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一周忌と五十回忌と、日高支部法座

 日程の都合で、日高支部法座の前に、京都の同人宅の一周忌法座へ。

 親戚の方に、妙な遠慮をせずに、お念仏を進めようという家人の姿勢がうれしかった。別に確固たる信仰をもっている方は稀で、ほとんどが無宗教という名の先祖供養の目的で手を合わせておられることが多い。どうせなら、お念仏の意味をお伝えして、共に声に出して称名念仏申す機会をいただくのである。

 法衣姿のまま、豊岡市の日高に向かう。昼食を挟んで3時間ほどで到着。夜座までの間、偈文で、月忌のお参り。初日に5軒、翌日、帰宅するまでに3軒の8軒をお参り。法座は、夜と、朝の2座のみ。高齢や病気の方が増えて、夜の参詣者が少なくなったが、それでも、亡くなった故人をご縁にして、初参りの方もあった。なるべく平易な法話に勤めて、三毒段をの現代語訳で、お経の意味、大悲の仏様の目に移った私の実相をお聞かせにあずかる。法事も、勤行も、死者や先祖の供養ではなく、生きている私を指し示す教えであり、私がお聞かせに預かることを強調したが、反応はそれなりにあった。

 翌朝も、1軒お参りをすませて、会場移しての法座。9月に当家の母親の50回忌が勤まったが、父が勤行できなかったようなので、代わりに正信念仏偈を勤行した。法話は、三毒段の続きで、最後は、大悲のお心に触れてもらった。

 三毒段に触れなくても、ここでは、老苦、病苦、愛別離苦の四苦八苦の生きたご説法にあえる。訪問して、勤行をして、近況を語り合うだけだが、短い時間にも、心が通じる気がして、ともに人生の苦を通して念仏を喜びあえるのが尊かった。

 支部法座では珍らしいことだか、二日間、法衣姿でとおした。これもまた身が引き締まってよかった。

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