雪の中の花祭り
気がつけば、お彼岸もすんで春休みに入ったのに、連日、真冬並みの冷え込みが続く。途中の道も雪が降っている。特に、京都から兵庫の県境の夜久野峠では、かなり雪が強くて前が見づらいほどだった。道路脇の温度計も1度となっている。ただ昼間なので、道路が凍結したり、道に積もったり心配はなさそうだが、この時期にこれだけの寒波はかなりこたえる。
その意味でも、今年は、例年と違う形式の花祭りになった。
まずひとつは、いつもの日曜日の朝ではなく、土曜日の夜になったこと。
二つ目は、いつもの公民館ではなく、同人宅が会場になったこと。
そして、3つ目が、春休みの花祭りなのに、雪がうっすらと積もった、雪の中での花祭りになったことだ。
夜の集いだったが、幼児を除くと、4月から高校に入学する女の子たちが3名に、中学生、小学生6年生と、みな高学年の子供たちばかりだ。それで、ご法話も大人も一緒に聞いてもらっているので、「いのちより大切なもの」という題で、普通に支部の法座などする内容を、すこしだけ子ども向けにアレンジして聞いてもらって、終わってから、「修行者と羅刹」のスライドを見てもらった。たった一言を聞く為に、この有漏のいのちを捨てる。つまりは、南無阿弥陀仏をひとつ聞くために、迷いのいのちを捨てていく。そのいのちが終わった瞬間に、間髪いれずに、新しく他力のいのちを生きるのである。
S家で、子供会を持たせてもらうのは、何十年ぶりだろう。実は、ぼくが学生時代、龍谷大学に入って、最初に布教先がこのお家での子供会を兼ねた法座だった。その時ゲームをやったことや、法話のあとで、「増井先生なら…」、と物足りなさを指摘されたりしたことも、よく覚えている。いまから30年以上前のことだ。80歳になられたHさんが、ちょどういまのぼくの年齢になる。ほかの方は、40台から30台後半の、一番の働き盛りだったのだろう。そのころは、まだ信仰の上でも、フラフラしていた時なので、それからずいぶんとお育てをいただいたものである。その同人方も、30年をへて、ひとり去り、二人去りして、もう往生の素懐を遂げられた同人の方の方が多くなったのだ。 (続く)
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