金沢21世紀美術館
金沢での北陸支部法座は、午前中で終了。列車まで、少々時間があったので、寄り道をして帰ることにした。
岡山の後楽園に続いて、兼六園と、隣接する金沢21世紀美術館に行くつもりだったが、あいにくの雨。急に肌寒くなって、傘もないので、美術館だけを見学することにした。
展示作品だけでなく、古都金沢の中心部に近代的な美術館を置き、展示品だけでなく、美術館という建造物を見るのも、楽しみにしていた。残念ながら雨降りで体感できなかったが、回りをガラスで囲まれたサークル形の建物は、光の入り方ひとつでも、見え方がことなるのだろう。この循環型形式は悪くない。ただし、いまどこにいるのかがわかりづらいが…。
silent echos(サイレント・エコー)と、Inner Voices(内なる声)という 2つの特別展が開かれていた。展示も、一作品を一室という独立した個室を巡っていくもので、ドアなり、暗幕なりを開いて、次ぎに入っていくと聞こえてくる音や響きなどもあって、何があるのかという未知の出会いが楽しみになるという展示方法も贅沢でよかったし、作品自体には心動かれるものもあった。
ただしである。一作品、一室、プラス監視員という形で、少しでも作品に近づきうそになるのなら、すぐに注意があるという、かなり干渉度が高い美術館でもあった。作品と、鑑賞者の距離を近づけるのだから、当然そうなのるはわかるが、受付入場時には、「裏面の注意事項をお読みください」と、写真撮影の禁止などの確認までさせられたのは、初めてだ。美術館が訴えている解放というコンプトとは、かなり矛盾している感じもした。そもそもである
。現代アートの反体制的な作品を、このように力で囲い込まれた規制の中で触れること自体が、すでにおかしいのかもしれなけれど…。
これは8月に観た、バンクシー監督作品の傑作、『イグジット・スルー・ザー・ギフトシップ』 ではないけれど、ストリート・アートへにも共通する、資本社会と芸術作品との齟齬というか、摩擦が生み出す欺瞞と矛盾の世界でもあるのだろう。
もしかすると、この前日に、トイレ内に展示されていた作品の一部が盗難にあうという事件が起きた影響があっかたのかもしれない。『公園のように、だれに対しても開かれ、作品を眼の前で親しんでいただくことができる美術館』という基本理念が揺らぐ事件と考えています。また、作品の管理体制の強化については、これまでの金沢21世紀美術館の「親しみのあるお客様と作品との関係」という特徴を損なうことなく、実施していきたいと考えております、というコメントが出されていた。
この点では、規制もいたしかたないが、古い美術品を集めた美術館ならともかく、自由な発想の現代アートを、厳重に監視される中で鑑賞するのも、いまイチ感が強いなー。
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