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越後十日町の家庭法座・灯火編

 今回は、Fさんの亡くなったご主人の年忌である。しかし別に7回忌もすんでいるので、年忌を口実にした家族の方へのご法縁を繋ぎたいとの一心から起ってきた。もちろん、それが本来の法事の意義なである。特に、仏法に反発されているご長男に少しでもご縁を付けたいとの親ごごろがあった。初企画ということもあって、いろいろと考えに考え、迷いに迷われて、段取りを建てられた。
 それで、まずは到着したら、温泉。そして勤行と短い法話。会食して、本格的な法話と座談会。夕食時はお酒を飲まないで、その後で懇親会を持つという段取りが、到着後に打ち合わせられた。その時のいちばんのボイントは、夕食時に酒を飲むか、飲まないのかだったと思うが、会館の法座のように夕食時には飲まないことに決まった。

 温泉から戻り法衣に着替えて、勤行。ところが、ここでせっかくの段取りが狂いだした。「夕食時に酒を飲まないのなら、俺は出ない」。ご長男がこの完璧な計画に難色をしめされたのだ。もちろん、ぼくはまったくどちらでもいい話なので、それで、法要、法話のあと、お酒を飲みながら食事をしながら懇談しましょう、ということになった。何をお勤めするか、簡単な作法や意味を話し、お正信偈、それからご因縁ということと、「南無阿弥陀仏」の意味について話した。いまの時代、ただ称えろ、だけではなかなか伝わりずらい。お念仏の意味を少しかみくだいて話させてもらった。30分程度の予定が、熱が入って時間も延長していた。

Img_4105 当初の予定より1時間遅れの夕食。

 ああ、これで酒を飲まずに食べろというのは酷なほどのごちそうが並ぶ。みんな、異議を称えられたご長男に深く感謝しつつ、和やかに会食した。京都ではなかなかお目にかかれない地元の日本酒が用意されている。「久保田」の生原酒だ。ここは、魚沼のブランド米があり、酒どImg_4106ころでもある。佐渡沖の新鮮なお刺身に、山の幸をいただく。もうひとつの名物はソバだが、これはぼくが唯一食べられないもので、アレルギーがあって調子が悪くなる。

 とにかく、いろいろとご自分を語ってくださり、ぼくも話した。要は、何かを与えたり、上手に教義を伝えるために来たのでもない。もしそれなら、本を読んだり、ネットで調べればいいのだ。仏法(それとも親?)に反発されているようで、実ははっきり自分の言葉で、自分の居所をお話くださったのが、有難かった。結局、何かを握るよりも、自分を放ち、家族の関係を通じて、自分を聴かせてもらえる場の方が、ずっと意義がある。

 それにしても、家族に仏法を伝えていくことは難しいことだ。それは、上手に説明できるとか、教義が分かっているとか、熱心だとか(もちろん、それは大切ことだが)といったことが、第一の問題だとは思わない。実は、仏法を伝えるといっても、特別なことではなく、日頃の相手との関係性がどうあるのか、信頼関係が築けているのか、しっかりしたコミニケーションがとれているのかといった日常の関係がいちばん大切なことだと思った。要は、日頃のコミニケーションがなくて、「聞け、聞け」といっても、相手が頷くわけはない。一般でも、信頼できず、尊敬もできない人の話を聞く気になるのかどうかを考えればよくわかる。その意味では、まずはお互いに敬愛し、関心をもつことから、すべてが始まるといっていい。

 その意味では、翌朝の座談がとてもよかった。思い切って計画をされたFさんの熱意。それに応えて、忙しい中、子供をつれた家族ずれでお参りくださった子供さんと、その連れ合い方々に、感謝である。

 詳しくは書けないが、長年、重石となってのしかかっていた深い心のなかの葛藤や軋轢が、動きだしたことである。たぶん、そのブロセスは楽なものではないだろう。蓋をし抱えていたものが動きだすということは、かなり居心地が悪いものだが、しかしかならず変わっていくことを意味している。それは、ひとりではたいへんな道のりかもしれないが、家族の愛情Img_4115に支えられ、故人の温かい愛情に支えられて進んでいくのである。

 身内だけだったこともあったが、短時間で、これだけの深い心理的な表明がなされるような集いは、ぼくの経験でもそうめったにないことだ。その意味でも、どこか不思議で、貴重な経験をさせていただいた。家族の絆といえば陳腐だが、安心して表明できる場が造られていたのであろう。

 さて、夜の飲み会も、あっという間にに6時間が経過して、時計Img_4113は、とうに0時を回っていた。

 庭には、雪の中に蝋燭が灯り、静かな光が映えている。みんなで外に出たが、かなり寒い。やはり、北国は夜になるとまだまだ冷え込むようだ。

 とにかくみんなのこころの中に何かが灯り、胎動が始まった。

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コメント


ありがとうございました。

自分も、うちの母も、一番下の弟に、ただ聞け聞けと
押し付けているだけで、その前に弟の気持ちを、
弟に関心をもって聞いていなかったと反省しました。
弟の仕事が毎日遅いため、日常のコミュニケーション
を取ることすら困難な状況ですが、少しずつでも
聞いていこうと思います。

投稿: 西岡 長男 | 2011年3月 2日 (水) 10:01

 大変お疲れだった事と思います。長年の思いがとんとんと運んで先生にお出で頂いて感激の2日間でした。私の計らいと 迷いの煩悩は最高潮に暴露した日でした。息子への私の対応の仕方も知らせて頂きました 私が1番の姿が 如何に邪魔をしていたか阿弥陀様を泣かせていたか…… 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
 先生がしっかり息子を受け止めて下さったので とても 温和な顔で帰っていきました有難うございました。またご縁が有ります事を心していきます

投稿: anba-chan | 2011年3月 3日 (木) 01:10

西岡長男さん、ようこそ。富山、金沢、福井と、いろいな思いをもちながら通過しました。ぼくは、距離のある第3者でもあるので、ある意味で、触媒というか、促進者としての関わりが持てたとような気がします。でも、なんとか聞いてもらいたいですよね。

anba-chanさん、お世話になりました。ブログへの返答だったので、こちらにもコメントを掲載しておきました。ほんとうにいいご法縁でしたね。anba-chanさんには、厳しく関わりすぎたなーと反省していますが、どうぞお許しください。あくまでご子息とのご縁をつけることを第一に考えていましたが、今後、きっと何かが動きだすと思います。 またの機会があれば、楽しみにしています。

投稿: かりもん | 2011年3月 3日 (木) 01:17

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