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訃報

 先の記事に触れたが、日高支部法座では、法座の合間に、月忌参りをしている。同人宅が密集しているの出来ることなのであるが、一つは、高齢になって、お参りが難しい方が増えたからだ。

 だいたい、希望者が決まって来ているので、コースも時間もだいたい同じ。今回は、お留守(実はおられたが、若い方が不在で聞こえなかった)だったので、一人で上がって、勤行をすませた。ご法礼はあったが、勝手にもっていくわけにもいかず、別の家を回って再び寄ると在宅中。今度は、一緒に、勤行。次ぎのお宅は、独り暮らしでまだお留守。ディ・ケアーの日で、送迎の都合でもう少しかかりそう。

 その間で、九月に一人息子さんが急死された古老宅へ。最近、四十九日が済んだばかりだという。ふとしたきっかけで病気が発見されて3ヶ月、まだ50代半ばにして亡くなった。高齢の母親に配慮して病気も知らせなかった。将来を嘱望された東京の有名私学の大学教授に就任れたばかり。お子さんはうちの子と同じ学年だ。さぞかし無念であったろう。子供大会にも参加され、大人になってから聞法されたこともあるのだが、強信な母親のお念仏のお心は、どこまで通じていたのだろうか。その一点が、いちばんの心残りだ。

 初日の昼に5軒、翌朝は法座までに1軒、法座の後で、2軒のお参りした。

 最後の1軒を除くと、全員、旦那さんを亡くされた高齢の方であり、その半数が、息子さんを亡くされている。

 そのうちの1軒。独り暮らしで、いつも大歓迎くださる。大事故や体調不良の時もあって、不在の時もあったが、今日はお元気。あっちこっちに故障を抱えていて、老苦、病苦の身を嘆きつつ、お念仏に帰っていかれる。少し時間をとって、近況をお聞きする。立派な仏壇に託された思いを聞く。帰り際、両手を取って、「勿体ないです。南無阿弥陀仏」とお別れした。「来年3月の時には、また寄せてもらいますね」といった。

 そしてその2日後。

 「Mさんが亡くなりました」との訃報が届いて、耳を疑う。

 あっちこっこち痛いと言いながらも、お元気で迎えてくださったのに。

 「次ぎは、3月ですね」という約束は、所詮、この世の世迷い言だった。

 老婆の身をかけて、「次はないぞ」との無常の催促に、念仏申すのみ。

 弔電に、ご家族の方に、ぜひ仏法聴聞をとお願いした。

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