『トーキョー・ドリフター』
松江哲明監督と、前野健太(マエケン)が組んだ第2弾の映画。『トーキョー ドリフター』の初日。二人の舞台あいさつがある。
前回が2年前の10年2月。『ライブ・テープ』は、面白い音楽映画で、いまでもCDをよく聞いている。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-a6ff.html
この2年の間に、世界も、また個人的な身にも、いろいろと変化があった。うーん、そう考えると感慨深いなー。
前回の舞台あいさつは、ほぼ満席だった。寒い中、外に並ぶのは嫌なので、昼の買い物についでに、みなみ会館で整理券をもらいにいく。
整理番号は、3番。おー、前回も3番だったし、友川かずきの時も3番目だった。偶然とはいえ、3回連続で3番だ。
時間にみなみ会館へ。
ところが、これが拍子抜け。誰も並んでいないのだ。どうしたー。この2年で、マエケンもメジャーになってきたと思ってのに、土曜日の初日にしては、中の入りというところだ。
映画は、2011年5月の夜から日の出まで、東日本大震災後に、ネオンの消えた東京の街を、ギター1本でさすらって、歌い、叫ぶというもの。前回と違うのは、バイクで移動したり、別のカットが挿入されたりしている。
震災から2ケ月。東京は、節電で暗く、まるで斜陽の地方町のようだ。関西にいるものと、大地震、大津波、そして原発事故の影響を直接受ける東京との温度差はかなりある。見えない放射能の恐怖にしても、節電にしても、先の不透明感、不安感に覆われているのがわかる。
その中で、声高に叫んだり、正義感をかざしたり、大多数の主張が、どこか安心して聞こえてきたりする。そんな強力なリーダーも求めていくだろう。しかし、そのために抜け落ちることも多くある。
その夜は、雨が、アスファルトを叩いている。
その冷たそうな雨の中を、ギター抱えた前野が歌いつづける。
ドリフターとは、放浪者という意味である。まさに、当てもなく、金もなく、さすらう。3、11以降の日本そのものでもある。そして、その放浪者は、大声でなく、たとえ小さな声でも、自分の声で歌っている。
たとえ明るくなくても、暗いのも悪くはない。必ず日は登り、朝を迎えるのだと、放浪者の姿と重なり合う…。
舞台あいさつは30分と短く、饒舌な監督は不満そうだ。前回のようなミニライブはなかった。それでも、小さなロビーが幸いして、二人に声がかけらたてよかった。
| 固定リンク
「音楽」カテゴリの記事
- 『サマー・オブ・ソウル』~あるいは革命がテレビで放送されなかった時~(2021.10.01)
- 『ソング・オブ・ラホール』(2016.12.15)
- 『ミスター・ダイナマイト』~ファンクの帝王ジェームス・ブラウン(2016.10.21)
- 「わたしの7+7」(2016.08.15)
- 清志郎ばかり聞いていた夏(2015.09.01)
「映画(アジア・日本)」カテゴリの記事
- 映画「千夜、一夜」を新潟で見る(2022.10.24)
- 映画『名付けようのない踊り』(2022.02.09)
- 濱口竜介監督『ハッピー・アワー』(2022.01.06)
- 今年211本目は『CHAINチェイン』(2021.12.30)
- 終い弘法(2021.12.22)