9月の大遠忌と、やたら電話が続いた。それでも、どれも前向きで、やる気満々の自分がいるなー。いろいろあっても自分の出来ること以上は出来ないと、いい意味で開き直れているのかもしれない。まあ、成るようにしか成らんものね。

 それにしても、朝からめまぐるしく禍福は糾える縄の如しで、いろいろなことが交互にあって、疲れましたわー。

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キッズプラザ大阪

Img_6954_3  大阪市の扇町にあるキッズプラザ大阪に遊びに行く。

 JRを使ったので、大阪駅からは環状線2分の天満駅へ。同じ関西でも、大阪の街の雰囲気は、明かに京都とは違う。Img_7092信号待ちでも、幹線道路を次々信号無視する度胸も、慌ただしさがよくわかる。
 昔、父がこのあたりに住んでいたそうだが、「天満の田舎ほうだ」といっていたが、いまやこのあたりに田舎はない。ちょっと迷いながら、テレビでよく見るビルへ。関西の人にしかわからないが、関テレのビルの中にあるキッズプラザに到着した。京都かImg_6963らだと所要時間は1時間ほどだった。

 カラフルな色使いと、キッチュな雰囲気がいい。遊んで学べる子どものための博物館という歌い文句だが、文字通り、飾ってあるだけなImg_7074く、どんなものも直接触って、遊べるのがいい。ごっこ遊びで仕事を真似たり、科学、自然に、文化や音楽、特に多民族の生活に触れるコーナーもあったが、楽器にしても、民族衣裳にしても、自由に触れてImg_6991_1_2鳴らしたり、着たり出来るところが、とてもよかった。幼児でも充分楽しめるような作りだが、親は助かる。

 高学年なら、パソコンのゲームや、スタジオで、アフレコに挑戦し、あとはテレビのキャスターとレポーターになったが、あとでVTRをみせてもらえる。緊張しながらも、楽しそうだっImg_6986_1た。スタッフと打ち合わせて、このあと本番。

 右は、自転車漕いで発電すると「白骨の身」が体験できる無常観(?)を知るコーナーもあったり、人間も入れる巨大なシャボン玉造りでは、大Img_7061人も楽しい。

ぼくも、実にさまざまな世界の民族楽器に挑戦できたし、いろいろな職業にもチャンレジImg_7001した。

  そして、メーンは真ん中には、二階分をぶち抜いて、そびえる「こどもの街」がある。
  ウィーンの芸術家のフンデルトヴァッサー氏がつくった、色彩豊かで、かわいい素敵作品。まるで絵本の街のようだ。ここを走りImg_7028回るだけでも、充分遊べる内容だ。

  ほぼ丸1日楽しんだが、JAFの割引で、子どもだったら480円以外には使わなくていい。お弁当も自由でImg_7011、コインロッカーも無料と、かなりお得感ありで、財布にやさしいのが、一番うれしいなー。それに、雨でも、寒くても、室内なのが大助かりだ。

  土曜でもわりと空いていたが、日曜日は混雑するだろう。でも、日曜礼拝でも、充分利用できるだろうなー。Img_7029

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出口調査

 日曜日は広島法座があるので、期日前投票に行く。

 京都市市長選挙の投票日が、5日にあるのだ。

 4年前は、自民、民主、公明の相乗りの非共産勢力と共産党に加えて、京都のローカルパーティが名乗りをあげて、新人による三極対決となって、結果も白熱した接戦となった。しかし、今回は、現職の相乗り対共産という従来の構図で、しかも候補者が前回と同じとあっては、新鮮味にもかけ、すでに結果が分かっているような試合では面白みにも欠けている。しかし、大切な一票は一票だ。

 寒い中、建物の入り口にNHKの腕章を付けた女性が立っている。案の定、投票を終え、建物を出たら、「NHKですが、出口調査にご協力お願いします」といわれた。文字通り出口調査だ。1分足らずのことなので協力した。投票行動だけでなく、現職の市政への評価や、自民・公明、民主の相乗りについて、また原発に関する項目も立ててある。記入用紙を観ながら、一見、客観的な問いが並んではいるが、どんな設問にし、どんな表現しに、それに対してどんな回答を用意するかによっては、意図的、操作的に客観的にみせた数字を扱えるものだということも、よく分かった。

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