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2011年9月の16件の記事

モクモクファーム

Img_6141 今週は、火曜日に奈良の河合町の寺院布教、木曜日は岡山市の家庭法座、そして土曜日からは、金沢での宿泊の支部法座と、隔日毎に出張法座が続いている。その合間に、華光誌の発送や、学区の運動会が重なているが、今日は、子供を連れて、農場公園に遊びに行くことになった。Img_6154

 平日だが、運動会の振替休日で、学校が休みになった。普段の週末は、出張布教があるので、こんな時でもないと子供たちは遊びに行けない。

 子供たちの希望で、三重県の観光農園、モクモクファームへ。三重県といっても新名神が開通以降は近くなって、50分ほどで行けるImg_6151距離になった。

 ただ心配なのは、天気。朝から雨模様。小雨程度ならなんとかなるが、雨が降るとかなり寂しい場所だ。

 平日のこんな天気の日に、こんなところにImg_6148来る人はほとんどいないのではないかと思っていたら、なんのことはない。学校の遠足や福祉関係のバス団体も多くて、かなりの賑わい。幸い、途中まではたまに小雨になっても、大きく崩れることはなかったし、けっこう歩くので涼しいのがなによりだった。

 園内をブタを自由に歩いている。ブタの楽しいショーを見て、とてもおいしImg_6176いハムやソーセージを食べた。「かわいいー」と「うまい」が同居しているのであるが、一方で、ブタさんを慰霊するトントン神社などもあった。ソーセージに、肉まん、焼豚が、ここの名物なのである。人間という生き物は、食に関してはとにかく矛盾だらけの生き物なのである。ともかく、井戸水もおいしいし、野菜も、肉も、どの素材も新鮮で、クオリティーが高くて◎だった。Img_6173

 午後からは、団体客が帰って、急に閑散とし出した。同時に、雨も強くなったので、温泉に入って、早めに帰宅することにしたが、子供たちも、ぼくにもいい気分転換ができた。

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岡山家庭法座

Img_6128 岡山のK氏が施主になっての家庭法座。団地の公民館を借りて、近所のオバチャンたちと、知り合いの住職さん方が、一緒に聴聞する希有な集まりだ。

 特に座談会はない。たまに一言だけでもオバチャン達にも声をだしてもらうこともある。終了後は、住職仲間と飲み会があって、みんなの思いを分かち合っている。Img_6129

 隔月で、今年はぼくが集中して担当させてもらっている。法話はオバチャン達を対象に分かりやすいたとえをいれて、それでもよく聴聞されているお坊さんたちも満足してもうら内容に配慮しているのだが、なかなか難しいものだ。

 今回は、最近、法話でもちょくちょく話させてもらっている、ぼくの信仰体験発表をした。前半は、父のことから、なぜ華光会館が起ってきたのか、その前に伊藤先生の『仏敵』のところから起こして、ぼくが幼児のころ、父と一緒にお念仏を称えるところから始まったこと、子供心にいろいろと見てきた念仏者や求道者の姿、そして父とのことから、5年生の時に、子供大会の海水浴での水難死亡事故から、無常が迫ってご示談で、「南無阿弥陀仏に飛び込め」との教示を受けたこと。そして、19歳になって得度後の大きな変化と、ご示談での、「南無阿弥陀仏に他力も自力もないぞ」の一言をきっかけに、明かに開けたきたことまで。1時30分、すべてこれだけで通した聞いてもらったのは、これが初めてだった。

 ご讃題に「人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く」の三帰依文をいただいたが、まさにそうである。受け難い人のいのちをいただき、慈愛受けて、ここまで養育いただいきた。母の胎内にはいることか、すべてすべて頂戴してきたのである。しかも、お念仏を称えることも教えていただたのである。ところが、そのお念仏を、なんとか自分のものにしようと計らってきたのだった。他力そののである南無阿弥陀仏を、これは自力の念仏だ、これが他力の念仏だと、自分の胸で計らってきたのである。いま、虚仮不実のこの口からは絶対にでるはずのない、真実そのものの「南無阿弥陀仏」が、弥陀直々にお出迎えしてくださっているのに、むが胸や心境と相談して、別のものを探してきたのである。それが、仏縁をいただいて、やっと真実の南無阿弥陀仏に出会わせてもらったのである。

 ああ、何ひとつ無駄なことはなかったなー。すべてすべてお念仏をいただくためのご因縁でないものはない。いまもまた、順縁、逆縁にかかわずら、すべてお念仏を喜ぶためのものでしかない。しかし、お念仏でなんとかしてもらえる、自分の思い通りになれば幸せになれるとまったく本末転倒しているのである。自分の思いどおりになろうが、なるまいが。こんなことは起って欲しくないことが起ころうが、すべてお念仏を申し、喜ばせていただくためのご縁でしかないのである。

 華光の集まりでも、また寺院布教でもない、まったく聴聞などにご縁のなかったオバャチンたちを前にしたからこそ、自分を開いて語ることができたのかもしれない。

 語り進むにつれて、涙が溢れてきた。涙を拭うことなく、またお念仏申させてもらった。

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公文庫カフェ(岡山)

Img_6117_2 岡山の家庭法座。

 1時間前に到着したので、岡山出身の知り合いに聞いたカフェでお茶にすることにした。Img_6119

 岡山駅から、路面電車に乗る。車内に、ガチャガチャポンがある。それより驚いたのは、初乗りが100円だったことだ。広島も安かったが、岡山も安い。その点、京都は、バスも地下鉄も高くて、倍以上する。

 旧日本銀行岡山支店を改造したホールにある公文庫カフェ。すでに90Img_6121年の歳月がすぎた大正時代にデザインは、重厚そのものである。

 カフェも、金庫か書庫かを改造したのもだそうで、入り口のドアの厚さは、半端ではない。中にもそImg_6127_2れらしきものがある。

 米粉のシフォンケーキと、ブレンドを食べたが、お味も悪くはなかった。

 書き物をしてから、会場までは2キロ以上あるが、歩くことにした。途中、岡山城、後楽園を横を通って、旭川沿いを進んでいく。9月Img_6122末になったが、かなり蒸し暑かった。30分以上かかったが、知らない町を歩くは楽しい。次ぎに入ってみたいお店が見つかったりもした。

 法座の内容は、次ぎにふれている。Img_6124終わってからの飲み会は、屋台村という屋台が7軒集まった焼鳥屋に連れていってもらった。いろいろと刺激的な話題も出て楽しかったが、新幹線の最終時間が迫ってきて、途中で退席した。

Img_6135 尊いご縁をありがとうございました。

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教行寺永代経法座

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  例年、9月末にお声のかかる、奈良県河合町の教行寺永代経法座。毎年、K先生のお寺を紹介するのも、プログの恒例となっている。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-8078.html

 昨年は、一番のお宝だといわれた冨田渓仙の聖徳太子の軸が飾ってあった。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-9223.html

今年は、やはり一番のおImg_6114宝だと、与謝野蕪村の画であった。やはり、お寺に小金があった時代のものだったが、父子そろって、美術眼をもっておられてるようだ。

 休み時間に裏山を散策した。すぐ上が神社で、裏山にはお堂や祠が点在していた。長閑な風景なのだが、池が多くて藪蚊の襲来をうけて、すぐに退散した。のんびりとカタツムリが手水のところを進Img_6112_2んでいた。ほんものを見るのは久しぶり。

 法話は2席のみ。例のコインの話。見ているつもりでも、実は何も見ていない。そして、何が見えているかよりも、どこに立って何を見ているのかをお知らせいただく。同じものでImg_6109も、立場や見方が異なると、まったく違うものに見えてくる。科学的真実の立場で、浄土や阿弥陀様の有無をいくら論じても意味はないし、迷いの凡夫の立場に気付かないまま、真実の南無阿弥陀仏をわかろうとしても、意味がないのである。それより、自分の立ち位置、現在地を教えてもらうことが大切だ。昿劫から迷っているのである。無明の眼しかないのである。そのことをお教えいただいたならば、この頭で分かる分からないには、ほんとうは用事がなくなるはずである。後席で、信用と信頼の違いについて。こちらが信じるのではなくて、仏様に信頼されているというそのお心を聞かせいたただくImg_6107のである。自分が信じられるようになるのではなく、すでに如来様が信じてくださっている心をお聞かせいただくのである。

 夜席は1座で、東日本大震災を通じて、あてたよりと信じていた、からだも、財産も、家族も、すべて虚仮不実の無常の存在で、まったく「世間虚仮」なのだ。そして、ウソのような、架空の、ただ呪文のように(けっして呪文てはないが)思っていた南無阿弥陀仏だけが、まこと、真実だという世界があるのである。その南無阿弥陀仏は、どう迷いの私に届いてくるのか。南無阿弥陀仏の名乗りとなって、私の口を借りて、弥陀直々のお出迎えとなっているのである。この口から出る「南無阿弥陀仏」が、真実の呼び声なのである。しかし、そのお心を聞かずに、その南無阿弥陀仏だけでは、不満で、不足だと、迷いを重ねてきたのがこの私なのである。その間、どれだけの時間をたったことだろうか。いま、幸いにして人間にうまれ、遇い難いお念仏の教えにあっているのである。仏

 最近、輪読法座に参加されている熱心なお同行さん二人が参加。同じ奈良県でも、京都からよりも時間がかかるようだ。檀家さん以外も、比較的若い方もおられるて、熱心に聞いてくださっている。合掌しながら聴聞される方もある。次回は、ぜひ分Img_6101かち合いの時間ももちましょうといことになった。気長なことだが、少しずつでも手応えを感じている。

 帰路は、カタツムリではないけれど、もちろん安全運転で。それでも、空いていたので、55分で会館に戻ってきた。

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無事故・無違反が…

 教行寺での法座に向かう。

 直前の事務局ミーティングが長引いて、予定より20分遅れで出発した。それでも1時間以上前に到着するのだが、遅れた分、気持ちは急いていた。

 昨年から高速がつながりずいぶん近くなった。会館近くの阪神高速の上鳥羽ICから、第2京阪、近畿道、西名阪の法隆寺ICで降りたら5分ほどのところ。道が混んでいなければ、1時間で到着する。

 第2京阪に入って枚方の交野あたり。追越車線にはいると、パックミラーに白い車がかなりのスピードでやってきた。道をあけようと走行車線に戻ったら、その車も、そのまま後ろについた。かなり車間距離が離れている。平日で道はすいている。80キロの制限速度が100キロ超のスピードで流れていた。、前の車は大型車だったので、追越車線に出ると、後ろの車も付いてくる。そのままグーンと加速しアクセルを踏んだんら、後ろの車のヘッドライトがついて、屋根の上にはしっかり赤色灯が…。

 ああ、とうとうやられたなー。メーターをみると、瞬間にはかなりスピードが出ていたが、すぐに減速して、左に寄った。

 お約束どおり、白のクラウンだった。これも後か気付くことだなー。いつのまに、二人はヘルメットをかぶっていた。

 小さなものも含めて、違反はまったくの初めての経験なので、妙な話だが、ちょっと新鮮な気分でもあった。ふーん、すごく丁寧な対応で、ちょっと調子が狂う感じだ。

 結局、制限80キロを、109キロの29キロオーバーということだ。別に異論もなかったし、無駄な言葉は交わすこともなく、神妙に、それても車内をキョロキョロ観察しながら、事務手続きが終わるのを待っていたら、10分もかからず終了した。

 運転を始めて31年間。これまでまったく無違反(正確には、バレなかったのだけかも)だったのが、これで途切れてしまった。罰金も痛いけれど、次ぎの更新が3年になるのが残念だなー。

 車は流れていたし、この程度なら、急いでも5分短縮できるかどうかの距離なのにね。急がなくてもよかったなーとは、後で思うこと。結局、高い罰金を払い、時間もかかって、何もいいことはなしだものね。まあ、事故につながる前だったので、これはこれでいい教訓になったと、猛反省。

後は、法話の冒頭のネタになるのでした。

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ブッダ航空墜落

 ネパールで、エベレスト遊覧中の旅客機が墜落したというニュースを目にした。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011092500108

Img_1235 日本人の旅行者がひとり乗っていたので、日本でもニュースとなったようだが、遠い異国での話題の扱いは、サラッとしたものでおわった。ぼく自身にしても、同じツアーに参加していなかったら、このニュースは、絶対に心にかからなかっただろう。

 結局、さまざまな情報が飛び交っていImg_5741も、自分に関連したり、関心や興味のない話題には、まったくないのと同じということである。

 ぼくたちがカトマンズで、ヒマラヤ遊覧した同じ航空機会社なのだが、心に残った理由はそれだけでなはい。その航空会社の名前にある。一度、聞いたら忘れないのだ。

Img_5769 ブッダ・エアー(Buddha Air)である。

 いくらブッダと名付けられていても、墜ちる時は墜ちるのである。

 なお、上の写真は、エンジ色の衣装を身にまとった、京都の聖者が飛行機に乗り込むところだ。

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運動会日和

  朝晩はすっかり秋の色。夏のままの出で立ちで寝ていると、寒くて目が覚めた。

Img_6052 さわやかな運動会日和だ。

 所変われば品変わるで、赤白でなはく、赤、青、黄色の3グループにわかれるが、競技はかなりシンプルな構成。綱引きや騎馬戦もなく、ハードルとか、障害競走もなかった。全体で玉転がしの競技かある以外は、徒競走と、3グループでのImg_7704_2全員リレーに、遊戯などの集団演技が加わるだけだ。その代わり、応援合戦が別に競われて、競技以上に、かなりの熱がこもっていた。

 写真とビデオで大忙しいだか、今日は、ビデオ撮影に専Img_7685_2念した。

 組み体操の途中で、上に立つ勇姿を取ろうと、ちょうど一眼レフのカメラに切り換えた瞬間に、ドスーンと落下。あまりに見事な落下に、残念(?)、ビデオに録っていたらよかったー。幸い、頭を打たずに落ちて、ケガもなかったようだ。この後、もう一段加わった三重の塔があったが、やはり一番上で立つ役割。次はうまく立てたが、どことなく足がすくんで、ビビリ感が伝わってきた。ぼくも、中学のときに一番上だった。一番のImg_6075チビだったからだ。練習の時にその一番上からバランスを崩して落ちたことがあって、それからはこわごわの演技になったことを思い出した。やはり父子である。

  昼は、ナナの手作り弁当をひろげた。朝6時起した力作で、文句なくおいしかった。真夏のほどではないが、日差しは強くなっていたImg_6056が、風が心地よい。

 結局、ふたりとも徒競走は1位になる健闘で、優勝は、「絶対、お姉ちゃんに負けたくない」と言っていたナナのチーム。応援合戦は、上の子のチームが文句なく一番で、まあ、めでたし、めでたしのエンディング。Img_6082

 来週は、学区(町内別)の運動会がある。町内会の役員なので、子供たちと参加することになっているのだが、出張法座と重なっている(;^_^A。雨が降って順延になればいいのだけど……。そうはうまくいかないだろうなー。

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秋分の日の輪読法座

 秋分の日。

 台風が過ぎ去って、空気も秋の気配である。太陽が照っても、すがすがしい。

 午前中は、年忌法要。一昨年、99歳で亡くなった宇治の同人宅へ。声をだして勤行についてきてくださり、お念仏の声も聞こえてくる。例のコインをたとえにした法話にしたら、それなりの反応があって、少々時間オーバー。反応があると、話す方も力がはいる。せめて一言でも感想がほしかったが、こちらはなかなか声は出ない。まあ、お念仏をしっかりしてくださっただけでも、収穫ありである。

 大急ぎで戻って、子どもたちにお昼を食べさせて、華光誌輪読法座。

 祝日ということもあって、東海支部からのお参りが多くて、20名弱のお参り。聞法旅行組は少なかったが、先月に初参りだった方々も今回も参加くださったり、久しぶりのお顔もあった。 

 70-3号、「末代無智章について」の誌上講話。前回、初参加者の方の質疑に答える時間が長くて、あまり進まなかったので、今回は、輪読を中心にした。せっかく真宗安心の要を示された誌上講話である。お聞かせに預かり頂くところは、わが胸の計らいは脇に置いて、まずはお聞かせに預かりたいものだ。教義的な問題、自他力の廃立に関わる要点もあるので、第一段(安心を示す)、さらにそこを3章にわけたその第2章の「たのむ機とたすくる法」を中心に、かなり補足もした。「一心一向に、たすけたまへとたのむ」という表現について、誤解されるべき点があるからだ。

 しかし、身・口・意(心)の三業をあげて、自らたのみ、その頼んだことを記憶して、忘れなことが信心だという、躍動しいままさに働く如来様の願力を固定化してとらえていく一念覚知的な信心の誤りと、その後、羹に懲りて膾を冷ますような「お慈悲、お慈悲」で、自分がお留守になった無帰命安心、「そのまま」安心が、大勢として幅を聞かせ、求道や一念の体験を嫌う教界の風潮のなかで、ひとりひとりが、いま、後生の一大事に心をかけて、たすけたまへと弥陀をたのむということに焦点をあてて、ご指導いただける幸せを喜ばずにはおれなった。知的でも、単なる感情でもなく、このわが身をかけて、この身に満ちる喜びを分かち合いたいものだ。

 ほかにも、第2段の報謝を示す段の、「~念仏申すべきものなり」という蓮師の教示をどう味わうのかも話題にでたのが、面白かった。教示どうりならないことで、皆さん、いろいろと解釈されているが、教示どうりでない浅ましい身であるからこそ、ゴチャゴチャ言い訳や解釈、正当化するのではなく、如来さまの言葉として、「念仏申すべきものなり」をそのままいただき、実践するべきなのだと思った。

 聖教も多くて難しい法話ではあるが、1度で読み流すのではなく、何度も読んでください、とお願いした。

 次回は、10月26日(水)の昼1時30分から5時。平日である。10月に発行される70-4号の新しい華光誌で行うので、お楽しみに。

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言葉だけを聞いているのではない

 9月の真宗カウンセリング研究会の月例会。

 ロージャスの論文というより、職場の管理職向けに講じられた、アクティブ・リスニング(積極的な傾聴)の講演録だ。カウンセラーではなく、一般向けの講義なので、すこぶる分かりやすい。でも、経験豊かなカウンセラーなどと共に輪読すると、さらに深く読みこなすことできる。

 今回は、言葉を単なる言葉上の意味だけなく、その背後に流れる感情に心を寄せて聞くことがテーマだった。聴くことには、文字取りを知的に理解する実用的な効用があるが、それだけでは、話し手は満足しない。心理的というか、情緒的な効用が満たされて、「聞いてもらった」「理解してもらった」と満足を得るものである。つまり、言葉上の表面の意味を、そのまま理解される以上に、その背後に流れる感情にも配慮され、心理的欲求が満たされることそが、人間関係上(特に身近であればあるほどだと思うが)意味が深いものである。つまり、言葉そのもの(知的・表面的)と、その底に流れる感情の両方を、全体の意味として理解していくことが聴くことであり、そのことが、相手の気持ちに応えていくことで、満足を得ることにつながる場合も多くあるのだ。

 そのためには、言葉(バーバル)だけ聞くのでは不十分で、言葉の周辺部、つまりためらいとか、声の調子とか、表情の変化とか、息づかい、姿勢、手の動き、目の動きといった、ノン・バーバル(非言語)にも配慮して、相手のほんとうの気持ちを知る手がかりにするのだ。

 案外、ミニカウンセリングから入った学習途上の人は、言葉をそのまま返すことがカウンセリングだという理解に留まっているが、聞くのは言葉でない。全人格的なたましいをもった人と、人が相まみえるのである。耳だけてなく、五感、いや六感も研ぎ澄ませて、その場に向かわせていただくことが、聴くという営みなのであろう。

 そして、相手を理解するのは、フィードバック、つまり相手の言葉を正確に言い返し、相手に満足をえることが大切である。その場合、必ずしも、オウム返しではないので注意が必要だ。ともすれば、言葉を大切にするあらわれであるが、心の伴わない、形式的なオウム返しほど、相手に不快なものはないのである。

 この「オウム返し」の記事は、研究会に会報に乗せたもので、3年前にエントリーしているので、よけばまた読み返してもらいたい。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-4605.html

 といっても、なかなか、実際には至難の業だ。

 すぐに一つの言葉にとらわれ、その言葉に傷つき、または引きずられていく。言葉には、さまざまな複雑な感情がともなうからだ。その場合の感情も、一時的な喜怒哀楽を問題にしているのすぎない。ほんとうに聴くのは、表に現れる喜怒哀楽ではなく、それを手がかりにしたその人自身であるのだ。まあ、理屈では分かっていても、実践では、勉強の毎日だ。

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越後御旧跡巡拝の旅(1)居多ケ浜

 親鸞聖人750回大遠忌を記念した、第38回の聞法旅行の「越後御旧跡巡拝の旅」も、感銘とともに、無事、終了することができた。第1回の聞法旅行以来、実に41年ぶりにご流罪の地である越後の聖跡巡拝の旅だ。ボチボチでも、旅行の様子を長期連載したい。

Img_7440 旅行前には、台風の影響も心配された。西からは福岡、高知、広島の同人がおられるからだ。結局、山陰線が雨の影響で、豊岡の同人が足止めをくって、40分遅れてのスタートとなった。バスは、名神から日本海側の北陸道を完走する形での長旅だ。途中、長浜や富山で長浜、金沢、高山の参加者が合流していく。親鸞聖人は舟の旅となった親不知子不知の難所を難なく通って、関東と地元Img_5832_2新潟の方々の待つ直江津駅へ。いつのまにか遅れを取り戻して、定刻どおりの到着となった。

 そこから、聖人の上陸中である「居多ケ浜」は近い。

 今から800余年前、死罪4名、流罪8名に及んだ念仏弾圧(承Img_5831元の法難)で、親鸞聖人も僧籍を剥奪され、京より遥か越後国府(上越市直江津)へと流罪となられた。その聖人が、越後の地に上陸されたと伝えられているのが、この居多ケ浜だ。『遺徳法輪集』には「聖人外波より御立なされ、小野浦といふより御船に召たまひ赤岩といふへ着岸したまひ、それより小田の浜へ上りたまふ、と古老の伝説なり」と記されている。また、今昔物Img_5833_2語にも越後守行任が在府の時、ここ郡浜へ小舟を漂着させたと記載されているので、それと余り隔てなく、聖人も、この浜より上陸したものだと推測されているのだ(参照『古寺巡礼ガイド・親鸞』)。

 日本海に面したこのあたりは、長い冬の期間、厳しい北風のために、一方に葉のかたよった片葉の葦が棲息している。これは、「国府の片葉アシ」として、越後七不思議の一つに数えられている(最後の写真)。親鸞聖人ゆかImg_5836りの七不思議については、また後にふれよう。

 20年ほど前にぼくもこの地に立ったが、その時は、こんな展望台も、お堂もなく、直接、浜に下り立った。この鄙びた海岸が、聖人の上陸の地であることは、小さな石碑だけが示していた。それが、今回はImg_5845新しくできた展望台から観るだけだった。直接、浜に降りられず、みんな残念がっていた。添乗員にそのことを伝えると、「そんなことを言われたのは、熱心な華光会の皆さんだけです」とのことだ。正直、整備されてきれいになったが、趣がなくなったのが寂しかった。

 親鸞聖人がこの地に立たれたのは、冬のことだ。海は荒れていたかもしImg_5842れない。今日は、小雨まじりのどんよりした空で、海も灰色だったが、波はなく、静かな夕凪だ。

 結局、20分ほど散策しただけで、初日の宿は、妙高高原にある赤倉ホテルに向かった。あたりはすでに闇である。

 10時に出発し、6時到着、ほとんどバスという長旅だったが、ロビーでは、地元の同人と、I先生がお出迎えくださった。

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華光誌作業終わる

 華光誌、70巻4号の完全版下データを、印刷所に渡す。

 土曜日からの「聞法旅行」に間に合った。9月は、週末毎に、遠方への出張法座があるが、加えて華光誌と、聞法旅行、そして決算期が重なるので、たいへんだ。今年は、そこに葬儀も加わった。幸い、「巻頭言」も「誌上法話」も、他の先生方だったのこともあって、予定より1日早く渡すことができた。

 今回は48頁と増頁となった。26の記事に、24名の方が投稿されている。連載の3名の方の体験記は、2回目。まさに老若男女で、本山の別院、カウンセリング(相談室)、そしてNHKのこころの時代と、それぞれご縁は違うので、その道筋もまたそれぞれあって面白い。

 ほかに7月の壮年の集い、8月の仏の子供大会、そして支部法座の感想集が特集されている。他にも、750回大遠忌に向けた想いや行事の提言などもあって、内容、量ともにギッシリある。

 並行して、「聞法旅行」も、少し早めの準備をお願いしたこともあって、こちらも今日までにだいたい終わった。簡単なものだが参拝の資料も作製することができた。お世話方はご苦労さまでした。

 行事を前夜に、慌てながらのバタバタと準備して、焦る必要がなさそうなのは、大いに助かる。

 おかげて、ちょっと一段落した気分。

 でも、「聞法旅行」はこれからだ。旅行が終わると、決算期に向けた準備だ。大遠忌もある節目の年。華光大会の総会に向けて、これからが正念場かもしれない。

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九州支部法座IN福間海岸

 4月以来、半年ぶりの福岡での九州支部法座。

 新生九州支部が誕生してから、随分顔ぶれが変わった。今回は、熊本組が多かったが、それなりに定着した雰囲気もある。華光会館デピューがまだの方も多いので、来年の行事当番が楽しみだ。

  ぼくのなかで、かなり大遠忌の企画で盛り上がっている。でも、まだまだ、実行委員の人たちとでも温度差もあるが、これはこれから。何かお話をさせていただく機会があれば、華光会の大遠忌に向けたの想いを中心にしている。

 まずは、『教行信証』の後序にある「非僧非俗」の精神と、愚禿の心。まもなく越後への御旧跡巡拝へも出かけるので、流罪のお心を窺った。専修念仏への批判は、たかだか六字の南無阿弥陀仏一つで、凡夫が仏に成れることに対する反発でもある。たかが、南無阿弥陀仏一つである。呪文でもないのに、ほかの行も、善もいらないというのである。そんな虫のよい話があろうかと、「南無阿弥陀仏」を疑い、誹謗しているのは誰なのか。聖人を流罪の罪をかぶせたのは、念仏を停止(ちょうじ)させてのは、旧仏教の勢力でも、政治権力でもないのかもしれない。

 もう一つは、テーマの「いま、生死(しょうじ)を超える」に即して、「横超断四流」について。前席は、「横超」から、真宗の教相判釈(教判)について。あと席は、「断」ということで、ぼく自身が他力念仏に出会った体験を、かなり詳細に語った。「超える」「超える」と力を入れてきたけれど、超えてくださったのは阿弥陀様の方だった。グズグズと迷いを繰り返す私のために、超世の悲願を建てて、超えて飛び込んできてくださっているのだ。

Img_5822 それにしても、残暑がまだ厳しい。

 会場近くに福間海岸があるので、休み時間に海岸で気分転換。さすがに、泳いでいる人はないが、ウィンドサーフィンをしている人が多かった。

 9月もそろそろ折り返しだが、Img_5827まだまだ残暑は厳しい。京都は、35度の猛暑日になったりもする。

 それでも、風は秋の気配を感じさせる。

 空も秋の色だ。

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再び、選択本願

 9月の伝道研究会。七祖の発揮で、やっと法然上人に入った。

選択本願…『選択集』によって、今まで寓宗(ぐうしゅう)であった浄土門を、浄土宗として独立させ、日本一州に選択本願を弘通された。

という2行だけを読んだ。一方的に講義するのではなく、皆さんからの質問や、ぼくから投げかけた問いに、せっかく伝道研究会なので、お聖教で応えていくという形式で進んでいく。いつも聞いていることでも、質問の方向を少し替えただけで、皆さんかなりあやふやなことになっていかれることも多い。

 寓宗とは何かと質問がでたので、これまでの日本仏教(宗派)の歴史、特に僧(サンガ)のあり方を歴史的にお話したりしたが、法座ではあまり触れることない話題なので、皆さん新鮮に聞いておられた。

 でも、ここで重要なのは、選択本願ということである。「誰が、どこで、何を選択されたのですか」と、これまでの復習のつもりで質問したら、皆さん、沈黙。そのうち、真宗学を終えた方から「法然上人が、三選の文ですか」という答え。それをお示しくださったのは法然上人なのであるが、選択本願といえば、どうか。改めて、「誰が、どこで、何時、何を」と問うと、皆さん、見事に沈黙されてしまった。

  実は、伝道研究会で、「真宗基礎講座」教義篇をテキストに開始した冒頭が、弥陀の発願だった。

 もともと(七高僧の場合)、選択本願とは、四十八願のすべてを指す立場(因本願)もあるが、宗祖は、根本願として、第十八願を選択本願と見られたのである。つまり、真仮の生因三願は、すべて大悲より起っているが、選択本願として、選び取り、選び捨てをされ現れてきたのは、第十八願のみなのである。それが、テキストの冒頭に引用された、「選択本願は浄土真宗なり」(御消息集)とのお言葉となるのだ。

 だからこの話題は以前にも触れている。 皆さん、初事とお聞きになるので、ここでも再載することにした。

 選択は、「せんたく」ではなく、真宗では「せんじゃく」と読む。もともと、この「選択本願」とは、法然上人が、その著書を『選択本願念仏集』と題され、さらに、「本願章」には、 「選択とはすなはち、これ取捨の義なり。いはく二百一十億の諸仏の浄土のなかにおいて、人天の悪を捨て、人天の善を取り、国土の醜を捨て国土の好を取るなり」と顕しておられる。それを受けた、親鸞聖人も、第十八願名について、「この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり。この大願を選択本願と名づく」と示されているように、まさに、「浄土真宗は選択本願なのだ」ということになる。だから、この場合の浄土真宗は、小さなセクトとしての宗派名ではない。

 法蔵菩薩の願い、ご本願は単なる願いではない。「選択摂取されたご本願」であり、真実の願なのである。

 『大経』には、世自在王仏のみもとにあって、そのご指導をもとに、二百一十億の諸仏の刹土を覩見された後、「二百一十億の諸仏の妙土の清浄の行を摂取す」と示されているが、法然さまは、選択と摂取は、言葉は異っても同じ意味であるとみられている。つまり、選択には、「選取」「選捨」の両義があり、それに対して、摂取には、「選取」の義のみがあるように見えるが、その選取はそのまま他の「選捨」であるので、選択と摂取とは同じ意味である。もちろん、ここでの摂取は、「摂取不捨」とは別義である。

 では、なぜ、選び取り、選び捨てをしてくださったのか。そのおこころは、「出離の縁有ること無し」、諸仏方のお力では絶対に救われる縁のない私くしを、なんとか救いたいの一点にかかっている。つまり、仏願の生起-そのお心が起こってきた背景が、ここにある。だから、誰のためのご本願なのか。なんの為の選択であり、五劫のご思案であるのか。そこに私が抜けると、単なるおとぎ話か神話であって、いつまでも自分の問題になってこないのである。

 その十八願の願意が、信心(至心・信楽・欲生の三信)正因であることを明かすめに、十八願を、11、12、13、17、と18願に開かれた真実五願、つまり、法然上人の一願(十八願)建立の立場に対して、信心往生たる五願開示の立場が、親鸞聖人の発揮となっていくのである。

  何度も、何度もお聞かせに預かっていくのではあるが、あとの皆さんの感想、分かち合いを聞いていて、もう少し形態を変えた集いの方が、皆さんの意欲にも沿うのかなあと考えさせられもした。

 次回は、10月5日(水)夜7時30分~9時50分

 華光同人会員が対象。意欲的に学ぶ気持ちかあれば、知識の有無は問いません。

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耳慣れ雀

  葬儀に出かける。

 5~6年に1度あるかないかの時もあったが、今年は2回目。最近は、年に1、2度は導師のお声がかかる。

 それで、少しは場馴れしてきたのだが、それでも、念のため予習は必要だ。広島法座から戻って、すぐに準備。七条を着る確認と、少しだけ念仏と和讃の練習もした。

 葬儀は、しめやかに営まれた。父親を亡くされた喪主の最後のごあいさつが、有り難かった。無常の理は誰の上にもさけられないこと。家族を護るようにひとりで大病を引き受けてくれたこと。そして、本願力に出会って、お浄土で念仏三昧の日々を送っているのだから、けっして寂しいことはないという内容だった。

 お山にいき、初七日では、短いご法話。お斎をご馳走になった時には、一言ずつ思い出を分かち合った。まったく故人を存じあげないので、完全に第3者の死であったが、皆さんの重い、そして温かい一言一言で、故人の輪郭がぼんやりとだが、立ち上がってくるようだった。

 夕方に戻ってきたら、直後にまた訃報が届く。日高支部の長老のご息子の訃報に、少なからず耳を疑った。まだ50台とお若い。昔、子供大会にも出られたこともあり、東京の講演会には、そのお子さんも参加されていて、仏縁を模索中だったからだ。お悔やみ電報を打った。数日前にも、同人の連れ合いの方の急逝に驚き、昨日は、日高同人の古老の逝去が届いたばかりだ。この1週間で、4回目となると弔電を打つのも手馴れてくる。

 まさに、鳴子にも停まる耳慣れ雀。麻痺しながら生きている。

 散る桜 残る桜も 散る桜

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覚悟のほど

 週末は、広島支部大会だ。

ノロノロの大型台風が接近中。台風は四国沖だというのに、京都でも、雨足が強まり、強風も吹いている。今後、四国に上陸して岡山に再上陸する見込みで、山陽新幹線の進路にあたる。明日、広島に行くのは、どう考えても無理な状況だ。それでも、広島支部の皆さんの意向は、法座を開きたいというのである。大幅な遅れも予想されるが、その場合でも、皆さんだけで輪読をしなから、ぼくの到着を待っているというのだ。もっとも交通機関が停まってしまったら、それもできないので、最終的な判断は当日の朝8時の時点の状況で決めましょうということになった。

  電話を切ったら、葬儀の依頼が飛び込む。先月に、さまざまな縁がつながって、条件付きで、お引き受けした方である。先週には、ご挨拶に見えられたが、単なる儀礼ではなく、今後もこれをご縁に聞法をしたいという、はっきりしたお気持ちをもっておられて、こちらも好感をもった方である。

  条件付きというのは、あくまでも生きた人達の業魂のお葬式、こちらの本業である。法座と重なった場合は、誰か他の華光関係の先生にお願いすることで了解をいただていた。ちょうど広島と重なったが、法座開催は、台風の関係でギリギリまではっきりしない。枕経は、今夜遅くてもお参りすることになったし、友引で火葬場が休業なので葬儀は月曜日となったので、これも大丈夫だ。問題は、通夜。広島法座と重なってしまうが、これも明朝にならないと確定でなきない。仕方ないので、行けるケース、ダメなケースの二種類を想定して、先生方にお願いすることになった。

  宇治の山中。先導をうけないと戸惑う急なヘアピンカーブの連続の道を、強風の中を進んだ。ご自宅には、お仏壇もなく、ご遺体には南無大師遍照金剛のお遍路の衣装が掛けてある。皆さんのご様子からも、まったくこれまで真宗(仏教にも)に関わりをお持ちでないことがわかったが、口に「南無阿弥陀仏」とお念仏すること、一緒に、『阿弥陀経』を勤行をお願いして、ゆっくりと読経を終え、ご法話も聞いてもらった。

 帰宅して、両建てでの作業。この状況では、広島行きは、土曜日の夜か、日曜日にならないと新幹線は動かないと、心の中では判断していた。まともに岡山を直撃しそうだ。それでも、念のために、位牌を書きや葬儀の準備だけは、深夜になったが無理してすませておいた。予定していた新しい法話の資料作りは無理だった。

  朝7時にニュースを確認したら、新幹線は少し遅れているが、動いていた。広島からは、「在来線は停まっていますが、法座をやりたいと言われています」とのことだ。まあ、普通なら、中止だろうと言った。この先、どなるかわからないが、こうなったら仕方がない。あわてて、荷造りと教案をコピーし、通夜の段取りを連絡して、早めに家を飛び出した。

 ところが、新幹線の前に近鉄が遅れていた。大急ぎで走ったら、新幹線も遅れている。とにかく来た列車に飛び乗った。何もかも遅れたのに、不思議なことに、到着は待ち合わせの定刻ビッタリに、広島駅を降り立っていた。

 広島は、風もなく、曇っているが晴れ間も見えている。まったく雨の気配はない。ああ、これなら、開催を考えるな。でも残念ながら、近郊の交通機関は乱れていて、キャンセルが多かって、かなりの少人数。それでもドタバタしながらも、予定どおり2日間の法座は開かれた。

 会館を出る時、開催を驚かれたTさんが言われた。

「こんな台風の中、開催される、広島支部の皆さんの覚悟のほどを、聞かせてもらってきてくださいね」

 それを法話の冒頭に話した。

 しかし、まあぼくも含めて、広島の皆さんも、それほどの覚悟のほどなど大してなかった。みんな、なんとかなるだろうという程度のものだ。でも、そこが、一番、有り難かったかなー。

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越後聖跡巡拝の旅のお誘い

 750回大遠忌記念事業のトップを切って行なわれる。

 今年の聞法旅行は、9月17日(土)・18日(日)・19日(祝)の3日間親鸞聖人のご流罪の地である越後の御旧跡巡拝の旅を予定している。

 第1回の御旧跡巡拝の旅が、この越後の地だった。その後、佐渡の旅行の時に、直江津周辺のご旧跡地は巡ったが、まとまった形の旅行は、実に41年ぶりになる。何分、京都からは遠方である。親鸞聖人は、流人として歩かれた道を、楽々と高速道を快適なバスで進行するのだ。

 初日は、直江津にあるご流罪時の上陸の地である居多ガ浜に向かい、妙高高原の赤倉ホテルへ。ここには、ホールの中央に浄土真宗のお内仏が鎮座しているという。その趣旨は、以下に詳しいが、ここも楽しみのひとつだ。

http://www.akakura-hotel.com/info/uenkou.php

   初日の夜には、地元の池永先生にご法話をいただく。先生との交流も、貴重な時間である。翌朝にも、ここでおあさじを勤め、短いご法話のあとで、親鸞聖人が庵を結ばれた草庵跡と、奥方様の恵信尼公の墓所と、記念館、聖人流罪の標札など貴重な宝物が残る光源寺を訪ねて、そこから無為信寺へ。月岡温泉に宿をとって、最終日は、越後七不思議のうち、「保田の三度栗」の孝順寺、「小島の八房の梅・数珠掛桜」の梅護寺、「田上の継框」の了玄寺を巡る。初日ちは、「国府の片葉の葦」の国府別院にも寄れるかもしれない。いずれも、日本海の激しい季節風により生まれた珍しい樹木が、聖人の越後のご流罪生活と結びついて、真宗のみ法りを伝承する固有の伝説となっているもので、現地でのお話も窺う。

 どうぞ、聖人のご苦労のあとを、お念仏と共に、皆様と巡らせてもらいましょう。

 〆切日は過ぎて、一応、バスの定員に達していたが、ここにきて数名のキャンセルが出てきた。あと、2、3名程度なら、受け入れることができる。せっかくの機会である。どうか、迷っておられる方は、早急に華光会にお申し出いただきたい。東京方面の方は、現地に集合で、かなり楽である。北陸の方も、途中のSAで合流することができるので、お問い合わせいただきたい。 

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2011/details/09/monpou.ryoko2011-9.htm

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