節分
台所から、大豆を煎った芳ばしい香りが漂っている。
毎年、子どもの通う幼稚園や保育園では豆まきがあった。園の属するお寺での節分に参加し、おさがりの豆をもらったり、鬼のお面を作っていたのだ。
しかし、今年は、二人とも小学校に入ったので、この行事も終わりだと思っていたら、下の子の児童館で豆まきがあって、「鬼だぞー」と、鬼の面をつけて、うれしそうに帰って来た。
明日は立春だ。暦の上ではいよいよ春。もちろんまだ寒いが、徐々に、春の気が立ってくることになる。
立春が、新年の始まりとすると、節分はちょうど大晦日にあたる。大晦日に、除夜の鐘で煩悩を取り除こうとするように、前年の邪気を祓う意味で、古来の中国、そして日本でも、追儺(ついな)が行なわれ、その名残がいまも「豆まき」として広まっている。追い払うべき、鬼とは疫癘(えきれい)などの災難ということ。間違っても、隣に座っている連れ合いではない。
つまりは初詣と並んで、攘災招福(じょうさいしうょふく)という現世利益信仰の最たるもので、本来の仏教行事とは無関係。ところが、神社だけでなく、仏教寺院のなかでも、年中行事として行なわれているところもある。
昨日、通りかかった三条寺町にある寺にも、マンガチックな鬼の絵が飾ってあった。
「鬼は外、鬼は外、福は内、福は内」
さてさて、内(家)から追い出された鬼はどこへ行けばいいのでしょう。隣の家か、お隣の国か。取り敢えず、私の回りからは災難や不幸は立ち去ってほしいだけ。ほんとうに虫のいい話ですが、お念仏の教えを聞くと、そんな自己中心の自分こそが、鬼の正体だったと知らされるわけですね。ここは世間の常識とは大違いです。
「お父ちゃん、年の数に1個多く食べるやで」。
ナナに言われて、えー! ちょうど50個も食べる年になったんやと、現実にびっくり。ところが、50個どころか、1個食べたのが精一杯。
いい香りがしていたと思った我が家の黒豆大豆は、煎りすぎで真っ黒けだ。結局、みんな「にがーい」と、吐き出すことに。ああ、鬼もピンピン元気で、今年もわが家には福は来ないということやね。
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コメント
失礼ながら、また笑ってしまいました。
我が家には角がある鬼はいないけれど、鬼と同じようなパンツをはいた不思議な生き物がいます。(追い払うことはしないけど)
投稿: relax | 2011年2月 4日 (金) 12:54
だって角隠しで、一応隠して嫁いできましたから。ところで、虎皮はやっぱり温かい?
投稿: かりもん | 2011年2月 4日 (金) 19:30
迷ったけれど、名誉のために再びコメント
不思議な生き物は私ではありません。
したがってパンツのはき心地はわかりませ−−ん!
投稿: relax | 2011年2月 4日 (金) 22:25
し、し、し、失礼しました。てっきり、relaxさんが不思議な生き物だと思っておりました。
投稿: かりもん | 2011年2月 4日 (金) 22:37
節分は私が全身火傷した日です。お爺さんの借金が発覚し、家族が大喧嘩をしていた矢先に、私が熱湯の
お風呂に転落したのです。
業というのは家族因縁だと思います。親がろくでなしなら、子供も害を受けますからね。三世を自分という個体が貫くのではないと思います。まぁ、業の話は
この辺にしときます。
後生の一大事とは往生の一大事ということですよね?
もし、後生が苦になった人が助かるというのなら、
末期ガンの患者は全員、助かることになりますよ。
医師から余命一カ月とか知らされて、必死で聞くだろうから、みんな信心決定してしまいます。
後生が苦になったから助かる、苦にならないから助からないという【条件】ではないでしょう。これは
無常、罪悪に関しても同じことがいえます。
老少・善悪の人を選ばず…老少(無常)善悪(罪悪)
と私は聞きました。だから、こちらの条件に関係ない。
私はいろいろ、愚痴をいってますが、決して、現世利益を求めているのではないですよ。迷いの打ち止めをしたいと思っているのだし、それが出来れば余生は
ホームレスでも構わない、あるいはその場で死んでも構いません。恐いのは未信のまま、臨終を迎えてしまうこと。今、助かりたいと思って、何が間違いなのでしょうか? 阿弥陀仏の救いは現在、ただいま、でしょう。
投稿: 阿波の庄松 | 2011年2月 5日 (土) 00:15
すみません。前と、このコメントを削除して頂けないでしょうか。読むと書き込んでしまうので、ブログを読まないようにします。
投稿: 緊張 | 2011年2月 7日 (月) 21:38
緊張さん>
お加減いかがですか。体調悪いときは、焦らずに休んでください。ご要望どおり、メール削除しました。
投稿: かりもん | 2011年2月 8日 (火) 00:51
阿波の庄松様
ご意見というか、ご主張も読みました。また、他のプログですが、ほぼ同時期の、MANU.さんのブログでのコメントなども読んでおります。
辛くて、悲しく、やりきれない気持ちです。
投稿: かりもん | 2011年2月 8日 (火) 01:21
「間違っても、隣に座っている連れ合いではない。」で、かりもん先生の本音や暖かさが垣間見られて思わず声を出して笑ってしまいました。読んだのは2/4 で笑える心境ではなかったのですが。と言うのも 1/31 にレイオフになって落ち込んでいたからです。昨年の秋から私の業務が少しずつ他部署に移行し、このまま行くとレイオフも有り得ると思っていたし、またレイオフがなくてもそろそろ引退を考えていたのですが、現実はみじめでした。しかも15分以内に去るよう言い渡され(2週間から2ヶ月の猶予を与える会社も有る)、引継ぎも満足にさせてもらえず追い出され、16年間の結集がこれかと思うと惨めでそして悔しかったです。あんなに大切だった書類もどんどん「シュレッダーにかける箱」に捨ててきました。死んで逝く時も大事にしていた持物をこのようにどんどん捨てていくんだと思いました。拒絶されるのは嫌なものです。会社との縁が切れたんだと言い聞かせても惨めさは消えませんでした。昨日、悟朗先生の聖典講座のテープを聴きました。邪険驕慢悪衆生のご説明がありました。因果の道理を否定し、あんな形で会社を去るのは私が播いた種の結果と受け取れずいる私の事が、なぜ私が社からあんな扱いを受けねばならないのかと、自分をよしとし自惚れている驕慢な私の事が説明されていました。
と言うわけで以前は昼の休憩時間に拝読していたかりもん先生のプログを今は自宅から拝読しています。今後も楽しみしていますのでよろしくお願いします。本日(2/9)の玄牝も機会があれば見たいと思います。
投稿: チャン | 2011年2月10日 (木) 06:30
チャンさん、びっくりしました。たいへんですね。物質的なことも、また精神的もきついなー。それにしてもアメリカだなー思いました。レイオフされて、即刻立ち去れですか。引継ぎや整理をするにしても、15分以内とはまったく厳しい。逆にいうと、首になったところにながいは無用という合理的な考えなのかもしれませんが、そう簡単に気持ちの整理はつかないですものね。まあ、しばらくは、時間の余裕ができたと思って、切り替えていくしかないですね。今日では、自由になる時間ほど、ぜいたくなものはありませんから。
投稿: かりもん | 2011年2月10日 (木) 18:16