珍しくも、懐かしい
名古屋の姉が、父のご機嫌窺いで帰って来た。忙しい飲食店や家族の世話もあるので、滅多に帰ってくることもできない。
昨晩は、姉の知人のボサノヴァ・ライブが祇園のライブハウスがあったので、夜になってから到着した。残念ながら、ぼくは行けなかったが、彼女のCDをもらった。
今日は、龍谷ミュージアムに行くことにした。
父と母に、姉と、ぼくの4名で出かけるは、何年ぶりだろうか。本願寺にお参りしてから、ミュージアムへ。義兄が館長の宮治先生のお友達で招待を受けていた。残念ながら、館長さんはご不在だったが、メッセージを残して入った。
先月は、子供たちと回ったので、あまりゆっくりは観れなかったが、今日は、大人だけである。母と姉はとても丁寧に見ている。さすがに、ぼくは、多少の提示替えがあっても、1ケ月の間に2度目なので(http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-9192.html)、テンポは早くなる。父は、長時間、歩いて疲れたのか、座って待っている。「昔なら、詳しく解説してくれたのに」と、母が言っている。以前に比べると関心も薄れているようだが、なにより;早起きをして眠かったようだ。いつもの昼寝の時間帯である。適度に歩いて、いい運動になったようだ。
行きつけの静かなカフェで、お茶を飲んだ。今日は、4年に一度の閏日だ。でも、もっと珍しいのは、この4名で出かけることだ。いつもならお互いの子供たちなどが一緒だったりするので、4名だけとなると滅多になかった。「珍しいね」と話しながら、さて、何年ぶりになるか、と思い出そうとしても、誰も思い出せない。子供の年齢を考えると、25年、いや30年以上前のことになるだろうか。
でも、子供のころは、これが当たり前の家族だったのだ。くわえて「おばちゃん」と称する伯母が、ずっと同居していたので、ぼくは生まれてから5名の家族だった。夏の旅行などは4名だけで出かけることも多かった。
町家の蔵を改造した薄暗いお店で、年老いた両親を前に、姉と並んで、お茶を飲んだ。
すっかりお互い年齢だけは重ねて、中年になっている。
別に何を話したわけでもない。でも、何か懐かく、どことなくくすぐったい温かさのある不思議な気分に覆われた。
本山前の仏具店のショー・ウインドーには、花御堂が飾られている。雛祭りよりも一足早く、この中だけはすっかり春だ。
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