安芸の宮島
安芸の宮島へ。
宮島は、広島聞法旅行のおりに一度だけ訪れたことがある。もっとも、朱が鮮やかな厳島神社に行ったことだけは覚えているが、船に乗った覚もない。日本三景にしては、ガッカリの記憶があったのかもしれない。
しかし、せっかく目の前まで来ているのだ。早朝の散策もいいかもしれない。2日目早朝、一番の連絡船に乗って、静かな宮島の散策と、引き潮で大鳥居まで歩いた感激を伝えてくださった方があった。観光客のいない観光地は魅力的だ。ならば、たまには早寝して、6時起きをするのも変化があっていいと、一瞬は思った。しかしながら、わが業は、早朝の宮島散策よりも、深夜の飲み会を選んでいた。終了後は、ながと&ブッタに寄り道も決まっている。結局、対岸から眺めるだけで終わることになりそうだ。
ところが、昼食は各自自由で、みんな外に食べに行くという話になった。それなら90分間、まるまる時間がある。食事は、向こうで食べても、船上でもいい。所用時間は10分なので、往復の待ち時間を見越しても、1時間の散策時間がありそうだ。午前のセッションが終わって、すぐに飛び出す。おいしそうなパン屋さんを見つけていたので、さっそく買い込って、すぐに乗船した。
お盆が済んでいたが、夏休みでそれなりに混んでいた。来年の大河は、平清盛。またここもブームになるだろう。
足を延ばして驚いたことは、宮島といえば、大鳥居と厳島神社という神社のイメージがあったが、五重の塔や仏教寺院が多数、点在していることだ。
厳島神社の手前に、朱塗りの五重の塔と、大講堂があったので、お参りすることにした。千畳閣とある。寺院の講堂だと思って上がったら、様子が違う。奉納された絵馬が掲げられ、内陣(仏壇)がないのである。パンフレットをみると、豊国神社とある。あれ? 京都の東山七条に本社があるのに、なぜだ。もともと秀吉が、戦没者慰霊のために千部経読誦する大経堂として、安国寺恵瓊に建てさてものだという。それが、明治初年の神仏分離令によって、本像は移り、厳島神社の末社となったというのである。
体系的な形態をもった仏教の伝来によって、日本古来の神々が教えとして自覚されるようになり、仏教優位から、時代を経て仏や菩薩が人々を救うために様ざまな日本の神の姿をかりて現われるという本地垂迹説が広まって、神仏習合が日本の宗教となっていく。
それが、明治維新後、廃仏毀釈によって、変化がおこる。明治元年の神仏分離令によって、それまで密接に結びついていた、神社と寺院が分離されていくのである。
ただ、宮島では、徹底した破壊ではなく、分離されただけで、遺産が残っているのは幸いだ。
人慣れした鹿が、しっかりカメラ目線。撮影終わるまで、待ってくれていた。
もう少しゆっくりしたいところだか、昼のセッションが始まる。短い旅だが、船に乗って海風にあたると、これでも船旅の気分を味わえ、心地よい。
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