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カレー臭

   高山法座を終えて、帰宅。夜10時を回っている。

 2階の道場に行こうと階段を上がると、カレー臭がしてきた。けっして加齢臭ではない。

 ああ、今日は成道会だったんだと改めて思い出させられる。華光会館が創建され、日曜学校が始まって以来の恒例行事だ。

 今年は、町内会行事の関係で、高山法座と重なってしまって、参加出来なかったのは残念だ。人数はすくなくなったが、初めての方や滋賀県からも子供さんを連れての参加があったらしく、それなりの参加者があったようた。

 食堂になった教室も、いまは元通りきれいになっている。そこには、カレーライスを食べた痕跡はもうなに一つないのに、30名以上が会食したその臭いだけは、10時間後でも、しっかり残っているだ。

 まさに薫習なのである。

 いくら払っても払っても、またきれいに外を飾っても、無始以来の泥凡夫に染みついた煩悩が簡単に抜けるわけがないのだ。凡夫が菩薩になり、仏になっていく過程には、三阿僧祇劫という計り知れない時間がかかる。まず一阿僧祇劫かけて情の煩悩を消滅し、次ぎの一阿僧祇劫かけて知の煩悩を消滅して、すべての煩悩を完全に消滅して清浄になっても、まだこれまでの習気、つまり煩悩臭さが抜けきっていないので、さらに一阿僧祇劫の長時をかけて、その余臭までをすべて消し去り、最後に百大劫かけて仏身を荘厳していくのだそうだ。

 それが、わたしたちは、南無阿弥陀仏のお働き一つで、不断煩悩のまま即涅槃で、この命終わったなら、即に仏果を得るというのであるから、不可思議としかいいようがない。

Img_6674 どうも高尚な話になりそうだが、高山でもカレーを食べていたという話をするつもりだ。

 法座が終わって、いつも夕食をご馳走になる。和食やイタリアンだったり、中華だったりと、参加Img_6673メンバーによって、変わることもある。今夜は、後泊組も含めて、なぜかインドカレーを食べに行くことになったのだ。

 店の名は、マハルである。有名なタージ・マハルの「マハル」で、宮殿という意味があると聞いたことがある。ところが、お店の人はインド人ではなく、ネパールの方だ。しかし、ネパール料理ではなくて、やはりインドカレーとして売り出している。

Img_6676 巨大なナンが出て行くる。ぼくは、ダル(豆)とほうれん草のベジタブルカレーにした。料理人がネパール人なら、きっとダルがおいしい。ピールは、ネパールの銘柄ばかりだ。カトマンズで飲んだエベレストの銘柄にしたが、別のものも飲んだ。

 壁には、ヒンドゥーの神々のけばけImg_5733ばしい絵が飾られいるが、座った席は、釈尊生誕の地、ルンビニー園のポスターだった。そういえば、8月の東京支部の法座の時も、インド料理店と称して、やはりネパール人が店を構えていたが、そこにも同じポスターがあったので、東京のものを借用しよう。ナンが巨大であるところも共通している。サラダにしてImg_5735も、何もかも大盛りで、6名いたが、3人前で頼んでもまだ余っていた。

  成道会のことは忘れていたが、潜在の意識でカレーのことがあったのか、高山でもカレーを食べて帰ったら、会館もカレー臭だったのは不思議だったなー

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