無我について
午前中、『後生の一大事』~蓮如上人の御教化~の校正と、追加する原稿データを出版社に渡した。
前は華光会で発行したのが、今回は白馬社からの出版になるので、改訂新版ということになるのだろう。
追加するものは、聖典講座の『末代無智章』をテープ起こして編集する予定でいた。1月末から作業は順調に進んでいたが、ここに来て差し替えとことになった。内容はいいのだが、いかんせん、講義が他の本をテキストにしているので、構成や組み立てや、語句の解説などが、それをもとになされているからだ。実際は質疑を交えた進行なので問題なさそうだが、書籍として出版するとなると簡単ではない。せっかく準備をしていたが、すでに華光誌に発表したものを加えることにした。
副題が示すように、蓮如上人に関係ある誌上法話ばかりだ。だいたいそのときに厳選したので、もうほとんど残っていない。無理に増補する必要もないのだが、せっかく改訂版で出版するのだからひとつは増やしたい。
それで、かなり古い法話だが、昭和57年に発表された「無我について」いうものを、蓮如上人の「仏法には無我にて候」と関連して掲載することにした。仏教の基本中の基本でありながら、親鸞聖人は、無我についてあまり触れておられない。それは、無常という点でも同じである。一方で、蓮如様は、『ご一代記聞書』で2箇所、「仏法は無我なのだ」と明言されている。これはどういうことかについて、
(1)一般で使われる無我と仏教の無我はケタが違う別物ということ。
(2)では仏教の無我はどういうことなのかを、(1)実我・(2)仮我・(3)真我に分けて詳細に述べ、
最後に、それでは(3真宗で言うところの無我は、どう味わうべきかという流れである。
その詳細はともかく、結論からいうと、迷妄の凡夫の私には、これまでも、またこれからも無我にはなれない。しかし、その「おれが」の我欲に狂う私めがけて、無我そのものの阿弥陀様が、南無し回向くださっている。それは、私を無我そのものの最高の仏にしたいという大悲の願いからでである。そのおこころ、そのお姿こそが無我そのものである。つまりは、南無阿弥陀仏こそが仏法であり、無我なのであるから、そのお心を聴く以外に、凡夫の私が無我になることなど絶対にあり得ないのである。
週末の東京法座では、仏教の基本・旗印である三法印のうち、無常と、無我とをとりあげる予定でいる。
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コメント
書いていることは正直な気持ちなので何といわれようと。私の腹の中は怒りと悲しみで一杯ですから、誰のことも信用していません。僕は福井のSさんの投稿を今でも信じていますが、その一方で華光を離れていった人もいると聞き、その疑いの気持ちが晴れません。
今日、実は三ノ宮に来ているので、お邪魔しようと思ったのですが。でも、明日は東京法座なんですね。
日曜礼拝まではいられないです。
明日、上座部仏教の精舎を見学させてもらうのですが、おっしゃる通り、修行の出来る自分ではないことは痛感しています。しかし、大乗非仏説という主張もありますし、どちらの道を選ぶべきか迷っています。
そして。本当は、このようなネット空間というのは
人間にとって良くないのではないか、と思います。
聴聞は必ず、肉声でなければならない。でも、本当に人間の説法程度で如来様の心が入ってくるのか…、とも思います。
しかし、僕から宗教を取ると何も残りません。ただ、
敗戦処理だけの人生があるだけです。
投稿: 阿波の庄松 | 2011年2月18日 (金) 19:21
阿波の庄松さん、読ませてもらいました。いろいろと考え、迷っておられるようですね。ただ、浄土真宗かどうかはともなく、何か真実を求めていきたいと思っておられんですね。
投稿: かりもん | 2011年2月19日 (土) 00:58
無我だけを考えると分かるようで分からない感じですが、「南無阿弥陀仏こそが無我」と言われると分かり易かったです。自分の中で無我を探してもピンとこないのも当然ですね。
「そのお心を聴く以外に、凡夫の私が無我になることなど絶対にあり得ない」はい、そうですね。ところで
…おタイちゃんかわいいですね~。
投稿: わらわら | 2011年2月19日 (土) 10:03
わらわらさん、そうですよね。一般では、よく無我の境地とか、無我になってなどというけどれ、実は、そのまったく逆の「オレが、オレが」の塊で、無我になんかなれません。でも、南無阿弥陀仏こそが無我そのものだ。そのおいわれをお聞かせに預かっていくだけなんですね。
投稿: かりもん | 2011年2月21日 (月) 23:41