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土曜日の朝、昼、夜

Img_4493 土曜日。朝、起きてきたら連れ合いが出かけていたので、午前中は子ども連れて、近所に公園に遊び行く。曇っていて、風も強い。下の子は自転車の練習。上の子とぼくは、Jボードに乗ったり、かっこをした。毎日、駅伝の練習をしているので、もうぼくより早く走れるかもしれない。それより、ぼくが歳をとったのかもしれない。公園の桜ははほとんど散っていて、青葉がImg_4498まぶしくなってきた。写真の右下に、不思議な青い球体を発見。なんだろうか?…。

 拡大してみたら、子供が蹴っていたボールと判明。

Img_4499 公園の隣の空き地には、西本願寺の大遠忌の団体参拝用の観光バスがずらっと並んでいる。本山の駐車では足りなくて、十条通沿いにある空き地が利用されている。たまたま任天堂の本部の拡張工事などもあって、大型の空き地がたくさんあるのだ。帰りにちょっと覗いたら、滋賀県と兵庫県教区のバス。兵庫県は、お待ちうけ法要の講師でお世話になった宍粟組からのものだった。

 用意してあったお昼を食べさせて、急いで後片付けをしてから、華光誌輪読法座に臨む。すっかり顔ぶれが固定してきたが、それても少しは珍しい顔もチラホラある。しばらくはこの少人数で、車座になって進行する集いでいくのだろう。今朝は、団体席空きを教えてもらって、法要にお参りしてたきたという方もあったが、日頃はお手伝いもされているので、少しは内情もお聞きした。

 今回は、70-2号、若手の先生の巻頭言、「聞即信の教え」を読む。何を聞くのか、どう聞くのかをということを、短い文章に要点が押しこまれているので、行と行の間をかなり補足しながら、進んでいった。

 本文中の冒頭は、「仏法は聴聞にきはまる」というように、真宗は「聞即信」の教えだ、とさらっと始まるのだが、ここで質問がでた。「この聴聞と、『聞』は同じなんですか。それならなぜ『仏法は聞にきはまる』ではないんですか」と。その方のおっしゃるとおりで、普通は、ただ漫然とお寺での説教聴聞を、何度も重ねていくことが聴聞だと理解されている。そして、その聴き方など問われないで、ただ回数重ねることが大切なよさ意味で使われている。とにかく聞かないとだめだというのである。確かに、そんな一面もあろう。一方で、「聞即信」は、このあとで解説されるように、時剋の極促をあらわす、聞信の一念の端的の「聞」である。

 それでは、真宗で言う聴聞とは、どういうことなのか。聴の字は…、聞の字は…、親鸞様の左訓では…、ほかに蓮如さまはどう言われているのかなどと考えながらて、結局、何を、そしてどう聞くことなのかを詰めていった。すると、普段使っている聴聞会などの聴聞の意味合いとは違い、ただ得手に漫然と聞くよう聴き方を指すのでも、重ねて(いわゆる修得的な意味合い)聞くことでもなくて、わか身の信心決定と離れたところではなく、きっちりと角が定まったのが聴聞なのであって、それは会得即体得ともいうべきものが聴聞だということが、かなり明確になってきた。その意味では、広義では、一般での聴聞の意味もあろうが、しかし、究極のところは、聞即信の聴聞が真意であって、その信心獲得と離れたところに聴聞はないといっていいのだ。ほかにも、「二度文章に出る『聞きもの』は同じなのか」とか、ひとりで読んでいては疑問にならないようなところの質問が出てきて、面白かった。

 残り時間で、「無我についての」聖教のこころ。これは、『後生の一大事』の増補の要点をコンパクトにしたのもなので、その流れで、少し『後生の一大事』を読んできいたもらった。

 終了時間に合わせて、夕方から夜には、町内会の初会合。最初の役員会議だか、今回は、組長(班長ですね)も順番だったので、ある意味、1度ですんで助かった。2度目の役員なので、だいたいの見当がついているので、かなり余裕もある。ほかの顔ぶれも、よく知っている人が多かったので、うまくいきそうだ。ただ、ぼくは町内の3大行事(地蔵盆、バス旅行、そして学区運動会)は、すべて地方出張法座と重なって、出席できそうにない。特に、バス旅行は、震災と、知恩院の大遠忌が秋にずれこむこともあって、確保が難しく、日程が固定されてしまった。ぼくの代わりに連れ合いと子供たちに活躍してもらおう。

 夜には、仏青の人たちが、6月の仏青研修会と、仏青通信の発送のために集まってきていた。もう仏青の世代ではないが、今回は、多忙な時に通信の記事の依頼をうけたので、久しぶりに短い記事を書いている。初編集だか、とてもうまくまとめている。子供たちはバレエ教室だったので、ひとりで夕食を食べ台所を後片付けをしたら、けっこうな時間だったが、少しだけ事務仕事を片づけて…、そして、ブログやメールをして……、こんな感じで1日が終了していった。

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