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喘息

  昨日から、下の子の調子が悪い。上の子の風邪が治まったと思ったが、どうやらうつったらしい。熱はないが、用心して金曜日は学校を休んだ。特に、咳がひどく、夜や朝方には一層つらそうだ。とうとう早朝、泣きながら、ぼくの布団の中にもぐり込んだ。でも、横になるとゼイゼイと、息ができない。気管支喘息だろう。ここ数日の急激の冷え込みは、大人でも順応するのがたいへんだ。からだを起こし、背中をさすりながら、気分を紛らわすようにいろいろ話をした。そのうち、「お父ちゃんも、同じやったんやで」と、ぼくの子供の頃の話をした…。

 ぼくも、小学生から中学生にかけて同じ病気で苦しんだ。不思議なことに、ぼくの喘息は夏にしかおこらなかったが、毎年のような風物詩(?)で、一端始まるとずいぶん長引き、ひどかった。

 あれは、4年か、5年の時だったか。10日間の九州旅行の帰り、大型のカーフェリーの中でひどい咳で苦しんだのが、最初だ。疲れや過冷房で悪化するようだ。同室の方にも迷惑をかけると、父が付き添って、二人でデッキに出た。まだ薄暗かった。海面から朝日が登る景色を、静かに二人で眺めていことこを覚えている。子供心にも、迷惑をかけていることは分かった。しかし、いま考えると、子供が想像できる親のご恩など、所詮、自分が生きてきた年数分の範囲の、ほんの小さな小さい枠でしかないことも分かる。法座を兼ねながら、福岡、大分、熊本と、父はドライブしてくれた後だ。大阪についても、また京都までの運転がある。眠れず、ずいぶんつらかっただろうし、心配もかけただろう。しかし、子供のぼくには、自分が苦しい時は、相手のことなど気づかうことは出来ないのだ。ほんとうに、「親思う、心にまさる、親御心」。これは、いまも同じ。いくつになっても分かることのない、大きく、広く、深いご恩徳があるのだ。

 ただ、大きな親の慈愛に包まれていたことは、いま振り返っても、ただただ有り難い。

 息もできないほどの咳は、横になるとゼーゼーと苦しい。頭を高く、上半身を起こすだけでも楽になる。しかし、眠くて眠りかけると、「コンコン」と激しくる。ノドは痛く、咳のたびに腹筋や節々がいたくて眠れない。夜には、不安が強くなって、ますますひどくなる。大袈裟ではなく、呼吸困難でこのまま死んでしまのではないかと不安が、小さな子供心を覆ったのだ。

 しかし、そんな不安な時ほど、親の存在がどれだけ大きく安心だったことか。母親のやさしさはもちろん、父の存在も絶対だった。威厳があり、怖い存在の父だが、同時に、慈愛のあるまなざしで、背中を、大きな手でさすってくれるだけで、安心し眠りにつくこともできた。親が側にいてくれる。そのプレゼンスだけで、言い知れぬほど大きな安心感があったのだ。

 虚弱だったために、両親には、迷惑や心配をかけてきた。今のような気管をひろげる貼り薬もなく、咳止めもあまり使えないで、安静を第一に、民間療法と自然治癒力で対応していたように思う。体質を変えるために、痛い整体や熱いお灸などの東洋医学にも連れていってもらった。大阪の治療所では、あまりの痛さに大粒の涙が出た。あまりに痛そうなのをよく頑張ったと、このあと、インターを出たところにあったレストランで、ハンバーグを食べさせてもらったことを覚えている。その時、ぼくのからだを観た整体師が、「この子の骨格なら大丈夫です。もう少し体力が付くと必ずおさまります」と言われた。確かに、大人になるに連れて、症状は出なくなった。たまに、ひどい風邪から、咳がひどくなることも数回あったが、いまはもうない。

 今日は、近所の医者に連れていった。やはり気管支喘息だと言われたが、貼り薬と、咳止めをもらった。今のところは、それほどひどくない。ゆっくり養生したら、明日の町内会のリクレーションには参加できるだろう。それを楽しみに、今日は賢く安静にしている。

 結局、彼女は、ぼくが受けてきた大恩の深さと、同時に、虚仮不実のわが身を教えてくれている天使(真実を伝えてくれる天の使いを仏教でも使われる)なのであろう。南無阿弥陀仏

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