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覚悟のほど

 週末は、広島支部大会だ。

ノロノロの大型台風が接近中。台風は四国沖だというのに、京都でも、雨足が強まり、強風も吹いている。今後、四国に上陸して岡山に再上陸する見込みで、山陽新幹線の進路にあたる。明日、広島に行くのは、どう考えても無理な状況だ。それでも、広島支部の皆さんの意向は、法座を開きたいというのである。大幅な遅れも予想されるが、その場合でも、皆さんだけで輪読をしなから、ぼくの到着を待っているというのだ。もっとも交通機関が停まってしまったら、それもできないので、最終的な判断は当日の朝8時の時点の状況で決めましょうということになった。

  電話を切ったら、葬儀の依頼が飛び込む。先月に、さまざまな縁がつながって、条件付きで、お引き受けした方である。先週には、ご挨拶に見えられたが、単なる儀礼ではなく、今後もこれをご縁に聞法をしたいという、はっきりしたお気持ちをもっておられて、こちらも好感をもった方である。

  条件付きというのは、あくまでも生きた人達の業魂のお葬式、こちらの本業である。法座と重なった場合は、誰か他の華光関係の先生にお願いすることで了解をいただていた。ちょうど広島と重なったが、法座開催は、台風の関係でギリギリまではっきりしない。枕経は、今夜遅くてもお参りすることになったし、友引で火葬場が休業なので葬儀は月曜日となったので、これも大丈夫だ。問題は、通夜。広島法座と重なってしまうが、これも明朝にならないと確定でなきない。仕方ないので、行けるケース、ダメなケースの二種類を想定して、先生方にお願いすることになった。

  宇治の山中。先導をうけないと戸惑う急なヘアピンカーブの連続の道を、強風の中を進んだ。ご自宅には、お仏壇もなく、ご遺体には南無大師遍照金剛のお遍路の衣装が掛けてある。皆さんのご様子からも、まったくこれまで真宗(仏教にも)に関わりをお持ちでないことがわかったが、口に「南無阿弥陀仏」とお念仏すること、一緒に、『阿弥陀経』を勤行をお願いして、ゆっくりと読経を終え、ご法話も聞いてもらった。

 帰宅して、両建てでの作業。この状況では、広島行きは、土曜日の夜か、日曜日にならないと新幹線は動かないと、心の中では判断していた。まともに岡山を直撃しそうだ。それでも、念のために、位牌を書きや葬儀の準備だけは、深夜になったが無理してすませておいた。予定していた新しい法話の資料作りは無理だった。

  朝7時にニュースを確認したら、新幹線は少し遅れているが、動いていた。広島からは、「在来線は停まっていますが、法座をやりたいと言われています」とのことだ。まあ、普通なら、中止だろうと言った。この先、どなるかわからないが、こうなったら仕方がない。あわてて、荷造りと教案をコピーし、通夜の段取りを連絡して、早めに家を飛び出した。

 ところが、新幹線の前に近鉄が遅れていた。大急ぎで走ったら、新幹線も遅れている。とにかく来た列車に飛び乗った。何もかも遅れたのに、不思議なことに、到着は待ち合わせの定刻ビッタリに、広島駅を降り立っていた。

 広島は、風もなく、曇っているが晴れ間も見えている。まったく雨の気配はない。ああ、これなら、開催を考えるな。でも残念ながら、近郊の交通機関は乱れていて、キャンセルが多かって、かなりの少人数。それでもドタバタしながらも、予定どおり2日間の法座は開かれた。

 会館を出る時、開催を驚かれたTさんが言われた。

「こんな台風の中、開催される、広島支部の皆さんの覚悟のほどを、聞かせてもらってきてくださいね」

 それを法話の冒頭に話した。

 しかし、まあぼくも含めて、広島の皆さんも、それほどの覚悟のほどなど大してなかった。みんな、なんとかなるだろうという程度のものだ。でも、そこが、一番、有り難かったかなー。

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