« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年10月の16件の記事

福山法供養法座

Img_6277 広島支部法座は、広島市か、以前は三原市でも法座が開かれていた。今年になって、岡山駅にも降り立つご縁が生まれたが、今回も通過するだけの福山駅に初めて降り立った。福山駅前の福山城は停車時に眺めるだけだっImg_6274たが、ほんとうに線路を隔てたすぐ側に立っていた。時間の都合で、外から眺めただけだが、次回は、少し散策もしてみたい。

  華光同人Sさんのお姉さん宅に向かう。ちょうど1年前に、ご主人を亡くされで、今日が、1周忌法要。浄土真宗のご門徒なので、お手次ぎの寺院の法要がある。しかし、法要のあと、短い世間話のような法話がある以外は、会食で解散というのでは、勿体ない。というわけで、Sさんが、ご兄弟や親類の方にも、なんとかご縁を結んでもらいたい一心で、法要の後の法話会を設けてくださったのだ。それで、初日は、親類の方のみで、2日目のSさんのお友達や地元同人と、いつもの広島支部同人も交えた法座を企画された。

 しかしながら、参列の皆さんにとっては、変な話だろう。朝からご法事があり、お墓に参り、会食が終われば、1周忌の法事はすんでいる。それが、その後、別のお坊さんがきて、勤行と法話会があると言われても、関心のない方も多かろう。結局、ぼくが来てから、お帰りになる方もあって、残られたのは、関西からここにお泊まりになる、亡くなったご主人側のご親戚の方が中心となって、なんとなく妙な雰囲気である。それでも、ご一緒にお正信偈をお勤めし、1時間ばかり分かりやすいご法話に勤めたが、どうせなら最後の方は、しっかりとお取り次ぎさせてもらった。その後、大きな反応はなかったが、まあ、これは仕方がない。

 むしろメーンは2日目の朝と昼座。20名ほどの参加者の中は、Sさんのお友達や親類、そして久しぶりの元同人の方が半数以上で、常連の支部の方も、ちょっといつもと様子が違う。 2座に渡って大経の「三毒段」を輪読。如来様の大悲の眼でご覧になられた私の哀れな実相である。これが2500年前に説かれたことに驚かされる。年月がたっても、私の迷いの実態-欲と、怒りと、愚かさに支配され真実を求める心すらない迷い私の内面が、見事にあばき出されていく。結局、どれだけ社会や文化が進歩したように見えても、人間の迷いの姿は何も代わっていないということである。

 座談になって終了間際に、予想外の展開。もともと当家の喪主であるSさんのお姉さんご縁を願われたことである。Sさんも、お姉さんも、長年、善人になる新興宗教に熱心で、感謝の日暮らしを送っておられた。それが、Sさんが浄土真宗に出会われて、相当長い年月が経つが、お姉さんは、浄土真宗のご縁はほとんどない。だから、気分は、「阿弥陀様に感謝している、有り難い」と喜んでおられても、どうも善人志向の今生事である。しかし、感謝の日暮らしや善として生きることは悪いことではないし、もし普通の門徒さんなら、それでも通用するだろう。しかし、ここは後生の一大事の解決の聞法の場だ。いくらこの世で感謝が出来て、善を積めても、死んでいくとなるとすべて虚仮雑毒の善なのである。

喜んでおられるお姉さんに、なんとかそのあたりを聞いてもらいたいと、皆さん、アプローチされるがなかなか埒があかない。すべて感謝に展開されて、吸収されるからだ。

しばらく様子を窺っていたが、相手は、高齢の方でもるある。難しいところだが、あえて一言話せてももらった。「そのお念仏や感謝で大丈夫ですか。ほんとうに、私ひとりのご苦労、私ひとりの阿弥陀様と喜べますか」と。すると、やはり、そこが不安だというわれた。後生も、「私一人」と問われると、薄皮一枚不安があるというのである。

Img_6273 仏壇の上には、長年、信仰されていた新興宗教の教えが掲げてある。先祖を大切に、夫婦が敬愛しあい、神をまつり、世の為、人の為に感謝の日暮らしをしていく。要はそんな内容だ。言うのはやさしいが、実践するとなると難しい。同時に、いくら実践できても、所詮、今生の事で、迷いを超えていくということはないのである。厳しいことだが、ここをハッキリとお話した。「南無阿弥陀仏に出会ったなら、今生の実践(俗諦門)は、所詮、生き方で不要です。それより、後生の解決をして、二度と迷わない仏にさせてもらわないと空しいのです。今日を限りに、この額を外してください。そして、南無阿弥陀仏一つを、私一人のご苦労であったと日々聞いてください」、と申し上げた。何十年も正しい行い、喜んでこられたのである。確かに、この世の生き方だけなら、これも大切なことだ。ぼくも否定する気持ちはない。しかし、焦点は後生の解決なのだ。迷いを離れて仏にならせていただくのであるなら、これはまったく今生事。厳しいことを話したが、帰りの玄関さきでは、強くぼくの両手を握って、涙ながらに、「実は、南無阿弥陀仏が私一人ということろが、分からなかったのです。そこを知らせていたきだました」とおっしゃっている。あてにしていたらご親戚の方は欠席されたが、もともとこの方のご縁の集いであった。慎重にだが、ハッキリとお伝えするすることはお伝えせねばならないことを、改めてお知らせいただいのである。

尊いご縁でありました。南無阿弥陀仏。

|

誓願一仏乗

 10月の華光誌輪読法座。

 「750回大遠忌に思う」と題した「巻頭言」と、「聖教のこころ」を輪読した。

 念仏成仏これ真宗
  万行諸善これ仮門
  権実真仮をわかずして
  自然の浄土をえぞしらぬ

 聖道権仮の方便に
  衆生ひさしくとどまりて
  諸有に流転の身とぞなる
  悲願の一乗帰命せよ
          『浄土和讃・大経讃』

 「念仏成仏これ真宗」といわれる、この真宗とは、単なるセクト、宗派の名ではない。他力の念仏一行のみで、凡夫が、最高の浄土に往生し、弥陀同体の仏果を得る真実の教えを、真宗と名付けられている。それに対して、聖道・自力の教えが「万行諸善」。本来、釈尊の仏教の正統である修行し、諸々の善を收める仏道を、真実に至るための仮門とされた。

 それで、真宗者は、簡単に19願や20願と貶める。もちろん、それらは18願のおこころからみれば、阿弥陀様のご本意ではない。しかし、別に「万行諸善」自体が貶められるものではない。なぜなら、これは法蔵菩薩様のご修行にほかならないからである。

 しかし、それがいま、この私が自ら歩みべき時機相応の教えであるかどうかだ。「おのれが分を思量せよ」と親鸞聖人がおっしゃったが、この末法の世、五濁悪時悪世界において、しかも、極悪低下の泥凡夫の私自身の物柄を知らされたならば、いつまでも方便に留まっているわけにはいかないのだ。

 その権実真仮の廃立をしっかりお聞かせに預かる。なぜ、ご本願が起ってきたのか。つまり十八願のおこころを心得ることこそが、肝要だ。そして、末法悪世の凡夫が、迷いを離る唯一の道である、悲願の一乗、南無阿弥陀仏一つに乗じ、速やかに帰命せよという、聖人の教勅に従っていくのである。

 「誓願一仏乗」である。阿弥陀様の誓願によって成就された南無阿弥陀仏こそが、最高の修行と、最高の善として回向れれるものであって、それは生けるすべての者を平等に成仏せしめる絶対唯一の乗り物、教法なのだというお示しなのである。その最高の乗り物以外に、いまの私は、決して成仏できないのである。外道の偽の教えでも、聖道門でも、また浄土内の19願や20願でもない、。その権仮方便の教えの真仮を聞き分けることなく、無駄な自力的な聴聞に捕らわれて、永々と流転輪廻を繰り返しいる時間はないのである。

[『三帖和讃講義』上巻(白馬社刊) 99~101 頁を参照のこと]

|

決算

 福岡から会計士のY先生が来館されて、今年度の決算と、来年度の予算の検討。今年も、来年も、親鸞聖人750回大遠忌法要の浄財募金と、その記念事業が話題になる。

 おかげさまで、今年の7月以降に始めた募財は、今年度分は、その目標額に達して、来年も、もしこのペースが続くなら、予想額を上回ることもありそうだ。

 越後のご旧跡巡拝、東京での「正信偈」講習会、11月の華光大会を経て、来年の1月ご正当報恩講、そして、3月の法話(布教)大会、さらに9月の大遠忌法要へと事業は続く。

 加えて、「正信偈」等の出版事業や、空調機の交換などの修繕事業もある。

 個人的には、来年度は大台にのり、それでいて、想定外の変革の年にもなるのだが、それはそれで、あとは余りの人生。ほんうとにやりたいことを、大切なことをやらせてもらっていいのかもしれないとも思えてきた。

|

東京講習会終わる

Img_6256 楽しみにしていた東京講習会も、あっという間に終わった。お世話の皆さん、東京支部の皆さん、ありかとうございました。

 750回忌大遠忌を記念しての第2弾は、関東の地での「正信偈」の講義を企画した。

 いつも見慣れた会場も、敷居が外れ立て、会場一杯に机がぎっしりと置かれて、満堂。定員をオーバーした参加者があったが、東京支部以外の参加者も多かった。また何年ぶりかにお参りくださる懐かしい顔もあったが、これも世話役の皆さんのご尽力のおかげてあるImg_6265_2。質疑や感想の時間も設けていたが、やはり講義が中心なので、皆さん全員に発言をいただけなかったことなど、今後は改善の余地もあろう。

 ちょうど1年前に企画した段階では、五分五分だった悟朗先生の出講も、今年の6月以降、月1、2度のペースでの出張講義も復活し、母の付き添いもあるが、地方の宿泊法座にも出席できるまでに回復されている。それでも、東京は遠い。いつもの昼夜逆転した生活ペースとは違い、早朝(といっても10時前だが)からの出発で、しかも自動車ではなく、新幹線での移動だったので、多少は心配していたが、2日間、最後までとても元気で、講義をいただけたことが、何よりも有り難かった。夜の懇親会では、ぼくよりも、遅くまでに談笑されていた。

 さて講義は、「正信偈」の総説と、帰敬表宗、『大経』に基づいて、阿弥陀仏の救済と、釈尊の教化を讃歌された「依経段」を中心に行なうことにしてた。ただし、二人で交互に講義を行なったために、時間配分がうまくいかず、「信心(念仏者がうける)の五徳」の途中で終わって、「依経段」が最後まで進まなかったのは残念だった。というのも、途中から、詰め込んで、一方的にプリントに沿って行なうよりも、皆さんへも逆質問をしながら進めていくやり方に切り換えたので、多少、時間もかかったが、それはそれなりによかったのではないか。

 たまたまネットをご覧になった高齢の初参加者の方が、休憩時間にご挨拶においでになって、「自分ひとりで先に行くのではなく、皆さんを待って、引き上げながらの進行が、とてもすばらしい」とお褒めくださった。この方は、悟朗先生が、「唯除は、実除か、仮除か」というところで、「体験的には、私は絶対に救われない。お救いから漏れた(唯除された)地獄一定のいたずら者だという味わいなしに、真のお救いはない。教義的には仮除でも、私の上ではこれは実除なのです」と断定されたお話に、「これを聞かせていただけたでけも、満足です」と喜んで帰っていかれた。きっと深いご因縁のある方なのだろう。

 テキストは、いまから約36年前に、悟朗先生が作製されたプリントで、元々は1月1回の聖典講座(当時は婦人講座)のテキストだったものだ。それを2日間でまとめていただくのも、体系的に正信偈に触れていただくという意味でも、意義があったように思える。一句一句の言葉の意味だけでなく、その句の全体での位置付けを、常に意識してもらないがら、講義を進めていたつもりだ。

 ちなみに、プリント作製の36年前とは、悟朗先生が50歳。いまのぼく自身の年齢だということが講義の途中で分かって、なんとも感慨深かった。

 また20年前の講習会では、「依経段」を1回、次ぎの「依釈段」を2回の合計3年(3回)に分けて講義されているが、可能ならば、今回も、この続きを継続して行ないたいと思った。皆さんのためというより、一番、ぼく自身のためになるからだ。

 追記:正信偈講座の記事。あの「ナン」の記事以来、東西南北の四方でのブログ揃い踏みがあるのではと期待してます。あともう少しだけとと書くと、プレッシャーかなー。余談ですが…。

|

四十九日法要と、入仏式

 平日だったので、夜から、四十九日法要。法要に先駆けて、新しく仏壇を購入されて、南無阿弥陀仏のご本尊を、当家にお迎えする入仏式も行なってきた。

 世間一般では、「お性根入れ(抜き)」とか「お魂入れ(抜き)」とか言われて、たまに「引っ越しをするので、お魂を抜いてください」といった依頼があったりもする。中には、引っ越し業者から「罰が当たるので、お寺さんにたのんでおいてください」といった依頼があったという人もいた。しかし、これは、断じて浄土真宗の作法にはない。人間が読経して、仏像に魂を入れたり、抜いたりするようなことはないのだ。あくまで、わが家に中心に、ご本尊(阿弥陀如来)をお迎えし、その阿弥陀様のお徳を讃える、いわば「慶びの法要」だといっていい。

 もうひとつ、かなり以前のことだが、日曜学校で、お仏壇を作ったことがあった。子供たちがそれぞれの力作で、マイ仏壇を作り、その阿弥陀様に毎日、手を合わせることから、1日が始まり、1日が終わるようにと話した。ところが、文化教室をご縁にしていた保護者から、反発があった。「わが家は、まだ死者が出ていません。それなのに、こんなものを置くのは縁起が悪い、死者が出る」、とたいへんな剣幕で返しにこられたのだ。

 一般の方にとって、お仏壇とは、その家に死者が出て、その方が先祖となり、仏壇に入り、見守ってくださるのだと考えられている。先祖代々で仏壇を引き受けた本家でなければ、仏壇かないのである。だから、仏壇は死者が出た時、位牌をおまつりし、先祖となり、仏となった故人の霊を弔うのであって、その霊を供養するために手を合わせ、読経するというのが、一般の考えなのだろう。

 仏壇やお墓、葬儀や法要に関しては、とにかくお釈迦様の真精神から外れた迷信や俗信が幅を効かせている。もしかすると、浄土真宗以外のご宗派の中には、そう勧められる僧侶もあるのかもしれないが、決して、お釈迦様の教えではないのである。

 予てご相談があったので、名号本尊をお勧めしておいたが、ご本尊は「南無阿弥陀仏」の六字尊号と、両脇には「帰命尽十方無碍光如来」と、「南無不可思議光如来」の十字と、九字お名号様が安置されていた。

 これからは、このご本尊を中心に、手を合わせることから一日が始まり、合掌礼拝で一日終わる。信は荘厳より生ず、といわれるが、ここが我が家、ひいては私の中心になってくださるのである。ご本尊をお迎えし、静かに両手を合わせ、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と合掌・礼拝をすることから、この私がお育てをいただく。浄土真宗では、決して、先祖供養のために、こちらから回向し手を合わせるのではないのである。また、当然、作法が違うからとか、何かが欠けているといって、罰を当てたり、不幸をもたらすようなご先祖も、当然、仏様もいらっしゃらない。大悲のお心で、無漸無愧の私に願いをかけ、頼んでくださり、私をお迎えをしてくださる姿を顕してくださっているのである。

 そして、ただ口に南無阿弥陀仏と称えるだけでなく、よくよくその南無阿弥陀仏のおこころ、阿弥陀如来の他力回向のおこころをご聴聞し、そのお心を、私の上に心得えさせていただくことこそが肝要なのである。

|

真宗カウンセリング研究会「創立50周年の集い」のご案内

 10月の真カ研月例会は、通常の論文の輪読を少し早めに切り上げて、11月13日(日)に開催される、真宗カウンセリング研究会「創立50周年の集い」の打ち合わせ会を行なった。

 真宗カウンセリング研究会は、1961年に創立以来、50年の節目を迎える。その間、真宗(仏教・東洋)と、カウンセリング(心理療法・西洋)の交流と統合を求め、理論的研究と、実践を行なってきた実績は、この分野での先駆的な役割を果たしてきたことを自負している。

 10年前には40周年の集いを大規模に開催した。今回はかなり規模を縮小しての、現会員・旧会員の交流を中心にした集いとなった。

 40周年の時は、総合進行役で、案内文の立案、作製、会場探しから講師依頼、開会の司会と一手に引き受けた。今回は、現代表の意向で、規模を縮小したこともあったし、ぼく自身も華光会の750回大遠忌事業で手一杯ということもあって、無理のない範囲で関わっている。当日の総合司会や若干の雑務も引き受けた。世話役を見渡すと、結局、華光の750回のお手伝いの方とかなり重なっているようだ。

 内容は、新旧会員の近況や活動状況の報告などの交流会を中心に行い、午後は、会員による実践や体験報告、または研究発表を中心に、会員相互の分かち合いの機会を設ける予定だ。

http://dbpca.web.fc2.com/details/20111113.html

 夕方には、会場を移しての祝賀会(50周年パーティー)を計画している。↓

http://dbpca.web.fc2.com/details/20111113-2.html

 呼びかけの対象は、現会員と旧会員だが、会員以外でも、興味のある方や、今後会員になることを検討中の方の参加も考慮したいので、お問合わせ先へどうぞ。

Banner

|

はちすの発送

 同人会員に向けて、大会の総会案内と委任状、そして11月の法座案内に、夏の仏の子供大会の感想集「はちす」同封して、送付した。

 例年、A4サイズの12頁建てで発行している「はちす」だが、今年は編集せずに、ほぼそのままの記事になったので、少し頁がはみだした。写真を載せて、16頁建てでの発行となった。久しぶりに4班となったように、参加者が多かったのも、こんなところに現れてきたようだ。どうぞ、お楽しみに。

 また、華光大会の総会へのご出欠は、同封の委任状を必ずご返送をお願いします。

 

|

泉佐野寺院布教

 日曜日・月曜日と、大阪は泉佐野の寺院への布教。

 大阪よりも和歌山よりで、関西空港に近い場所だ。

Img_2751 毎年、報恩講は10月の第3日曜、月曜と決まっているのだが、今年から夜座がなくなって、両日とも昼座のみとなった。確かに、年輩の方や女性の方は、夜は出づらいのだろう。それでいて、夜だからといって若い方や男性が多くなるわけでもない。法座数が減るのはなんとなく寂しいものだ。夜座に用意されていたおぜんざいもなくなった。宿泊で出講していたが、昼間だけなので、両日とも通うことになった。Img_2748

 それでも、嘆いていても仕方がない。なんとかご教化と願って、寺報の案内を400枚も刷って、ご案内に勤めておられる。今は、少々うるさく思われても、もし、「なぜ、あの時、誘ってもらえなかったか」と後悔されることがあってはいけないといわれるのである。今年は、若いお嫁さん世代の参詣もチラホラあったし、日曜日は男性も座られ、昼座だけになったせいか、お参りもそれなりにあった。何年もお世話になっていると、けっこう顔見知りの方も増えてきた。

 阿弥陀様の大悲のお心に触れていただいた。皆さん、頷きながら、熱心に聞いてくださる方が多い。ちょっとしたゲームでも、参加してくださった。なによりも、ご讃題を上げたあとに、称名の声が聞こえてくることが、尊い。参詣者が多少ではなく、お念仏の声があるところこそが、ご法の座なのある。もちろん、その中味を問うことも大切だが、これひとつでも、地道なご教化が少しずつでも実りつつあるのだろう。

 ところで、旧町なので、お寺への入る道がとても狭い。ほんとうは入りたくないのだが、切返し切返して、ギリギリで入ってきた。境内の中も狭くて植え込みでほんの少したが車がこすった。でも、「4トン車でも、ベンツでも入ってきますよ」と言われれば、こちらの下手な運転を恥じるしかない。

 帰路は、大阪湾を臨む阪神高速の湾岸線へ、美しい夕焼けを背景に進む。大都会の海にも、真っ赤な美しい夕日が落ちていく。

|

広島支部法座~末代無智章~

 10月の広島支部法座。寺院布教の都合で、土曜日の午後の開催となった。

 誌上法話にも掲載した「末代無智章について」。蓮如様が、真宗安心の要を示された御文章である。教義的なことや聖教は苦手だとか、すぐに忘れてしまうとか、嘆いてばかりいては勿体ない。別に、覚えて記憶して来いでも、勉強して来いとのお示しではない。しかし知らなかったことをひとつでもお教えいただき、お聞かせいただけるのなら、それひとつだでもご法の喜びが広がるのではないか。だから、けっして苦痛したり、嘆いたりしないで、少しでも聞かせてもらったことを、ご法を聞く喜びのタネとして喜びたいものだというところから、ご法話を始めた。

 この章は、教義的な問題、自他力の廃立に関わる要点もあるので、第一段(安心を示す)、さらにそこを3章にわけたその第2章の「たのむ機とたすくる法」を中心に、かなり補足もした。「一心一向に、たすけたまへとたのむ」という表現について、誤解されるべき点があるからだ。

 五帖目一通『末代無智の章』

⑴第一段-真宗の安心を示す段

⑴-➀ 末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、

〈➀第一節-本願は誰が受けるのか〉

⑴-➁こころをひとつにして、
    阿弥陀仏と深くたのみまゐらせて、 
    さらに余のかたへこころをふらず、
    一心一向に仏たすけたまへと申さん 衆生をば、

    たとひ罪業は深重なりとも、
    かならず弥陀如来はすくひましますべし。

〈➁第二節-たのむ機とすくう法〉

⑴-➂これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。

〈➂第三節-願意(本願)に帰結する〉

⑵第二段-報謝を示す段

⑵ かくのごとく決定してのうへには
  ねてもさめてもいのちのあらかぎりは、
  称名念仏すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。

 浄土真宗の要である「信心正因・称名報恩」が、簡単明確に示される同時に、それが第十八願のお心そのものだというのである。その核心部は、⑴一段目の冒頭➀で本願のお目当てが明示された後、➁の「たのむ機とすくう法」を示されるところである。なかでも、

  「こころをひとつにして」、
  「阿弥陀仏と深くたのみまゐらせて」 
  「さらに余のかたへこころをふらず」、
  「一心一向に仏たすけたまへと申さん」衆生をば…。

よくよく心してお聞かせに預からねばならないところだ。それに、簡単に流さないで、ひとつひとつを味わっていくなら、けっこうひっかかってくる。こころをひとつにするとはどういうことか、深くたのむとはどうたのむか、また重ねて、余のかたへこころをふらずと示されて、最後に、一心一向に、仏「たすけたまへ」申さんとお示しになっているが、祈願でも、請求でもない、「たすけたまへ」とたのみ申すとは、どういうお心なのであろうか…。

 もし、ここだけを素直に読むならば、私の方から、こころをひとつにして、深くたのみ信じて、しかも「たすけたまへ」と、阿弥陀様にたのむという表現に読めてしまうだろう。「たすけたまへ」は、衆生側の請求(せいぐ)でも、希願でもないのだが、江戸時代には、この表現をめぐって本願寺派教団が大騒動になった。そのためか、今では、羹に懲りて膾を冷ますで、いつのまにか、肝心の⑵の「たのむ機」を飛ばしてしまって、

「末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくひましますべし」

と、すくう法だけが強調されて、まったく違和感やひっかかりのない味わいが多くみられるようになったのが、大半ではなかろうか。確かに、この方が耳障りがいい。ただただ本願の手強さを仰いでいくのであって、機の詮索は無用だというのである。極端に言うなら、そのまま安心で、こっちから手出しできない、そのままのお救いになっている。聴聞しようが、しまいが、お慈悲な阿弥陀様なので、死んだらみんな仏にさせてもらう、勿体ない教えですとなってくる。もし、そのままなら、死後にお経をあげてもらうことが廻向となってしまいかねないのである。

 でも、ここは、衆生の側からのお願いでもなく、また飛ばして終わるほど軽い問題でもない。蓮如様のお示しにこころを寄せて、しっかりご聴聞をいただかねばならない肝要なところなのだ。

 なぜなら、衆生側、私には、一心にも、無疑心にも、深く信じることもできない。みな、これは他力のお働きによっていただくお心であるからだ。祈願でも、請求でもなく、「たすけたまへ」とたのむのもまた同じである。

 そこに、「たとひ罪業は深重であっても、必ず救い取ってみせましょう。どうか頼んでおくれ」という阿弥陀様の先手をかけた勅命が、無漸無愧の、無仏法の、真実のかけらのない私の上に、勿体なくも届いてくるので、その真実の大悲のおこころに突き動かれて、「勿体ない。南無阿弥陀仏」、とおまかせし、頼ませてもらわずにおれなくなるのである。たのむ機と、たすける法、ともに他力のお働きであるおこころを、よくよくお聞かせにいただいて、この私、南無阿弥陀仏をたのむ幸せの身にさせてもらってこそ、このご文のお心がいただけるのではなかろうか。

|

不気味

 今日は、750回大遠忌に向けての広報用のHPの相談。遅ればせながら、ポスターともども、華光大会に向けて準備を進めている。事務局は立ち上がって、個々の行事はそれなりに進行はしているが、全容に関する担当者は不在のまま。理想は理想として、広報などはこちらで進めていくことにしたか、早急に、事務所以外の担当者を探してほうがよさそうだ。

 事務所では、東京講演会の資料作りに助っ人が来てくれて、作業。東京は、参加者も多く、担当者の打ち合わせや作業が進んでいる。他の事務方は、完成してきた子供大会の感想集「はちす」や総会の委任状の発送準備などで忙しく、ぼくは、法話大会の講師依頼や、『正信偈の大意』(仮題)の発行に向けての編集作業が順調だ。そんなこんなで、今日は、それぞれ忙しくしていた。

 京都支部学習会も終わり、外が暗くなってきたころから雨足も強くなってきた。

 夕方6時を回ったころか。警察官が入ってきた。

 「そこの駐車場で、車のガラスが破られた事件が起って、その調書があるのだが、この雨なので、ここの駐車場の軒下を使わせてもらえませんか」とのこと。別にお安いご用なので、電気をつけて対応した。お巡りさんは、パトカーではなく、バイクだったようだ。ますます雨は強くなってくる。結局、会館の玄関でも、調書の作製があったが、すぐに済むのかなと思ったけど、それなに時間を費やしていた。雨の中、ご苦労さまのことです。

 それにしても、暗くなっていたとはいえ、深夜の事件ではない。この時間なら、人通りもまだある。車両荒らしなのか、単なるいたずらなのかは分からないが、すぐ側でおこると、なんとも物騒な気分だ。しばらくは早めにシャッターを降ろしすなど、戸締りに用心するしかないなー。

|

無残

  京都シネマに映画に出かけた。ふと、烏丸通を見渡すと、きれいに街路樹が刈られてる。

少し前に、剪定(というより、チェーンソーの工事みたいだった)が行なわれていたが、見事に、無残なボウズ姿になっていた。

落葉樹である。紅葉シーズンを前に、落ち葉となって、道路に散らばる前に、すべて落とされたのだろう。

冬は、もう少し先なのに、街路樹だけは、一足、真冬の景色である。
Img_6253_2

|

ナナの誕生日

  仏青大会が終わって、1日早い、ナナの誕生日祝いに出かけた。

Img_6236 仏光寺のすぐそばのフレンチのお店。このところ、烏丸から入った仏光寺通に、こ洒落たお店が多くなってきた。最後に、バースディーケーキを頼んでおいた。内緒だったので大喜びだ。

 プレゼントの希望は、4輪のJボード(エス・ボード)である。お姉ちゃんやぼくがうまくJボードに乗れるのに、ひとり乗れない。普通は2輪なので難しいが、スケボーのようにImg_62524輪タイプなら大丈夫だというのだ。仏青大会の休憩時間に、おもちゃ屋さんにいったが、2輪のスタンダードなものしかなかったので、少し待ってもらうことにした。とりあえず、予算内で、ふたりに一つずつ、おもちゃを買うことにした。上の子も、おこぼれをもらえるのである。

 Img_6226ひとつは、アイス屋さん。写真にとると、ほんとうのジェラードのようだが、ごっこ遊びではない。アイスを積み上げていくバランスゲームなのだが、いろいろとバリエーションがあって、けっこう面白い。 

 もう一つは、チロルジャン。チルロチョコ型の、ドンジャラである。こちらは、子供たちが、ルールや役を覚えるに、少し時間がかかりそうだ。

 懇親会で、大人たちも一緒に盛り上がImg_6249_2ったのは、いうまでもない。 

 そうえいば、彼女が誕生したのも、仏青大会の最中だった。みんなが祝福をしてくれたが、まだこの時点では、名前は決まってはいなかった。

 最終日の法話で、撮り立ての出産シーンのビデオを観てもらって、かなりインパクトがあったことを思い出した。

 あれから、丸8年が経過したことになる。

 仏青のメンバーも随分、様変わりした。

 長いような、短いような…。

 感慨深いというより、いまは、複雑な思いが拭いされない。

|

仏青大会

 10月の体育の日の3連休は、恒例の仏青大会だ。

 今回は、準備段階からつまずいて、講師依頼も後手後手に回って、他の先生のご都合がつかなった。確かに過渡期であるのを差し引いても、参加者はかなり少なくて、やっと二桁を超えた程度。それも出入れもあって、最終日には一桁台になった。結局、分級座談会に分かれることもできず、1グループで終わった。人数だけみれば、「大会」としては、かつてないほどお寒い状況だった。

 しかし、強がりではないが、何も人数だけで仏法の繁盛があるのではない。

 あくまで信、未信の沙汰をし、ひとりでも信に目覚めることが仏法の繁盛であるのだ。

 では、その中味はどうだったのか。

 ところで、光明の働きには、照育し、照破し、そして照護されるという、3つの立場がある。照破のところが一念の働きなのであるが、それまでには、光のぬくもりに温められて育てられるということもある。

 時間をかけて、お育てをいただく時機もたいせつだということです。

|

750回大遠忌記念「東京講演会」~正信偈の大意~

 親鸞聖人の750回大遠忌を迎えるにあたって、華光会でもさまざまな取り組みを予定している。

 第一弾は、9月に行なった聞法旅行で、ご流罪の地である越後へのご旧巡拝の旅に出かけた。

 第二弾は、この10月に、舞台を東京に移しての「正信偈」の講演会である。

 750回大遠忌記念「東京講演会」~正信偈の大意~

 ご承知のとおり、親鸞聖人は、京都から越後にご流罪になった後、赦免後も、すでに法然上人がご往生され、いまだに弾圧の色濃い京都の都に戻られずに、信濃(長野)経由で、新興開拓の地であった関東へと移られ:42歳から20年に渡る布教活動を展開されている。

 この時代は、聖人のご教化の本格的な一歩であると同時に、筑波山麓の稲田の草庵において、浄土真宗の根本聖典である『顕浄土真実教行証文類』(いわゆる『教行信証』)を著されたと言われている。後序にある年代記述から、一応の完成は、聖人、52歳のころだと推測されている。と、同時に、これをもって、浄土真宗の立教開宗としている。もっとも、偏に法然上人を師と仰ぐ聖人には、独立されるような意図は持たれてはいなかった。

 とはいえ、『教行信証』が著されたことによって、どれほど多くの人達が幸せをされたことであろう。しかしながら、これは聖人の信仰告白の書であると同時に、世界的にも最高の哲学書であり、思想書でもあって、一般には、易々と理解できる内容ではない。

 その『教行信証』のもっとも肝要な行巻が終わり信巻へと展開する、その間に置かれたのが、『正信念仏偈』(正信偈)である。漢文で書かれているが、一般にも伝わりやすい歌として、真宗教義を体系的が余すところなく述べられると共に、親鸞のお領解のはらわたが吐露されたもので、古くから真宗念仏者、日常から親しみ、自らの安心の依り辺とされてきたものである。

 その正信偈の前半、いわゆる『大経』に依って、弥陀の救済と、釈尊の教化がのべられる、依経段のところを、増井先生の詳細なプリントと解説で、2日間、たっぷりお聞かせいただくことになった。

 聖人のご教化(伝道の地)と、正信偈が著された関東での、正信偈の講演会となったのであるが、先生の体調から考えても、貴重なものになりそうである。

 すでに定員に達し、〆切が迫っているが、まだ数名の余裕がある。今回は、当日参加(会場の都合で、お断りさせていただくこともあります)ではなく、予めの申込みが必要なので、もし迷っておられる方は、さっそくお申し出ください。

▲日時:10月22日(土)昼1時30分~23日(日)夕方4時30分

▲会場:全林野会館(文京区大塚3丁目)7F

 詳細は、以下のHPの案内をご覧ください。

750回大遠忌記念「東京講演会」~正信偈の大意~

|

金沢21世紀美術館

Img_6199 金沢での北陸支部法座は、午前中で終了。列車まで、少々時間があったので、寄り道をして帰ることにした。

 岡山の後楽園に続いて、兼六園と、隣接する金沢21世紀美術館に行くつもりだったが、あいにくの雨。急に肌寒くなって、傘もないので、美術館だけを見学することにしたImg_6214

展示作品だけでなく、古都金沢の中心部に近代的な美術館を置き、展示品だけでなく、美術館という建造物を見るのも、楽しみにしていた。残念ながら雨降りで体感できなかったが、回りをガラスで囲まれたサークル形Img_6201の建物は、光の入り方ひとつでも、見え方がことなるのだろう。この循環型形式は悪くない。ただし、いまどこにいるのかがわかりづらいが…。

 silent echos(サイレント・エコー)と、Inner Voices(内なる声)という 2つの特別展が開かれていた。展示も、一作品を一室という独立したImg_6203個室を巡っていくもので、ドアなり、暗幕なりを開いて、次ぎに入っていくと聞こえてくる音や響きなどもあって、何があるのかという未知の出会いが楽しみになるという展示方法も贅沢でよかったし、作品自体には心動かれるものもあった。

 ただしである。一作品、一室、プラス監視員という形で、少しでも作品に近づきうそになるのなら、すぐに注意があるという、かなり干渉度がImg_6207高い美術館でもあった。作品と、鑑賞者の距離を近づけるのだから、当然そうなのるはわかるが、受付入場時には、「裏面の注意事項をお読みください」と、写真撮影の禁止などの確認までさせられたのは、初めてだ。美術館が訴えている解放というコンプトとは、かなり矛盾している感じもした。そもそもであるImg_6206。現代アートの反体制的な作品を、このように力で囲い込まれた規制の中で触れること自体が、すでにおかしいのかもしれなけれど…。

 これは8月に観た、バンクシー監督作品の傑作『イグジット・スルー・ザー・ギフトシップ』 ではないけれど、ストリート・アートへにも共通する、資本社会と芸術作品との齟齬というか、摩擦が生み出Img_6205す欺瞞と矛盾の世界でもあるのだろう。

 もしかすると、この前日に、トイレ内に展示されていた作品の一部が盗難にあうという事件が起きた影響があっかたのかもしれない。『公園のように、だれに対しても開かれ、作品を眼の前で親しんでいただくことができる美術館Img_6213』という基本理念が揺らぐ事件と考えています。また、作品の管理体制の強化については、これまでの金沢21世紀美術館の「親しみのあるお客様と作品との関係」という特徴を損なうことなく、実施していきたいと考えております、というコメントが出されていた。

 この点では、規制もいたしかたないが、古い美術品を集めた美術館ならともかく、自由な発想の現代アートを、厳重に監視される中で鑑賞するのも、いまイチ感が強いなー。

 もちろん、写真は、撮影OKの所で取ったものだけ。

|

宣言

 今日から、『正信偈の大意』(仮題)に向けての作業を開始した。

 120分と90分テープで18本分の講演を整理し、文章にまとめる作業である。

 来年9月の華光会大遠忌法要の時に、出版披露をすることにしたのだ。

 最近は、出張法座に年忌法要、日常業務に加えて、大遠忌の準備、さらに家事も加わって、かなり忙しい。ある意味、和讃以上にたいへんかもしれない作業を思うと、ズルズルと出版を先延ばしにしてしまいそうな気分であった。

 それで、出版日をしっかりイメージして、そこから逆算して、1年間のタイムスケジュールを作って、1年かけて作業することをついに決心した。大遠忌でのパーティーに合わせて、出版記念会を行なうところまでイメージをしている。

 華光誌の編集時を除き2週間で、1本ずつテープをまとめていくことになった。2週間といっても、間に出張法座も入るので、実質的には、10日間ほどになる。そのペースで進むと、7月中には一応、完成することになる。

 たいへんだが、細かくスケジュール管理をし、コツコツ作業をするなら、けっして無理ではない気がする。大きく1年間、中は3ケ月、まずは2週間の目標を作ってから、いざ、作業開始。初日は、順調なすべりだしで、何かうまれる予感がしている。

 次は、自分の思いだけでなく、広く宣言して、同人の皆さんからも叱咤、激励してもらうことだも大切だと思った。1ケ月ごとに、途中経過を報告していってもいいかもしれない。

 1年かけてやり遂げることができたら、いよいよ次ぎの目標を目指すことになるのだ。

 まずは、来年9月に、1冊(もしかすると、上・下になれば、2冊)を出版することを、ここに宣言します。

|

« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »