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東京講習会終わる

Img_6256 楽しみにしていた東京講習会も、あっという間に終わった。お世話の皆さん、東京支部の皆さん、ありかとうございました。

 750回忌大遠忌を記念しての第2弾は、関東の地での「正信偈」の講義を企画した。

 いつも見慣れた会場も、敷居が外れ立て、会場一杯に机がぎっしりと置かれて、満堂。定員をオーバーした参加者があったが、東京支部以外の参加者も多かった。また何年ぶりかにお参りくださる懐かしい顔もあったが、これも世話役の皆さんのご尽力のおかげてあるImg_6265_2。質疑や感想の時間も設けていたが、やはり講義が中心なので、皆さん全員に発言をいただけなかったことなど、今後は改善の余地もあろう。

 ちょうど1年前に企画した段階では、五分五分だった悟朗先生の出講も、今年の6月以降、月1、2度のペースでの出張講義も復活し、母の付き添いもあるが、地方の宿泊法座にも出席できるまでに回復されている。それでも、東京は遠い。いつもの昼夜逆転した生活ペースとは違い、早朝(といっても10時前だが)からの出発で、しかも自動車ではなく、新幹線での移動だったので、多少は心配していたが、2日間、最後までとても元気で、講義をいただけたことが、何よりも有り難かった。夜の懇親会では、ぼくよりも、遅くまでに談笑されていた。

 さて講義は、「正信偈」の総説と、帰敬表宗、『大経』に基づいて、阿弥陀仏の救済と、釈尊の教化を讃歌された「依経段」を中心に行なうことにしてた。ただし、二人で交互に講義を行なったために、時間配分がうまくいかず、「信心(念仏者がうける)の五徳」の途中で終わって、「依経段」が最後まで進まなかったのは残念だった。というのも、途中から、詰め込んで、一方的にプリントに沿って行なうよりも、皆さんへも逆質問をしながら進めていくやり方に切り換えたので、多少、時間もかかったが、それはそれなりによかったのではないか。

 たまたまネットをご覧になった高齢の初参加者の方が、休憩時間にご挨拶においでになって、「自分ひとりで先に行くのではなく、皆さんを待って、引き上げながらの進行が、とてもすばらしい」とお褒めくださった。この方は、悟朗先生が、「唯除は、実除か、仮除か」というところで、「体験的には、私は絶対に救われない。お救いから漏れた(唯除された)地獄一定のいたずら者だという味わいなしに、真のお救いはない。教義的には仮除でも、私の上ではこれは実除なのです」と断定されたお話に、「これを聞かせていただけたでけも、満足です」と喜んで帰っていかれた。きっと深いご因縁のある方なのだろう。

 テキストは、いまから約36年前に、悟朗先生が作製されたプリントで、元々は1月1回の聖典講座(当時は婦人講座)のテキストだったものだ。それを2日間でまとめていただくのも、体系的に正信偈に触れていただくという意味でも、意義があったように思える。一句一句の言葉の意味だけでなく、その句の全体での位置付けを、常に意識してもらないがら、講義を進めていたつもりだ。

 ちなみに、プリント作製の36年前とは、悟朗先生が50歳。いまのぼく自身の年齢だということが講義の途中で分かって、なんとも感慨深かった。

 また20年前の講習会では、「依経段」を1回、次ぎの「依釈段」を2回の合計3年(3回)に分けて講義されているが、可能ならば、今回も、この続きを継続して行ないたいと思った。皆さんのためというより、一番、ぼく自身のためになるからだ。

 追記:正信偈講座の記事。あの「ナン」の記事以来、東西南北の四方でのブログ揃い踏みがあるのではと期待してます。あともう少しだけとと書くと、プレッシャーかなー。余談ですが…。

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