ブッダにて~出会い篇~
廿日市のご法座が終わってから、懇親会があった。
今夜は、前回はお店を覗いただけのブッダに、お邪魔した。定休日だが、わざわざ空けてくださった。スジャータさん、ありがとう。
しかし、今夜の飲み会は、単なる懇親会が目的ではない。
プライバシーの問題があるので、抽象的な表現しか出来ないが、とにかく、その夜は、凝り固まったものが、一瞬だけ緩んだ時だったのかもしれない。それもいろいろなご因縁があり、あることがいろいろと重なって、ある人と初めてお会いすることになっていた。
正確に言うと、「なっていた」という約束があったのではなく、「そうなればいいなー」という期待だけがあったのだ。ご本人へは当日の法座が始まる時点では、まだ伝わっていなかったので、その時点ではぜったいに無理な話だった。
しかし、「修行者と羅刹」のご法話が終わったところで、急遽動きだした。Aさんが、思い切って一歩出ることを決心したのだ。
その結果がどうなったのかは、ぼくは直前まで分からなかった。
しかし、お店に入るとすでに先方は座って待っておられた。
事情もわからず、身も知らない人に会うのである。普通でもイヤなものだが、それ以上諸般のことがあって緊張もされている様子。どうやらぼくが誰かも知らずにおられたが、そんなことはどうでもいい。とにかく、何もなくても、ただ彼の横に座って一緒に飲む。その時間を共有できたことで、今夜はそれで十分なのである。
さて、その結果が、よかったのか、悪かったのかもわからない。もしかすると一時的には反転作用があるのかもしれないし、もしかすると長い目で観てプラスになることだったかもしれない。もちろん何の役にも立たない可能性も大だ。しかし、そんな善し悪しではなてく、みんなちょっとした勇気で、あり得ないことがその夜は実現したのだから、そのことがまずよかったのではないか。
いろいろな経緯から、ダメもと申し出たぼくと、直前まで言い出せなず、しかし最後の最後に意を決して誘い出したAさんと、そしてなによりも、とてもしんどい最悪の状態の中で、そのAさんに思いに動いてくれたご本人と、それぞれが少しずつ勇気を出して動いた結果なのだから、悪いことがあるつはずはない。
もちろん、長い時間かけてこじれた凝り固まりは、そうは簡単にはほぐれない。しかし、焦らず、妙に恐れず、それでいて関心をもちながら(難しいことだけれども)、少しずつみんなで固まった部分を揺さぶり、ほぐしていく。そのひとつの小さなきっかけにでもなればなーと思いました。
結局、今夜の懇親会は道を隔てて、「ながと」組と、「ブッタ」組での分級(?)座談会となった。それで、ぼくと一緒に飲むことを楽しみにしてくださって参加された方には、たいへん申し訳なかったけれど、温かく、静かに見守ってくれた広島支部の皆さんのおかげでもあります。配慮に深く感謝し、改めてお礼を申します。ありがとう。敬意を表して、写真で紹介しますね。
なによりも、出会いの素敵な場を提供してくれたブッダのママと、ながとのママさん姉妹。そしてすごい料理で歓迎してくれたビッグママ。おいしかったです。
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コメント
ありがとうございます。
いろんな思いや、難しいものがあって、ただただほぐれるというだけではなかったようなのですが、
それでも、後で、「Aが最後までつきあってくれた」と言っていたということを母から聞いて、
なにか、暖かいものを感じています。
これから、どんなご縁となっていくのかわからないのですが、今は、小さな、それでも暖かい一歩を喜んでします。先生、ブッダのママさん、ながとのママさん、支部のみなさま、本当に、ありがとうございます!!
投稿: Tねこ | 2011年2月 2日 (水) 20:06
かりもん先生廿日市のご法座お疲れ様でした。
とっても楽しみにしていたのに残念でした。
おお、写真のマラカスガールを見るにつけても
そこに僕がいないなんて・・・
しかしその頃僕は、痛みと高熱から開放されて
なにげに久しぶりの休養をいただいていました。
「憩室炎」というやつでまわりの大腸やらなんやらを
巻き込み炎上してくれました。
火の粉(痛みと高熱)をはらうことだけしか思えませんでした。今は楽になったので・・・なんまんだぶつ
投稿: カワラヨモギ | 2011年2月 2日 (水) 22:33
はい、そうですね。簡単にあの堅い堅い身体がほぐれるとは思いませんが、ただどんな形でも、少しでも、何かが動いていく。それは、畳の目をひとつひとつ、進んだり戻ったりしていくようなのですが、気がつくといつか少しほぐれることもあるんじゃないですか。目先の結果で、よかった悪かったと判断するのではなく、どこまでも信頼したり、関心を持つ態度しかないですよね。そんな心構えのある身内に囲まれて、幸せな人だと思いました。
投稿: かりもん | 2011年2月 2日 (水) 22:37
カワラヨモギさん、たいへんでしたね。コメントされるということは、かなりよくなられたのでしょうか。地元の開催だったのに残念でした。
>火の粉(痛みと高熱)をはらうことだけしか思えませんでした。今は楽になったので・・・なんまんだぶつ
はい、身体はほんとうに正直ですよね。痛みや重い病気になったら、その苦しみや痛みから解放されることしかない。見事にそれだけ。まあ、現世祈祷で、南無阿弥陀仏を利用しないだけで、性根は同じですものね。でも、そんな口から出でくださるお念仏様は、真実そのものなんですね。勿体ないです。
投稿: かりもん | 2011年2月 2日 (水) 22:45
かりもん先生ありがとうございました。
前回「ながと」での懇親会の折、こんな雰囲気の中でKちゃんと一緒に吞むことができたらと思っていましたがまさかまさか実現しようとは…。
かりもん先生はじめ、スジャータさん、「ながと」ママ、大ママそして支部のみなさんの温かいお心遣いに心から感謝です。
Kちゃんはかりもん先生が帰られてからもたくさん呑み、たくさん歌ってくれました。
Kちゃんと一緒に「ガンダーラ」を歌いました。
Kちゃんは歌いながら泣いていました…。
>それぞれが少しずつ勇気を出して動いた結果なのだから、悪いことがあるはずはない
また勇気をもらいました。
ありがとうございました。
投稿: AKT48 | 2011年2月 3日 (木) 00:09
「AKT48」-ああ、これすごくいいわー。相変わらず、天賦の才をこんなところで無駄にしてるなー。
まず、Aから始まって、Tか加わって、ATになったけれど、実はあいだにKがあるんやなー。ぼくはあくまで触媒といか、きっかけ。今度はね、ぜひ一度「AKT」で実現してみればいいんじゃないのかなー。
きっと、「AKT18」願になるよ。
投稿: かりもん | 2011年2月 3日 (木) 01:01