仏青大会
10月の体育の日の3連休は、恒例の仏青大会だ。
今回は、準備段階からつまずいて、講師依頼も後手後手に回って、他の先生のご都合がつかなった。確かに過渡期であるのを差し引いても、参加者はかなり少なくて、やっと二桁を超えた程度。それも出入れもあって、最終日には一桁台になった。結局、分級座談会に分かれることもできず、1グループで終わった。人数だけみれば、「大会」としては、かつてないほどお寒い状況だった。
しかし、強がりではないが、何も人数だけで仏法の繁盛があるのではない。
あくまで信、未信の沙汰をし、ひとりでも信に目覚めることが仏法の繁盛であるのだ。
では、その中味はどうだったのか。
ところで、光明の働きには、照育し、照破し、そして照護されるという、3つの立場がある。照破のところが一念の働きなのであるが、それまでには、光のぬくもりに温められて育てられるということもある。
時間をかけて、お育てをいただく時機もたいせつだということです。
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