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ワークで気づき、想ったこと

 今回の仏青研修会。全体の自己紹介のあと、メンバーのひとりが、からだを使った「抵抗」というワークを教えてくれた。アレクサンダー・テクニークをヒントにしたものだ。

 簡単に示すと、4人組で、ひとりがインストラクター役(D)で、真ん中の人(A)がメーン。そのAを中心に、左右に配された人(BとC)が、Aがいま抱えている二つの問題である。3名が、横並びに距離を置いて、等間隔で立っている。

  まず、Aは自分が抱えている問題をイメージして、BとCに配当する。そして、Dの指示のもとに、徐々に、BとCは真ん中のAに近づいていく。徐々に近づく度に、DからAへ、からだの変化に対する気づきへの問いかけがある。そのあと、問題は両方が押し寄せてきて、触れるか触れないかあたりまでくる。そのあと、問題がAに触れて押していく。その力はだんだんと大きくなり、Aもその問題に負けずに押し返し、その力が最大になった時に、Dの合図で、Aは思い切って脱力してみるのである。

  実際に見てみないと伝わりづらいだろうが、Aを体験してこんなことを感じた。いま、自分が抱えている問題との距離が遠く(2Mぐらい)離れているときは、なんとも思わない。ところが、距離がある内はなんともなかった問題が、徐々に近づき1Mを切り、50㎝ぐらいになると、手のあたりが重くなったり、肩に力が入ってくのがよく分かった。気分も悪くなる。問題の気配に圧倒され、こころはわざわざして、負けずにこちらも力が入ってくるのである。特に、問題が触れるか触れないかあたりで止まったときの圧迫感で、不安は最高潮に達した。まだ問題に触れていないのに、圧倒されそうな緊張感である。

 ところがである。今度は、問題が身に押しつけられてくると、むしろ接しているという安心感みたいものが生まれてきた。ワークなので、相手は人。服越しでもその人のぬくもりや柔らかさみたいなものが、同時に感じられたからである。ちょっとした押し蔵まんじゅうのようになると、圧迫感より、今度は心地よさを感じるようになったことが、なんとも不思議だった。実際の圧迫のほうが、精神的な圧迫よりも楽ということがあるのかもしれない。そして、最後に脱力し、無駄な抵抗をやめておまかせしてみる感じも味わってみたりもした。これも、なかなか心地よい。

 しかも、それはぼくだけの感じというより、異口同音に同じような感想が多かった。もともとは、無意識に身体が、長年のクセとして身につけている緊張や力みに対して気づき、その無駄な力を抜いて、もともとの自然体で立ってみるということを促すものであろう。無意識におこなっているからだのクセが、こころのクセとなり、人生のあらゆる場面でも同じようなクセになって現れていくのだろう。

 それが、いま臨床哲学の鷲田清一氏と河合隼雄氏の対談集(『臨床とことば』)を読んでいたのだが、そこに、鷲田氏が、いま心をヒリヒリさせている人、あるいは不安神経症の人とのリハビリなどで、「触れるか触れないかぐらいで、他人にふっと体を触れるのがいちばんこわい」んだという指摘を読んで、なるほどと納得させられた。

 これは問題だけでなく、人間関係やあらゆる場面でもそうだ。完全に距離があれば問題ないし(というより問題にならない)、逆にしっかりと触れて密着している関係も(それはそれで別の問題は生まれるが、安心感はある)だろうが、中途半端で、いま関わりがあるのかないのか、繋がっているのか繋がっていないのかが、分からない時に、いちばん不安や脅威を感じるようである。

 たとえば列車やお店の座席で、まったく見も知らない他人が座っている時(完全なアカの他人)、真横に家族や親友が座っている時(身内)、それらと比べて中途半端に知人(いわゆる世間やな)と一緒に座った時はどうか。それぞれの関係によって心境は異なるだろうが、知人を横にした時ほど、妙に気疲れするなと思ったりもした。

 いまの私達が、人間関係の距離感、孤独や不安で悩まされているが、ひとりになることの恐怖で誰か常に触れ繋がっていたいと(意識的にも、無意識にでも)願っているが、それでいてしっかりと飛び込んで触れ合うのも、また怖かったり、煩わしかったりしている。それで、どんな人とも、またはどんな問題とも、常に触れるか触れないかあたりで留まってしまって、結局、宙ぶらりん状態でいる。それは居心地がよさそうで、実はますます見えない不安を募らせているのかもしれない。

 もともとのワークの意図とは異なるかもしれないが、からだを使っていろいろと味わわせてもらった。

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コメント

詳しいことはわかりませんが、体験してみたいと思いました。
頭で考えるのではなく、体を通しての気づき、という点に興味を持ちました。

投稿: 絆 | 2011年2月 9日 (水) 18:33

まあ、今回は短時間で、いわばデモみたいなものでしたが、きっちりやるときっと面白いでしょうね。
たしかに、聞法も同じですよね。ネットで言葉を追いかけるばかりではダメで、身をかけて聴くことが大切だと思いますね。

投稿: かりもん | 2011年2月 9日 (水) 21:26

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