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初寺院布教

日曜日は、久しぶりに大阪支部法座。

大阪支部だが、会場は奈良県の生駒市。近鉄の駅前なので、奈良の人も、大阪の人も便利はいい。昔から、そしていまも父が布教に来ることが多いので、ぼくは近いわりには、ご法話をする回数は少ない。

早めに会場に到着すると、1階のホールからは、楽しそうな歌声が聞こえてくる。のど自慢(カラオケ)大会の催し。大地震を伝えるテレビから離れると、いつもと変わらない風景が広がる。あたり間のことだが、このギャップがどこか妙だ。

人数も少なめだったが、ご縁の新しい人、また違う信仰をされている方もお見えなっていたが、法話に熱が入って長めになったこともあって、1時間ほどしか座談会を持てずに、十分に疑問にお答えできずに残念だった。

誰もが真剣に聞いているし、自分のこととして聞いてるつもりなのだか、しかし、所詮は、自分を基準に、自分の心や、ご法や教えを計っているのであって、そんな聞いているつもりの「私」の自身こそが、ご法に照らされ問われくる、つまり自分事の聞法になるのには、種々のお育てが必要であることが痛感させられた。いくらそこを言葉にするだけでは、なかなか伝わりづらい。結局、僕自身の喜びのところを、僕自身も腹を割って、聞いたままお伝えしていくしかないのだろう。

その日は、ゆうこが、泊まりで寺院布教に招かれたので、終了後、すぐに帰宅。子供を風呂に入れ、夕食をすませて、少し遊んだ。カンロが聞き分けよく、ナナをたしなめてくれて、大助かりだった。

今朝も、子供たちを7時に起こして、朝の準備。といっても、カンロがほとんど用意して、自分でベーコンを焼いて、ナナにも食べさせている。いつも、寝起きはグズって、母親の手を焼かせているナナまで、すぐに飛び起きて、布団もあげててきばき行動。少しは、いまの状況も理解できるようになってきたのだろう。

それでも、夕方、お迎えにいくと、「ママ、もう帰っている?」とちょっと寂しげ。夜に帰宅したママに、待ちわびていたように飛びついて、奇声をあげている。やっぱり寂しかったのかなー。まだまだ幼くて、かわいい。

初布教は、いろいろあったようだが、法話はたいへな好評だったようだ。華光以外でもいろいろなところて話もしているので、その点の心配はしていなかったが、予想以上に大好評で、本人も感銘の趣。たしかに、事前の準備からすごかった。その準備と工夫、熱意の成果が伝わったと言っていい。絵を描いたり、DVDをみせたり、さまざまな小道具も準備していたし、なにより、まったくの無信仰から浄土真宗に出会う自分の信仰への過程に、子供大会の法話の流れも、何度も原稿を造って、始めての方にもわかるように、しっかりと聴聞の要、その意味をお取り次ぎとなったようだ。檀家さんの感激ぶりの様子も聞くにつれて、本人も自信を深めている。ご苦労さんでした。

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