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7月の輪読

 華光誌輪読の平日法座。

 平日にもかかわらず、輪読に初参加の方が5名あって、久々に賑やかだった。

 「巻頭言」と、「聖教のこころ」の輪読。輪読は、「悲しみに寄り添う」という、若手の先生の一文。ほんとうは、「すべての悲しみに寄り添うこころ」が原題だったけれど、長すぎるので短くした。

 なぜ、苦しみでなく、悲しみなのだろうか。すべての悲しみとはなにか、そこに寄り添うとはどういうことかなどの疑問を考えながら進んだ。結局、凡夫の私の心は、自分の悲しみや苦しみには寄り添って癒されたいが、人のそれには無関心で、小慈も小悲もなき身であることを、知らせるばかりである。ただ生きとし生きるのも、そのすべての悲しみ、苦しみの本を除き、最高の楽を与えたいという大慈悲心で成就された南無阿弥陀仏だけが、すべての苦しみ、悲しみに寄り添うことができる、末通った大慈悲心だといわればならない。

 途中で、仏の子供大会の申込での来館者あり。たまたまた事務所が留守なので、少し対応したり、そのために調べ物があったり、少し抜けたのが残念。〆切は先だが、今年は初参加者も多くて出足は好調。逆に、マイクロバスの定員をオーバーして、急遽、レンタカーを手配した。

 週末から、4日続きの法座で、それ以外にも、この間にはいろいろなことがあったし、それにこの暑さである。かなりお疲れ気味で、ぼく自身、今回の法座は集中力にややかけていたきらいがある。これは要反省。

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