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東京支部法座

 東京支部の法座。2日間に渡って、講義(講習会)スタイルで行なう。50分程度の講義を2席、そのあと質疑や感想を分かち合い、最後だけ、車座の座談会形式とした。

 3月の華光講習会で担当したが、大震災直後で、東京方面の方がほとんどキャンセルとなったこともあって、今回、行なうことにした。テーマは、真宗の基礎~安心編(9)で、得益篇である。いわばご安心の価値ともいべきもので、念仏者が、現世と来世(現当二世)で受ける広大なご利益を讃嘆するものである。

  講習会の直後には、そのことに触れているので、詳しくは、以下の記事を参照いただけばいい。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-399c.html

 今回は講習会でのテキストを2枚ほど縮めて、5枚にしたダイジェスト版だが、それでもかなりの高濃度の内容で、多くの参加者の許容(受容)範囲を超えていた部分もあったようだ。しかし、一度は、しっかり教義的というか、体系的に押さえた講話も聞いてもらいたいと思っている。いつまでも、ただ自分の目の前にある実感だけでしか、仏法が喜べないのではもったいない。確かに、わが身に引き寄せて、お聞かせに預かったり、味わえるこということは、今日の真宗界にあっては、貴重なことである。しかし、実感を超えた部分の味わいは、やはり、聖教量によって、お導きいただくしかない。

 特に、念仏者がいただく他力のご利益となると、現世はともかく、来世における往生即成仏、最高の証果、そして、利他教化地である還相廻向と連なるご利益などは、凡夫の生活実感からは見いだすことはできない、自利利他円満した南無阿弥陀仏の働きそのものてある。いや、信の一念の端的で、現生正定聚に住するということの積極的な意義も、たぶん、凡夫の実感だけを頼りするだけでは、その広大なお心まで味わうことは難しいことだろう。

 当然、その聖教は、単なる研究の対象ではないし、大切なご文を丸暗記するような受験のような聴聞では、そのお心はわからない。結局、わが身を通して、わが身を映す鏡としていただくしかないだから、ぜひ、華光に集う人々には、もっとお聖教にも慣れ親しんでいただきたいのである。

 その意味では、今回の講習会スタイルは試験的なものだったが、今後も、チャンスがあるなら、こういう形式で行なっていきたいと思っている。

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