三河の蒲郡での東海支部法座。会場は、海岸側の三谷温泉にある旅館(民宿)。毎年、6月は、蒲郡の同人宅の家庭法座が定番だったので、同じ蒲郡でもちょっと妙な感覚。東海支部では、初の宿泊法座で開催だ。これまでも、何度か案が浮上していたようだが、1月から役員が一新され、新体制のもとでの初の企画となった。
しかも東海支部の101回目の法座となる。先月、100回を記念する法座があったので、今回は、次ぎの新たな企画でその1歩となる法座だ。
先の支部長研修会での若い方の発言にあったが、物事には、そこに
至るまでの歴史、おいわれがある。ともすれば、いまのところしか見ないで、新しい人たちが、効率や成果で変化や改善を行なっていくことがある。しかし、古いものにも、必ず、そこに到った先輩の経緯やおいわれがあったはずだ。そこを十分に聞かずに進むと、前に歩く人も、すぐに変わった点のみに目が向いてしまって、「昔は○○だったのに」、と不満も出てくる。逆に、そのおこころやおいわれにも、しっかり耳を傾けて進むことで、また一段と、新しいものにも、伝統の深みや味がでてくるというのである。これは、ぼく自身の歩みにも当てはまることだなー。
その意味では、今回は、100回の歩みを作ってくださった先輩同人と、そのあとを継いで新しく法座をお世話くださる皆さんが、うまくかみあったおかげであろう。
法話は、「立位置で見方が変わる」、「心口各異・言念無実」、「凡夫が仏に成る」の3座。
ほかに、3名の参加者の信仰体験発表があったのが、ユニークだった。初企画ということもあり、時間の制約もあって、総花的な報告的な語る会になって、もう少し、一念のところ、核心になる味わいのところを、具体的に話してもらった方が面白かった気がした。別に、信・未信に関わらず、ぜひ、これまての求道の歩みをまとめてみるだけでも、随分、意味があると思うので、またの機会に聞いてみたいものだ。
また個人的には、予想していなかった、アメリカ在住の同人の一時帰国で、3年ぶりに会えたことがうれしかった。また、東海支部の礎を作ってくださった先輩同人たちの元気なお姿と、懇親会では、これまでの歩みを、懐かしく分かち合いもできて、あらためて教えられることもあった。そして、その人たちと、妙に深くて狭い微妙な浴槽で、並んで裸のおつきあいだできこたとも面白かった。
写真は、デジカメを忘れて、姪のR子ちゃんにデータ便で送ってもらったもの。外は、梅雨空だったが、会場は海岸線のすくそばで、潮の香りがしていた。ぼくも、子供のころに潮干狩りにきたことがある。海の幸の食事も、安い値段なのに、ご馳走だった。(個人宅をのぞいて)支部法座の会場でも、一番の内容じゃないかなー。お世話役の皆様、ご苦労様でした。