九州支部法座IN福間海岸
4月以来、半年ぶりの福岡での九州支部法座。
新生九州支部が誕生してから、随分顔ぶれが変わった。今回は、熊本組が多かったが、それなりに定着した雰囲気もある。華光会館デピューがまだの方も多いので、来年の行事当番が楽しみだ。
ぼくのなかで、かなり大遠忌の企画で盛り上がっている。でも、まだまだ、実行委員の人たちとでも温度差もあるが、これはこれから。何かお話をさせていただく機会があれば、華光会の大遠忌に向けたの想いを中心にしている。
まずは、『教行信証』の後序にある「非僧非俗」の精神と、愚禿の心。まもなく越後への御旧跡巡拝へも出かけるので、流罪のお心を窺った。専修念仏への批判は、たかだか六字の南無阿弥陀仏一つで、凡夫が仏に成れることに対する反発でもある。たかが、南無阿弥陀仏一つである。呪文でもないのに、ほかの行も、善もいらないというのである。そんな虫のよい話があろうかと、「南無阿弥陀仏」を疑い、誹謗しているのは誰なのか。聖人を流罪の罪をかぶせたのは、念仏を停止(ちょうじ)させてのは、旧仏教の勢力でも、政治権力でもないのかもしれない。
もう一つは、テーマの「いま、生死(しょうじ)を超える」に即して、「横超断四流」について。前席は、「横超」から、真宗の教相判釈(教判)について。あと席は、「断」ということで、ぼく自身が他力念仏に出会った体験を、かなり詳細に語った。「超える」「超える」と力を入れてきたけれど、超えてくださったのは阿弥陀様の方だった。グズグズと迷いを繰り返す私のために、超世の悲願を建てて、超えて飛び込んできてくださっているのだ。
会場近くに福間海岸があるので、休み時間に海岸で気分転換。さすがに、泳いでいる人はないが、ウィンドサーフィンをしている人が多かった。
9月もそろそろ折り返しだが、まだまだ残暑は厳しい。京都は、35度の猛暑日になったりもする。
それでも、風は秋の気配を感じさせる。
空も秋の色だ。
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