越後御旧跡巡拝の旅(1)居多ケ浜
親鸞聖人750回大遠忌を記念した、第38回の聞法旅行の「越後御旧跡巡拝の旅」も、感銘とともに、無事、終了することができた。第1回の聞法旅行以来、実に41年ぶりにご流罪の地である越後の聖跡巡拝の旅だ。ボチボチでも、旅行の様子を長期連載したい。
旅行前には、台風の影響も心配された。西からは福岡、高知、広島の同人がおられるからだ。結局、山陰線が雨の影響で、豊岡の同人が足止めをくって、40分遅れてのスタートとなった。バスは、名神から日本海側の北陸道を完走する形での長旅だ。途中、長浜や富山で長浜、金沢、高山の参加者が合流していく。親鸞聖人は舟の旅となった親不知子不知の難所を難なく通って、関東と地元
新潟の方々の待つ直江津駅へ。いつのまにか遅れを取り戻して、定刻どおりの到着となった。
そこから、聖人の上陸中である「居多ケ浜」は近い。
今から800余年前、死罪4名、流罪8名に及んだ念仏弾圧(承元の法難)で、親鸞聖人も僧籍を剥奪され、京より遥か越後国府(上越市直江津)へと流罪となられた。その聖人が、越後の地に上陸されたと伝えられているのが、この居多ケ浜だ。『遺徳法輪集』には「聖人外波より御立なされ、小野浦といふより御船に召たまひ赤岩といふへ着岸したまひ、それより小田の浜へ上りたまふ、と古老の伝説なり」と記されている。また、今昔物
語にも越後守行任が在府の時、ここ郡浜へ小舟を漂着させたと記載されているので、それと余り隔てなく、聖人も、この浜より上陸したものだと推測されているのだ(参照『古寺巡礼ガイド・親鸞』)。
日本海に面したこのあたりは、長い冬の期間、厳しい北風のために、一方に葉のかたよった片葉の葦が棲息している。これは、「国府の片葉アシ」として、越後七不思議の一つに数えられている(最後の写真)。親鸞聖人ゆかりの七不思議については、また後にふれよう。
20年ほど前にぼくもこの地に立ったが、その時は、こんな展望台も、お堂もなく、直接、浜に下り立った。この鄙びた海岸が、聖人の上陸の地であることは、小さな石碑だけが示していた。それが、今回は新しくできた展望台から観るだけだった。直接、浜に降りられず、みんな残念がっていた。添乗員にそのことを伝えると、「そんなことを言われたのは、熱心な華光会の皆さんだけです」とのことだ。正直、整備されてきれいになったが、趣がなくなったのが寂しかった。
親鸞聖人がこの地に立たれたのは、冬のことだ。海は荒れていたかもしれない。今日は、小雨まじりのどんよりした空で、海も灰色だったが、波はなく、静かな夕凪だ。
結局、20分ほど散策しただけで、初日の宿は、妙高高原にある赤倉ホテルに向かった。あたりはすでに闇である。
10時に出発し、6時到着、ほとんどバスという長旅だったが、ロビーでは、地元の同人と、I先生がお出迎えくださった。
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