« カレー臭 | トップページ | 百カ日法要 »

高山報恩講法座

Img_6658 週末の高山支部法座は、恒例の報恩講だ。

 12月は大雪の時もあったが、今年は当地もわりと温かい。F家の裏手を流れる宮川も、冬の太陽で輝いていた。

 お逮夜には、子どもたちも10名は参加していた。小さな子供たちが、長い正信偈のお勤めに、正座で座っている。これからの仏の子供大会が楽しみだ。そImg_6649の後は、恒例のお斎。山の幸が一杯並ぶ。手間ヒマかかったものばかりだ。インスタント流行りの中で、和の味付けといい、いちばんの贅沢かもしれない。まあ、料理に関しての詳しくは、他のプログを参照くださいな。

 ご法話は、三座。報恩講にちなんだもの。

Img_6650 テーマは、「恩」「五逆」(大恩あることを知らず、大恩なるものを逆らう)で統一した。

 夜は、初参加の方もあったので、三帰依文の「人身受け難し、いま已に受く。仏法聞き難し、いま已に聞く…」の、まずは出発点である「人身」のところを味わった。そこから、『子供の聖典』の内省の世界・三角の図に展開して、なぜ、いちばん底に「仏様」(地獄)なのかをお話した。座談になって、「これまで、両親に頭をさげて、産み、育ててくれたことを、本気でご報謝した方はありますか? 先生はどうですか?」と尋ねられた。いや、恥ずかしながら、記念日などの軽い言葉かけならともかく、ほんとうに頭をさげたことはないな。と思っていたら、そうでもなかった。たった一度だけだが、本気に御礼を申し上げたことがあった。そう、お念仏にあわせてもらった、あの時だ。でも、それは自分の力ではない。お念仏の他力の力で、頭をさげずにはおれなかったのだ。ほんとうにご恩知らずの自分を知らされるだけである。人間に生んでいただいき、養育を受けなければ、この尊い仏法も聴くことはできなかったのにだ。

 朝座は、聞法旅行でも触れた、親鸞聖人のご恩徳。特に流罪のお心である。誰が、念仏停止、聖人を流罪にしたのか。「南無阿弥陀仏ひとつぐらいで救われるはずはない」の仏敵の心以外はないのである。

 ご満座は、正信偈の帰入一味の信徳。これは、凡夫も、聖者も、そして五逆の者も、仏法を謗る者も、廻心し、斉しく本願海に廻入ならば、海のうしおに一味となる、本願の広大さを讃えられると共に、ご信心に具わるお徳の称讃である。そう、けっして、心を入れ替えて善人になるのでも、自ら信じられるようになるのでもない。ただ、この私こそが本願に漏れた、五逆の罪人、大恩なる如来の反逆者であると、ほんとうの身をほんとうとお知らせいただくことが、廻心のお心である。

 

|

« カレー臭 | トップページ | 百カ日法要 »

法座と聞法」カテゴリの記事