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2011年2月の23件の記事

越後十日町の家庭法座・旅情編

  京都駅の0番線。北陸本線のサンダーバードに乗車して、越後十日町に向かう。今夜は法要があるので、大きな法衣鞄を抱えての旅だ。金沢までは2時間強。そこで、ほくほく線のはくたかに乗り換えて、まだ2時30分はかかる。

 今年の北陸は記録的な大雪だったが、北国の雪も山沿いではまだ残っているものの、平野部はImg_4081黒い大地になっていた。さすがにこの1週間、北陸も春の陽気は雪を溶かしたようだ。
 富山を過ぎると、列車は日本海に沿って北上する。親不知の海が見えてくる。白波がたっている。越後ももう近い。古来より、この断崖を海岸線は北陸道の最大の難所として知られてきた。険しい断崖と波のために、親は子を、また子も親を省みることができないほどの難所だったので、親不知、子不知と言われきてた。いまやこの海岸線を高速道路と列車が通り、景色を楽しみながらの旅となる。この道を800年前に親鸞聖人は流人とImg_4088_2して通られたのだ。当時の流人としての旅はいかばかりであっただろう。列車が直江津に着いた。流罪の時、聖人はここの居多ケ浜(こたがはま)から上陸されて、最初の居を構えられた地だ。今年の9月の聖跡巡拝の旅でも、もちろん参詣する。直江津からは、ほくほく線に入り内陸に向かう。列車の終点は、新幹線と連絡する越後湯沢で、特急なので、十日町はその手前の停車駅だ。新潟に入っても拍子抜けするほど雪は消えていたが、ほくほく線の長いトンネルを抜けると、まさしくそこは雪国であった。上野国からではないので国境の長いトンネルはないが、ひとつトンネルを抜ける度に雪が深くなるのがわかる。長いトンネルを過ぎると、十日町駅についた。5Img_4125_2年ぶりにこの地をたったが、冬は初めてだ。

 駅では、娘さんのFさんご夫妻のお迎えを受けた。道路も歩道も、きれいに除雪されている。道の両脇の雪の壁も、せいぜい1m~1.5mほどであろうか。やはりこの1週間は温かくて、一気に雪が溶けて半分程度になったという。Img_4101_2それでも、ぼくにはこんな雪は珍しい。車中から、雪の壁を撮影したが、別に何も見えない。信濃川を渡ると目的地は近い。会館から目的地までは、約6時間の長旅だった。

 今回は、F家の亡くなったご主人の年忌をもつことで、息子さん、娘さんの家族の人達に、仏法聴聞をしてもらいたいというFさImg_4092_2んの思いで実現した。だから、法衣を持参したのだが、法要が主ではなくて、あくまで法話や法座が中心となる。夕方からの夜座と、翌朝の法話、そして少し昼座ももてればいいと思っていた。翌朝には5年前にぼくを招待くださった近所の同人と、Fさんのお兄さんもお参りされるが、今夜は、Fさんに、ご長女と、ご長男の2家族という、ほんとうの身内だけである。

 新潟市からこられる長男家族を待つ間、近くの温泉に連Img_4096_2れていってもらった。なんでも「自宅はヤカンのお風呂なので、一気にみんなが入らないとダメなので」とのこと。はあ、たしかに10名ほどいて、ヤカンでお湯を沸かして入れるのはすごくたいへんだなー、と思っていたら、「違いますよ。夜間給湯器です。つまり深夜電力…」と、ぼくの怪訝そうな顔をこして、お婿さんがすかさずフォロー。ああ、そうでしょうね。いくらなんでも、いまどきヤカンで風呂を沸かす人はありませんわ…。もっとも、朝起きたら、「2階はお湯がでないので、これで顔を洗ってください」と、ヤカンと洗面器が渡されたので、あながち間違いではなかったのかもしもない。なんとなくこんなトンチンカンな小さな違いが、親と子の間あることが、しっかりと問題意識として、みんなの心に浮き彫りにImg_4102なってきた、今回の法座コミニケーションを象徴していたのかしれない。

 それはともかく、どういうわけかいま駅で初めて会ったばかりの方と、いきなり温泉に入ることになった。相手のことも何も聞かされていないので、お互いにどこか気まずい、おかしなものだったが、同学年という共通項もあった。このところ、あちこちで同級生とのご縁が多い。26日なので、なぜかランが浮いた温泉は、まだ4時を過ぎたところなのに、地元の爺さんでけっこう混んでいた。それでも、雪国ならでは会話を聞きながら、雪を見ながら露天風呂に入るのはなかなかいいもので、かなり温まった。

 しかし、まだ本番の仕事はこれからなのである。

 内容に入る前に長くなったのでここまで。

 会場に到着したらところで力盡きる、典型的な低学年の子供大会の感想文のようなものである。 

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『小屋丸~冬と春~』

101112koya_2

 法座案内にはないが、明日から新潟県十日町市の家庭法座に出かける。 雪の新潟は、初めて訪問するので、かなり楽しみだ。

 華光同人がおられる上越市旧牧村や十日町市、津南町は、豪雪地帯のなかでも、特別豪雪地帯に指定されている、日本一の豪雪地帯だといっていい。

 この十日町の周辺で、3年に一度、「大地の芸術祭、越後妻有アートトリエンナーレ」という地域密着型の大規模な芸術祭が開催されているhttp://www.echigo-tsumari.jp/。こちらは、名古屋の芸大系の大学に通う姪のR子も参加していて、文字通り、大地を舞台にした作品の写真を見せてもらっていた。

 その「越後妻有アートトリエンナーレ」から派生して、ひとつのドキュメンタリー映画が誕生した。それが、フランス現代美術界の奇才、ジャン=ミャシェル・アルベローラ監督が初めて映画監督して手がけた『小屋丸~冬と春~』だ。この2月にみなみ会館で観たのだが、京都のような雪のない都会の映画館で、この手を映画をみることがなんとも不思議な感覚だ。

十日町市のなかでも、併合された田舎の村落、「小屋丸」というごくごく小さな集落。限界という言葉なんかとうに超えた、人口10数名の田舎に魅せられた欧米の人がいて、その目を通して、本来日本に根付いてた相互扶助の村落共同体の姿を描いている。さすがに、現代美術家らしく、モノクロの16ミリフィルムで、少々クセのある映像だった。彼の目をとして、「小屋丸」という豪雪地帯に生きる老いた男女(若い人は外人だけ)が登場する。同時に、この村落に吹く風や雪の手触りを手がかりに、経済発展と便利な豊かさの追求の過程で、滑り落ちて行ったものを伝えようとしているように見えた。
 正直、マニアか、ご縁のある方はどうぞという作品かな。

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修理、修理、修理

 3年に一度、地下の貯水槽(タンク)の清掃を依頼している。作業は、4時間ほどで済むが、その間は断水にする。同時に、防火器具の法定点検がある。こちらは消防署への提出が必要だ。同じ業者に、消防点検と、貯水タンク掃除の頼んでいるので、少し時間をおいて作業おこなわれた。同時刻に、地デジアンテナ工事の下見もあって、午前中はバタバタしていた。

 地下の貯水タンクを水を空にするのだが、まだポンプの調子が悪いようだ。昨年、最新ポンプに交換したのに、2系列あるうちの1つが、常時故障ランプが点滅している。どうやら工事で治ったはずの逆止弁が直っていなくて、水が漏れて溜まらないとのではないかと言われた。

 実は、2週間前から、ガス式の給湯器が故障して水が漏れて危なかった。すぐに交換工事か必要なのだが、なかなか機材が入荷せずに、工事はこの週末まで延び延びになっていた。その間、お湯が出ない。ここ数日は春陽気で楽だが、冬にお湯が使えないと不便で、風呂も入れないままでいた。日曜日に工事があるので、ポンプも再度、修理してもらわないといけないかもしれない。

 消防の方もひっかかった。誘導灯や非常ベル自体は正常だが、15年の間にバッテリーが劣化していて、充電しても溜まらずに、停電時に対応できないというのだ。取り敢えず、今年は2基の交換が必要で、この先、どんどん寿命を迎えて交換が必要になるという。これは何万円もするものではないそうだが、予定外の出費に頭が痛い。

 次ぎの日曜日には給湯器工事、月曜日はアンテナ工事、そしてその週には、バッテリー交換と、修理や修繕が続く。これにボンプ修理も加わりそうだ。それしても、建築から15年も経つと、毎年、修理の連続である。それは人も同じなのだが、人の場合は15歳程度は成長過程なので問題はない。しかし、30代も後半ぐらいから、40年、50年と、あとはどんどん衰え、劣化が激しくなる。それでも、70年、80、90年、どこも新品のパーツに交換することなく、なんとか機能するのであるから、このからだは有り難い。しかも、すべて親からの頂きもので、そこにさまざまな命やおかげを頂いたたまものである。いわば、おかげでのかたまりで出来ているのが自分なのだ。しかし、いつも「おれのもの」と自惚れて、そのご恩を忘れた日暮らしをしているが、それで終わったらあまりに勿体ないなー。

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参観日

 参観日。1年生ということもあり、ほとんどの親(母親)が参観に来ていた。国語の授業。しっかり伝えること、丁寧な言葉で尋ねること、そして、最後までよく聴くこと。そのとき、お互いを見て話し、聞きましょうという「しっかり伝える、よく聴く」という課題。これを対抗ゲーム形式(クイズ)で発表し合っていた。ぜひ、大人もここから学びましょうか。どちらかといえば、大きな声で、ハッキリと伝え、丁寧な言葉遣いといった伝える方が大切にされているようには思えた。 できれば、聞いたところをレスポンス(そのまま返す)するところまであれば、よかったんだけどね。

 1年生なのでまだまだ可愛い。しかし、少数だか授業中に動き回り、乱暴な態度や言葉(後ろを向いて中指を立てて、『死ね』とつぶやき続ける)子もいて、簡単ではない様子。単級で25名程度。逆に、クラス替えもなく、問題を起こす子が1、2人いるだけで、クラスの雰囲気が左右されるので、かなり難しい。しかも、6年間一緒だ。保護者会では、1年生ながら人間関係がたいへんで、小さな胸を痛めているとの話が続いたようだ。当初、いろいろと問題があった上の子の学年は、5年生になってかなり落ち着いてきている。成長と共に収まっていければいいのだが。大人の社会で起こることは、子供の社会でも当たり前のように起こるということですね。

 夕方、同人の祖母にあたる方の訃報に接する。

 続いて夕食の前には、旧同人の訃報。ご子息はぼくよりひとつ下。昔は、ごく近所に住んでおられたので、書道教室や日曜学校の常連で、仏の子供大会にも参加されていた。いまは華光誌と、盆暮れのお付きあいだけになっていたが、一瞬、40年以上前の子供大会のことを思い出した。

 無常の催促が続いている。南無阿弥陀仏

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コップが割れる?

  夕方から夜にかけて、これらかの法座や行事の打ち合わせや相談。鹿児島の法座は決まったが、3月の岡山の法座の日程はうまくいかず延期、9月の越後の聖跡巡拝のことを決定して、8月の子供大会のマイクロバスの相談など。最後は、直接の依頼ではないが、広島での真宗カウンセリングの講演会のご講師の相談など。テーマは、ケア(癒し)と、信心(求道・成長の契機)といったあたり。いろいろと感じるところを聞き話すうちに、ちょっと長電話。

 急いで、夕食の後片付け。食器や調理器具を洗ったり、水場の掃除をするのが、ぼくの仕事だ。食器は洗浄器がするのだが、几帳面の正確なので、前洗いもキッチリし、きれいに、効率よく食器洗浄器に收められると、なにかスッキリしてうれしくなるタイプ。今夜は、うまくきれいに収まって最後のひとつ。ところが、その最後の耐熱性のガラスコップが、手からスルリとすべってしまった。落ちたところが収納した食器の上。しかも、あたりどころが悪かったのか、勢いが付いていたのか、ものの見事に木っ端みじんになる衝突事故を起こした。 

 洗浄器の中で、コナゴナになったガラスだが、掃除機も使えず、懐中電灯で照らしながら、手作業で拾い、ガムテープも使い、最後に雑巾で丁寧に拭く。結局、收めた食器も、取り出してもう一度洗い直すことに…。よくみると床にも飛び散っている。けっこうな仕事になってしまった。

 子供が寝ているのに、ガーガーと掃除をかけているので、風呂からできてた連れ合いが、「どうしたの?」と驚いたようす。

 思わず「コップが割れて、たいへんだったんだ」と言っている。

 うーん、待て待て。勝手に「コップが割れた」わけじゃないなー。急いでミスをしたのはこちら。正確には、「コップを割って、たいへんだった」のだけれど、ここでも、まず自己弁明から。

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どうぞ、お願いします

  東京法座が終わった。

 帰路、いつにもなく疲れていた。通夜や法座が続いたという、肉体的な疲労もたしかにある。しかし、むしろ体の奥のほうに、ぬぐいされないシミのような曇りというか、錘のようなものが、収まりきらないままに重くあったからだ。その複雑なものを、もしありふれた言葉にするなら、空しさというか、悲しみというか、無力さというのか、とにかくまで言葉に収まろうとしていない。しかし同時に、如来様のやるせない思いに心を寄せると、やりきれない思いと共に、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と次々とお念仏様が口から飛び出してくださる。

 全身を硬直させ、顔を怒らせ、絶対に負けるものかと、心を聞かずに言葉尻だけをとらえ、体中で抵抗されて、ますます心を硬くされていかれる姿は、まさに如来様に対して反逆し続けている私そのものである。「若し生まれずんば、正覚を取らじ」と、私の往生のために自らの正覚をかけてくがさり、そして「汝、一心正念にして直ちに来れ、われよく汝を護らん」と、「早く、早く」と呼び続けて下さっている阿弥陀様の切ないお言葉は、遠いところにをあるのではない。南無阿弥陀仏の響きとなって、いまここに届いてる。いま、まさに聞こえるのにである。

 30数年のご聴聞。文字通り命がけで、仏法を求め、世俗の欲望を抑え、自らの心を殺し、固執する教え以外を破邪することに心血を注ぎ、けっして修めきれない善を修めようと努力し-しかもそれは捨てものの役に立たないものでありながら-いつかはその自力が廃って仏智満入する宿善が到来する時があること信じて邁進されて続けているのである。よしんば不審があったとしても、けっしてそんな疑問を口に出すこともせず、自らの心を殺して、常に前向きに頑張り続けてこられた。19願から20願、そして18願の真実信心の世界に転入するためにである。そんな方には、根拠と称する不毛な言葉のやりとりでなく、ぽく自身の聞かせていただいた愚身においてはかくのごとしとというアプーロチは、訳の分からないことで、きっと腹立ち一杯であっただろう。ただ、せっかくお念仏の御教え求めておられる御同行であある。一刻も早く南無阿弥陀仏のみ教えに会っていただきたいというだけである。もちろん、その誠実な熱情のすごさは人間的には尊く、頭がさがる思いはした。しかし悲しいかな、命懸けは凡夫の方ではない。如来様が命がけで願ってくださっているのだ。その願いは言葉の世界に留まらない。躍動し、法界に満ち満ちている命そのものの南無阿弥陀仏として働いてくださっている。だから、凡夫の小さな救済の予定概念に收めようと努力しても、どれだけ人生をかけ、命懸けになろうとも、けっして収まることはないのである。

  だから、「ダメなものはダメ」「落ちるものは,落ちる」-そうありのままにお聞かせに預かることからしか始まらないのだが、この方向転換こそが難中の難。

 実は破邪顕正の剣は、外側の教えや組織を打つ為に振りまわすのではない。まさに、「直ちに来れ!」と.本願招喚の勅命に、逆らい、誤魔化し、抵抗し続ける、この私の自力の迷心そのものを厳しく破ってくださる以外にはなかったのである。

  横超の直道、直入の機こそが、第18願信心往生のおこころである。これまで、もう十分自力で頑張り、抵抗されてきたのだ。そのお姿は、阿弥陀様は十分に分かりきってくださっている。ならば、いつまでも横出の、廻心の機である19願の自力方便・仮の世界に留まっていないで、一刻も早く、本願一実の南無阿弥陀仏ひとつに飛び込んでいただきたいのだ。たった一言で済むように、易く易く、ひたすら易く仕上げてくださったのである。

   どうぞ、どうぞ、お願いします。もし、いまは伝わらなくても、ぜったいにお捨てになれない尊い願いがかかっております。

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見てござる 聞いてござる、知ってござる

 おタイちゃんに初対面したあと、夕方にはTさんと、三重県の名張市での同人のお通夜に列席した。まったく地の利のないところで、車での時間が読めない。遅れないように、近鉄特急を乗り継ぐことにしたが、それでも2時間は必要であろう。奈良県宇陀市との県境にある斎場だ。 

 これはあくまで凡夫の凡情ではあるが、変わり果てた故人の亡骸に接し、突然、一家の主を失った家族の悲しみに触れ、なかでも年老いてお母様にお声をかけると、こちらもこみ上げる思いで一杯になってきた。しかしそこでも、皆さんと、「仏法聞けよとの厳しいご催促ですね」と、共に語り会い、お念仏申せる法友であることが、なんとも有り難い。同じ村の檀家さんたちであると思うが、大ホールでの通夜でありながら、多くの人が、お正信偈を唱和し、なんの指示もないのに、大声で称名念仏をされる姿がなんとも尊く思えた。こんなことでも、日頃からのお育てがあればこそだ。当たり前こそが有り難いのである。

 短いが、自然体の味のあるご法話で、訃報に接して、日頃の無常というお示しが簡単に飛んでしまって驚く凡夫の拙さと、同時にその私を常に、「阿弥陀様は、見てござる 聞いてござる、知ってござる」という如来のお働きをやさしい言葉で。

 そうだなー。私が知らないだけで、私を、いつも見守ってくださり、私の苦悩する声を聞いてくださり、そしていつも私のことを知っていてくださっている御方がある。自分でも、自分のことがなにひとつ分かってないのに、そんな迷いきって痺れている私のことを、何でも知ってくださっている阿弥陀様に出会わせてもらう以外に、この娑婆で据え通っていくものはなないのだ。

 何度も耳慣れになるほど聞いてきたことだが、これまでは、すべてが見通されている怖さばかりに思いが寄っていた。その意味では、初めてお聞かせに預かるようだった。

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おタイちゃん登場

Img_4058  おタイちゃんを抱かせてもらった。

 久しぶりに、赤ちゃんのパパになった気分である。

 昨年の11月生まれで、ちょうど3ケ月。その3ケ月検診のために京都の助産院に来たついでに、会館にも寄Img_4056ってくれた。うちの子どもと同じ産院仲間でもある。

 昨年は、仏青の人達のベビーラッシュで、双子を授かった人もいた。特に11月には、3名の仏の子どもが誕生した。どうぞ、仏の子どもとしてスクスク育ってほしい。

 ●●●●

 出会いあれば、別れもある。誕生があれば、死もあるのである。

 このあと、同人のお通夜に向かった。

 

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無我について

 午前中、『後生の一大事』~蓮如上人の御教化~の校正と、追加する原稿データを出版社に渡した。

 前は華光会で発行したのが、今回は白馬社からの出版になるので、改訂新版ということになるのだろう。

 追加するものは、聖典講座の『末代無智章』をテープ起こして編集する予定でいた。1月末から作業は順調に進んでいたが、ここに来て差し替えとことになった。内容はいいのだが、いかんせん、講義が他の本をテキストにしているので、構成や組み立てや、語句の解説などが、それをもとになされているからだ。実際は質疑を交えた進行なので問題なさそうだが、書籍として出版するとなると簡単ではない。せっかく準備をしていたが、すでに華光誌に発表したものを加えることにした。

 副題が示すように、蓮如上人に関係ある誌上法話ばかりだ。だいたいそのときに厳選したので、もうほとんど残っていない。無理に増補する必要もないのだが、せっかく改訂版で出版するのだからひとつは増やしたい。

 それで、かなり古い法話だが、昭和57年に発表された「無我について」いうものを、蓮如上人の「仏法には無我にて候」と関連して掲載することにした。仏教の基本中の基本でありながら、親鸞聖人は、無我についてあまり触れておられない。それは、無常という点でも同じである。一方で、蓮如様は、『ご一代記聞書』で2箇所、「仏法は無我なのだ」と明言されている。これはどういうことかについて、

(1)一般で使われる無我と仏教の無我はケタが違う別物ということ。

(2)では仏教の無我はどういうことなのかを、(1)実我・(2)仮我・(3)真我に分けて詳細に述べ、

最後に、それでは(3真宗で言うところの無我は、どう味わうべきかという流れである。

 その詳細はともかく、結論からいうと、迷妄の凡夫の私には、これまでも、またこれからも無我にはなれない。しかし、その「おれが」の我欲に狂う私めがけて、無我そのものの阿弥陀様が、南無し回向くださっている。それは、私を無我そのものの最高の仏にしたいという大悲の願いからでである。そのおこころ、そのお姿こそが無我そのものである。つまりは、南無阿弥陀仏こそが仏法であり、無我なのであるから、そのお心を聴く以外に、凡夫の私が無我になることなど絶対にあり得ないのである。

 週末の東京法座では、仏教の基本・旗印である三法印のうち、無常と、無我とをとりあげる予定でいる。

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訃報

 「報恩講を楽しみにしております。どうぞ、本年もよろしくお願いいたします」

 元旦、その方から届いた年賀状に、そうはっきりとした力強い書体で言葉が添えてあった。

 今年の報恩講の世話役(リーダー)をお願いしていた。ところが、年が明けて、報恩講が近づいた数日前に、体調を崩して入院するので欠席するとの連絡が届いた。突然のことで困ったが、幸いピンチヒッターに立ってくださる方があった。それに娘さんもお手伝くださって、報恩講は無事に勤まった。その時に、ご家族から容体を聞いたかぎりでは、十分静養されて、元気に復帰されることを楽しみにしていた。

 それから1ケ月少し。仕事部屋のぼくのもとに、その彼の訃報が届いたのだ。まだ、50代の半ばで、(無駄に?)明るく元気な方だった。すぐに、電話を受けたTさんのところに急ぐと、彼女は涙を流しながら座っておられた…。その後、皆さんに訃報のお知らせや、彼との昔の関係を思い出して連絡をするうちに、その経過や様子が伝ってくるようになった。その間、彼の懐かしい飛び切りの笑顔と共に、若い時からの彼のさまざまな想い出が去来してきた。昔から忙しくて、会館には、4年に1度くらい(あくまで印象だが)しか行事に参加されないが、その愛すべきキャラクターと賑やかな言動で、いつのまにか「オリンピック(4年に1度現れるお祭り)男」とも呼ばれるようになっていたが、またフラッと現れるような気がしてならない。

 結局、迷いの私には、無常の理を体得することはできない。無常や死といっても、いつも観念的にしかとらえられないのに、それで分かった気になっている。しかし、それを感じようが感じまいが、また自分の思いや予定がどうであれ、一瞬にしてこの生が崩れさり、すべてが死に帰していくのである。それが私の迷いの命なのだ。ただ私の思いも、回りの状況などにまったく無関係に、突然やってくるという厳しい現実しかない。そのことを、彼は身をかけて示してくださった。私に無常の事実を教えるために遣わされた天使なのである。そして、「後生に油断はないか」と、今生事に惚けた私に向けて厳しくご教示下さるのである。

 その彼が、以前、行事のお世話役をされた時のことだ。ご満座のぼくの法話の前に、次ぎの言葉を板書して紹介されたことが思いだされた。

 聴聞の心得

『この度のこのご縁は 初事と思うべし

 この度のこのご縁は 我一人の為と思うべし

 この度のこのご縁は 今生最後と思うべし』

 この3ヶ条、どこかで耳慣れ雀になっていないか。これを覚えて暗唱だけで満足していても意味はい。つまり、「いま、ここしかない」というだけなら、それはオウムと同じなのだ。あらためて、ひとりひとりが、一切を放下(ほうげ)して、わが身に引き受けて問うてみるところでしか、真宗のご聴聞はない。他人や同行が厳しいのではなく、仏説のまことが示す真実が、私には都合が悪いだけである。それを厳しく教えくださることほど、ほんとうは親切で、やさしいことはないのではあるが、私はどこまでも顚倒しているのである。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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持久走大会

 先日、小学校の持久走大会があった。今年は、クラス委員が当たっているで、夫婦で応援に行いった。

Img_3955  七条大宮にある梅小路公園の中を周回するコースで、時間内にどれだけ走れるかである。

 昨年からここで始まったが、今年は下の子も初参加。タイム競爭ではなく、1年生は、20分、そのあと出発する5年生は、40分の間にどれだけの距離を走れるかである。Img_3966_2

 初参加のナナがどれだけ走りるのかと思っていたら、ぜんぜん歩かずに、時間内に3、5キロも走った。終わってから声をかけたが、案外、元気だ。次は、カンロ。こちらは40分だが、北風の吹く寒い中で、7㎞弱ほど走った。1年の間で、ずいぶん距離が増えたようだ。小さくて、体力がなかったが、だんだんと元気になって頑張っていた。

Img_3969 この日は寒かったが、それでも梅が花が咲きだしている。

 今日は、散髪の帰りに通ったら、春のような日差しに膨らむように、紅白の梅が咲いている。梅一輪ずつ春が近づいているんだなー。Img_3964

 平安末期に平清盛の西八條の宮が造営されていたあたりだが、その一角では、オリックス系の水族館建設の工事が始まってる。海のない京都市内に果たして必要なのかどうかはとにかく、やはり妙な感じはする。しかし、完成すれば、きっImg_4010と行くだろうなー。 

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バレンタイン・デー

 バレンタイン・デー。

Img_4005 女の子の二人いるわが家も、前日の昼間から大騒ぎだ。手作りのチョコのために台所は散らかっている。ぼくの誕生日直後とあって、この時期のわが家の風物詩は、ケーキ作りと、チョコ作りだ。今年は、チョコたっぷりのカップケーキを、たくさん作っている。最初のうちはいいのだが、うまくいかなかったり、Img_4009役割分担などで、いつのまにかケンカになって、連れ合いにしらかれている。なかなか大変だ。どうにか完成したが、今日はまだラップングと、誰にもっていくかでもめている。いまは、男の子ではなく、友チョコで、女の子同士が贈りあっている。ちょっと疎遠な子でも、わざわざもってきてくれたら、急に評価が上がる。これは、子供も大人もそうかわらなImg_4000い。だから、女の子同士なので、誰にあげたかより、誰からもらったかと、チョコの数を数えて、喜んでいる。でも二人より、ぼくがいちばん多くチョコをもらったようなので、二人にしっかり自慢してやった。しっかり金箔が輝いているんだもの。

 上の子は、すでに1年生の時に男親に複雑な年齢になっていて、お風呂ももう入らなくなったが、下の子はまだ「パパ大好き」で、「嵐の○○や××よりも、パパの方がかっこいい」なんて、平気でうれしいことを言ってくれる。こんな幸せは、あとほんの少し。すぐにホロ苦くなるだろうから、甘いうちにせいぜいかみしめておこう。

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いろいろあった3日間(2)法事~輪読~会議

 翌土曜日は、午前中に、同人宅での法事。前回の法事の続きだったので、勤行の前に、少し丁寧に仏参や手を合わす意味などから話した。皆さんで、お正信偈のお勤め。終わってから、短くご法話と思っていたら、けっこう、反響があって、しっかりと聞いてくたさったので、長くなった。現世利益でも、先祖供養でもない、浄土真宗の他力回向の正信について、南無阿弥陀仏のおいわれについて。ご門徒で、仏壇に手合わすことはあっても、その意味や意義までは聞いておられなかったのか、とても新鮮に聞いてもらえた。

 少し長くなったので急いで戻り、午後からは、華光誌輪読法座。前回残った「聖教のこころ」を味わい、正信偈の「帰命無量寿如来、南無不可思議光」のところ。特に、南無=帰命のこころと、無量寿・無量光について。最後に、みんなで通釈を声に出して読んだ。黙読ではなく、声にだす。それをみんなで味わうことで、まったく別物で味わえた。
 魂という用語は、真宗では使わないが、この場合は、一般の霊魂ではなくて、命の全存在のようなもの。その真実の命が、迷いの私めがけて「久遠の昔から呼び続けおられる」んだなー。勿体ないことでだ。

 親鸞聖人はこの偈を作られるにあたって、ご自身の信仰体験を告白されました。
「はかりなき命と、不可思議の光そのものの阿弥陀如来は、迷いに迷う十方衆生を、救わずにはおかぬという、実は魂の叫びです。それは、大宇宙にどどろきわたるこの永遠不滅の命と、はかり知れない智慧の雄叫びは、実は、浅ましいこの私一人の為に、久遠の昔から呼び続けられていたのです。なんという驚きでありましょう。ああ、もったいないことであります」、
と述べられて、これから以下讃嘆なさる一偈の要旨も、実はこれに収まるとお示しになりました。つまりは、仏様の全身全霊を込めて私に向かっての叫び声。仏様の命が、私の迷える命を呼び覚まそうとしてのお呼び声であります。
 こういう形でお示し下さった親鸞聖人も、唯人ではないと思わずにはおれません。

 夜から日曜日の午前中は、750回大遠忌の実行委員会。いまは役員や運営委員が中心。まだまだ粗削りで、今回の意義や意味を、共有するための顔合わせでもある。詳しくは、これから逐一述べていくことになりが、単なる珍しいことではなく、いま、この時期の華光で取り組んでいく意義を同人の方と共有し、こころをひとつにしてなし遂げていきたい。今夜は、法座ではないので、気楽なのか懇親会も遅くなった。ぼくが、3時すぎに退散したときには、まだ皆さんおられたが、随分と盛り上がっていた。連日、飲み過ぎかなー。
 会議は、翌朝も続いたが、決まったこともあれば、まだまだ詰めなけれどならいこともある。たいへんやなと思う一面、何か新しいことがおこりそうでワクワクする思いもある。せっかく一歩前に踏み出したのだから、地道にでも前に進んでいこう。

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いろいろあった3日間(1)東海支部法座

 三連休になった3日間。雪も降って寒い日が続いた。

 金曜日の岐阜での東海法座も、用心して1時間早く出発。いつもとは違う場所に雪が降っているらしくて、浜松付近で新幹線が遅れたりしている。名古屋もけっこう積もっていたが、逆に岐阜はまったく降っていない。出にくいなかを、皆さん頑張っておいでくださった。歎異抄2章の「身命をかえりみず」をテーマに、修行者と羅刹(雪山童子)の話題。このテーマで話すのは3回目だが、その度に随分、異なってくる。皆さんに質問を交えたので、その答えによって、話題が変わっていくからだ。今回は歎異抄2章が中心で、「信用と信頼」や「いろは歌」の詳細には触れなかった。

 導入の質問は、「命より大切なものはありますか」ということに、ハッキリと「ある」と答えられた3名が、積極的に答えてくださったのが、とてもよかった。まずは、「子供や孫のためなら命は惜しくない」という方があった。たしかに、そう考えても不思議ではない。では、「横におられる奥様ではどうですか」と問うと、「エー」としばらく間のあとで、「はい」の返事。「それでは、ご兄弟ではどうですか」「兄弟の子供たち-甥や姪ではどうです」「お隣のお子さんではどうですか」と問うていくと、順列と差別が起っていくる。結局、純粋なようで、この心も自分中心なのだ。同時に、その決意もその都度、その都度の自分の思いで変化していく。「子供のために命を捨てる」と思える時もあれば、その子供を怒鳴りに叱ったり、疎ましく思う時もあるのだ。結局、縁に触れ、おりにふれて、コロコロと変わっていく。それは、次ぎの方が言われた、「自分の思い・こだわり」(時に自分の命さえも奪っていく)が大切、つまり「我」の正体である。「自分」の子や孫なので可愛いのであり、それもまた自分の思いどおりにならない縁がおこれば、憎んでいくことにもなりかねない。結局、わたしの心は末通っていくものなどないのであって、それが迷いなのである。最後の方は、「仏法を聞くことだ」と言われた。たしかにそう思われているのだろう。しかし、わたしの本心を叩くとどうか。これもまた縁に触れたらコロコロ変わる。少し重い病気になれば、聴聞よりも、絶対に病院に走るのだ。

 つまり、正解になることより、虚仮不実で、わが命に執着しているオレがの心を見せていただくことが、聞法ではないか。その意味で、この導入だけでも十分に味わえた。結局、聞法の問いは、正解を覚えることではなく、それぞれが自分の答えを中味を掘り下げて味わい、仏様の鏡に映してみなければ意味がないのであろう。

 座談会も二グループに分かれたが、聴聞歴の浅い同人の娘さんが、自分のこととして味わってくださっていて有り難かった。さらに、その姿に触発されて、これまてお声を聞いたことのない方が、かなり自分の本心のところを開いてくださったのも、尊かった。「心臓が飛び出しそうです」とおっしゃったが、どんどん飛び出したらいい。この歎異抄の親鸞さまは、「親鸞におきては」「愚身において」と、自分の腹をかっさばいて、まさに腹蔵なくお伝えてくださっている。

 法座のあとの懇親会も楽しかったが、ちょっと飲みすぎた。寒いホームで、遅れた電車待っていたからか、帰ると頭が痛くなってきた。それでも、最低限の明日の準備がもろもろと。

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誕生日にオリジナルのカルタ

 誕生日。49歳。数えなら、人間50年~の寿命ということですよね。生まれたときも、こんな寒い日だった様子(ぼくは覚えがないが)。 

Img_3983 夜は、家族でささやかなお祝い。子供たちは例によってケーキ作り。

 「49」と書いてあるけれど、四九(苦)ではありませんよ。でも、なかなかたいへんな年齢やな。犯罪白書の殺人事件の犯人のImg_3987年齢。統計によると、いちばん多い年代は、20代ではなく、40代で、しかも、49歳というのが一位だったことが長く続いてたという。下からは押し上げられ、上からは押さえつけられる世代。家庭でも、社会でも、過渡期。ちょっと脇道にそれたりもするしね。たいへんだわー。

Img_3991 連れ合いからは、ダウンのジャケット。子どもたちからは、手作りのプレゼント。カンロからは手紙、もうひとつまだ作製中。手紙の内容(ひみつ)が、なんかうれしいかった。ナナは、手作りのカルタ! いろは(?)カルタなんだけどれ、絵はカンロで、文章は彼女のオリジナル。これが面白いので、一部を紹介。Img_3996

「『』ぬのさんぽは気持ちいいな」(え、棒にあたらんのや)

「『』らにかまれて、泣いて血が出た」(これは痛いぞ)

「『』きあし、さしあし、しのびよる」(しのび足じゃないんだー)、

「『』らっと見えて、はんにんか』(それが犯人なのね)

「『』このすみ、あたってまっくろけ』(めったにあたらないが…)

「『』つをはいて きゅうくつだ』(おやじギャグか)

「『』つねにだまされ、ころんだよ」(どこで?)

「『』らんぷりしておこられた」(これはよくあるなー)

「『』みきをつくって、たおれて、ないた」(これもよくあった)

「『』でけんかしてまけてくやしいな」(手でなくてもくやしいな)

「『』ろんところがって、いててて」といった具合で、なかなかの傑作揃いだ。明日の準備もあったけれど、作った本人が遊びたかったので、さっそく対戦。

もう誕生日はうれしくもない年だけれど、家族の温かさがうれしい1日。そして、この1年間、いろいろ命と犠牲の上に生かせていただいたおかげだと、改めて慶ばせもらった。ありがとう。

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明日から3連続、中日は3連チャン

 明日からの3日間は、宿泊法座はないが、会議や支部法座が目白押しだ。

 明日11日は祝日で、東海支部法座に出講する。いまから雪の心配? 華光会館では、京都支部の学習会がある。

 翌日12日の土曜日は、午前中、同人宅での法事。ミニ法座もする。午後から、華光会館での華光誌の輪読法座がある。夜は、750回大遠忌に向けた運営委員会で、これは翌日も合宿しての会議となる。この日は、朝、昼、夜と3連チャンだ。

 13日の日曜日も、午前中に運営委員会があって、午後は、華光会館で、聖典講座。広島では広島支部法座があり、若手の先生が出講される。

 運営委員会以外の法座の予定は以下のところでご覧ください。

1)2月11日(祝・金)昼1時30分~5時 東海支部法座

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2011/details/02/tokai2011-2.htm

2)2月11日(祝・金)昼1時30分~5時 京都支部学習会(華光会館)

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2011/details/02/kyotogaku2011-2.htm

3)2月12日(土)昼1時30分~5時 輪読法座(華光会館)

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2011/details/02/rindoku2011-2.htm

4)2月13日(日)昼1時30分~5時 聖典講座(華光会館)悟朗先生

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2011/details/02/seiten2011-2.htm

5)2月13日(日)昼1時~5時 広島支部法座 

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2011/details/02/hirosima2011-2.htm

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『玄牝 -げんぴん-』

 12月に『うまれる』という、出産にまつわるドキュメンタリー映画を少しだけ紹介したが、http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-fc25.html、続けて、 河瀬直美監督の『玄牝』-げんぴん-をみた。これはかなりのお勧め作品だ。

 カンヌでグランプリを授賞してしまって(?)、一般の知名度が急上昇したのだが、もともと独自の世界観のある作家型の監督なので、これまでの作品は、この種の映画を見慣れないない人には、かなり分かりづらい面があると思った。実際、映画館での声や反応もそんな感じがした。そん中で、本作は分かりやすい上に、彼女の力量もなかなかたいしたものだと、ぼくのような素人でも唸る作品だ。

Genpin_01 自然出産のカリスマ的な産婦人科医を取り上げたドキュメンタリー。この手の対象を取り上げると、どうしても大病院の儲け主義や世間の常識・医療的な出産の誤りを糺して、無批判に自然出産を讃美しがちになってしまう。しかし、ここでは、単純な讃歌でも、出産ドキュメンタリーをも超えて、ひとりの苦悩するカリスマ医師の人間としての生きざまを映し出し、生と死という普遍的で根源的なテーマを、観るものにも問いかけているのだ。もともと彼女のもとへの依頼の企画から起こり、監督と被写体である産婦人科医がお互いを認め合ったことで自然と実現したそうだが、そのことが適度な距離感をうんだのかもしれない。それでも、何気ない生活の中の、瞬間、瞬間を見逃さずに、切り取り收め撮っていく力量は、まさに天賦の才だ。

 出産は、母子共に命懸けなのである。ところが、科学や医療の発展は、命は常に生と死が背中合わせにあるという自然の摂理を超えて、出産で母子の命が助かるのが当たり前だという錯覚を生み出してしまった。もちろん、安全、安心は大切なことなのだが、それが妊婦や胎児を中心ではなく、医療側の安易な医療行為による出産が当たり前になってしまった。つまりは、いかにリスクを減らすかが腐心されるのであって、一つの命が誕生する瞬間、その産む喜びを第一とは絶対に考えていない。だから、通常出産での危険やリスクの説明ばかりでは、妊婦の不安は募るばかりだ。

 そんな中で、生と死に正面から対峙し、自然のなかで、ほんとうの出産の喜びを第一としよという産院がある。愛知県岡崎市にある吉村医院。この世界では有名である。医院に併設した昔ながらの茅葺きの日本家屋で、妊婦さんたちに昔ならがらの家事を分担してもらって安産を目指すというものだ。臨月のお腹を抱えて、(スクワットを模した)雑巾がけ、マキ割り、畑仕事などを行なう平然と行なう姿は、常識的な目からはちょっと異様にも見える。もちろん、一昔前とは違って、いまでは、適度な運動が常識にはなっているが、それが昔ながらの日常の家事の中にあるというのてある。もちろん、予定日を過ぎたからといって陣痛促進剤などは使わないし、出来る限りは医療介入も行なわない(もちろん、必要な時は行なう)のである。

 この医院に通う人々は、みな意識の高い人達が多い。しかしながら、その事情はそれぞれ異なる。普段は大病院で医療行為をする女医が、妊婦となりこの医院を選んだことに対する監督の切り返しの一言が面白かったりする。また、楽しそうに集う人達に馴染めずに寂しそうな妊婦もいるが、その理由も複雑だ。過剰な医療介入の出産がトラウマになって悩む人もいる。そんなさまざまな人達を、巨大を磁石で吸いつけていくのが吉村正院長である。

 どの世界でもあることだが、その世間の常識的な声が圧倒的に支配する世界で、少数派を貫くことはたいへんなことである。異端のレッテルを張られ、多数派からは疎ましく思われ、時には中傷や批判も受けていかねばならない。そうであるからこそ、熱烈な賛同者も生まれ、その賛同者がつながりコミニティーが形成されることになる。ところが、そのコミニティーが閉鎖的になる危険がある。別に排他的なものでなくオープンなものであっても、メンバーの意識が高く熱心さに触れることで、逆に怖じ気づいたり、引いてしまったりもするということ。また、その生きたアドバイスが、いつのまにかマニュアル化したり、HOW TOとして受けとられていくことの危惧もある。それに、カリスマ的な中心者が、あまりにも超越しているがゆえに独裁者となっていく恐れもあるし、さらに、何かを犠牲にしなければ、これほどの志しをなし遂げづらいということである。

 この映画の面白さは、単に出産場面や、彼の理念に貫かれた仕事ぶりを撮るだけでなはない。この個性的で、戦い続ける吉村医者に共感している助産師たちの意識や技能の高さと、しかしよくも悪くも吉村医師が中心であるがためにおこる葛藤や彼女たちの、上記のような本音。また、常に命懸けで立ち向かうからこそ生じる齟齬は、スタッフ以上に身近な家族に上に現れてくる。父の愛情に飢えた娘と、他人の妊婦に命懸けに接してがらも、わが娘には冷たく不器用に接する父の苦悩が、ぶつかる。そして、彼自身の涙ながらの内面の声と、何気ない日常の横顔に映し出される内面性など、さまざまな見どころがあるのだ。まさに生死に関わる援助的な営みは、高いスキルや専門知識と共に、、最後は、その人自身の人間性、生死観やその理念が、正面から問われる行為ということなのであろう。

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ワークで気づき、想ったこと

 今回の仏青研修会。全体の自己紹介のあと、メンバーのひとりが、からだを使った「抵抗」というワークを教えてくれた。アレクサンダー・テクニークをヒントにしたものだ。

 簡単に示すと、4人組で、ひとりがインストラクター役(D)で、真ん中の人(A)がメーン。そのAを中心に、左右に配された人(BとC)が、Aがいま抱えている二つの問題である。3名が、横並びに距離を置いて、等間隔で立っている。

  まず、Aは自分が抱えている問題をイメージして、BとCに配当する。そして、Dの指示のもとに、徐々に、BとCは真ん中のAに近づいていく。徐々に近づく度に、DからAへ、からだの変化に対する気づきへの問いかけがある。そのあと、問題は両方が押し寄せてきて、触れるか触れないかあたりまでくる。そのあと、問題がAに触れて押していく。その力はだんだんと大きくなり、Aもその問題に負けずに押し返し、その力が最大になった時に、Dの合図で、Aは思い切って脱力してみるのである。

  実際に見てみないと伝わりづらいだろうが、Aを体験してこんなことを感じた。いま、自分が抱えている問題との距離が遠く(2Mぐらい)離れているときは、なんとも思わない。ところが、距離がある内はなんともなかった問題が、徐々に近づき1Mを切り、50㎝ぐらいになると、手のあたりが重くなったり、肩に力が入ってくのがよく分かった。気分も悪くなる。問題の気配に圧倒され、こころはわざわざして、負けずにこちらも力が入ってくるのである。特に、問題が触れるか触れないかあたりで止まったときの圧迫感で、不安は最高潮に達した。まだ問題に触れていないのに、圧倒されそうな緊張感である。

 ところがである。今度は、問題が身に押しつけられてくると、むしろ接しているという安心感みたいものが生まれてきた。ワークなので、相手は人。服越しでもその人のぬくもりや柔らかさみたいなものが、同時に感じられたからである。ちょっとした押し蔵まんじゅうのようになると、圧迫感より、今度は心地よさを感じるようになったことが、なんとも不思議だった。実際の圧迫のほうが、精神的な圧迫よりも楽ということがあるのかもしれない。そして、最後に脱力し、無駄な抵抗をやめておまかせしてみる感じも味わってみたりもした。これも、なかなか心地よい。

 しかも、それはぼくだけの感じというより、異口同音に同じような感想が多かった。もともとは、無意識に身体が、長年のクセとして身につけている緊張や力みに対して気づき、その無駄な力を抜いて、もともとの自然体で立ってみるということを促すものであろう。無意識におこなっているからだのクセが、こころのクセとなり、人生のあらゆる場面でも同じようなクセになって現れていくのだろう。

 それが、いま臨床哲学の鷲田清一氏と河合隼雄氏の対談集(『臨床とことば』)を読んでいたのだが、そこに、鷲田氏が、いま心をヒリヒリさせている人、あるいは不安神経症の人とのリハビリなどで、「触れるか触れないかぐらいで、他人にふっと体を触れるのがいちばんこわい」んだという指摘を読んで、なるほどと納得させられた。

 これは問題だけでなく、人間関係やあらゆる場面でもそうだ。完全に距離があれば問題ないし(というより問題にならない)、逆にしっかりと触れて密着している関係も(それはそれで別の問題は生まれるが、安心感はある)だろうが、中途半端で、いま関わりがあるのかないのか、繋がっているのか繋がっていないのかが、分からない時に、いちばん不安や脅威を感じるようである。

 たとえば列車やお店の座席で、まったく見も知らない他人が座っている時(完全なアカの他人)、真横に家族や親友が座っている時(身内)、それらと比べて中途半端に知人(いわゆる世間やな)と一緒に座った時はどうか。それぞれの関係によって心境は異なるだろうが、知人を横にした時ほど、妙に気疲れするなと思ったりもした。

 いまの私達が、人間関係の距離感、孤独や不安で悩まされているが、ひとりになることの恐怖で誰か常に触れ繋がっていたいと(意識的にも、無意識にでも)願っているが、それでいてしっかりと飛び込んで触れ合うのも、また怖かったり、煩わしかったりしている。それで、どんな人とも、またはどんな問題とも、常に触れるか触れないかあたりで留まってしまって、結局、宙ぶらりん状態でいる。それは居心地がよさそうで、実はますます見えない不安を募らせているのかもしれない。

 もともとのワークの意図とは異なるかもしれないが、からだを使っていろいろと味わわせてもらった。

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寒中研修会、あっという間に終わる

 2日間の寒中仏青。なんだか、アッという間に始まって、アッという間に終わった感があった。

 これまでの仏青の中心メンバーも、30代前後で、結婚したり、子供が生まれたり、仕事も忙しくなっていて、仏青の中でも世代交代が進行中である。4月からは、いわゆる仏青バブル世代で持ち回っていた仏青会長も、今回は若返りで、新鮮な顔ぶれとなるようだ。ただ、京都にいる学生(特に女子)がほとんどなくなり、例会や日曜礼拝の先生はかなり寂しい。近畿圏に子供大会出身者がいるのだが、積極的に関わる気持ちは少なくて、ここは今後の課題。もうひとつは、ぼくのグループの分級座談も、高校生や大学生が中心で、随分若かったが、遠慮があるのか、どことなく自分の自信がなさそうで、全般に大人しめで静かだった。このあたりは、過渡期なので、焦らず関わっていくしかない。

 悟朗先生のご法話は、「浄土真宗の特色」と題して、概観的に浄土真宗の教義の特色を話された。ただ詳細なプリントを読み上げてのご法話で、語句や導入の解説がなかったこともあって、ご法話についていけていない人もあったようだ。もちろん、参加者の中には、真宗学の博士課程を修了している僧侶もおられるのだが、高校生の参加者もあって焦点をどこにあてるのかが難しい。

 懇親会などで皆さんと話している内に、翌日のぼくのテーマを、急遽変更することにした。

 以前、ある僧侶などの集まりで話した教案をもとに、「浄土真宗」の宗名から、その特色について概説した。いまから2500年昔に、インドで仏教が興り、それが各地に伝播した。しかし、(アンベードカルの新仏教を除くと)本家のインドは仏教が遥か昔に滅び、中国やモンゴル、ベトナムなどの共産化した国々でも衰退している。南伝仏教である上座部の仏教は、スリランカやタイ、ビルマなどで息づいているが、結局、大乗仏教となる、密教と土着信仰が結びついたチベットと、日本だけということになる。では、大乗仏教が息づいているという日本においても、その実態は、先祖供養や現世祈祷が中心になっている。では、ほんとうの意味で釈尊の真精神は、どこに継承されているのだろうか。親鸞聖人は、宗派名としての浄土真宗ではなく、浄土真実の教えである、選択本願を浄土真宗と名付けられた。それは、自利利他円満した法蔵菩薩の菩薩行の精神、つまり、弥陀の大悲心で回向されるお働きでああり、その元にある本願力こそが、大乗仏教の中の至極だといわれるのである。

 では、その本願力回向は、どこに躍動しているのか。けっして、宗派としての教団や会にあるのではなく、まさに、いま、この私の上に息づいているのではないか。その意味では、時は、末法の五濁悪世、機は、極悪邪見の泥凡夫。しかし、不思議の本願力回向の働きが、この口から「南無阿弥陀仏」となってとどろき渡るところにしか生きたお念仏はない。そのことを、法蔵菩薩の願・行の有り様から興して聞いていただいた。時機相応の法である。

 ほかにもいろいろあったけれど、今夜はここまで。

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教団改革案をめぐって~新聞記事から~

 今朝の京都新聞。

 1面は、鉄鋼大手の合併がトップニュースだったが、その横は、大相撲の八百長疑惑の問題が大きく取り上げられていた。そして、その下に目をやると、

 「本願寺派・執行部が総辞職、教団改革案可決難しく」の見出しがでていた。

 この世界のことはまったく疎いが、抵抗や反発が根強くて、出された修正案でも難しいのではないかということは耳にしていた。だから内容には別段驚かなかったが、地元の地方紙とはいえ、朝刊の1面に記載されてたことに驚いたのだ。最新ニュースはネットで知ることも増えてきたが、新聞のメリットは、紙面の場所や扱われ方で、その記事の重要さが一目で分かる点にある。全国紙の扱いは知らないが、記事をそのまま転用しておくと、以下の通り。

 浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、京都市下京区)の僧侶と門徒の議会「宗会(しゅうかい)」が3日開かれ、教団改革に向け議論していた「宗法」改正案の可決の見通しが立たないため、執行部「総局」は同案を撤回し、総辞職した。
 門徒数が減り続ける中、社会の動きに即応する体制作りを進めるため約60年ぶりの宗法改正を目指したが、宗会の権限縮小をめぐって議員の反発を受け、頓挫した。宗祖親鸞の750回遠忌の年に、教団運営にも一定の影響が出そうだ。
 橘正信総長は宗会本会議で「宗門の未来を託す法規改正で、否決されると再提出できなくなる。苦渋の決断をした」と述べ、宗派の閣僚に当たる総務5人とともに辞職した。
 改正案は、現行の宗会(78人)に加え、15人の意思決定機関の新設▽一体的に運営している宗派と本山を明確に区分▽首都圏で新たな門信徒獲得の体制作り-の3点が柱。
 昨年12月に宗会に提案されたが、宗会の権限を大幅に削る内容に「民意が反映できない」などと議員が反発。今年1月末に開いた宗会で、総局が修正案を提示していた。

 そして、25面にはかなりの量を割いて、その背景などに触れているが、そこには、

 「急激改革『待った』 権限縮小 宗会が反発」との大見出し。

 今回の改革は、ご門主が教団改革の必要性をついての強いメッセージを発せられ、宗会は、政局化し足の引っ張り間で、「コップの中の嵐」ばかりで、「中に気を取られている間に、外の嵐にコップごと吹き飛ばされてしまう」という誡めから起っているという。(近著でも、社会情勢の変化に対応できない教団の古い体質への危機感と、変革への意欲が感じられる内容であった)。

 そして、議案を撤回し、総辞職することは、「否決や廃案になるより、温存してご門主の体面を守る意味合いもあったのだろう」という幹部の声が紹介されていた。

 ところが、いまネットニュースを見ていたら、辞職した総長(内閣でいう総理大臣)が再選されたというのである。ご門主の指名選挙で、元東京高検検事長でプロ野球のコミッショナーだった根来泰周監正局長との投票の結果。そして、修正案を再提出するというのである。

 もうこうなると、正直、何が何やらよく分かりません。

 反対の理由になっていた、宗会がほんとうに民意=(本派僧侶や門徒代表)を反映しているといえるのかも、疑問があるが、加えて、自分たちの手で、自分たちの権限を削減することは難中の難である。

 国技として伝統的な文化を継承するも、閉鎖的で、互助的で、独自の倫理観が優先され、よくも悪くも日本的な気質を継承する大相撲の特殊性の問題点と、待ったなしの早急な改革を促す記事が並んでいた。
 あくまでたまたまなのだが、何か象徴的な共通性を感じた今朝の紙面だった。

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節分

 台所から、大豆を煎った芳ばしい香りが漂っている。

 毎年、子どもの通う幼稚園や保育園では豆まきがあった。園の属するお寺での節分に参加し、おさがりの豆をもらったり、鬼のお面を作っていたのだ。

 しかし、今年は、二人とも小学校に入ったので、この行事も終わりだと思っていたら、下の子の児童館で豆まきがあって、「鬼だぞー」と、鬼の面をつけて、うれしそうに帰って来た。

 明日は立春だ。暦の上ではいよいよ春。もちろんまだ寒いが、徐々に、春の気が立ってくることになる。

 立春が、新年の始まりとすると、節分はちょうど大晦日にあたる。大晦日に、除夜の鐘で煩悩を取り除こうとするように、前年の邪気を祓う意味で、古来の中国、そして日本でも、追儺(ついな)が行なわれ、その名残がいまも「豆まき」として広まっている。追い払うべき、鬼とは疫癘(えきれい)などの災難ということ。間違っても、隣に座っている連れ合いではない。

Img_3945 つまりは初詣と並んで、攘災招福(じょうさいしうょふく)という現世利益信仰の最たるもので、本来の仏教行事とは無関係。ところが、神社だけでなく、仏教寺院のなかでも、年中行事として行なわれているところもある。
 昨日、通りかかった三条寺町にある寺にも、マンガチックな鬼の絵が飾ってあった。

「鬼は外、鬼は外、福は内、福は内」

 さてさて、内(家)から追い出された鬼はどこへ行けばいいのでしょう。隣の家か、お隣の国か。取り敢えず、私の回りからは災難や不幸は立ち去ってほしいだけ。ほんとうに虫のいい話ですが、お念仏の教えを聞くと、そんな自己中心の自分こそが、鬼の正体だったと知らされるわけですね。ここは世間の常識とは大違いです。

「お父ちゃん、年の数に1個多く食べるやで」。

 ナナに言われて、えー! ちょうど50個も食べる年になったんやと、現実にびっくり。ところが、50個どころか、1個食べたのが精一杯。

 いい香りがしていたと思った我が家の黒豆大豆は、煎りすぎで真っ黒けだ。結局、みんな「にがーい」と、吐き出すことに。ああ、鬼もピンピン元気で、今年もわが家には福は来ないということやね。

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2月の伝道研究会

 1週間前に終わったばかりの伝道研究会。原則は第1水曜日だが、1月は正月があるので、不規則になって、2週続きとなった。

 それでも前回の出席者は全員が顔揃えて(精勤だな)、初めての方も1名が参加された。

 「弥陀の発願」が終わり、今月から、「釈尊の開説」に入る。

 例によって輪読するが、ただ読むだけなら、それでスルーッと終わってしまうか、あとはそれぞれの味わいが膨らんで、外の話題で発展することが多い。それで前回から、ぼくも積極的に動くことにした。皆さんに文脈から出てくることを、少しだけ突っ込んで質問をぶつける。もちろん、専門的な質問ではなく、前回までに終わったことや、よくご存じであろうことを尋ねるのだ。せっかくの伝道研究会だから、自分のお味わいはお味わいとして、出来る限り、お聖教の上や仏教用語で答えもうらうようなにしている。

 たとえば、今回だったら、

「(大経)下巻には、その浄土に、衆生が往生する方法が説かれている」

というテキストの一文。さっと読めば、それで終わりのところ。さて、どんな方法が説かれているのですか?と質問した。もしご本願の上でいえばどうか。下巻なら、どうなのかを、みんなで考えていくと、まず生因三願をおさえられ、下巻の願成就文や三輩段がおさえられていく。すると、20願の成就文は?となり、今度は、観経の九品との関係が問題になり、真仮を分かつことから、次ぎに述べられる三経一致と相違の予告となるといった具合だった。

 それも正解だけをスッーと答えていたら、「はい、分かりました」で終わってしまうが、お互いこれまで聞いてきたことを思い出し、たとえトンチンカンなことでも答えさせてもうら。既存の問いなら、その答えを丸暗記した教義や聖教でも通じるのだが、ちょっと違う角度や、意外なところか質問されると、たちまちに戸惑ってしまう。第一、覚えようなどという思いすらない方が大方だが、しかし、そのお心は聞いておられるのだから、ちょっと整理したり、少し学ぶだけでも、ますます深くそのお心をいただくことができるのだ。

 概説風(テキストそのものがそうなのて)になるが、そのことで、これまでのゴチャゴチが、体系化し整理されで、その位置づけがはっきりなされていくようで、皆さんからはなかなか好評だ。

 Tさんが、「毎月1回と言わずに、毎週1回したらどうなるでしょうかね」といわれた。それも面白い。そうなるのなら、さらに受け身で聞かないで、問いを発したり、担当を決めて行なうほうが、身になっていくだろう。もっとも、その場合は、正規の授業料を徴収しないとなー1回数百円程度ではこれはちょっと虫のいい話か?

 来月は、3月2日(水曜日)夜7時30~9時50分。いまのところ、会員のみに限定だか、初めての方もぜひどうぞ。別に、難しくはないです。

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ブッダにて~出会い篇~

 廿日市のご法座が終わってから、懇親会があった。

Img_3936 今夜は、前回はお店を覗いただけのブッダに、お邪魔した。定休日だが、わざわざ空けてくださった。スジャータさん、ありがとう。

 しかし、今夜の飲み会は、単なる懇親会が目的ではない。

 プライバシーの問題があるので、抽象的Img_3935な表現しか出来ないが、とにかく、その夜は、凝り固まったものが、一瞬だけ緩んだ時だったのかもしれない。それもいろいろなご因縁があり、あることがいろいろと重なって、ある人と初めてお会いすることになっていた。

 正確に言うと、「なっていた」という約束があったのではなく、「そうなればいいなー」という期待だけがあったのだ。ご本人へは当日の法座が始まる時点では、まだ伝わっていなかったので、その時点ではぜったいに無理な話だった。

 しかし、「修行者と羅刹」のご法話が終わったところで、急遽動きだした。Aさんが、思い切って一歩出ることを決心したのだ。

 その結果がどうなったのかは、ぼくは直前まで分からなかった。

 しかし、お店に入るとすでに先方は座って待っておられた。

 事情もわからず、身も知らない人に会うのである。普通でもイヤなものだが、それ以上諸般のことがあって緊張もされている様子。どうやらぼくが誰かも知らずにおられたが、そんなことはどうでもいい。とにかく、何もなくても、ただ彼の横に座って一緒に飲む。その時間を共有できたことで、今夜はそれで十分なのである。

 さて、その結果が、よかったのか、悪かったのかもわからない。もしかすると一時的には反転作用があるのかもしれないし、もしかすると長い目で観てプラスになることだったかもしれない。もちろん何の役にも立たない可能性も大だ。しかし、そんな善し悪しではなてく、みんなちょっとした勇気で、あり得ないことがその夜は実現したのだから、そのことがまずよかったのではないか。

 いろいろな経緯から、ダメもと申し出たぼくと、直前まで言い出せなず、しかし最後の最後に意を決して誘い出したAさんと、そしてなによりも、とてもしんどい最悪の状態の中で、そのAさんに思いに動いてくれたご本人と、それぞれが少しずつ勇気を出して動いた結果なのだから、悪いことがあるつはずはない。

Img_3942 もちろん、長い時間かけてこじれた凝り固まりは、そうは簡単にはほぐれない。しかし、焦らず、妙に恐れず、それでいて関心をもちながら(難しいことだけれども)、少しずつみんなで固まった部分を揺さぶり、ほぐしていく。そのひとつの小さなきっかけにでもなればなーと思いました。

 Img_3944_3結局、今夜の懇親会は道を隔てて、「ながと」組と、「ブッタ」組での分級(?)座談会となった。それで、ぼくと一緒に飲むことを楽しみにしてくださって参加された方には、たいへん申し訳なかったけれど、温かく、静かに見守ってくれた広島支部の皆さんのおかげでもあります。配慮に深く感謝し、改めてお礼を申します。ありがとう。敬意を表して、写真で紹介しますね。

Img_3933 なによりも、出会いの素敵な場を提供してくれたブッダのママと、ながとのママさん姉妹。そしてすごい料理で歓迎してくれたビッグママ。おいしかったです。

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