耳慣れ雀
葬儀に出かける。
5~6年に1度あるかないかの時もあったが、今年は2回目。最近は、年に1、2度は導師のお声がかかる。
それで、少しは場馴れしてきたのだが、それでも、念のため予習は必要だ。広島法座から戻って、すぐに準備。七条を着る確認と、少しだけ念仏と和讃の練習もした。
葬儀は、しめやかに営まれた。父親を亡くされた喪主の最後のごあいさつが、有り難かった。無常の理は誰の上にもさけられないこと。家族を護るようにひとりで大病を引き受けてくれたこと。そして、本願力に出会って、お浄土で念仏三昧の日々を送っているのだから、けっして寂しいことはないという内容だった。
お山にいき、初七日では、短いご法話。お斎をご馳走になった時には、一言ずつ思い出を分かち合った。まったく故人を存じあげないので、完全に第3者の死であったが、皆さんの重い、そして温かい一言一言で、故人の輪郭がぼんやりとだが、立ち上がってくるようだった。
夕方に戻ってきたら、直後にまた訃報が届く。日高支部の長老のご息子の訃報に、少なからず耳を疑った。まだ50台とお若い。昔、子供大会にも出られたこともあり、東京の講演会には、そのお子さんも参加されていて、仏縁を模索中だったからだ。お悔やみ電報を打った。数日前にも、同人の連れ合いの方の急逝に驚き、昨日は、日高同人の古老の逝去が届いたばかりだ。この1週間で、4回目となると弔電を打つのも手馴れてくる。
まさに、鳴子にも停まる耳慣れ雀。麻痺しながら生きている。
散る桜 残る桜も 散る桜
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