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恩とは? 徳とは? 

 久しぶりの日曜礼拝。一年ぶりに華光誌輪読法座と同時開催になった。前半の仏参は、大人も子供も合同で、「子供の聖典」でお勤めし、法話を聞いてもらう。

 前身の日曜学校の時から、お釈迦様の行事-花祭りや成道会-はあるが、何故か親鸞様の行事を行なっていない。今年は750回大遠忌でもある。せっかく1月に法話を担当するので、親鸞様のご恩徳、報恩講をテーマにご法話をすることにした。

 ところが、報恩の「恩」ということ自体、いまの子供たちに分かりづらい。感謝や「ありがとう」なら分かるだろう。ましてや「報恩」となるとどうか。また、親鸞聖人のお徳を讃えるといっても、その「徳」自体も、分からない。「恩」、「報恩」、「徳」、どうも戦前や封建社会の徳目のようで、いまは死語に近い。それでも、「鶴の恩返し」とか「恩に着せる」「恩知らず」、「道徳」という言葉なら、みんな知っている。

 それで大人に質問する。すると「恩」を辞書的に説明くださる。しかし、それでは子供は分からない。もう少し子供たちに分かりやすいようにお願いしたら、皆さん戸惑われている。親の恩という角度から、具体的に説明される方もあったが、なかなか難しい。ましてや「徳」になると、みんな沈黙である。何のことはない。大人も、実はよく分かっていないのである。そして、皆、異口同音に、人に「恩を着せる」が、恩人にも「ご恩知らず」の、「不徳」、いや「悪徳」の私だと言われる。「恩」が何やら、「徳」が何やら分からないわりには、恩も徳もない自分ということは分かっておられるのだから、面白い。

 「恩」は「子供の聖典」の「おかげ」の図からお話した。「徳」は、損得の「とく」と、徳まんじゅう(今日は、徳チョコレート)で説明した。恩にしても、徳にしても、実は私たち自身の目に入らない、気がつかないところで働いてくださっている。そのことを、具体的な例話でお伝えしてたら、では、親鸞様のご恩徳とは何かのメーン話題に入った。覚如様は、親鸞様には三つのご徳があるといわれたことに沿ったが、大人の方にとっても、「三つってなあに?」という感じで、新鮮だったようだ。

 輪読法座の最初の分かちあいでも、わが心は不徳で、ご恩報謝のかけられないという味わいが多かったので、こんな話をした。

 そんな人でも、未信者に、「虚仮不実の自分の感情や思いばかり追わないで、仏様のお心を聞かせてもらいない」とお勧めされている。ならば、ご法を喜ぶようになって、急に心が真実になるわけではない。ましてや仏様や師主知識のご恩深いことを知らされたのである。ならば、「いまはお参りする気がしない」のであるなら、頑張ってお参りさせてもらう。「ご恩報謝のかけられない」わが心を知らされたら、精一杯のご恩報謝の真似事をさせていただく。喜捨が嫌だと全身で言うからこそ、喜んで布施させてもらう。なんのことはない、ご法を喜ぶようになっても、わが心は虚仮不実で、しかも天の邪鬼なのである。人から強制されたら嫌がり、「聞け聞け」といわれたら、聞きたくなくなるものなのだならば、そんな時にだけ、自分の心に正直になる必要はないのではないか。
 お参りしたくないからこそ、お参りさせてもちらおう。
 称えたくないからこそ、称えさせてもらおう。
 ご恩報謝の思いがないからこそ、ご恩報謝させてもらおう。

 どうせ轉倒している迷いのわが心に従うより、逆の心をもちながらでも、ご法の声に従わせてもらえばいいのである。

 結局、それが聞くということではないのか。

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