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2011年6月の4件の記事

父の日

 東海支部法座が終わってから、名古屋にある姉のもとへ。最初は、一人の予定だったが、長距離バスの時間まであったでの高山組と、静岡の掛川に就職しているRちゃんも、さっそく里心がついたのか、一時帰宅。1年ぶりに、義兄のお店に顔をだしてご馳走をいただいた。

Img_4905 少し話し込んで、帰宅するのが遅くなったが、父たちも、少し前に福井から戻ったところだという。約1年ぶりに宿泊の出張法座だった。高速1000円の最終回で、渋滞して遅くなったようだ。

 帰宅すると、父の日のプレゼントが待っていた。

 子供たちからは、折畳み傘と、スリッパを、連れ合いからはおしゃれなボロシャツをもらって、ちょっとジ~ン。いつもながら、ありがとう。

Img_4864_2 ぼくのパパの方は、誕生日のお祝いを兼ねて、一緒に食事に出かけたが、かなり元気になってきていて、安心した。

 とはいっても、いつも心配をかけているのは、子供のこちらの方で、まだまだ未熟な身で、両親には心配や苦労をかけるしかなImg_4884ことが恥ずかしいなー。

 ちなみに、お祝いの食事をした隣の町家Img_4890には、与謝野蕪村終焉の地との碑がたっていた。

  涼しさや 鐘をはなるゝ 鐘の声

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東海支部法座in蒲郡

009 三河の蒲郡での東海支部法座。会場は、海岸側の三谷温泉にある旅館(民宿)。毎年、6月は、蒲郡の同人宅の家庭法座が定番だったので、同じ蒲郡でもちょっと妙な感覚。東海支部では、初の宿泊法座で開催だ。これまでも、何度か案が浮上していたようだが、1月から役員が一新され、新体制のもとでの初の企画となった。

 しかも東海支部の101回目の法座となる。先月、100回を記念する法座があったので、今回は、次ぎの新たな企画でその1歩となる法座だ。

 先の支部長研修会での若い方の発言にあったが、物事には、そこに034至るまでの歴史、おいわれがある。ともすれば、いまのところしか見ないで、新しい人たちが、効率や成果で変化や改善を行なっていくことがある。しかし、古いものにも、必ず、そこに到った先輩の経緯やおいわれがあったはずだ。そこを十分に聞かずに進むと、前に歩く人も、すぐに変わった点のみに目が向いてしまって、「昔は○○だったのに」、と不満も出てくる。逆に、そのおこころやおいわれにも、しっかり耳を傾けて進むことで、また一段と、新しいものにも、伝統の深みや味がでてくるというのである。これは、ぼく自身の歩みにも当てはまることだなー。

 その意味では、今回は、100回の歩みを作ってくださった先輩同人と、そのあとを継いで新しく法座をお世話くださる皆さんが、うまくかみあったおかげであろう。

 法話は、「立位置で見方が変わる」、「心口各異・言念無実」、「凡夫が仏に成る」の3座。

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 ほかに、3名の参加者の信仰体験発表があったのが、ユニークだった。初企画ということもあり、時間の制約もあって、総花的な報告的な語る会になって、もう少し、一念のところ、核心になる味わいのところを、具体的に話してもらった方が面白かった気がした。別に、信・未信に関わらず、ぜひ、これまての求道の歩みをまとめてみるだけでも、随分、意味があると思うので、またの機会に聞いてみたいものだ。

 また個人的には、予想していなかった、アメリカ在住の同人の一時帰国で、3年ぶりに会えたことがうれしかった。また、東海支部の礎を作ってくださった先輩同人たちの元気なお姿と、懇親会では、これまでの歩みを、懐かしく分かち合いもできて、あらためて教えられることもあった。そして、その人たちと、妙に深くて狭い微妙な浴槽で、並んで裸のおつきあいだできこたとも面白かった。

 写真は、デジカメを忘れて、姪のR子ちゃんにデータ便で送ってもらったもの。外は、梅雨空だったが、会場は海岸線のすくそばで、潮の香りがしていた。ぼくも、子供のころに潮干狩りにきたことがある。海の幸の食事も、安い値段なのに、ご馳走だった。(個人宅をのぞいて)支部法座の会場でも、一番の内容じゃないかなー。お世話役の皆様、ご苦労様でした。

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華光誌の版下完成

 華光誌の本文の作業は終わっていたが、やっと決まった750回大遠忌テーマの簡単な紹介記事と、カットや凡子マンガと、ウメ部分が揃って、華光誌70巻3号の本文の版下が完成。夕方、印刷所に渡った。

 今回は、「末代無智章について」の誌上講話になっている。もともと『後生の一大事』に増補版に収録する第一候補だったが、結局、単行本には、「無我について」を収録した。信仰体験発表も一新されて、久しぶりに3名の方が登場する。本派別院、カウンセリング、そして、NHKの「こころの時代」と、それぞれに、求道・聞法の入り口のご因縁が異なっているのが、バラエティーに富んでいて、なかなか面白い。

 7月1日の発送の予定。このあと、大遠忌の浄財のお願い、9月の越後ご旧跡巡拝(聞法旅行)の申込み、うまくいけば、10月の東京講演会の案内を作製して、同封の予定。本体はできたが、付録にもう少し時間がかかりそう。

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臨終勤行(枕経)

 16日。親鸞聖人のご命日で、お精進の日。

 出張法座に加えて、七五〇回大遠忌の相談、夏や秋にある法座の案内などもあって、華光誌の作業が送れ気味。それでも急ピッチにすすんで、予定どおりで渡せる目処が立ってきた。そんな矢先に、珍しく葬儀の依頼。なかなか予定どおりにいかないようだ。以前から、声がかかっていた方だったが、週末は東海支部への出張法座だ。父も、約1年ぶりの宿泊法座で、福井に向かう。葬儀より、原則、法座を優勢するのが、華光流なので、申し訳ないがお断りをして、久しぶりに臨終勤行(枕経)だけはお勤めさせてもらうことにした。

 中山道の宿場町、彦根の摺針峠(すりはりとうげ)に所属寺院があり、すでに院号も受けておられる方だったので、お断りしても何の問題もなかった。

 亡き人を偲び、阿弥陀様への養育の御礼を兼ねて、一同で、声を揃えて、ゆっくりと『阿弥陀経』を勤行した。最初に、お念仏をさせてもらうが、声は小さい。勤行は、読むので付いてこられる。20分強のご法話。他力廻向の「南無阿弥陀仏」のお心について、少し丁寧にお伝えして、必ず「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、声に出してお念仏いただくことをお願いする。すると、さきほどよりも、少し大きな声の響きとなっていた。「南無阿弥陀仏」を声に出して称えるだけでも、たいへんなことである。それが、その本当のお心をお聞かせいただき、念仏申す身とならせてもらうには、こんな小さなお育てを積み重ね、積み重ね、積み重ね続けられてきてくださったおかげがあったことであろう。そのことに心をはせて、お念仏させてもらった。

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