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2011年3月の19件の記事

税務調査

 やってきました。

 10年ぶりの税務調査。

 経理の実務を取り仕切るT嬢は、初めての調査に、かなり前から緊張気味。

 ご承知の通り本会は、公明正大、裏も表もなくやましいことはなにもない。第一、税金を收めるほどの収益がないのが悩みの種で、むしろ儲ける方法をご指南いただきたいほどだ。わざわざ福岡からM先生にも立ち会ってもらうが、こんな貧乏所帯に来ても、時間や税金の無駄じゃないのか。

 ぼくは、これで3度目だけれど、前々回は2人で、前回は、2日間に渡って、いずれも金庫まで開けて、個人の預貯金も、しっかり調べられた。だから正直、気持ちのいいものではないし、気付かない盲点もあるかもしれないので、やはり緊張して迎えた。

  華光会の活動と、収益事業と公益事業の割り振りがメーン。このあたりは、見解の相違もある。例えば、ぼくにとって(華光会にとって)、華光誌の発行は、伝道活動以外の何者でもない。仏書やテープ販売だったそうだ。法座活動も、宿泊行事もそうである。しかし、税制上は違う。わけのわからない呪いや祈祷、魔よけのためのツボを売って、何十万もの大金が入っても、それは宗教活動なので非課税となるというのだ。しかし、悟朗先生の本を8掛の800円で仕入れて、1000円で売って、200円の利益が上がったら、これは収益事業として課税対象となるのだ。宿泊のための宿泊費も、旅館業の扱いとなるかもしれないというのだ。それで、ぼくが華光誌を発行するための作業や、仏書編集の作業を行なうことと仕事は、すべて収益事業なので、それと法座活動の作業との時間との割合なども申告して、給与の割り振りをしなさいというのである。

 それに、華光誌の内容をどこを見ても、伝道活動でしかないと思うので、いくら赤字になろうが、この発行のために華光会の活動が始まっている。だから、収益性には馴染まないのに、法話会などで、無料で配布してテキストにすることにも、ちょっと難色を示された。

 うーん、抜本的に何かおかしくないか。そんな小さなところをいくらつついても、収益部門の赤字はそうは変わらない。まあ、そんなところしかつつくところがないから仕方ないのだが、結局、何千円とか、個人で1~2万円単位の修正で、調査は終わったのだった。

 最後に、見本用に、華光誌を進呈。パラパラとご覧になって、「ああ、Mさん」と声を出された。昔のお子さんの幼稚園の保護者つながりで、同人の寄稿されていた方とお知り合いの方を発見。いや妙な偶然に、和やかな雰囲気にはなった。

 ただし華光誌をご覧になって、後から電話で、支部のことや宿泊行事のことも尋ねられることになった。もちろん、前回にも調査されている内容だ。支部といっても、支店のような金銭的なやりとりや本部が包括的に事務所があるわけでもない。正確には、同人有志の集いなので、この紛らわしい名称は変えたほうがいいかもしれないなー。

 いろいろと書類や領収書も並べておいたが、予想よりかなり短時間ですんだ。確かに、こまかな見解の相違点はあったものの、大きなことはなにもなかったが、やはり慣れないことは、やはり疲れるなー。

 この世の税務調査でもこうなのに、閻魔様の前で、わが身の罪業調べをされる時は、どんな心境になるのだろうなー。いくら言い逃れをしても、都合よく忘れていることまで、すべてありのままに、浄玻璃の鏡に映しだされるのだー。

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広島WS一転し、また一転し葬儀

 ここ3年間、3月の日高支部法座の翌日から、広島での2泊3日の真宗カウンセリングWSと、出張が続いた。今年も、3月の初めまで、その段取りをしていたが、ちょうどその日に税務調査の打診があった。先方と、他の日も相談したが、ぼくの予定もけっこう詰まっていたので、せめて、その翌日にしてもらって、OKした。それでも真宗カウンセリングWSは難しいと判断して、8月の世話人であるMANU.さんに無理を言って交代してもらった。広島では、同じ内容で、年に2度、真宗カウンセリングWSを開いているのだ。

 それが、月曜日の早朝からの電話が鳴る。こんな時間に……。やはり、10ケ月ぶりの葬儀の依頼だ。最近は、1年に1度は依頼がある。それで、臨終勤行(一般での枕経)、通夜、葬儀と、うまい具合に、広島WSのキャンセルで開いた3日間と重なった。まるで、このために交代してもらったのかと思うほどのタイミングである。

 古くからある数軒の檀家のひとつのお宅。93歳の古参の華光同人の訃報だった。もう長い間、施設と入院を繰り返しておられるので、ほとんどの方はご存じないだろう。でも、お若いころには熱心にお参りされ、婦人会でお世話もくださっていた。機(自分のありのままの姿)を見つめるお味わいには、独特のものがあったことも、よく覚えている。すでにご長男も、そのお嫁さんも、若くして亡くなっている。喪主は、子供大会にも参加してくれいたお孫さんで、いつも大きな声で勤行し、お念仏されて、素直にご聴聞くださるの姿に、なんとかご縁をと期待しているお一人だ。法名は、「釋妙光」と付けさてもらった。

 いつものように「日常聖典」を持参して、皆さんがいちばん親しい方で、遠方の親族も集まっているので、こころひとつにして、故人を偲ぶと共に、ひとりひとりのいのちを見つめさせてもちいましょうという、説明をしてから、勤行を行なう。慣れてないなりにも、声の出たことを喜びつつ、やはりお念仏の声はないので、「南無阿弥陀仏」のおいわれを説明して、声に出してお念仏をしてくださることをお願いしたら、最後には、皆さん、一心に称名念仏してくださった。

 そして、なるべく皆さんが声を出しやすい勤行にした還骨勤行と初七日が終わてからの会食では、全員に故人の想い出を一口ずつ話してもらう。お通夜の席から、宿題を出しておいたので、皆さん、真剣に振り返ってくださった。なかには、宿題のおかげで、自分の70年の人生(けっきょく、生まれた瞬間からいつも、すべてお母さんと一緒生きているんだなー)を振り返って、眠れなっかったという人もあったが、皆さん、胸を詰まらせ、涙ながらにその思い出を語ってくださった。みんなも男泣きされる。それぞれには、母であり、義母であり、姉であり、祖母であり、曾祖母であるのだが、そのご縁でここに皆さんが遠近各地から集ってこられた。それをこころを一つにして偲び、そのお徳に感謝される熱い想いに触れて、こちらまで胸が熱くなるようだった。

 いろいろな角度から故人の姿が映し出されたが、最後に、ぼくからは、皆さんがご存じなかった信仰に生きておられた側面の姿をお話をして、結んだ。しかし、「これで宿題が終わったわけではないですよ。次は、四九日、そして一周忌とつづきます」というと、「エー!」という声があがる。でも、みんなまんざらでもない様子で、ほんとうに故人を偲び、ひとつになって読経し、聴聞し、そして声に出して感謝の意を述べ、あらためて自分の命の意味、自分の生き方を見直してくださった2日間であった。

 慣れていないので、準備がたいへんだが、我ながら、これをメーンに商売替えをしようかなーと思ったほど、いいご縁をいただいた。

 一仕事を終えたが、明日は、10年ぶりの税務調査である。

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京都国際マンガミュージアム

  仕事の都合で、急遽、広島カウンセリングWSをキャンセルした。税務調査や華光誌の発送が続くためだが、せめて1日だけは、春休みのパパの仕事もしたいと、子供と一緒に出かける予定にしていた。ところが、朝になって、葬儀の依頼が…。急に、須磨の水族館はやめて、勤行の時間まで近場で過ごすことになった。

Img_4228  地下鉄利用なら、10分で行ける烏丸御池の京都国際マンガミュージアムへ。

 お友達も含めて、5人の女の子を引率していくことにした。

 もともと、京都市内の中心街にあった小学校が、ドーナツ化で統合されたのを受けて、マンガの図書館兼博物館になったのだ。Img_4217

 マンガ学部がある精華大学と京都市のコラボだが、公共機関がからんでいるのに、この発想はなかなかユニーク。

 蔵書も、30万冊近くあるそうだが、常設(自由に読める)は5万冊。コミックばかりが、ずらっと本棚に並んでいる。図書館と違って、外への貸し出しができないから、逆に、見たい本が手に入らないということがないのもいい。それに、さまざまImg_4206な外国のマンガや、各国語で翻訳された日本のマンガも多数あって、白人やアジア系と、かなり数の外国人が一心に読んでる姿が、印象的だった。ほんとうに、日本のアニメは人気あるんですね。

 ぼくの子供のころは(いまもかな)、絶対に学校に「マンガ」を持ってきてはいけなった。見つかったら即没収。マンガ=遊びでImg_4223、図書館になく、学校の勉強とは別物だ。すぐに、「マンガばかり読んでないで、勉強しなさい」と、当時の子供は怒れた。テレビゲームも、PCもない時代だ。

 ところが、この小学校は、マンガ以外の本はない(幼児向けに、職員室を改造した絵本の図書館はあるが)。それを階段で読もうが、教室で読もうが、廊下のイスに座って読もうが、外の芝生で寝込んで読もうが、自由なのである。みんな、テンデバラバラに何冊もマンガをもってきては、思いImg_4209思いに読んでいる。

 わが子も、それぞれお友達を連れてきていたので、みんな好きなことろで夢中に読んでいる。ただ、1年生の子供たちは、ちょっとまだ難しいようで、こちちら絵本中心。あとは、紙芝Img_4215_2居の上演もあって、日本のマンガのルーツとして紹介されていた。

 自転車で、その前は何度も通っているが、中には入るのはぼくは初めだった。外から眺めていても、日の当たる芝歩に寝ころんで、自由にマンガを読む姿は楽しそうだった。 でも、ちょっとだけ誤算。天然の芝生ではなく、人工芝だったこと。でも、日があImg_4220_2たってきもちがいい。

 しかも、入場料は、小学生100円ポッキリと、いさぎよし。相変わらず安いものには弱い。

 お昼は抜けて、ちょっと歩いて、コチというカフェでランチ。えー、子供が身長量りを発見。わが子の身長を実測Img_4219しました。

 昨日までの、雪の寒さも一転、春の陽気に、桜のつぼみ膨らみ、すっかり春の気配。 

 ちなみに、ぼくは、「火の鳥」と、「コージ苑」をちらっと眺Img_4226めたのでした。

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身の幸

Img_4200 日曜日は、2月の支部法座の翌日、28日に風呂場で急死されたKさん宅でのご法座だ。といっても、質素なひとり暮らしのお宅には、誰もおられない。妹さんがお世話されて、葬儀の時のように、また同人が集ってこられた。みんなで、大声でお正信偈を唱和する。そして、ご法話は、「死生学」と白骨章から後生の一大事について、さらに、摂取不捨のご利益に預かった念仏者がいただく広大無辺のご利益(得益)について、皆さんと讃嘆した。小さなお宅がお念仏で満ちていた。

 いつも支部法座をお世話くだっていた和さん。ぼくが到着すると、「先生、道は停滞してませんでしたか。お疲れなかったですか」と一番に尋ねられて、それからお参り先のお宅の指示をくださる。子供会にしても、花まつりも、もちつきも、その裏方を一手に引き受けてくださっていたのだ。直接の身内との縁が薄く、一文不通で、からだの具合も悪く、いろいろと障がいもあって、世間的な意味ではけっして幸が多いとはいえない方だったと思うが、その念仏者として姿に、手次のお寺のご住職にまで逆に感化を及ぼし、いまもまた、多くの同信の念仏者が主のない家に集い、声高らかに念仏の声が響く中で、故人の仏法の喜びを共に讃嘆して、そのお徳を偲び会ったのである。

 ずっと、彼女とコンビを組んでいたHさん。さぞかし悲しまれているだろうと思う。それでも彼女、曰く、「和ちゃんのときは、さすがに泣きましたわ。でも、主人が死んだときは、ホッペタをつねって、唾をつけて悲しいふりをしないと、ニヤッと笑いそうだったですぞー」と笑わせておられた。そして、「それでもぜんぜん死んだという気はしませんぞ。今も一緒ですわ」、と胸を叩かれたのだ。

 ぼくも、和ちゃん、順ちゃん、瀧雄さん、一雄さん………。すでに物故者となられた同人宅にお参りをさせていただきながら、いつも遺影にごあいさつをする。彼らは、みなぼくの前を歩き、導き育ててくださった先達であり、同時にそのぼくを慕いその跡を歩いてくださった念仏者であった。その彼らの、ご法にかける思い、願いというものを、いまここに受け継がせてもらっている尊さが、身にしみてくるのだ。そして、微力ながら「どうぞ、おまかせください」と、ご挨拶をさせていただけるようになった身の幸せを思う。それは、ぼくがご縁をいただいた、ほんのほんの少数の人たちだけなのだか、その背後には、実は、無数の念仏者たちの願いが結実していて、それがお念仏の大河となって、わが胸に「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と届いてきたのである。その「南無阿弥陀仏」こそが、如来様の願いであり、いのちなのである。たとえ、この肉体の姿形は滅んでも、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と他力のいのちに生きて、いま、まさに躍動している、そのお働きを感じさせていただけるのである。まことにもって大きな力をいただたものだ、としみじみお味わいさせてもらった。

 ありがとうございました。

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雪の中の花祭り

Img_4194 日高支部の花祭り法座。

 気がつけば、お彼岸もすんで春休みに入ったのに、連日、真冬並みの冷え込みが続く。途中の道も雪が降っている。特に、京都から兵庫の県境の夜久野峠では、かなり雪が強くて前が見づらいほどだった。道路脇の温度計も1度となっている。ただ昼間なので、道路が凍結したり、道に積もったり心配はなさそうだが、この時期にこれだけの寒波はかなりこたえる。Img_4197

 その意味でも、今年は、例年と違う形式の花祭りになった。

 まずひとつは、いつもの日曜日の朝ではなく、土曜日の夜になったこと。

 二つ目は、いつもの公民館ではなく、同人宅が会場になったこと。

 そして、3つ目が、春休みの花祭りなのに、雪がうっすらと積もった、雪の中での花祭りになったことだ。

 夜の集いだったが、幼児を除くと、4月から高校に入学する女の子たちが3名に、中学生、小学生6年生と、みな高学年の子供たちばかりだ。それで、ご法話も大人も一緒に聞いてもらっているので、「いのちより大切なもの」という題で、普通に支部の法座などする内容を、すこしだけ子ども向けにアレンジして聞いてもらって、終わってから、「修行者と羅刹」のスライドを見てもらった。たった一言を聞く為に、この有漏のいのちを捨てる。つまりは、南無阿弥陀仏をひとつ聞くために、迷いのいのちを捨てていく。そのいのちが終わった瞬間に、間髪いれずに、新しく他力のいのちを生きるのである。

 S家で、子供会を持たせてもらうのは、何十年ぶりだろう。実は、ぼくが学生時代、龍谷大学に入って、最初に布教先がこのお家での子供会を兼ねた法座だった。その時ゲームをやったことや、法話のあとで、「増井先生なら…」、と物足りなさを指摘されたりしたことも、よく覚えている。いまから30年以上前のことだ。80歳になられたHさんが、ちょどういまのぼくの年齢になる。ほかの方は、40台から30台後半の、一番の働き盛りだったのだろう。そのころは、まだ信仰の上でも、フラフラしていた時なので、それからずいぶんとお育てをいただいたものである。その同人方も、30年をへて、ひとり去り、二人去りして、もう往生の素懐を遂げられた同人の方の方が多くなったのだ。 (続く)

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東本願寺の御遠忌ですが…

Img_4176 自力整体のあと、東本願寺の前を通ったら、親鸞聖人の七五〇回大遠忌が始まっていたので、ちょっとお参りさせてもらうことにした。

 いや正確にいうと、19日から始まる予定Img_4175だったのだが、大震災直後ということで、七五〇回大遠忌の看板が、「被災者支援の集い」という形に変更されていた。50年に一度の大行事を直前に、1週間ほどでの変更は、とてもたいへんなことだっただろう。
 とにかく第1期だけで、それ以降は、たぶん予定どおりになるようImg_4179だ。本来なら、浄土宗の知恩院でも、法然上人の八〇〇回忌大遠忌がスタートするのだが、こちらは秋に延期になった。浄土宗、浄土真宗と、50年度の大法要に、京都の町は、かなり賑わうはずであったが、どことなくみんImg_4180自粛ムードがある。

 それでも、雅楽の舞台も設置され、瓦が吹替えられた御影堂も輝いて、厳粛な雰囲気がする。迫り出しの部分まで、ぎっしりイスが並べられていた。ちょうど法要の座席の入替えの時間だったようで、Img_4182_2出て行く団体のあとで、次の団参の方が並ばされては、効率よく、指定の席へと向かっていく。ほとんどが年輩の方で、誘導も、誘導さる方も、たいへんそうだ。

 うーんもしかすると、今度の七五〇回忌が、こんな形での最後の大法要になるのかもしれないなーImg_4185

 法要のある御影堂は入れそうになかったので、阿弥陀堂でお参り。こちらには、人はほとんどいなかった。ただ何台かの大型テレビが設置され、隣の法要が写しださるシステムになっていた。

 境内地内外に、「買物広場」とか、「ごえんき村」などの土産物Img_4184の販売店が、いろいろと設営されていた。 それにしても「御遠忌お買い物広場」って、なんかギャグみたいだ。

 外にあった仏教標語。

 確かに、「人生思いどおりにならないことばかり」。

 でも、私はどこかで錯覚して、すべて思い通りになるとうぬぼれている。
 だから、思い通りにするために、ずっと苦しんでいく。
 そして、思い通りにならなかったら、すぐにすねたり、怒ったり、他人のせいにして、ただ当たり散らしていく。
 そんな一喜一憂、喜怒哀楽で一生すんでいく私って、一体なにものなんでしょうかね。

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かわいい訪問者パート4

Img_4158  講習会の準備をしていた前日。前泊の熊本からの参加者と一緒に、従姉妹のTちゃんが、赤ちゃんを連れで訪問してくれた。結婚されたことは聞いていたが、出産のことは知らなかったので、正直、ママになったTさんが赤ちゃんと一緒の訪問は、かなり驚いた。でも、この時期に、はるばる関東から子連れで尋ねてくれたことが、とてもうれしかった。

 昨年は、仏青の人達のベビーラッシュだった。2月にひとり、12月には双子も誕生したが、特に11月には、3名の仏の子どもが誕生した、とここでも紹介したが、なんと、この子もまた11月生れの男の子である。ということは、11月だけで、四人目になる。男の子三人に、女の子が一人。 

 もともと関東出身で、いまもそこで暮らしているのだが、なんでも、パパが仕事の関係で、長期京都に主張中。その関係でパパを尋ねて、京都まで来たそうである。しかも、それがあの地震の日。新幹線に乗るために、JRに乗車中に地震に遭遇。当然、JRの在来線はすべてストップし、首都圏が大混乱に陥った。あの日に、赤ちゃん連れとはたいへんなことだっただろう。結局、引き返すことになったが、電車が動かず、何時間もかけてバスや徒歩で、自宅に戻ったというのである。「わあ、たいへんだったね」というと、本人の話は、いたって普通で、まったくケロッとされている。宿泊の用意があったので、紙おむつなど何も困らなかったそうだ。まったくもって、母は強しである。Img_4159

 さっそく、元気なタイガー君を抱かせてもらいました。

 先月に引き続き、またまた赤ちゃんのパパになった気分である。

 

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想定外~6年先じゃなかったの?~

 4年前に町内会の役員の選挙で、町内会長に選ばれた。ブログもはじめていたので、そのおりのこともいくらか書いていたが、それまで地域とのおつきあいがなかったので、知らないことばかりで負担も大きかった。それでも地域の人達との交流は、決して悪くなく、引き受けてよかったなと思うこともけっこうあった。今度の震災のように災害や非常時には、地域のコミニティーの果たす役割も大きい。といって、進んでやりたいとはまったく思わない。幸い、1度選ばれると、6年間は免除される規程になっている。だから、今度は、大遠忌もすんだ、2年後の25年度まではお役御免である。その時、また会長だろうが、2度目なので少しは慣れているだろうと、覚悟するつもりでいた。

 ところが、先週になって、急遽、臨時の町内会総会が開催が決まった。議題は、役員候補の減少に伴う善後策である。経験者の6年間の免責以外に、70歳以上は世帯主も免除されている。ところが、町内会も高齢化が進んだり、郊外に引っ越しされたりで、人口が急に減少。さらに新しく引越してきた人達が、加入されなかったり、集団で脱会されたりしている。確かに、会費や寄付のお願いも多く、班長(組長)の仕事の負担もあるので、敬遠される方が多いのだろう。町内会、自治会といっても、あくまで自主的なもので、強制力はない。京都でも、地域のコミニティーに力が弱まっているのである。そんなこんなで、被選挙人名簿が激減。はっきりいって、誰でも出来るものではないので、この顔ぶれでは心もとないと、選挙直前になって、すぐに対策を打たねばならない事態となった。

 この際、多少の負担も仕方ない。ぼくは、6年を5年に、定年も70歳を75歳にという形がいいと提案してみた。ところが、それでもまだダメだということで、結局、6年の免除を4年に、2年間短縮して、さっそく今回から実施する案で決まってしまった。

 2年も短縮されて、今年の対象者に急に入ってしまったのである。あれれ、6年先じゃなかったのか。

 結局、経験者が2年分(6名)も候補が増え、会長経験者だけでも3名が入ることになるので、それだでもけ外れる公算も高くなる。渋々だが、承諾せねばならない。

 そして、投票期間が1週間あって、講習会の直前に開票である。選出されたら、すぐにお呼び出しがかかるシステムだ。

  ピンポーン。ドキッ。ああ、やっぱり来たか!  思ったよりも、早い時間だったが、やはりお呼びがかかった。まだこの時点では、何に当たったかはわからない。当たったら仕方ないが、せめて責任の大きい会長だけは外れてほしいし、「副」あたりが気楽でいいな、と願うばかりだ。講習会のテスキトの準備があるので、連れ合いに会合に出てもらったら、すぐに電話。

 「会長は○○さん、二番目の副会長で、××さんが会計と体振も兼用」

  ああ、こちらはよかった。先週までは、役員になることなどまったくの想定外だったが、最低限、町内会長を外れたことだけは、よしである。しかも、皆さん、ぼくより会長や役員を何度も務めておられるベテランばかりで、こちらも安心できる。ただ、これからの日程のやりくりがたいへんだ。行事が、ほとんど日曜日にあるからだ。もうすでに予定が入っているが、どうなるのか。

 さっそく週末の日高支部法座から戻ってきてから、引き継ぎの集まりが決まった。まったく予定外の役割がまたひとつ増えた。

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講習会~広大なご利益に圧倒される~

 16日の水曜日に華光誌版下を印刷所に渡し、『後生の一大事』の初校に移る。だいたい仕事は済んでいたが、前版で出来ていなかった言葉の統一などにこだわりだすと、瑣末なところにまで目が行くので、少々時間がかかった。少し遅くなったが、18日には白馬社に渡せた。これから、2校、3校まで続くが、それほど難しい作業ではないので、4月末の永代経法座に間に合わせたい。

 それか2日間と半日かけて、講習会の準備に入った。もともと父が10年前から始めたテーマで、ほんとうは最後まで完結させてもらえばよかったが、残念ながら、今回はぼくが代わりに行なうことになった。もっとも専門で勉強してたき分野ないし、自分が出したテーマでもないが、真宗の基礎なので、そのボイントだけは外さないようにした。ただ、準備の時間がなかったので、ブログもお休みしていた。

 今回は、「真宗の基礎」安心編の最終回だ。これまで8回次のよう進んできた。

「名号論」(六字釈、所帰人法などの3回)で、安心の本質を示し、

「信心論」(三心一心、信心正因、二種深信の3回)、安心の構造を示して、それが、

「称名論」(称名報恩など)で、安心の展開と、相続するさまを窺い、最後に、

「得益論」で、安心の価値、ご利益について示して、その結びとするものであった。

 あわててテキストを作り出したので、前日までで5枚目で現益まで。講義の始まる午前中に、当益に移って、最後のB4用紙で7枚目のプリントが完成したのは、開始の1時間前という慌ただしさだったが、どうにか完成することができた。

  ポイントは、現益、当益の二世に渡るご利益であるというところだが、それを現益でのご利益として、現生正定聚、即得往生、さらには、便同弥勒のお心や、現生十益、それのみならず、無量の徳を受ける現世のご利益について、いちいちにご文に当たりながら解説していった。しかもそれは、臨終ではなく、平生の時である平成業成こそが、浄土真宗の特色である。つまり、帰命の一念を発得する時の、迷いの心のお葬式、まさに臨終と思うべしのたちどころに、摂取不捨のご利益によって、即得往生、正定聚の位に、この迷いの身、煩悩成就のまま住させていただく勿体なさをお聞かせにあずかった。
 しかも、そのいただくご利益は、臨終一念の夕べに、大般涅槃を証する、必ず滅度に至るものである。その当来世のご利益として、⒜往生即成仏であり、⒝その功徳は、弥陀同体の最高極果であり、その悲用が、⒞還相回向として利他教化地の益として展開していくところを、三点に絞ってお聞きした。ここはあくまで、この身が終わった当来世のご利益なのであって、いまの穢身の上ではないことも確認した。しかも往相も、還相も、すべて他力回向のお働きによるものであって、一分も衆生、私の力が交わらないのである。

  重複となるが、そのすばらしさについて、あらためて安心編の9回の講義を通して味わうならば、弥陀の願心を発起し、南無阿弥陀仏となった弥陀の呼び声が、わが心に届き全領される、つまりハッキリと自力の心が死に、他力の心に生きる時に、それが私の口から「南無阿弥陀仏」の称名として展開する。そして、この身は煩悩穢身でありながら、この世で、正定聚不退の位に住させていただき、もう二度迷わない身と決定するのである。それで、この迷いの身が終わったと同時に、即成仏し、弥陀同体の悟りは、還相回向として働くも、これまた弥陀の本願力のお働きに依るというのである。まさに、この私の間の限りある知恵では計りえない、広大なお力に触れるばかりであった。まったく仏法に「逆」って逃げ続けている私と、その私を摂取不捨して「摂」めとろうと働き続けてくださる如来さまとが、絶対に遇うはずのないものが出会ったしまった不可思議、その勿体なさ、尊さに、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と申さずにおれなかったのである。それにしも、なんと圧倒されるばかりの広大なご利益を得るのだろうか。

 以上を十分踏まえた上で、常行大悲の働きや、現生正定聚に住すること、さらに、当益での還相回向の利他の働きへと展開する必然の流れに心をはせる時、もう少し現代的な意義について、自由人、自在人である念仏者の上に展開するのか、いかにその身に引き受けていくのかを考えてもらいたかった。「聞いた」「わかった」「はっきりした」、または「他力の働きなので」とか「ただ念仏だ」などで留まり、個人の中で完結していくのではなく、もう一つ踏み込んで、ひとりひとりに引き寄せた問題として、常に取り組んでいく。その点に関して、これが「正解」といのものを覚えてもしかたがない。まさに、ひとり、ひとりが自利利他円満し、悲智万徳が円具した、「南無阿弥陀仏」に問い、同時にその南無阿弥陀仏に、無漸無愧のこの私が問われていく、生きた働き以外にはないのであって、それが「南無阿弥陀仏」と共に浄土への歩み続けることではないだろうか。

 今回は2日間。しかもこれまでの復習もあり、夜には悟朗先生のご法話もあったので、時間内にお話するには、あまりにも盛り沢山の内容で、早い展開に、話を聞いて付いて来てくたさるだけでも、たいへんだった方もおられただろう。それに、大震災の後ということもあって、キャンセルもかなり多く、参加者が少なかったのは残念だった。それでも、皆さんが、聴講してくださったおかげをいちばん多くいただいのは、このぼくである。あまり詳しくないところを担当(自分なら絶対にテーマにださない)させていただいたおかげもあって、逆にいろいろと学び、気付かせていただいことが多々あり、自分自身も問題提起をいただいことが大きかった。ここのことろは、今回、ご縁をもらえなかった支部の方も多かったので、またの機会で、もう少し整理して皆さんに聞いていただきたものだ。

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華光誌の作業は終わったけれど…

 4月号の「華光誌」の作業が終了した。明日、印刷所に渡して、4月1日に発送予定だ。

 合わせて「後生の一大事」の校正は、延びてしまっているが、木曜日には渡したい。

 さらに、講習会の準備に取りかからねばならない。自分の出したテーマではないので、かなり下調べが必要だ。他にも、仏青の原稿も依頼や、子供大会の案内文、大遠忌の案内文と、短時間のうちにやらねばならない仕事も多いのに、なかなか気力が湧いてこない。まったく心ここにあらずの状態で、身が入っていないのが、現状だ。

 中には、繰り返される大震災の報道に、原発事故、多発する地震、先行きの恐怖と、目に見えない不安に影響されて、かなり精神的に不安定になっている方もあるようだ。ここにも、「無常」「後生」と称した示談の依頼、時に自殺したいほどの追い詰めれた気持ちを話される方の相談が、震災以降、毎日ある。中には、仏法の言葉を出されていても、単に言葉どおりではなく、慎重に聞いてみると、心理的な課題が隠れていることもありそうだ。じっくりとはいかないが、少しだけ関わりをもたせてもらう。

 外は雨になっている。連日の春の陽気も、一転、冷え込んできた。

 どうも、ブログ更新の気持ちも萎えていた。言い知れぬ無力感や不安感からだろうか。今夜も更新を休むつもりだった。いろいろと感情は溢れ、考えることも多くて、なかなかまとまった言葉にはならないのだ。

 一旦、PCをOFFにしたが、しかし心が変わった。

 せめて、一言だけでも更新はしておこう。

 過去でも未来でもなく、今なせることは、今なしておくしかない。そうだ。明日のことは、みんな、いつもあると思いたいだけで、実は、どんな時もなんの根拠もない、思い込みだけで生きているだけなのだ。それは、仏法を聞いても、聞かなくても、その不安定な身、常に変化してやまず、滅んでいく無常の身には、何の代わりもないのだ。
 そんな虚仮の世界にあって、変わらないことはただ一つだ。今も、この愚かな、無常の私の上に届いてる真実の、「目を覚ましてくれ」という親の呼び声だけだ。それを、いま、お聞かせに預かっているのである。いま、この私の口を落として、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えさせてもらうことしか、結局、ぼくには末通ったまことは、何もないのだ。それが、ぼくの頂いた、この無常で、無我であるいのちの意味である。だから、今もまた、この複雑な胸中を伴いながらも、ただお念仏と共に歩を進ませてもらうしかない。  

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初寺院布教

日曜日は、久しぶりに大阪支部法座。

大阪支部だが、会場は奈良県の生駒市。近鉄の駅前なので、奈良の人も、大阪の人も便利はいい。昔から、そしていまも父が布教に来ることが多いので、ぼくは近いわりには、ご法話をする回数は少ない。

早めに会場に到着すると、1階のホールからは、楽しそうな歌声が聞こえてくる。のど自慢(カラオケ)大会の催し。大地震を伝えるテレビから離れると、いつもと変わらない風景が広がる。あたり間のことだが、このギャップがどこか妙だ。

人数も少なめだったが、ご縁の新しい人、また違う信仰をされている方もお見えなっていたが、法話に熱が入って長めになったこともあって、1時間ほどしか座談会を持てずに、十分に疑問にお答えできずに残念だった。

誰もが真剣に聞いているし、自分のこととして聞いてるつもりなのだか、しかし、所詮は、自分を基準に、自分の心や、ご法や教えを計っているのであって、そんな聞いているつもりの「私」の自身こそが、ご法に照らされ問われくる、つまり自分事の聞法になるのには、種々のお育てが必要であることが痛感させられた。いくらそこを言葉にするだけでは、なかなか伝わりづらい。結局、僕自身の喜びのところを、僕自身も腹を割って、聞いたままお伝えしていくしかないのだろう。

その日は、ゆうこが、泊まりで寺院布教に招かれたので、終了後、すぐに帰宅。子供を風呂に入れ、夕食をすませて、少し遊んだ。カンロが聞き分けよく、ナナをたしなめてくれて、大助かりだった。

今朝も、子供たちを7時に起こして、朝の準備。といっても、カンロがほとんど用意して、自分でベーコンを焼いて、ナナにも食べさせている。いつも、寝起きはグズって、母親の手を焼かせているナナまで、すぐに飛び起きて、布団もあげててきばき行動。少しは、いまの状況も理解できるようになってきたのだろう。

それでも、夕方、お迎えにいくと、「ママ、もう帰っている?」とちょっと寂しげ。夜に帰宅したママに、待ちわびていたように飛びついて、奇声をあげている。やっぱり寂しかったのかなー。まだまだ幼くて、かわいい。

初布教は、いろいろあったようだが、法話はたいへな好評だったようだ。華光以外でもいろいろなところて話もしているので、その点の心配はしていなかったが、予想以上に大好評で、本人も感銘の趣。たしかに、事前の準備からすごかった。その準備と工夫、熱意の成果が伝わったと言っていい。絵を描いたり、DVDをみせたり、さまざまな小道具も準備していたし、なにより、まったくの無信仰から浄土真宗に出会う自分の信仰への過程に、子供大会の法話の流れも、何度も原稿を造って、始めての方にもわかるように、しっかりと聴聞の要、その意味をお取り次ぎとなったようだ。檀家さんの感激ぶりの様子も聞くにつれて、本人も自信を深めている。ご苦労さんでした。

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輪読法座,明日は大阪支部法座などなど

 甚大な被害状況のテレビを横目に、心配したり、味わったり、考えたりすることも多々あった1日。 

 昼から華光誌の輪読法座。何故か、いつもより参加者は少なめだ。

 最初の一口の味わいから、全員、大地震の話題一色。共通点もありながら、味わい方がひとりひとり違うところもあって、またそこを聴きあった。ご法の上からわか身にかけたところで聞く方もあれば、大災害にわが事のように胸を痛めている方もある。阿弥陀様はどう感じておられるかという、ご縁の浅い方からの質問あり、そのあたりをみんなで分かち合った。やはり、世間的な味わいとは少し違う面で、自己中心の無慈悲な味わい自分を見ておられるかたもあって、いろいろと話題が出た。

 内容は、「帰命無量寿如来、南無不可思議光」から発生した問題点のところ。無量寿、無量光、つまり南無阿弥陀仏のおここについて共に聞かせていただいた。真実とは何かとか、人間の慈悲、真実との違いなども、皆さんで味わったが、かなりタイムリーだった。

 夜に、遅い食事を食べていたら、なぜか、地震で無常が取り詰まったS君が、遠方より突然の来館。大惨事と、自分の回りでの変わらない日常のギャップなどに、かなり混乱している様子だった。一見、無常の身が取り詰まっているようにも見えるが、一方で、後生とは無関係な、今生の安心を求める心でもあるのかしれない。少し話を聞いていたら、うまい具合に、たまたま悟朗先生が降りてこられたので、ご示談を受け帰られたが…。

 明日は、ぼくは大阪支部法座(奈良・生駒のセイセイビル)に出かける。なんでも、S学会の方がお参りされるとの情報もある。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2011/details/03/osaka2011-3.htm

 どうせ、家にいても、被災地の以外の皆さんは、テレビに釘付けになっているだけだ。ぜひ、ご法座に参加させてもらって、ご一緒に阿弥陀様のお心聴き、お念仏させていただきましょうや。

 連れ合いは、生まれて始めて、真宗寺院への日、月の2日間の布教に出講する。かなり前からさまざまな準備をして、教材や教案、DVDの活用をするようだ(ミスで土曜日の輪読法座も、明日からの西光寺の布教も、華光会HPの法座案内には未掲載になっている。ハガキの「法座案内」をご参照下さい)。

 他にも、東海支部でも法座会ある。北陸支部の法座は、なせか中止になったので、ご注意ください。

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大地震

 いつもいつもお聞かせに預かっている通りなのに、想像を絶する、広範囲でのたいへんな被害に、ただただ驚き、胸が痛むばかり。いまは、ただ東北や関東、または津波で被災されたり、またさまざまな不便を受けているおられる皆さん方の、安否を心配しつつ、安穏な無事を願うだけだ。

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講習会の締め切り

 3月20日(日)・21日(祝・月)に迫ってきた、「講習会」の締め切り日が過ぎた。

 ただし、講習会までには、もう少し(10日間)日数があるので、もしまだお迷いの方は、ぜひ、お申し出ください。1日だけの参加も可能です。テキスト等の関係があるので、宿泊や食事か不要な方も、華光会館までお申し込みください。

日 時:3月20日(日)昼1時30分~5時、夜7時~9時30分
       21日(祝・月)朝9時~2時、昼1時30分~4時30分

会 場:華光会館

テーマ:「真宗の基礎・安心編」最終回・得益論

講 師:増井悟朗師・信

内 容:  真宗の肝要な安心の諸問題を解明する「安心論」も、いよいよ10回目で最終回。これまで、(1)名号論(序論・六字釈・機法一体・所帰人法)、(2)信心論(三心一心、信心正因、二種深信)と続き、昨年は、安心の展開、相続についての(3)称名論(1回)と進んで、今回は、いよいよ安心のご利益について言及する得益論に入って、まとめとなります。現当二世にわたる真宗の他力信心のご利益について、安心の面からボイントを押さえ、留意点にも触れながらまとめていく予定てす。

  あわせて、これまでの10回のまとめもおこないますので、今回が初参加という方もおいでください。また、 少々も残念に思うのは、講習会を敬遠されたり、法座の司会役やお勧めされる方の参加が案外少ないことでしょうか。日頃のかみ砕かれた法話だけでなく、しっかり教義的な押さえもしていただくことで、ご法の喜びや味わい、また人へのお勧めも幅広くなるように思います。

  ちょうどいま華光誌の編集と、法話集「後生の一大事」の校正とが重なって上に、今回の講習会は、代理でほとんどを行なわねばならない状況にあります。どこまで準備ができるのかはこれからですが、みなさんが、お参りくださることが励みにもなりますので、よろしくお願いします。

詳細や申込みは、リニューアルなった、華光会のHPからどうぞ。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2011/details/03/koshukai2011-3.htm

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『インセプション』と『ソーシャル・ネットワーク』と『英国王のスピーチ』と、少しだけ…

 昨年から、作品賞ノミネートが10本と倍増されたアカデミー賞。10本のうら6本までが、これから日本公開になる。いまの時点では4作品のみが一般に公開されている。そのうち、『トイ・ストーリー3』を除いた、『インセプション』『ソーシャル・ネットワーク』 『英国王のスピーチ』/The King's Speechの3本を観たが、それぞれ特色があって面白かった。

 なかでも下馬評の高かったのが、 『ソーシャル・ネットワーク』『英国王のスピーチ』/The King's Speechだが、やはりというか、映画の正統的な素材が入っていた『英国王のスピーチ』が作品賞に輝いた。たしかになかなかの感動作品で、けっこうグッーとくるが、新鮮さや斬新さという点からみると、やはりこの賞自体が保守的な気質が強いということだろう。

Inception1 個人的な趣味からいうと『インセプション』が、階層的で複雑な脚本でエキサイティングで、クールな作品だった。展開的には一部で破綻しているように思えたり、複雑な展開に戸惑ったもしたが、現実と夢、意識と無意識-さらに集団無意識が、三世(時間)や空間を超えて進展するストーリーは、なかなかスリリングだった。そして、あのラストがいい。
 独楽は、回り続けるのか、止まるのか。
 それは、観る側の意識に委ねられていた。
 結局、技術系の4部門の獲得に止まった。

The_social_network_2  話題性や斬新さで評判が高かったのが、『ソーシャル・ネットワーク』だ。いま中東やアフリカで起っているジャスミン革命でも、大きな役割を果したといわれている世界最大のSNSであるFacebookの誕生と、その創立者で史上最年少の億万長者となったマーク・ザッカーバーグが主人公の人間ドラマ。映画は、巨額の訴訟の尋問場面から、Facebookが生まれ育つプロセスが、他者の証言や主人公の回想として語られていく。

 冒頭から、すごいスピードのセリフで画面は埋め尽くされていく。恋人同士の会話なのに、まるで言葉と言葉の火花散る応酬のようだ。ところが、饒舌な言葉の多さに反比例するかのように、お互いのコミュニケーションの溝は開いていくばかりだ。結局、誤解や反発を生んで、最後は傷つけあうことを繰り返し、巨額の賠償金を争う骨肉の、複数の訴訟へと展開していくのだ。 

 けっきょく、言葉が溢れていても、聞く力が欠如しているのだろう。聞く力の欠如は、自分以外の他者への関心(配慮)の欠如でもある。すごい量の言葉が、目前の相手には届かずに、BGMのように空中に浮遊てしいる。ところが、目の前のたったひとりの大切な人へは届かない声が、世界中の何億人もの巨大なコミニケーションのネットワークが生み出し、最大限の他者への関心を生み出していく。いわば、対人的コミュニケーション下手のおたく青年が生み出した、世界最大のコミュニケーション・ツール誕生という、とても皮肉な映画だといっていい。
 同時に、自由の国と思われているアメリカは、階層社会であり、学歴(学閥)社会だということが、この映画の端々からも垣間見ることができる。その意味でも、見終わったあとで、いろいろと考えさせられる作品だった。

The_kings_speech その点『英国王のスピーチは、笑いあり、涙あり、感動ありの正統な映画だ。

 英国王史上もっとも内気で、王位や権力を望まなかった男に、降って湧いた英国王の座。しかも、時代はドイツとの全面戦争前夜で、英国(いや、世界中)の存亡の危機に直面していた。そんな危機の時代に、女王エリザベスⅡの父であるジョージⅥが、英国王に就任。妻に支えられ、人間味溢れる名セラビスト(実際はもりぐの言語治療士だか、役割が完全にそうだ)との出会いによって、幼年からの吃音を克服し、英国民を一致団結させる名演説をおこなうまでの真の国王の誕生の成長ストーリーであり、ヒューマニズム溢れる人間ドラマだった。

 幼年期からの過酷な抑圧生活と、強力な国王である父と、優秀な皇太子たる兄に対する強烈な劣等感、さらに王族としての孤独感に、王家の血統と尊大までのプライドが、複雑に絡み合った心理的葛藤を抱えた英国王を、コリン・ファースがうまく(ごく普通に)演じていた。ある意味、これはすごいなー。彼の屈折した心理的葛藤は、人前での演説やあいさつなどの緊張した場面で、吃音という形で襲いかかり、常に苦しめることになる。そんな重い鎧で自己を見失っていた王と、身分や立場を超えて、ひとりの悩める男の善き友人として、彼と共に歩もうとするセラビスト役のジャフリー・ラッシュも、これもまた、とてもいい味を出していた。

 余談ながら、このなかで敵対するヒトラーの大衆煽動の名演説場面が映る。まったく対象的な両者なのだが、実はそのヒトラーも、自信喪失で、なんとユダヤ人の名俳優に演技指導を受けていたという実話に基づく映画が『わが教え子、ヒトラー』だ。ただし、こちらは悲劇でおわるのだか、この両者は、学界の権威でも、専門家でもない、いずれも俳優(もしくは俳優くずれ)の実践家が、これまでの指導法を超えて、人間と人間との触れ合い、信頼関係の中から生まれるという妙な共通点があったのも見逃せない。

 さて、ネット社会の最前線にある『ソーシャル・ネットワーク』の現代と異なり、当時は、ラジオと記録映画というメディアしか存在しない時代だ。しかし、それだけに、より肉声の響きは意味が大きかったのだろう。その間にコミニケーション・ツールは飛躍的な発展を遂げたのである。しかし、『ソーシャル・ネットワーク』の饒舌すぎる届かない言葉と、『英国王のスピーチ』の吃音による届かない言葉には、妙な共通項がある。対照的でありながら、その背景にあるものは、不完全な対人的コミニケーションによる、怒りやいらだち、寂しさなどの一個の人としての不全感が見え隠れしているのだ。

 ならば、言葉は何の為にあるのか。伝えるのは言葉なのか、それともその内容なのか、はたまたその言葉を発するその人自身なのか。どれだけツールが発達し、便利になったとしても、けっきょく、ひとりひとりの自己一致した人間性が、最後は問われているのであろう。そんな視点から、作品賞で一騎討ちを演じた2本の映画を眺めてみても、面白いかもしれない。

 まあ、ぼくもメジャーな映画も観ているということで、ちょっと紹介。

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高山支部法座~750回大遠忌の瓢箪?

  週末は高山支部法座だった。

 雛祭りのころからまた真冬に戻っていたが、週末は少し穏やかな陽気で助かった。

     諸行無常(すべてのものはうつりかわり)
     諸法無我(すべてのものは我はなく)
(邪見) 一切皆苦(この世はすべて苦しみであり)
(正見) 涅槃寂静(すべての悩みから離れた悟りの境地がある)

という、仏教の四つの旗印の中から、無常と、無我をとりあげてお話した。

 冒頭は、この諸行無常と涅槃寂静の心を歌った「いろは歌」を手がかりにしながら、「いのちより大切なのは?」を問い他力回向の信心を「信用と信頼」の違いを味わいながら、なるべく平易な形でお話した。初参の方が涙を流しながら聞いてくださった。 

 無常は、死生学の藤井美和さんの新聞記事を読みながら、「白骨のご文」と関連づけて…。彼女の提案は、とてもたいせつなもので、共感点も多い。立場は違っても学ぶべきこと学ぶとしても、やっぱり物足りなさも感じる。生きることの延長の死であって、生死を超える、後生の一大事への言及がないからだ。その点を、白骨のご文の最後の一文で確かめておく。この一文があることで、なんのために、誰のためにご聴聞するのかがあきからになる。

 最後は、 『後生の一大事』に収録される「無我について」をベースに、なぜ、仏法には無我にて候なのか。無我になれない、「おれが、おれが」の私めがけて届く、無我に成りきって成就された南無阿弥陀仏のお心を聞いてもらった。これは、ちょっと難しめだったが、ここから阿弥陀様のお心を味わった。

Img_4141 ところで、F家の床の間に、こんな面白いものを発見。

 こんな巨大な瓢箪は始めてみた。1メートルはあろうか。しかも、親鸞聖人の絵像が描かれている!
 「こんな大きくするには、何年もかかるんですか?」と尋ねたら、ひょうたんは、多年生ではなく、一年生植物なので、1年でこんなに大きくなるのだそうだ。でもここまで巨大になるには、ぶら下がってきたひょうたんの地面を掘って、育てる必要があるのだそうだ。
 もちろん、こんなに巨大でも、中味は空洞だ。

「浮いたか瓢箪 軽そに流るる 行き先きゃ知らねど あの身になりたや」

 たしかに今生を軽く流れるだけも大切だけどね。でも、行き先をはっきり知らせてもらわないと、寂しすぎるなー。

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1日遅れのひなまつり

Img_4131   女の子がふたり。恒例のお雛まつりである。2月に入って、玄関と、2階にはお雛さまが飾られている。

 2日夜が、伝道研究会、3日は書道教室と続いたので、今夜が1日遅れの雛祭り。ナナを小学校の中にある学Img_4136童保育に迎えに行くと、ちょうど紙コップ作った雛人形が飾ってあった。

 夜は、連れ合いの「いなりずし」でお祝い。3種類の具があったが、すべて手作りで、子供たImg_4135_2ちも手伝った。2種類あるデザートも、やたら豪華だったが、こちらも手作り。いただいた生しぼりの日本酒を開けたが、ただし甘いものは酒の肴にはならず、残念。でも、おしいくいただきました。Img_4138

 1年生のナナが、6年生を贈る会で、嵐の「怪物くんのテーマソング」を歌うのだが、難聴クラスの生徒もいるので、手話も練習しているらしい。その一節を披露してくれた。

「君の叫びで、ぼくは目覚める。

 君の涙で、  ぼくは目覚める。」

 あれ、これって、南無阿弥陀仏の歌じゃないの。しかもナナホの手話付きで実演の「叫び」が、単なる声じゃなくて、口から手を出して飛び出している姿でびっくり。

 ぼくも覚えたので、明日の法話のネタになるかー。

 もっとも、ぼくが誘(いざな)われるのは、今宵の闇の中。相手が怪物くんなんですね。

 けっして、光のなかではありませんので、ご注意を…。

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また訃報

 この2週間ほどの間に、4度目の訃報があった。そのうち、3件は同人の訃報だ。

 おくやみの電報を打つのも、ずいぶん要領がよくなった、と自分でも苦笑している。

 またひとり、日高の古老のkさんがお浄土に還っていかれたのだ。

 前日の日曜日には、支部法座にも出席されていたそうだ。その翌日、独り暮らしの風呂場での、あまりにも突然のご往生だった。

 高齢になられたこともあって、最近は会館へのお参りがなかったので、9月の日高支部交流法座に出席された方以外では、たぶんこのブログをご覧になる方とは面識がなかったと思う。昔は、聞法旅行での彼女のダンスは、宴会の名物のひとつだったのだ。

 しかし、強信という言葉あるのなら、彼女のような人をいうのだろう。性格も男勝り、一人前の仕事をこなし、主張することがあればしっかりと伝えて、お念仏を喜びながら、ほんとうにひとりで頑張ってこられたのだ。まさに、一文不通の女人のお念仏を体現し示してくだった方だった。

 体や、手や耳など不自由なところもいろいろとお持ちであったが、長年にわたり、人が嫌がるような会費や積立金を集める仕事を率先してお世話くださり、お参りの段取り、子供会の餅つきの段取りなど、けっして表に顕れないところでの法座の雑用をしっかりと受け持ってくださっていた。何も表立った仕事だけが重要なものではない。お念仏は、こんな方に支えられて弘まってきたのだと思う。

 ここ数年は、法座でのH家に宿泊させていただくと、Hさんと、彼女と3人と、すき焼きを食べながら、ご法を語り合うのが恒例になっていたのだ。

 9月の日高支部交流の聞法旅行が、悟朗先生と最後となった。ぼくは、11月にH家で、鍋を囲ったのがお別れとなった。この月末にはお会いできると思っていたが、お悔やみに窺うことになるとは思ってもみなかった。

  ちょっと認知的になった彼女を捕まえて、Hさんが、「『バン、バン』と打ちますんだあー」と笑わせてくださった。

 そうだ。今度は、彼女が、お浄土から打ってくださっている。「後生は大丈夫か、バーン」と。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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越後十日町の家庭法座・灯火編

 今回は、Fさんの亡くなったご主人の年忌である。しかし別に7回忌もすんでいるので、年忌を口実にした家族の方へのご法縁を繋ぎたいとの一心から起ってきた。もちろん、それが本来の法事の意義なである。特に、仏法に反発されているご長男に少しでもご縁を付けたいとの親ごごろがあった。初企画ということもあって、いろいろと考えに考え、迷いに迷われて、段取りを建てられた。
 それで、まずは到着したら、温泉。そして勤行と短い法話。会食して、本格的な法話と座談会。夕食時はお酒を飲まないで、その後で懇親会を持つという段取りが、到着後に打ち合わせられた。その時のいちばんのボイントは、夕食時に酒を飲むか、飲まないのかだったと思うが、会館の法座のように夕食時には飲まないことに決まった。

 温泉から戻り法衣に着替えて、勤行。ところが、ここでせっかくの段取りが狂いだした。「夕食時に酒を飲まないのなら、俺は出ない」。ご長男がこの完璧な計画に難色をしめされたのだ。もちろん、ぼくはまったくどちらでもいい話なので、それで、法要、法話のあと、お酒を飲みながら食事をしながら懇談しましょう、ということになった。何をお勤めするか、簡単な作法や意味を話し、お正信偈、それからご因縁ということと、「南無阿弥陀仏」の意味について話した。いまの時代、ただ称えろ、だけではなかなか伝わりずらい。お念仏の意味を少しかみくだいて話させてもらった。30分程度の予定が、熱が入って時間も延長していた。

Img_4105 当初の予定より1時間遅れの夕食。

 ああ、これで酒を飲まずに食べろというのは酷なほどのごちそうが並ぶ。みんな、異議を称えられたご長男に深く感謝しつつ、和やかに会食した。京都ではなかなかお目にかかれない地元の日本酒が用意されている。「久保田」の生原酒だ。ここは、魚沼のブランド米があり、酒どImg_4106ころでもある。佐渡沖の新鮮なお刺身に、山の幸をいただく。もうひとつの名物はソバだが、これはぼくが唯一食べられないもので、アレルギーがあって調子が悪くなる。

 とにかく、いろいろとご自分を語ってくださり、ぼくも話した。要は、何かを与えたり、上手に教義を伝えるために来たのでもない。もしそれなら、本を読んだり、ネットで調べればいいのだ。仏法(それとも親?)に反発されているようで、実ははっきり自分の言葉で、自分の居所をお話くださったのが、有難かった。結局、何かを握るよりも、自分を放ち、家族の関係を通じて、自分を聴かせてもらえる場の方が、ずっと意義がある。

 それにしても、家族に仏法を伝えていくことは難しいことだ。それは、上手に説明できるとか、教義が分かっているとか、熱心だとか(もちろん、それは大切ことだが)といったことが、第一の問題だとは思わない。実は、仏法を伝えるといっても、特別なことではなく、日頃の相手との関係性がどうあるのか、信頼関係が築けているのか、しっかりしたコミニケーションがとれているのかといった日常の関係がいちばん大切なことだと思った。要は、日頃のコミニケーションがなくて、「聞け、聞け」といっても、相手が頷くわけはない。一般でも、信頼できず、尊敬もできない人の話を聞く気になるのかどうかを考えればよくわかる。その意味では、まずはお互いに敬愛し、関心をもつことから、すべてが始まるといっていい。

 その意味では、翌朝の座談がとてもよかった。思い切って計画をされたFさんの熱意。それに応えて、忙しい中、子供をつれた家族ずれでお参りくださった子供さんと、その連れ合い方々に、感謝である。

 詳しくは書けないが、長年、重石となってのしかかっていた深い心のなかの葛藤や軋轢が、動きだしたことである。たぶん、そのブロセスは楽なものではないだろう。蓋をし抱えていたものが動きだすということは、かなり居心地が悪いものだが、しかしかならず変わっていくことを意味している。それは、ひとりではたいへんな道のりかもしれないが、家族の愛情Img_4115に支えられ、故人の温かい愛情に支えられて進んでいくのである。

 身内だけだったこともあったが、短時間で、これだけの深い心理的な表明がなされるような集いは、ぼくの経験でもそうめったにないことだ。その意味でも、どこか不思議で、貴重な経験をさせていただいた。家族の絆といえば陳腐だが、安心して表明できる場が造られていたのであろう。

 さて、夜の飲み会も、あっという間にに6時間が経過して、時計Img_4113は、とうに0時を回っていた。

 庭には、雪の中に蝋燭が灯り、静かな光が映えている。みんなで外に出たが、かなり寒い。やはり、北国は夜になるとまだまだ冷え込むようだ。

 とにかくみんなのこころの中に何かが灯り、胎動が始まった。

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