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2011年12月の14件の記事

185本

  華光同人、文化教室、そして個人の年賀状書。乱筆ながら、400名ほどの全員に一筆を書き終えた。

 助っ人を頼んで大掃除をし、日記や書類を整理した。

Harakore_01 夕方、京都シネマへ。この劇場も、これで2日まで休みになる。最後の映画は、臨月妊婦のヒーロー。テーマは粋と、おバカな『ハラがコレなんで』

 これで、今年は185本の映画を観た。平均すると、2日間に1本は見ていることになる。ここ5年はこんなペースだ。

 印象に残った日本映画は、函館(らしき)を舞台した小説の映画化『海炭市叙景』(小説も読んだ)。とぼけた殺人鬼・でんでんがよかった『冷たい熱帯魚』と『恋の罪』(どうも園子温が好きだなー)、ヒット作では『白夜行』と、『八日目の蝉』、話題になったドキュメンタリーの『エンディングノート』、そして、AV監督代々木忠を取り上げた『Yo Yochu』と、戸塚ヨットスクールのその後を取り上げた『平成ジレンマ』や、冤罪事件のその後をとらえた『ジュージとタカオ』あたりがよかった。こうして書いてみると、ほかにもドキュメンタリーで印象に残っているのがあるなー。

  洋画では、『英国王スピーチ』『ソーシャルネットワーク』も悪くなかたっけれど、『ブラック・スワン』のほうが、ぼくの好み。コーエン兄弟の『シリアスマン』、『トゥルー・グリッド』の2作に、ウディ・アレン『人生万歳!』も、あいかわらずのヘンコぶり。 『イグジット・スルー・ザ・ギフットショップ』は、だまし絵のように被写体と撮影者が入れ代わる怪作。さすがバンクシー。『ヘタルベッド』の過激ぶりも、建前だらけの現実の虚実に喝。

 アメリカ以外のものでは、小作ながら話題になったトルコ映画『蜂蜜』のみずみずしい感性が◎。世間的には評判にならないだろうがフィンランド映画『ヤコブへの手紙』は、ぼくの涙腺に大ヒット。これはおすすめ。同じ聖職者でも、厳しい現実の道を歩むのが、アルジェリアが舞台の『神々の男たち』。ボーランドの巨匠、イエジー・スコリモフスキの『エッセンシャル・キリング』は、ほとんど科白も状況説明もないけれど、極度の緊迫感がバンバン。彼は、前作もよかった。フランス映画『さすらいの女神たち』は、紅白ダンス歌合戦のフランス版。そして、ノルウェー映画の『クリスマスの夜に』は、切なくて暖かい1本。デンマークの『光のほうへ』は、底辺にうごめく人に光を当てた名作。同じくデンマークのスサンネ・ビアの『未来を生きる君たちへ』、この監督の作品はどれも秀作で大好き。この映画は、少しもの足りなかたったけれど、水準は高い。ドイツのヴイム・ヴェンダースの『パレルモ・シューテング』も、かっこよくて心に残った。このあたりは、12月のラストの週にみたので、印象が強い。衝撃的だったのは、嫌悪(拒否)感が先行しながら目が離せなくなった『アンチ・クライスト』がすごかった。

 アジアでは、『再会の食卓』、『再生の朝に』の中国映画。韓国映画の『ハウスメイド』はエロかったが、ラストがね。ここ数年、韓国映画に感心させられることが多かったが、今年はちょっといま一つ感。

 あと、今年は、原発関係の映画の上映も多かったが、『100,000年後の安全』、『チェルノブイリ・ハート』がよかった特に、後者には目を背けてはいけない厳しい現実。

 まあ、思いつくままに。ただし、タイトルだけみたも、思いだせない作品も少しあるなー。

 映画もいいけれど、来年は、もう少し本も読もう。

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『年忘れ、紅白ダンス歌合戦』

 今年も、あとほんの少しだ。実に、いろいろなことがあった。世間同様、個人的にも、大激震の一年だった。振動で、少しは目が覚めたかと思いたいが、けっこうご主人様はしぶとい。まだまだ微妙な胎動は感じているが、まだ形にはならない。さて、これからどう動くのかは、まったくの未知数。そこが、楽しみでもあり、不安でもある。

Img_6752_2 というわけで(どういうわけ?)、今夜は、『年忘れ、紅白ダンス歌合戦』に行った。三条木屋町にあるUrBANGUILDというライブハウス。ぼくも、ここは1年ぶり。昨年の12月にキセルとべーちゃんを、ここで聴いて以来。

 ぼくがこれを知ったのは、偶然。なんなとくちょっとした知人繫がりだ。こんなのが絶対に好きだと思ったO夫妻を誘ったら、こちらは知人が出演者だったり、友達にも出会って、一緒に飲んだりして、大いに盛り上がった。Img_6739_2

 ただし、年忘れというのなら、せいぜいおバカなほうがいい。しかし、おバカ度は、いま一つの感があった。きっと、MCがうまくなかったせいもあろう。その点、ぼくには年忘れというには、少しインパクトにかけたかなー。

 でも、うたい文句だった、「金粉ダンス、バーレスクダンスに、コンテンポラリーダンス、そしてファイヤーダンスと、様々なスタイルのダンサーが演歌に歌謡曲、ロック、K-POPまで色んなメッセージや情景の詰まった音楽で踊る身体の祭典。ライブ感溢れる年末のエンターテイメント」は、3時間堪能することができた。もっとも紅白とは、ステージが紅白の幕というだけで、別に紅白歌合戦とは、まったく無関係。

Img_6743_2 相手はプロなので、肖像写真をブログにはあげないのがマナーなので、ライブハウスの雰囲気だけでも、少しどうぞ。

 最後は、大震災を追悼して、ステージもフロアも、スタッフも全員が、ひとつの輪になって、波動を伝播した。これも、絆。確かに繫がり感は、力(エネルギー)になる。孤立ほど空しいものはない。一瞬でも、一体感がうまれたのかもしれない。それはそれですばらしいことだ。しかし、そこを押さえた上で、最近の何を見ても、聴いても、「ひとりではない。家族や仲間の絆」。それこそが善、正義だといわんばかりに強調されてくると、どうも引いてしまう。この脅迫的な同調圧力のほうが、脅威ではないのかな。

 独りの何が悪いの? 所詮、人生は孤独だ。ひとり、ひとりなのである。独り生まれて、独り死ぬ。その事実を、しっかり押さえないと、ほんとうの個と個の繫がりも生まれないのではないか。この「独り」にこそ、真の強さがある。同時に、絶対的に無力で脆弱なのだ。

 だからこそ、阿弥陀様の本願も、大宇宙の孤児であるこの私の孤独な業魂にかかっているのだ。

 まあ、別にそんなことを考えながら、飲んでたわけじゃないけどね。

 午前様になって、寒い中、自転車を漕いでたら、頭麻痺したのかもね。

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大遠忌法要のポスター

 今日から事務所のスタッフは年末年始の休みに入った。

 ボチボチと華光誌が届いているようで、朝から申込みや変更の電話が続く。年終わりということで、変更は退会や中止が多いのは、残念ですが…。

 Rさんが、法話大会のチラシに続いて、大遠忌法要のポスターが届けてくれた。

 どうやら形は年内に完了したようだ。

 連れ合いの原画は、切り貼りした立体的なものので、そのあたりを少しでも工夫してもらった。

 さっそく、華光会館の前にも掲示。

 皆さんにもご協力をお願いします。法座で随時、手渡していきます。

Img_6727

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華光誌の発送

 寒い。

 京都市内でも、雪がちらつている。

 午後から、華光誌新年号の発送。

Img_6719_2 事務所のスタッフに加えて、京都、大阪の3名の同人が、お手伝いくださる。年4回。平日の昼間がおおいので、ある程度、顔ぶれは限られるが、同じ人ばかりにならないように工夫して声かけされている。今回は、悟朗先生より高齢の男性が加わってくださったが、あとは女Img_6724性。顔ぶれがどう変わっても女性3名が揃うと、かしましいのはいつも同じことだ。でも、作業は、手際よく進んだ。

 さて、今回の華光誌は、聞法旅行でのI先生の遺言といってもいいほどのご法話と、聞法旅行特集、それに、信仰体験記も、3名のうち2名が最終回となる。加えて、新年号恒例の年賀交換は別冊されている。それに、「2012年の行事予定」(若緑色)の3点に、3月の法話大会のチラシImg_6721が同封されている。チラシは2部以上同封しているので、ぜひ、お知り合いの方にお勧めいただきたい。

 ここでも、大遠忌仕様の封筒を、1年間使うことになっている。通常の華光会の封筒ではないので、ご注意を!

 早いところで明日、どんなに遅くても年内にはお手許に届く。

 もし読後感などがあれば、華光会までくださると、うれしいです。

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大掃除

 年末恒例の大掃除。

 今年は、当初から人手不足がありあり。仏青の若手が、地方に分散して、京都周辺が手薄になっているのだ。 しかも、みんなの日程が合わない。結局、23日と、25日の午前の2時間ずつの短期間での作業。それも、午後からの法座に合わせて、3~4名の少人数だ。でも、結論からいうと、短期での、少人数の方が、みんなよく動いて効率がいい。人数が多くて、長時間だと、逆にサボリがちになる。

 空調機(エアコン)のフィルターを掃除する。キッチンのエアコンを開けたら、蛇腹になっているフィルターに、ゴキブリが見事に挟まって死んでいる。食卓の真上で、ずっーとゴキブリ印の風を浴びていたと思うと、なんとも不衛生で、なんか気持ちが悪い。でも、知らなかったら、なんとも思わず、平気で過ごしていたのところも、何か恐ろしくもある。。

 さて、寒くて温かい風に誘われたのか、または狭いところで身動きがとれなくなったのか、はたまた寿命だったのかはわからない。しかし、こんな暗い、狭いところで、そのいのちを終えるとは、なんとも哀れである。

 でも、このゴキブリと、ぼくたちはどこがどう違うのだろう。もちろん、ぼくたちはまったく違うと思っている。もっと高級で、上等だと自惚れている。しかし、迷いを離れた真実の仏様の目からみれば、目くそ鼻くそではないのか。勝ち組、負け組と、一喜一憂したり、いじけたり、自惚れたりしているだけでが、結局、ぼくたちも、このゴキブリのように、ただ食って、寝て、こいて、食って、寝て、こいて、そして、最後は狭いベットの上で死んでいくだけである。

 もし、仏法を聴くことがなかったならばと思うと、ゾッーとする。人生は尻すぼみ、一瞬にして、あっけなく終わっていくのである。そして、また真っ暗闇の世界をあてもなく、永遠に迷いつづけていくのであるが、それもすべて自らの業が作り出すこの身と世界なのである。

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今年最後…

 今年、最後の自力整体。夫婦揃ってのレッスンも、これが最後。会場の都合で年末も早いが、新年も10日からのスタートと遅く、年末年始は、自力での体調管理が必要。

 大型店のユニクロで、セールしていたニットのセーターを買う。あいからず期日限定品には弱く、シャツやボーダーのタートルも買った。

 戻ると、新年号の華光誌が届いていた。発送は、月曜日になる。冬休みで居る子供たちとお昼を食べて、3時を過ぎてから京都シネマへ。

 小雨がばらつくが、再び、自転車に乗る。

 かなり冷え込んでいる。でも、このあたりは雪にはならないだろう。

Namaenonai_01

 ブラジル映画『名前のない少年、脚のない少女』を観る。1週間限定の初日だ。みずみずしいチラシが、気になっていた。

 ブラジルの片田舎で、あいかわらずの母親と暮らしながら、ネットの世界でつながりながらも、現実はくすぶっている男子高校生の孤独や閉塞感がなんとなく伝わる映像。でも、ストーリー云々よりも、感性で見る映画。映像や音楽は、ぼくには悪くないと思ったが、確かに退屈な映画でもある。この手の映像は、そのタッチが、こちらの感性とフットするかどうかが、かなり大きい。結構、相性次第ということになるので、ミニシアターの中に、イビキが大きく響いていたのも事実。ぼくも、前半、かなりグラっときた。 

Img_6623 5時になると、冬至を過ぎたばかりの街は、すでに真っ暗だ。土曜日のクリスマス・イブで、あっちこっちライトアップされている。

 「10年日記」を抱えて、マノアマノというカフェへ。アイスクリームを添えたスコーンを注文。ほんとうは紅茶がいいのだろうが、ここはコーヒーがうまい。今夜は、ディナーの予約で忙しいという。「お子さんにプレゼントは買われましたか」と聞かれる。お寺なので、クリスマスはやらないのだと答えると、「そうでしたね。スミマセン、スミマセン」と、あやまられた。別に、悪いことを聞かれたわけじゃなくて、ごく普通にやらないというだけ。「あの、ケーキぐらいは食べるんですか」。残念ながら、ケーキも食べない。しかし別にタブというわけではないので、頂くことがあるなら食べるし、子供たちも、お友達や学校などのクリスマス会には普通に出る。ただ、仏教徒の自覚として、我が家にはクリスマスの習慣がないということだ。間違いなく子供たちは寂しいだろうが、親としては、無駄な出費で踊らされることもなく、楽といえば楽だ。

 結局、ぼくは50年生きてきて、一度も「Merry Christmas!」と言ったこともなく、正月に初詣に行ったこともない。占いに頼ることも、日の善し悪しを選ぶこともない。それは、これからも、間違いなくそうだろう。

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久々

 久々の更新だ。

 休んでいる間に、12月の伝道研究会、刈谷市での東海支部法座、そして真宗カウンセリング研究会の月例会など法座行事が過ぎた。特に、伝道研究会は、真仮分際の項目だったが、単なる教義的な話ではなく、「自信」の信疑廃立についての厳しい領解の告白があって、とても有り難かった。詳しく述べる機を逃してしまったのは、残念だ。

 12月は、通常の華光誌の編集作業だけでなく、ぼくが版下を作っている「年賀交換」と「年間行事予定表」の作製がある。それに加えて、今年は大遠忌関係の仕事。大遠忌のホームページと、大遠忌用の封筒、そしてポスターと、3月の「法話大会」のチラシの作製などがあった。どれも、期限を厳守しないと、年内発行に差し障るので、集中して仕事を行なった。

 特に、法話大会は、初企画でかなり楽しみだ。講師依頼から、簡単な講師の紹介文などをまとめたチラシを作製し、華光誌に同封する。講師は、全員、華光会館でご法話をいただくのは初めての方ばかり7名。ひとりを除いて、40~30代の若手の先生方である。それぞれに50文字前後の短いコメントをもらったが、それだけを読んでも何かワクワクする内容。単なる一方的な教義の解説でも、上手な布教使の法話でもない。むしろ、説き手も、聞き手も、共に自己自身が問われるような法座になることを願っているが、すでにその場作りの緒には付けていると自負している。

 ポスターは、1月の報恩講で配りたい。9月の大遠忌の案内チラシは、4月号の華光誌に同封する予定で、これから詰めの作業だ。

 なお完成途上だが、大遠忌のHPは、華光会HPからもご覧いただける。以下からどうぞ。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/750.html

 前回の700回大遠忌のギャラリーもある。前回は、正確には48年前。ぼくも少々目立つ姿で、稚児行列に参加しています。いつか、写真の解説も加えましょう。

 

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ビール工場と、陶芸と、温泉

Img_6700 町内会のバス旅行。

  印刷所の最終渡しが間近に迫る華光誌と年賀広告に忙しい。本当は、ご勘弁願いたいのだが、10月の町内会行事は不義理続きの上に、今回は、ぼくの日程に合Img_6699わせてもらっている。これが、役員最後の仕事である。

 冬季ということで、いつものアウトドアとは少し異なっていたせいもあって、子供連れより、わりと年輩の人が多いようだった。

Img_6688 それでも、お菓子も、ジュースもでるし、ご馳走も食べられるので、子供たちは楽しみにしてた。Img_6685
 しかし、まだ下の子の体調はいま一つ。出発前には、奥歯が痛いと大泣きしている。なんとかなだめすかしてバスに乗せた。

 まずは、神戸にあるキリンビール工場へ。小学校以来、大人になって、初めての工場見学だー。

Img_6681 毎日お世話になっている大好物のビールなのに、結局、なーんも知らんことばかりで、こんなことでもけっこう楽しかったー。もっとも、別に材料や行程をしらなくても、うまいものはうまい。右上の写真は、1分間で缶巻詰めできる2000本のビールのほんの一部。
 左は、「ホップ」が効いているというImg_6693_2上質のホップ。割いて中もみた。

 とはいえだ。ここでのお楽しみは、生ビールの試飲でしょう。出来立ての、ラガー、一番しぼり、そして黒ビールのスタウトが飲めImg_6694るのだ。ここが選ばれたも、このためだ。ぼくは、旅先でも、朝から飲むことはないけれど、今日は特別。ただ酒で、しかも新鮮、接客も丁寧で、かなり上機嫌に。

 ちなみに左は缶ビール。3度継ぎのおいしいビールのつぎ方も習ったが、缶ビールでも、ロが入れると違うんだなー。泡が立っています。子供たちは、ソフトドリンクなのだけれど、小学生がノンアルコールビールを飲みかけて、ちょっとした騒動。アルコール、0%でも、やっImg_6710ぱりダメなんだそうなー。

 ただで飲ませてもらったからいうわけではないが、やっぱりおいしったなー。工場経学も、CM効果はあるようなー。

 このあと、丹波篠山の陶芸の里に向かうImg_6711。山道に入って、下の子の様子が変わる。どうやら炭酸系のジュースを飲みすぎたようだが、気分が悪くなって吐いて、「帰りたい」を連発。いえ、上機嫌はどこへやら。こんな時の団体旅行は迷惑もかけるし、困るんだなー。結局、楽しみにしたいてお昼も食べず、篠山の冷たい外気にあたって気分を少し持ち治してくれたが、こちらもせっかくの野菜バイキングだったのに、あまり楽しめずに、ちょっと残Img_6712念。

 それでも、陶芸教室には参加。粘土に触れるのも、ほとんど初経験だけど、ぼくは壺(らしきもの)に挑戦。うまくできたどうかは、2月に焼き上がりが送られてくるまでは分からない。傑作は先のお楽しみとして、うまくできなくてImg_6714も、おもしろかった。

 あとは、ひろい露天風呂のある温泉に立ち寄って、帰宅の途についた。

 日頃は、ご縁のないところを、ご縁のない人達と、見学したり、体験させてもらって、けっこう楽しかった。それに、町内会行事なので、子供はおやつ付きで無料、大人もかなり格安で参加できるので、お得なのにはあいかわらず弱いしなー。ただ帰路のバスでも、子供の体調が今一つで、ここだけは、疲労したけどなー。会館に戻ると、元気にはしゃいでいたので、一安心。

 ハイハイ、お疲れさまでした。

 夜には、年賀交歓の作業。できるところまで急がんとね。これこそお疲れさまです。

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喘息

  昨日から、下の子の調子が悪い。上の子の風邪が治まったと思ったが、どうやらうつったらしい。熱はないが、用心して金曜日は学校を休んだ。特に、咳がひどく、夜や朝方には一層つらそうだ。とうとう早朝、泣きながら、ぼくの布団の中にもぐり込んだ。でも、横になるとゼイゼイと、息ができない。気管支喘息だろう。ここ数日の急激の冷え込みは、大人でも順応するのがたいへんだ。からだを起こし、背中をさすりながら、気分を紛らわすようにいろいろ話をした。そのうち、「お父ちゃんも、同じやったんやで」と、ぼくの子供の頃の話をした…。

 ぼくも、小学生から中学生にかけて同じ病気で苦しんだ。不思議なことに、ぼくの喘息は夏にしかおこらなかったが、毎年のような風物詩(?)で、一端始まるとずいぶん長引き、ひどかった。

 あれは、4年か、5年の時だったか。10日間の九州旅行の帰り、大型のカーフェリーの中でひどい咳で苦しんだのが、最初だ。疲れや過冷房で悪化するようだ。同室の方にも迷惑をかけると、父が付き添って、二人でデッキに出た。まだ薄暗かった。海面から朝日が登る景色を、静かに二人で眺めていことこを覚えている。子供心にも、迷惑をかけていることは分かった。しかし、いま考えると、子供が想像できる親のご恩など、所詮、自分が生きてきた年数分の範囲の、ほんの小さな小さい枠でしかないことも分かる。法座を兼ねながら、福岡、大分、熊本と、父はドライブしてくれた後だ。大阪についても、また京都までの運転がある。眠れず、ずいぶんつらかっただろうし、心配もかけただろう。しかし、子供のぼくには、自分が苦しい時は、相手のことなど気づかうことは出来ないのだ。ほんとうに、「親思う、心にまさる、親御心」。これは、いまも同じ。いくつになっても分かることのない、大きく、広く、深いご恩徳があるのだ。

 ただ、大きな親の慈愛に包まれていたことは、いま振り返っても、ただただ有り難い。

 息もできないほどの咳は、横になるとゼーゼーと苦しい。頭を高く、上半身を起こすだけでも楽になる。しかし、眠くて眠りかけると、「コンコン」と激しくる。ノドは痛く、咳のたびに腹筋や節々がいたくて眠れない。夜には、不安が強くなって、ますますひどくなる。大袈裟ではなく、呼吸困難でこのまま死んでしまのではないかと不安が、小さな子供心を覆ったのだ。

 しかし、そんな不安な時ほど、親の存在がどれだけ大きく安心だったことか。母親のやさしさはもちろん、父の存在も絶対だった。威厳があり、怖い存在の父だが、同時に、慈愛のあるまなざしで、背中を、大きな手でさすってくれるだけで、安心し眠りにつくこともできた。親が側にいてくれる。そのプレゼンスだけで、言い知れぬほど大きな安心感があったのだ。

 虚弱だったために、両親には、迷惑や心配をかけてきた。今のような気管をひろげる貼り薬もなく、咳止めもあまり使えないで、安静を第一に、民間療法と自然治癒力で対応していたように思う。体質を変えるために、痛い整体や熱いお灸などの東洋医学にも連れていってもらった。大阪の治療所では、あまりの痛さに大粒の涙が出た。あまりに痛そうなのをよく頑張ったと、このあと、インターを出たところにあったレストランで、ハンバーグを食べさせてもらったことを覚えている。その時、ぼくのからだを観た整体師が、「この子の骨格なら大丈夫です。もう少し体力が付くと必ずおさまります」と言われた。確かに、大人になるに連れて、症状は出なくなった。たまに、ひどい風邪から、咳がひどくなることも数回あったが、いまはもうない。

 今日は、近所の医者に連れていった。やはり気管支喘息だと言われたが、貼り薬と、咳止めをもらった。今のところは、それほどひどくない。ゆっくり養生したら、明日の町内会のリクレーションには参加できるだろう。それを楽しみに、今日は賢く安静にしている。

 結局、彼女は、ぼくが受けてきた大恩の深さと、同時に、虚仮不実のわが身を教えてくれている天使(真実を伝えてくれる天の使いを仏教でも使われる)なのであろう。南無阿弥陀仏

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百カ日法要

 少しだけ遠出で、百カ日法要にでかける。ちょうどご命日から百日目という区切りである。百日目が仏教的にどんな意味があるかは、諸説があるようだ。ネットで検索すれば、浄土真宗の立場を説明してくれるサイトもある。

 百日だろうが、1周忌や50回忌であろうが、ぼく自身が臨む姿勢は同じで、お伝えすることもひとつだけだ。

 ご一緒に声に出してお正信偈をあげ、ご法話を聞いていただく。もし質疑や感想をいただけるのならありがたい。故人の思い出を、全員の一言ずつお願いしたりもあるが、けっこう苦手だと嫌がられる方もある。立派なご挨拶をしなければ、構えられるのである。

 これまで仏壇もなく、手を合わせたり、読経される機会も少なかったご家庭だったので、浄土真宗のイロハから初めている。話したいことはたくさんあるが、欲張っても伝わらないだろう。「浄土真宗の法事は、単なる故人を供養するのではなく、このご縁を通して、生きている私が南無阿弥陀仏のみ教えを聞かていただく。そして、私とは何か、何のためにいのちをいただいたのかが、お念仏に会えば必ずわかる。そのご縁をいただく場です」といことは、必ずお伝えする。そして、手を合わせられたら、「必ず、口に出して南無阿弥陀仏とお念仏してください」とのお願いする。すると、最後には、小さくても、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」の声が聞こえてくる。もっとも、しばらくぶりにいくと、冒頭は声がなく、最後には「南無阿弥陀仏」となる、その繰り返しだが、勤行といい、お念仏といい、これまでお育てがなかっただけだ。それが、今、ほんのわずかでもつながったのである。ほんとうに微力だが、大切にお取り次ぎするだけである。

 今回は、過去帳を預かったので、1月のご正忌報恩講のご満座に、お参りくださることになったのは、うれしい。まずは、関心をもってくださる方からである。

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高山報恩講法座

Img_6658 週末の高山支部法座は、恒例の報恩講だ。

 12月は大雪の時もあったが、今年は当地もわりと温かい。F家の裏手を流れる宮川も、冬の太陽で輝いていた。

 お逮夜には、子どもたちも10名は参加していた。小さな子供たちが、長い正信偈のお勤めに、正座で座っている。これからの仏の子供大会が楽しみだ。そImg_6649の後は、恒例のお斎。山の幸が一杯並ぶ。手間ヒマかかったものばかりだ。インスタント流行りの中で、和の味付けといい、いちばんの贅沢かもしれない。まあ、料理に関しての詳しくは、他のプログを参照くださいな。

 ご法話は、三座。報恩講にちなんだもの。

Img_6650 テーマは、「恩」「五逆」(大恩あることを知らず、大恩なるものを逆らう)で統一した。

 夜は、初参加の方もあったので、三帰依文の「人身受け難し、いま已に受く。仏法聞き難し、いま已に聞く…」の、まずは出発点である「人身」のところを味わった。そこから、『子供の聖典』の内省の世界・三角の図に展開して、なぜ、いちばん底に「仏様」(地獄)なのかをお話した。座談になって、「これまで、両親に頭をさげて、産み、育ててくれたことを、本気でご報謝した方はありますか? 先生はどうですか?」と尋ねられた。いや、恥ずかしながら、記念日などの軽い言葉かけならともかく、ほんとうに頭をさげたことはないな。と思っていたら、そうでもなかった。たった一度だけだが、本気に御礼を申し上げたことがあった。そう、お念仏にあわせてもらった、あの時だ。でも、それは自分の力ではない。お念仏の他力の力で、頭をさげずにはおれなかったのだ。ほんとうにご恩知らずの自分を知らされるだけである。人間に生んでいただいき、養育を受けなければ、この尊い仏法も聴くことはできなかったのにだ。

 朝座は、聞法旅行でも触れた、親鸞聖人のご恩徳。特に流罪のお心である。誰が、念仏停止、聖人を流罪にしたのか。「南無阿弥陀仏ひとつぐらいで救われるはずはない」の仏敵の心以外はないのである。

 ご満座は、正信偈の帰入一味の信徳。これは、凡夫も、聖者も、そして五逆の者も、仏法を謗る者も、廻心し、斉しく本願海に廻入ならば、海のうしおに一味となる、本願の広大さを讃えられると共に、ご信心に具わるお徳の称讃である。そう、けっして、心を入れ替えて善人になるのでも、自ら信じられるようになるのでもない。ただ、この私こそが本願に漏れた、五逆の罪人、大恩なる如来の反逆者であると、ほんとうの身をほんとうとお知らせいただくことが、廻心のお心である。

 

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カレー臭

   高山法座を終えて、帰宅。夜10時を回っている。

 2階の道場に行こうと階段を上がると、カレー臭がしてきた。けっして加齢臭ではない。

 ああ、今日は成道会だったんだと改めて思い出させられる。華光会館が創建され、日曜学校が始まって以来の恒例行事だ。

 今年は、町内会行事の関係で、高山法座と重なってしまって、参加出来なかったのは残念だ。人数はすくなくなったが、初めての方や滋賀県からも子供さんを連れての参加があったらしく、それなりの参加者があったようた。

 食堂になった教室も、いまは元通りきれいになっている。そこには、カレーライスを食べた痕跡はもうなに一つないのに、30名以上が会食したその臭いだけは、10時間後でも、しっかり残っているだ。

 まさに薫習なのである。

 いくら払っても払っても、またきれいに外を飾っても、無始以来の泥凡夫に染みついた煩悩が簡単に抜けるわけがないのだ。凡夫が菩薩になり、仏になっていく過程には、三阿僧祇劫という計り知れない時間がかかる。まず一阿僧祇劫かけて情の煩悩を消滅し、次ぎの一阿僧祇劫かけて知の煩悩を消滅して、すべての煩悩を完全に消滅して清浄になっても、まだこれまでの習気、つまり煩悩臭さが抜けきっていないので、さらに一阿僧祇劫の長時をかけて、その余臭までをすべて消し去り、最後に百大劫かけて仏身を荘厳していくのだそうだ。

 それが、わたしたちは、南無阿弥陀仏のお働き一つで、不断煩悩のまま即涅槃で、この命終わったなら、即に仏果を得るというのであるから、不可思議としかいいようがない。

Img_6674 どうも高尚な話になりそうだが、高山でもカレーを食べていたという話をするつもりだ。

 法座が終わって、いつも夕食をご馳走になる。和食やイタリアンだったり、中華だったりと、参加Img_6673メンバーによって、変わることもある。今夜は、後泊組も含めて、なぜかインドカレーを食べに行くことになったのだ。

 店の名は、マハルである。有名なタージ・マハルの「マハル」で、宮殿という意味があると聞いたことがある。ところが、お店の人はインド人ではなく、ネパールの方だ。しかし、ネパール料理ではなくて、やはりインドカレーとして売り出している。

Img_6676 巨大なナンが出て行くる。ぼくは、ダル(豆)とほうれん草のベジタブルカレーにした。料理人がネパール人なら、きっとダルがおいしい。ピールは、ネパールの銘柄ばかりだ。カトマンズで飲んだエベレストの銘柄にしたが、別のものも飲んだ。

 壁には、ヒンドゥーの神々のけばけImg_5733ばしい絵が飾られいるが、座った席は、釈尊生誕の地、ルンビニー園のポスターだった。そういえば、8月の東京支部の法座の時も、インド料理店と称して、やはりネパール人が店を構えていたが、そこにも同じポスターがあったので、東京のものを借用しよう。ナンが巨大であるところも共通している。サラダにしてImg_5735も、何もかも大盛りで、6名いたが、3人前で頼んでもまだ余っていた。

  成道会のことは忘れていたが、潜在の意識でカレーのことがあったのか、高山でもカレーを食べて帰ったら、会館もカレー臭だったのは不思議だったなー

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大遠忌に向けた仕事

 華光大会以降、忙しくしている。

 華光誌があるのと、役員改選の作業があったからだが、加えて、9月の聞法旅行(越後聖跡巡拝)以降、大遠忌関連の事業が動きだしたからだ。それでも、聞法旅行や東京講習会は、例年の行事と遜色ないので、いつもの要領で動けた。1月の報恩講も問題はない。問題は、それ以降、3月の法話(布教)大会と、9月の大遠忌法要法座である。

 3月の法話大会は、これまで華光会でご法話をいただいたことのない初縁のご講師を8名にお願いして、講師陣もほぼ確定した。かなりの人にお声をかけたが、誰も好感触で力をもらった。ただ日程の都合もあって、7名+1名(エントリー枠)に決まった。ここ数日は、案内チラシのために、ご講師の簡単な紹介やコメントのお願いをしている。これもだいたい集まってきた。詳しくは、またお知らせするつもりだし、広報活動として、ここにも書いていこう。

 また、大遠忌の広報活動のために、ポスターやチラシを作ることにしているが、9月のメーンの内容がなかなか確定しなかたったので、ずれ込んでしまった。ほんとうは、華光大会に間に合わせたかったが、いまは1月の報恩講を目指している。明日、高山の法座の前にTさんと打ち合わせをして詰めることになった。ほかにも、懸案となっていた、タイムスケジュールも、打ち合わせたい。そして、大遠忌に合わせた封筒も作製したし、大遠忌HPも、いつでも立ち上げられるところまでこぎつけた。このあたりは、どうにかメドはたっている。

 9月の大遠忌の仕事は、ほんとうはこれからだが、いろいろなことが、少しずつ確実に詰まってきた感はある。募金も順調だ。

 結局、一般行事同様に、会館の事務所で、大遠忌の事務局の仕事をすることになったが、やる以上はよい物を目指したいと、事務所は一丸となってやってきたのだ。ところが、ここにきて難題が起こる。正直、たいへんな痛手だ。しかし、将来ある門出は、快くお祝いしてあげたい。

 来年、1月以降、何かと困ることも多々起ころう。同人の皆様にもご迷惑をかけるだろう。それでも、結局、ぼくができることは、確実に速やかにやっていくしかないという、当たり前のことを改めて感じている。

 そして、皆様方の一層のお力添えをお願いすることになるだろうが、その節には、どうぞ、よろしくお願いいたします。

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アメリカ土産

 連れ合いの留学の下見を予て、アメリカのサンフランシスコ、バークーレを訪れいてた子どもたちが、久しぶりに日本に帰って来た。

Img_6624_2 主に長女が撮影した写真もみせてもらう。どんなことに興味があるかがよく分かる。観光地よりもスーパーやお店がかなり珍しかったようだ。そして、訪米の日々綴った旅行記だが、これが大作で、簡単に読めそうにもはないので、これから読むのがり楽しみだ。下の子は、簡潔で、絵が多く混じっていた。

 お土産があった。お菓子やコーヒーと一緒にImg_6629ハンティング帽やキーホルダーを選んでくれた。ほかにも、簡易マッサージ機やサンフランシスコの置物もくれた。ありがとう。

 でも、一番の土産は、二人の元気な姿と、笑顔だなー。

 離れていると、しみじみと身に沁みてくる。

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