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2011年1月の25件の記事

広島支部法座in廿日市市~修行者と羅刹~

 広島の廿日市市の会場での広島支部法座。

  廿日市は「はつかいち」と読む。広島駅から20分ほどで、厳島神社で有名な宮島があるところだ。

  通常は広島駅の近くが会場だが、昨秋の合同法座終了後の懇親会を廿日市の「ながと」で開いてもらったご縁から、今回の法座が実現した。

 瀬戸内海の地域にも雪が舞う中で、皆さんが、地元の知人を連れお参りくださり、ここを会場にした意味もあった。それも20歳台の女性から大学の元先生、何十年ぶりの仏縁の方や、同級生の方と、それぞれが不思議なご因縁でお参りくださり、いいご法座になったと思う。生きづらさを感じ、自死を選ぶところまで追い詰められながら、いまは頑張っておらる方のお話もあったが、皆さんがとても温かく迎えてくださっていた。

 事前に初参加者が多いとの情報があって、ご法話もなるべくわかりやすい話に努めた。そこから、ちょっと発展させていま少し取りあげるが、まずはこの話題から。

 歎異抄の第2章「身命をかえりみず」と、いろは歌で有名な「修行者と羅刹」にからめて、「命より大切なものは?」が最初のテーマ。

 真実(仏)の言葉を、前半だけ語った相手が、おそろしい羅刹(鬼)。しかも、後半の一言をを聴くには、いのち(血肉)を要求される。しかし、行者はなんの躊躇もなく決意する。真実の教え(しかもたった一言の真理)を聴くために、このおそろしい羅刹を師と仰ぎ、上座に据え、頭を垂れて、命懸けで教えを乞うていかれる。そして、たった一言を体得して、長の迷いから目が覚められるのだ。そして、約束どおり、
 「一言半句の教えのために、この身を捨てる我を身よ!」と、
命を捧げていかれる。文字通り、真実を求められたお姿である。

 間違っても、「命懸けで聞け」とか、「もっと真剣に聞かねば」という自分を奮い立たせるような今生のレベルで捉えていては、この話のお心はわからない。

 なぜなら、どんなにいい格好をし、どんなに強がってみても、私は常に身を惜しみ、命を惜しみ、損得で生きている自分中心の塊であって、修行者とはまったくの正反対だからだ。

 しかしである。そんな私に如来様の命で荘厳(しょうごん)された「南無阿弥陀仏」の願いがかかっているのである。そのために、羅刹の私にも頭さげて下さり、私にいのちを投げ出してくださっている。その命懸けの真理の、たった一言の雄叫びをお聞かせに預かるのである。

 しかもそれが、命懸けにもなれなければ(死ぬ気になったから、死ぬのが怖くないからという話ではない)、後生すら何もわからない、無明の闇に沈む私をめがけての、如来の金言-仰せが響き届いてくるのである。

 その先手があるからこそ、下らないこの頭(こうべ)を垂れさせ、おのれを空しうして、たった一度(ほんとうは難しいことでないのに、これほど難しいこともない)、その一言をお聞かせに預かるのである。それが、「善知識の言葉の下に、帰命の一念を発得せば、その時もって、娑婆の終わり、臨終と思うべし」の世界。しかも、それは、何時の日でも、明日でも、また宿善が整ってからでもない。そんな先に延ばしている悠長な時間はない。まさに仰せを聞いた、「今日」、たった「いま」、たった一言の「南無阿弥陀仏」を聴く。そして、迷いの奥山を、今、超えさせていただくのだ。

 身を惜しみ、命を惜しむ我が身が、如来さまの命懸けの、たった一言の叫びをお聞かせに頂いて、迷いの命を打ち止めにしていただくのである。

 勿体ないことやね。(ブッタ篇に続く)

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太陽ヶ丘公園

Img_3913 午前中、一仕事すませてから、午後からは子供を連れて出かけた。昼から仏教青年会があって、ゆうこも出席する。わが子だけでなく、それぞれのお友達も一緒に連れて、宇治市にある太陽ケ丘という京都府立の公園に向かう。

 昔は、日曜学校(礼拝)の遠足で良くきた。だいたい滋賀県の希望ケ丘か、ここが、昔の遠足の定番メニューだった。最近は、すぐ近くまでお盆のお参りに来るだけで、子供を連れて来るのも初めて。確実に20年以上ぶりだなー。

 サッカー場や野球場などの運動施設が中心だが、その大半が芝生や森林の公園になっている。Img_3924

 でも、とにかく広い。甲子園球場の27倍とあったが、そんな数字ださてもよくわからない。広いといっても、ただ無駄に広くて、ほんの少しだけ子供の遊ぶアスレチック風の遊具が、ポツ、ポツと点在しているのだ。次ぎの遊具まで歩いていくのが、健康促進の運動になるという深い配慮なのだろう? その用具も古くて、おさむーいものが大方だった。お役所公園にはありがち。

 しかし、とにかく安い。というより無料(正確には税金だけど)だ。駐車料金も、何時間でも400円也。

 当然、やたら寒かった。風を遮るものがないので、北風が身に沁みてくる。

Img_3918 それでも子どもは風の子だなー。みんなコートや帽子を脱いで、平気で走り回っている。幸い、こんな時に遊ぶに来る人は少なくて、遊具がほぼ独占できた。

 ぼくも、じっとしていてもただ寒いで、一緒に飛び回って遊んだ。

 こんなところでも、子供たちははしゃいで遊んでいる。なにもなくても、親や友達とからだを動かして遊ぶことが、楽しいのだ。帰りには、みんな喜んで、賑やかに帰路についた。

 

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『友川カズキ~花々の過失~』

 今夜の京都は寒い。

Img_3911 夕食後、京都みなみ会館へ、レイトショーで映画を1本。 『友川カズキ~花々の過失~』を観る。

 出演者、友川カズキの舞台あいさつがあるのだ。それでも、こんな寒い中で、外から並ぶのはゴメンなので、自力整体の前に整理券をもらいに寄ったら、なんと、3番。昨年の2月の前野健太のミニ・ライブ付の映画も、やはり3番だったなー。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-a6ff.html

101127hanabana 前野は若造だったが、友川はすでに還暦を迎えた親爺。シンガーというより、詩人であり、画家であり、俳優であり、酔どれの哲学者であり、アーティスであり、今日の日本では数少ない虚構の世界に生きる真の表現者といっていい。中原中也の「骨」に衝撃を受けて、上京後に詩人となり、ボブ・ディランなどのフォークの影響でシンガーとなった。スマートで、クール、おしゃれな今日の世の中にあっては、東北なまりの影響もあろだろうが、鉈のような鈍器の切れ味、重厚さは、時代の空気とは対極だ。だから、なかなか一般には受容されずらいものがあるだろうが、逆に、コアなファンも多くて、中年の男性が多かった。

 映画は、フランス人のヴィンセント・ムーンが、2週間の密着の旅で、切り取った彼の世界観を映像にしている。監督は、すこぶる謙虚で、植物のようなインテリでありながら、たいへんな頑固な人だったという。友川本人も言っていたが、映像はジム・ジャームッシュぽくもある。友川の叫びのような、荒いモノクロのザラザラとして手触り感のある映像が画面を引き締めるが、けっして冷たくはなくて、一肌のもつ温かを伝える映像だった。そこには、監督と被写体との絶妙な距離感があったという。

 舞台あいさつも、質疑を含めて30分以上あった。初めてみた本人は、シャイな人なのだろう。でも、アルコールのせいか、すごく饒舌で、ジョークを交えながら会話が続いた。ちょうど、異色の経歴で芥川賞授賞とり時の人となった西村賢太を絶讃する話が出ていた。以前から、彼の批評や本の後記の解説文を書いているそうだが、「今後、天から金が降ってきたので、きっと高級な風俗にも行くようになる。これからの作品はダメになるでしょう」ななどいう冗談も、けっこう面白かった。なかなか魅力的な親爺だ。
  終了後、ロビーでCDや詩集の購入者へのサイン会。金のため、競輪のテラ銭のためだと本人は言っていたが、人を殴こるとなく、無頼詩人が社交的にサインに応じていた。ほんとうはすごい常識人なのだろう。たぶん、世の中に、建前や格好ばかりのニセの常識人が多いということか。

こんな時代が大嫌いなんだ。
私は永遠に唾をはく。
自分にかかってもいいんだよ。  友川カヅキ

 

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阿弥陀如来座像

 京都シネマで2本。文革時代の中国の貧村から、中国の時代や政治に翻弄されながらも、世界的なバレエダンサーになる、感動の実話『小さな村の、小さなダンサー』
 そして、次は旧作で、ルイ・マル監督の悲劇でありながら、深い余韻を残す名作、『さよなら子供たち』の新旧の2作を見たあとで、小学校に寄る(映画の感想は、また後日に)。

Img_3904 自由参観の週間で、同時に、作品展をやっていた。

 二人の書と、図画工作が飾られている。

 ナナの工作は、本のお話から、ロボットを作った。

 カンロの作品は、版画。テーマは、風神・雷神なのど天や仏、菩薩を描くことだったようで、彼女の作品は、阿弥陀如来座像。うん、なかなかいい感じじゃないかなー。赤色赤光、黄色黄光、緑色緑光だ。

Img_3909

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1月の伝道研究会から「永劫の修行

 日曜礼拝と合同の「華光誌輪読法座」、「岡山仏教法座」、そして今夜は「伝道研究会」と、形態の異なる法座が、3日間続いた。

 形も、集まるメンバーもそれぞれ異なっていたが、いずれも15名までの少人数だったので、一方的は話では終わらずに、車座に座ってかかわることができた。

 伝道研究会は、真宗基礎講座というテキストをもとに進めている。6月からリニューアルしたが、まだ第1章「弥陀の発願」のところ。前回で「本願」のあらかたは済んで、今日は、「永劫の修行」の以下の一文から。

法蔵菩薩は、この四十八願を成就するため、不可思議兆載永劫に渡って、菩薩としての無量の徳行をの積まれた。この無央数劫に積劫累徳されたことを永劫の修行という。

 ただ読むだけでは、サラッと終わってしまう。少し解説を加えたが、一方的だとまた流れてしまうので、皆さんに問いかけをしながら進行した。

 「この兆載永劫のあいだ、法蔵菩薩はどんなご修行をされたのですか?」と。

 すると、「私に変わって功徳を積む為に、たんへんな修行をしてくださった」とか、「魚やお肉になってくださった」とか、お味わいとしては、皆さんしっかり答えてくださった。しかし、せっかく伝道研究会で、お聖教を持参しているのだ。仏教用語ではどうか問うと、かなりご聴聞されている方でも戸惑われていて、ちょっと驚いた。というのも、最近、何度かここのテーマでご法話をしていて、この顔ぶれなら、当然分かっておられると思ったからだ。

 法蔵菩薩は、五劫思惟と四十八願に続いて、兆載永劫のご修行に入られるのだが、五劫にしても、兆載永劫にしても、想像できる数字をはるかに超えて、茫洋とおとぎ話になってしまう。だから、「兆載永劫のご修行」という言葉は覚えていても、私のため大変なご苦労があって、とにかく有り難いのだろうという漠然とした味わいで終わってしまうことも多い。まず、聖教の上で簡単に押さえておくと、

1) 『大経』には、「自行六波羅蜜」とあるから、当然、六度の行と見ることができる。六波羅蜜の菩薩行とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧で、それぞれに応じたご文が出てくる。

 それ以外に、曇鸞様を受けられた親鸞様(『入出二門偈』)は、2)五念二利の行(礼拝・讃嘆・作願・観察・回向)だとみておられている。つまり、

「菩薩は五種の門に入出して、自利・利他の行成就したまへり。不可思議兆載劫に、漸次に五種の門を成就したまへり」

と、このあと五念門をだされているが、元来は、往生人の所修のものを、すべて法蔵菩薩の行だとみておれらるのだ。

 ほかにも、3)戒・定・慧の「三学」だという説もある。

 ただ、六度、五念門、三学のいずれにしても、會無一善の衆生を救わんがために、万善万行を修めらるために、あらゆる菩薩の行を修してくださったのである。しかも、それが量り知ることのできないほど長い年月をかけたご修行であって、そのあいだに、一瞬たりとも、疑いや、倦む心もおこらず、兆載永劫という果てしない時間、ひたすら精進し続けてくださったのである。

 では、なぜ、これほどの行をなし遂げることができたのか。そのお心はどこにあったか?
 なぜ、一念一刹那たりとも、疑いや倦む心が起ってこなかったのか?
 そして、そのなし遂げた万善万行をどのような形で、衆生に回向されるのか?
 その回向されるお目当ての衆生とは、一体だれなのか?

 別に正解を丸暗記しても、そのお心がわかるわけではない。だから、そのお聞かせに預かったところを、今度は、わが身のところに引き寄せて、そのお心を考えながら進んでいったが、いろいろと味わいもだされ、テキスト以上の膨らみある法座となったようだ。

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贔屓のレポーター役

 NHK教育テレビで、各地の小学生がNHKのスタジオ・機材を使って放送現場を体験をする『放送体験クラブ』(そのままのネーミングやな)という番組が放送されている。

 各小学校とも2分間、それぞれのテーマを決め、プロの指導のもとで、カメラや裏方を含めてみんなが番組を作っていくのだ。たまたまうちの小学校も参加できることになって、5年生が東寺の紹介をする番組を作った。その番組が放送されたのだ。
 しかも、カンロが東寺での現地リポーター役で登場した。

Img_3898 彼女が紹介したのは、境内にある石碑を上に載せている「亀」だ。といっても、実はこれは亀ではないことを、取材してレポートしたのだ。ここは、ナナの通っていた保育園がある場所で、亀がたくさんいる池だ。その碑の台座が、亀でなく「 龍の子」だというのである。エーッ、知らかったなー。子供の時から、ずっと亀だと信じていた。いや、信じるというより、疑ったことがなかった。

 専門的にいうと、贔屓(ひいき・びし)といわれ、「重きを負うことを好む」ことから、古来より石柱や石碑の土台の装飾に用いられるのだそうだ。ああ、この漢字。関連性はともかく、ここから「贔屓」(ひいき)という言葉も来ているのかと、二度目のびっくりである。少しネットで調べると、亀の形をした「趺」すなわち台座のことを、亀趺(きふ)と言って、中国では高貴な身分に許された墓碑・記念碑の台座となっているというのだ。

 しかも、境内にあるものは、からだの悪いところの部分を撫ぜると、御利益があるとも紹介されていた。これは、仏教とは無関係な、完全な現世利益信仰。弘法さんも、庶民の民間信仰としっかり結びついてます。

 ふん、しっかり子供に教わりました。でも、そういわれても、いまだに亀にしか見えんけどなー。

 それにしても、わが子は小さいけれど、なかなかかわいいなと、贔屓目にしか見ない親でもありました。

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岡山仏教(家庭)法座

ご縁があって、岡山市での家庭(仏教)法座にお招きを受けた。

倉敷、福山、そして美作の誕生寺など、何度か岡山を訪ねたことはあったが、岡山市に入るのは初めてだ。岡山駅も、京都から西へ向かう時に、いつも通過するだけだった。

というわけで、待ち合わせ場所は、もちろんここ。

Img_3886岡山と言えば「桃太郎」。写真には岡山名物の「祭り寿司」の看板も収まった。

会場は、駅から車で10分弱の地域の公民館。

開始まで少し時間があったので、付近をImg_3890散策。あるいていけるところに、e旭川が流れ、日本三大庭園のひとつ「後楽園」や竹下夢二の美術館もあったが、時間がないので、今日は外から眺めるだけ。岡山城も見えている。

さて、ここは華光の集まりとはまったく関係ない。そもそものご因縁は、宍粟市の寺院との関係だが、施主はお寺さんではない。ぼくと同世代の寿司屋にお勤めの在家の方だ。それが、仲間のImg_3889お坊さんから、「法座を開け」と、何度もうながされて、組織も、資金もなにもないなかで、個人の力だけで町内のおばちゃんたちを集めて、コツコツと家庭法座をひらいておられる。仲間にお寺さんが多いとはいえ、法座の開催をすすめられる僧侶も偉いし、それにうながされて自費で法座を開き、時には自分でもお話をされるというのだから、これもまた尊いことではないか。Img_3894

報恩講なので、なんとチラシまで作っておられて、「どなたでもどうぞ」と広く募っておられるが、ご縁のある定番の人が集まってこられた。もっとこじんまりしているかと思ったが、結局、14名の集いとなった。

法座は隔月で、1月は報恩講だそうだ。講師も、僧侶ばかりではない。昨年の報恩講には、事務所のTさんも講師として招かれている。日頃は、仲間の僧侶方やお友達が、順番にご法話や感話をされている。だから、今Img_3888_3夜の参加者も、近所のおばちゃんが半分、お寺のご住職方が半分というところ。ご法話をする側としては、その焦点は難しい。専門的な方と、ほとんど日常勤行の意味も知らないような方が半々おられるからだ。

こういう時は、皆さんにボールを預けることにする。なぜ、このような集まりをもたれているのか。どうして皆さんお参りにこられたのか。ご法話を聞いてどう味わっておられるのか。おばちゃんたちの声を聞きながら、選んだご文は、『歎異抄第2章』の、
「身命(しんみょう)をかへりみずして、たづねきたらしめたまう御こころざし、ひとへに往生極楽の道を問いきかんがためなり」
というところ。この世に命よりも大切なものがあるのか。なぜ、往生極楽の道を問う為に、命がけで訪ねてこられたのか。そして、皆さんは、何をお聞きにお出でになったのか。

そこから、「後生」の一大事の解決ということに焦点を当て、何を信じさせてもらうのか。なぜ、法然上人の騙されて地獄に落ちても後悔しないという「信」とはどういうことなのかを、先日の「信用」と「信頼」を例にし、問いかけながらお話をしたが、けっこう反応があった。

法座の最後は、一口ずつだった、車座での信仰座談会。せっかく法座をもられるのだから、これからは、聞き放しではなく分かち合う信仰座談会まで進めてもらいたい。皆さん、けっこう率直にお話くださって、楽しかった。もちろん、華光に集うに人達に比べると、まだまだご聴聞の焦点は定まってはいないが、同時に継続した法座のなかで、調熟のお育てを受けておられることも感じられたからだ。

終了後は、僧侶の皆さん方との打ち上げ会。酒豪揃いでよく飲まれていたが、ぼくは最終の新幹線で戻ってきた。その席でも、個人の施主で法座を続けていくことは、仕事も厳しい不景気のいまは、経済的にはかなり苦しいのだという話がでた。確かにそうだろう。

しかし、法事や葬式ばかりに専念して、法話や法座を持たない真宗寺院もある中で、浄土真宗のひとつの原点があるような気がした。ほんとうに伝えて行きたいもの、聞いてもらいたいという願いに動かされて、ご法座がもたれて、しかも、その願いに共感する僧俗を超えた仲間がおられることは、何者にも変え難い財産ではないか。

華光の集いとは異なるし、ご聴聞の焦点という点では課題も多い。しかし、どんな小さな芽でも、本来の浄土真宗の原点が生きていることが、とてもうれしいことだ。そして、仲間がおられるきといえ、ひとりでも開いていこうという姿勢が尊い。いろいろと教えれることもあったし、同時に、こちらからお伝えできることも多い思った。もしも、今後もご縁があるのなら、何か連携していければ面白いかもしれない。その時は、ぜひよろしく。

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日曜礼拝法話~信用と信頼~

 日曜礼拝と、華光誌輪読法座の合同の集い。

 仏参のみは合同で行なう。大人も、子供一緒に、子どもの聖典おつとめし、S先生のご法話があった。彼は、今日がたいせつな試験というなかで、それを終えて担当してくれた。ここまでは、いつもの日礼(にちらい)と同じで、このあと分級座談会に分かれる。今日は、その前に、子供も大人も交えた簡単な自己紹介をやった。

 子供の自己紹介は、ただ名前と学年だけなのだが、文句なく楽しかった。ドキドキして言えない子、恥ずかしくて立てない子も、ニコニコと楽しそうに話す子も、みんなが仏の子どもだ。大人も混じって一言。なぜか、子供が学年を言ったので、みんなも年齢も言ったが、その伝え方がそれぞれ特徴があったので、けっこうみんな大笑いして、和やかにスタートすることができた。

 ここから輪読法座に分かれた。悟朗先生も、ぼくも、またT嬢やmanu.さんも出席するというのだから、大会などの分級座談会にすれば、かなり贅沢な顔ぶれだった。しかし、いまはその輪読ではなくて、日曜礼拝のご法話の内容を、ぼくなりに補足や感想も含めて触れておこう。

 信じることには、「信用」と「信頼」の違いがある。「ぼくを信じて」とか、「○○を信用している」と言っているが、世間では、「~~してくれたら、××なので信じる」というように、普段は、条件付き信じているので、絶対的な信頼とはちがう。だから、その前提や条件がほごにされたり、裏切られたりすると、信用が不信になり、自分の正当性を訴えたり、相手を怨み、怒りのこころとなって、「××など、絶対に信じられん」となっていくのだ。つまり、その信は、信用に条件や前提がついているからだというのである。

 一方で、まったく条件や前提がなく、すべてを委ね頼っていく信じ方が、信頼だというのだ。

 そこで考えた。果たして、そんな信じ方は、人間(私)にはできるのだろうか。たぶん、親子の関係においては、よく似たことがあるかもしれない。特に、幼い子は、親のことを安心しきって信頼している。そんな「信じている」という意識すらないほどだ。しかし、もしそれでも、何か裏切られるようなことが起こったとしたら、その疑わずに信頼していた深さだけ、深く傷ついていくことにも、世間ではしばしばある。それが、世間の信頼関係であって、前提はなくても、時間とともに関係は変化していくのである。 

 ところがである。ここに、どんなに裏切られようが、どんなに口先の言葉であろうが、絶対に信じられないような虚仮・不実の私を、ずっと変わらずに信じきってくださる方がおられるというのである。長い長い長い間も、一瞬たりとも、一かけらも、不信や疑いの心が起こることがなく、私が必ず仏法聞いてくれる(仏に成ってくれる)と信じきってくださっていたというのである。

 だから、「われを頼め、まかせてくれ」と願い続けてくださるのだ。

 ところが、私の中からは、絶対にすべてをまかせて信じることはできない。そんな信は絶対にうまれない。

 何度も繰り返すが、私の中からは、信じる心など出でこないのである。

 だからこそ、仏様の願いをお聞かせに預かるだけなのだ。

 この虚仮の私を、真実そのもののも御方が信じきってくださっているのである。そのお心をお聞かせに預かるしかない。そのお聞かせに預かるままが、他力回向の信心となる仕組みを成就してくださっている。だからこそ、絶対に、私の中からは起ってこないことが、この上に実現してくる不思議があるのだ。それは、けっして私から信じられる(まかせられる)ようになるのではない。私の気持ちに関係なく、この私を信じ切って、呼び続けて下さっていた大悲のお心が、一方的に働いているからである。だからこそ、そのお力によって頷く身にならせてもらったのであって、すべて仏様のお働きというしかないのである。

 こんな私を、始めもわからない大昔から変わらずに、信頼しきってくださっているとはね…。

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「真宗カウンセリング研究会」創立50周年

 水曜日の夜に「真宗カウンセリング研究会」の世話人会があった。

 来年度のパンプレット作製の相談だ。

 例年の行事だけならすんなりと終わるが、2011年は、研究会が設立50周年の記念の年なのだ。実は、以前から、記念事業の話は出ていたが、その時点では、会長があまり乗り気ではなく、話が流れていた。それが、パンフレット作製の時点で話題が復活。結局、大袈裟なのものでなくても、身の丈にあった記念集会(交流会や祝賀会)という話でまとまった。40周年の時には、初めて記念大会を開いたが、その時は、会場申込、講師の依頼、案内状の作製、申込先に、当日の進行と総合司会と、記念大会のほとんどの仕事を引き受けることになった。誰か中心者がないいと、この手のものは進んでいかない。ほかにも、記念誌の話もあったと思うが、文章を集めながら、こちらは途中で立ち消えになっている。

 できれば、前回以上の規模で、50周年を華やかにお祝いすればよいのだろうが、より実のりあるものとして、いまの実情に合わせて、先達、先輩方に、いまの会員、そしてこれから関心や興味をもってくださる方との直接的な交流会を中心にした集いと、祝賀会という1日だけで落ち着きそうだ。ただ、ぼく自身は、前回のように責任者を引き受ける状況にない。日曜日や祝日でフリーの時は、永代経、子供大会、華光大会の大きな行事の前週しか空いていない。それに、ちょっど出版社の打ち合わせをした直後だったので、無責任な安請け合いはできなかった。750回忌を控え、正信偈の作業もある。加えて、ぼくにとっては大きな節目となるだろう華光大会(総会)の5日前にあたるのだ。それでも、前回のノウハウもあるし、出来る限りお手伝いはさせてもらうつもりだ。ちょうどお世話を名乗り出る方があって、50周年の節目はお祝いできそうだ。ほかにも、記念WSの計画もでたが、これはもう少し先。

 詳しい詰めはこれからになるが、おかげで、こちらも動きだした。これから、随時、皆さんにも報告や案内をしていくので、関心のある方は、ぜひご参加ください。

http://dbpca.web.fc2.com/

来年度の予定発表は、3月以降になる。,

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次ぎの出版計画と、お願い

 同人会ニュースの作業の合間、出版社(白馬社)から、先日データで渡した「後生の一大事」のゼロ校が戻ってきた。初校でないのは、まだこれから字体やレイアウトの相談をするために、いくつかの案を検討するからだ。一応、今回の書き下ろし分以外は揃ったので、校正と、書き下ろし分(というか、テープ起こし分)の編集作業に入る。これは、4月末まで多少は余裕がある。

 ついでに、「正信偈の大意」の相談もした。迷っていたが、「和讃」のようなテキスト(講義プリント)だけはではなく、講習会のテープを起こしたものを編集し、作製することにした。いまの華光誌の誌上講話の要領である。皆さんにお願いしているテープ起こしも、特に締め切りも決めていないので、まだ2、3本しか集まっていないが、取りあえずは、コツコツと作業していくしかない。60分テープに換算すれば、27、8本にもなる。これを1年半で仕上げるには、2ケ月で3本のペースで編集作業を行なわなければならない。。

 合間に、華光誌もあれば、大きな行事もある。750回大遠忌の目玉にと思って発表したが、実際は、かなりの難行・苦行にもなるようだ。つまり、いま年4回の、華光誌の誌上法話の作業を、3週間に1本のペースで続けてやらねばならいのである。もちろん、一度にはできる作業でないことだけは、はっきりした。同時に、毎月、ノルマを課して、コツコツと作業していけるならば、けっして不可能ではないとも思えた。たいへんな道のりになりそうだが、仕事が具体的になり、目標が決またことで、やる気も起ってくる。あとは前に進んでいくしかない。まずは、『後生の一大事』の仕事を終えることが、次ぎのステップである。

 そこで、華光同人の皆さんにもお願い。まだ半分以上のテープの担当者が決まっていません。テープ起こしの作業のご協力をお願いします。すでに、引き受けてくださっている方も、、4月末をメドに提出をお願いしたいと思います。

 詳しくは、同人会MLで。または、華光会までお問い合わせください。

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同人会ニュース

  月曜日から、「同人会ニュース」の作製中。たった8頁で、半分が「総会」での事業報告や会計報告なのだが、数字や日時が並ぶので、けっこうd手間取った。

 誌上法話は、ずっと、伊藤康善先生の華光誌の記事を載せている。いまの誌上法話と違って短文で、エッセイ風の書き下ろしだ。今回は、昭和32年のものなので、比較的新しい。先生は、昭和44年に72歳を一期とされるのだから、ちょうど60歳であま。これも3000文字ぐらいの短いものだが、きらっと光っている。無駄のない秀逸な文体と、ユーモア精神には、いつも脱帽させられて、ダラダラ書きの自分の文章が嫌になる。

「九州紀行」と称して、北九州・博多への同人巡りだ。ちょうど、ぼくも博多での家庭法座の帰りで縁を感じた。先生も含め登場人物はほとんどが物故者となられた。ただひとりご健在の方もおられるが、もうお参りできる状態ではない。博多のご縁は、かなり長い間途切れていたが、ここ数年で徐々に復活してきた。NHKテレビの心の時代、法蔵館からの出版された『廻心の体験』などをご縁とた比較的新しい方が中心だ。一方で、伊藤先生の直接のご指南を受けられた古参同人も参加くださる。甘木周辺のお同行である。

 ほかにも、大遠忌に向けた簡単な意義とお願い。こちらは、2月2週目に実行委員会をもって、4月の華光誌に発表するから、まずは露払いというところ。

 3日かけて作製した版下原稿を印刷所に急いでもっていた。だいたい数日で完成してくるのだが、いま先方の仕事が立て込んでいて、1週間かかると言われた。発送は、27日になる。2月の法座案内もあるが少し遅くなるので、ネットでの案内を参照ください。

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少し変則的な法座が続く

 今週末の法座は、ちょっと変則だ。

1)「華光誌輪読法座」+「日曜礼拝」1月23日(日)昼1時30分 

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2011/details/01/rindoku2011-1.htm

日曜日に「日曜礼拝」と「華光誌輪読法座」がある。同じ華光会館での行事なので、同時に開催することはなかったが、このところ、「日曜礼拝」の大人の参加者が減り、顔ぶれ固定している。せっかくの行事なので、今回は、輪読法座とタイアップすることになった。日曜礼拝の仏参(子どもの聖典の勤行と、ご法話)を一緒に聞いて、大人はその後、3階の研修場で、「輪読法座」に移行する予定だ。そのためには、スタートを時間厳守でたのみます。華光誌は、70-1号の、巻頭言と、聖教のこころが中心。同じ日に、東海支部でも支部報恩講があるようだ。

2)「岡山市家庭法座」1月24日(月)夕5時

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2011/details/01/okayama2011-1.htm

HPには連絡先がないので、参加希望の方、華光会館まで連絡いただきたい。お世話になっている宍粟市のお寺さんにゆかりのお寿司屋さんがご法座をもたれる。ご近所のおばちゃんたちもお参りされるとかだが、いつもの悪友(僧?)も、わざわざ岡山に顔を揃えられる。法座のあとで懇親会もあって、実はそちらがメーン? 月曜日で、しかも夕方というかなり変わった日時である。

3)「伝道研究会」1月25日(火)夜7時30分~9時50分

 正月があったので、1週目水曜日に開催できずに、月末の火曜に変わった。2月は、1週間の、2月2日(水)にあるので、2週続いての集まりとなる。「真宗基礎講座」の輪読で、いま弥陀の本願についてである。
 これは、華光会の同人会員が対象なので、HPには掲載されていない。

 日曜日、月曜日、火曜日と、こんな感じで法座が続く、ちょっと変わった週。

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『その街のこども』~劇場版~

Sonomachi_01 1月17日。

 あの阪神・淡路大震災から16年目を迎えた。

 12月に、京都シネマで『その街のこども』~劇場版~を観た。ちょうど昨年、15年目のこの日に、NHKで放送された番組が、劇場用に再編集されたものだ。映画がテレビ放送されるのは当たり前だし、人気ドラマが劇場用映画として登場することも普通の話。むしろ日本映画でヒットするのはこのパターンしかない。しかし、これはちょっと違う。同じものが、映画用に再編されたとはいえ、劇場公開されるのだがら、かなり異例のことだ。映画化が前提で作製されたのではないだろうから、それだけ番組の質が高く、評判もよかったということだ。特に、渡辺あやの脚本が高評価を受けた。
 もっとも、ぼく自身はテレビ放送さえも知らなかったので、この映画で初めて知ったが、単なる悲劇のお涙頂戴ものではなく、リアリティある切ない苦しみと、再生への芽生えがうまく描かれているように思えた。

 15年の歳月で薄れていく想いもあろう。しかし、大災害のたらす悲劇は、肉体的な痛みや経済的な損失だけではなく、人間関係をズタズタにし、どれほど年数が立っても癒えることのない心の痛みを残すこともあるのだ。たとえ表面は被害を受けなくても、生き残ったがゆえの深い傷跡が、その後の人生を引き裂いていくこともある。

 1月16日の夜。偶然、新神戸駅に降り立った二人が出会う。実は、主演の森山未來、佐藤江梨子の二人も、実際に震災を体験していているのだが、映画でも、震災時の年齢のままエピソードとして、15年後の姿を演じている。

 ところが、同じ震災の体験を持ち、いま共に東京で暮らす二人だが、その思いはまったくかみ合わない。イライラするような溝をかかえたまま、不器用なコミニケーションを交わすうちに、なぜか1月17日早朝の東遊園地公園での慰霊の集いを目指して、道連れとなっていく。そして、辛い想い出の夜の神戸の街をひたすら歩く道程は、記憶の彼方に封印したはずのリアルな悲しみが浮き彫りとなる厳しい道行きともなった。そこには、現実と向き合うための辛い葛藤があり、または無いものにしようと目を背けてきた悲しい想い出が溢れ出す瞬間があった。車で通るのではなく、あの日と同じように、2本の足で街を歩くことで、子供心に受けた深い心の傷が、青年となったいま記憶の彼方からぎこちなくも浮き彫りになってくる様子が、うまく描かれていた。

 理不尽にも幸せを引き裂かれ家族があり、生き残ってしまった悲しみがあり、震災後の復興に狂った親の悲しい業に巻き込まれた弱々しい子どもの姿は、同時に、不器用でも、その現実にしっかりと向き合おうというひたむきさが力強く宿っていくのだった。出会いによって、たとえいますぐには受け取れなくても、次ぎの一歩を踏み出す萌芽はしっかりと育っていたように思えた。

 今年の東遊園地公園に、彼の姿はあったのだろうか。

 たとえ、今年はなくても、いつの日が、必ず彼はその場に立っているだろう。

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1月16日の福岡家庭法座

夏以来の九州博多での家庭法座。

雪がチラついて、九州といえども、今冬は寒いようだ。

幸い、帰路も京都までは新幹線も数分程度の遅れですんだが、ここから米原~名古屋間が大雪の徐行運転で、70分以上も遅れがでていた。駅をでると、雪がうっすらと積もって、一段と寒さが身に沁みる。今朝はかなり冷え込んで、京都もこの冬いちばんの寒さだったようだ。

ご法座は、1月15日・16日で、ちょうど太陽暦の親鸞聖人のご命日、御正忌報恩講にあたる。なぜか、九州のご縁は、東西を問わず僧侶の方が多い。そのために、ご自坊での報恩講と重なって出席できないという方もあった。

それでも、今回も、まったく初めての方が、熊本からわざわざお参りくださった。お寺の書棚にあった『廻心の体験』(法蔵館)を読まれたことが、ご縁だという。お寺に、この本を置いてくださっていることも有り難かったが、それを読んで、すぐに尋ねてくださったことも尊い。『廻心の体験』を読んだ後に、そこにしばしば出てくる『仏敵』を、今度は図書館で借りて読まれたというのである。そして、「私は、浄土真宗を誤解していた。こんな廻心の世界が真宗にもあるんですね」と言ってくださった。これまで禅で求めたりもされていたが、浄土真宗のご聴聞はあまりないので、真宗用語などはご存じないのだが、聞法の要点を読み取ってくださっていて、核心に触れるようなご質問をくださり、こちらの応えも新鮮にしみこむように聞いてくださっている。外側の問題ではなく、自分の問題として聞いておられるのである。

九州でのご縁は、毎回、まったく思いも寄らないご縁から、一歩踏み出して、勇気を出してお参りくださる方に出会いがあることが、なんともうれしい。それが、最初から「浄土真宗」という枠でなくても、何か真実を求めておらる方には、理屈を超えて響いていくものがあるのだろう。

昨年の秋に、東京支部から博多に移転された方もお参りくださって、夜にはお酒を酌み交わして、これまでの聴聞歴もお聞きすることができた。

九州のご縁は、人数的にはそれほど多くない。高齢の方もあれば、ほんとにう初歩の方もおられる。一方で、バラエティに富んだ人たちが、九州各地から集まってきてくださるようになっている。それにY家という拠点もできて、中心になる若手の先生方もおられて、毎月、聖典講座に、カウンセリングと集まりが継続されている。そこに、今回のように、ポツポツ思わぬ人が加わってくださるのだから、これからの展開が大いに楽しみだ。

ご法座は、華光誌の誌上講話を中心に、お正信偈に絞ってお話した。正信偈の全体像、冒頭の「帰命無量寿如来、南無不可思議光」のお心について。ちょどう聖人のお逮夜と、ご命日にあたるご法座で、お正信偈のご文を通して、南無阿弥陀仏から、弥陀、釈尊のお心、そして七高僧のご指導と、親鸞様の広く深い御心に触れさせていただけたことが、また勿体Img_2804ない。

写真は、親鸞聖人のご遷化の場所に立つ碑文。

お西は、角坊別院だといわれいるが、お東では、御池中のあたりに(御池通柳馬場上がる)に、善法院があったと言われいる。

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『後生の一大事』~蓮如上人の御教化~再版へ

 報恩講の直前から、増補・再版される法話集の仕事にかかっている。

 平成11年に、蓮如上人の五百回忌に関連して、法話集第3集として、増井悟朗著『後生の一大事』~蓮如上人の御教化~を発行した。これまでの華光誌に発表されたものから、蓮如上人に関する法話・講話を抜き出したもので、K先生と相談しながら選びとって作製した。すべて、ぼくが入力して編集機で版下にし、華光会から発行したものだ。まだ、DTPの調子がよかったころの話で、当時は、華光誌もすべて手作り(印刷だけは出版社)していた。

 今回は、『三帖和讃講讃』(上)(下)を発行したご縁で、白馬社からからの刊行となった。目標は、4月末の永代経法座でのお披露目を目指しているので、校正や印刷の手順を考えると、余裕はそれほどない。

 しかも、そのままの再版ではなく、増補して1章を増やすことになった。それも、よせばいいのに、既存の華光誌の誌上法話ではなくて、未発表の書き下ろしたものを載せることにしたのである。そのために、「聖典講座」で取り上げられた『御文章』の講義の中から、「末代無智章」を選んだ。すでに、お願いしていたテープ起こしは完了したので、これから編集作業に入るが、これは多少の時間がかかるだろう。

 その前に、それまでの1~7章の校正と、文章データの見直し作業をしている。残念ながら、特殊(パソコンではなく、ワープロ)な編集作業だったので使うことはできない。版下はあるが、いまの目からみると、ドットも荒くて、きれいではない。仕方ないので、文章だけを、すべてテキストに直して、出版社に渡す必要があるのだが、ルビや傍点などの指示のコマンドが、すべて文字バケするので確認しながらの作業となっている。18日中には、出版社に渡したいと思っている。

 これからも、随時、報告もしていくが、取りあえず、目次を掲載しておこう。
 法話集にしては、少々難しいとこもあるが、親鸞さまから、覚如上人、蓮如上人と流れてきたみ教えが、いまも華光へとに滔々流れ込んでいることがよく分かるし、聞法だけでなく、伝道・布教の要点も明示されている。

 第1章「吉崎までの蓮如上人」

 第2章「後生の一大事」

 第3章「決定のこころ」

 第4章「蓮如上人の教化の根源」

 第5章「五重の義と信心往生」

 第6章「領解文について」

 第7章「仏教の因果論」

 増補章「末代無智章について」(仮題)は、最後ではなく、途中に挿入されることになる。

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週末の九州法座のお願い

連日、寒い日が続いているが、週末はまた寒波になるという。

報恩講が終わった直後だが、その週末(1月15日(土)・16日(日))は、九州支部の博多・山崎家の家庭法座だ。詳しくは、華光会のHPや法座案内をご覧いただきたいが、もし、参加の予定の方は、2冊の華光誌をご持参いただきたい。

「69-4号」(昨年の最終号)
「70-1号」(新年号)

共に、正信偈の誌上講話。こちらからプリントも持参して、講義&輪読のW解説です。2日間で、みっちりと「お正信偈」の心、その概観を味わいたいと思います。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2011/details/01/kyusyu2011-1.htm

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救急車

 報恩講終わりました。

 いま新潟まで夜行の寝台列車で戻られるFさんを、十条駅までお見送り。

 かなり冷え込んでいるが、雪のない景色に驚いておられる。法座中には、雪もちらついてかなり冷え込んだけれど、道場は熱気で、冷房が入るほどだった。

 ゆうこも、無事に全国区(?)法話デビュー。緊張気味で、聴衆までも最初はドキドキと、肩が凝ったようだけれど、落ち着いてはっきりした大きな声でのお話。修士論文の証空上人との関係で、観経の除苦悩法のところを、彼女自身の体験を通した内容。皆さんからも温かく迎えてもらえたようですね。

 法座とはまったく関係ないけれど、夜の分級座談の反省会が終わり入浴して、遅めに懇親会に合流しようとしたら、女性の部屋が異常な雰囲気。部屋から、Tさんが走って出て来られる。「救急車を呼びます」という話に、びっくり。高齢の女性が、就寝直前に、急に意識を失われて倒れられるトラベルが発生。名前を呼んでも返事はなく、血圧もかなり低下。幸いに医療関係の方もおられたので応急処置と、すぐに救急車が呼ぶなどの適切な処置がなされた。お友達が付き添って、すぐに病院へ。病院に搬入されると、意識も戻ってこられたそうだが、救急車で運ばれたことも、病院にいることも、まったく理解できなかったという。今回は、緊急事態ではなくて、すぐに戻ってこられたのだが、異常も発見されて、帰宅後に、精密検査が必要だそうだ。

 最近は、法座中に救急車で運ばれる人がたまにある。高齢者というわけではなくても、脳や 心臓に持病をお持ちの方もおられる。ところが、教室の懇親会会場は、みんなワイワイと賑やかで、誰もサイレンを鳴らしてきた救急車に気付かないほどの盛況ぶりで、このことを知らないままお帰りになった方もあるかもしれない。

 今回は、翌朝に道場を覗くと何ごともなかったように、普通に勤行しご法話を聞いておられので、またもびっくり。気を失っておられたのだから、当然だが、ご本人は、回りの騒ぎをまったくご存じなくて、キョットンとされておられた。

 結局、死んでいくときも、こんなことなのかしれない。

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胸をうちだせ

 自力法義はよく似ておるよ

 胸に自力の根が見える。

 自力法義は、言葉で知れる。

 これを他力と思う、思うが違う。

 早く、知識(善知識)に会うて、胸をうちだせ

 才市同行のお言葉。(『宗教詩人才市』より、一部を漢字に改めた)

 明日から、親鸞聖人のお徳を慕い、共に仏法讃嘆をする華光会の報恩講法要が勤修されます。

 どうぞ、皆さん奮ってご参集ください。

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当てがハズレた1日

 雪がちらつく寒い1日。

 初自力教室へ。寒いとからだが縮んでいるのが、よくわかる。臍下丹田に気を向けながら、からだをほぐす。最後に実技を終えて仰向けになる。マットから手足が飛び出して、木の床の冷たさがからだに伝わってきたが、その冷たさがどことなく心地よい。

Img_3874 年末からご無沙汰のマノアマノというカフェに顔を出そうと思っていたら、「おうどんを食べに行きませんか」と、お誘いを受けた。今日は7日だ。その店は、夜は居酒屋になるが、昼間はうどん屋。毎月7の付く日は、日替わりうどん定食が、500円になるのだ。相変わらずの貧乏性。予定を変更してご一緒することにした。南座の顔見世の話題。お二人とも、千秋楽の舞Img_2399台を観に行き、南座で出会ったという。昨年は、海老蔵事件で、顔見世も何かと話題になった。ぼくは、顔見世には、10年以上前に行ったきりだ。その時は、仁左衛門が、「拙者親方と申すは、お立合いのうちに、 ご存知のお方もござりましょうが…」の口上で有名な「外郎売」の演目があった。その時は、よくわからなかったが、その後発声法で、この口上を覚えて訓練したので、覚えた。いろんな意味で、いまならもっと楽しめるだろうが、チケットが高価なので、ちょっとで二の足を踏むー。

 急いで帰宅した。父を、これも初歯医者に連れて行く予定がある。ところが、都合でキャセルしてほしいとのこと。報恩講も間近で、体調のことがあるのだという。いろいろと段取りしていたのだが、まあ仕方ない。

 そのあとで年に1度の祥月命日の予定が入っていたので、余裕があったほうがいい。毎年、9日が命日の前にお参りしている。ところが、どの時間帯に電話してもつかまらないので、正月にFAXを入れた。都合が悪ければ連絡があるだろうが、念のために、出かけにも電話。またしても反応はない。お爺さんや小学生の息子さんがおられるので、留守のはずはないが、半信半疑でお宅へ。またも雪がちらついいて、風も強い。マンションのインタホーンを押しても、なんの反応もない。以前もあったし、こちらが迷惑をかけた話ではないのて、まあ空振りも仕方はない。名刺を新聞受けに入れて帰宅したが、いまだ何の反応もない。

 帰って、報恩講の準備。特に、法話や法要関係の相談をした。運営委員会の議題もある。昨日、仏具磨きとお飾り、今日も、昼・夜と、京都支部の皆さんが、お掃除にきてくださった。やはり天気が心配だ。特に、山陰や北陸方面の方は、大雪にならなければいいけれど、今夜も、かなり冷え込んいる。

 なにかと当てが外れた1日。こんな日もある。

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10年日記

 年末・年始に「10年日記」を整理した。2冊目も、もう5年目に入った。

 年末の所感と、年頭の所感を書く欄がある。年頭の所感は特に何も考えないのでずっと空欄のままだ。しかし年末の所感には、その年の主な出来事を振り返って記入している。

 プライベートのことも、華光や法座活動のこともゴチャまぜなので、ここでは触れていないが、たとえば、昨年なら、和讃の発行もそのひとつに上げたし、全般的な華光の動きや傾向にも触れている。その中で、子供の成長や親の老い、そして何よりも夫婦関係を含めて、「家族」という有り様を考えさせられた年だったと思った。この先、徐々に変化しながら、気がつくと大きな変化が待っている、そんなターニングポイントが、昨年だったのかもしれない。それが成長なのか、後退なのかは分からないが、とにかく刻々念々、変化し続けているのだ。

 パラバラと日記を眺めていると、日々の営みの中では、その日の日暮らしに追われて、その時だけの出来事や変化だと思っていたことや、変化があまりにも遅々としていて、すぐには気付けなかったものが、まとめて少し距離を置いて眺めてると、華光にも、個人にも、その指向する方向性というか、ベクトルというものが、顕著に現れてくることがよくわかってくる。

 ある意味で、10年前のぼくと、今のぼくは、まったく変わらない部分もあれば、随分、変化が顕著に現れてきていることもある。その変わり方も、急激なものもあれば、その向かうべき傾向に静かに進んでいるものもあるということだ。

 数字を見て驚いたが、10年前には、jazzのCDばかりを聞いていて、毎月7~8枚は新譜を買っているが、映画は、月に映画館で1本、ビデオ1~2本も見る程度だった。それが、どんどん変化し続けて、ここ数年はほとんど逆転している。昨年は、11枚しかCDを買わなかったが、映画のサントラか、音楽映画の影響を受けたものばかりで、1枚もjazzのCDを買っていない。逆に、映画は゛とにかく観た。まさに寸暇を惜しんで映画館に通ったといっていい。さすがに、右肩あがりで倍々で増えてきた時期からは、ここ3年は、とんど横ばい程度だが、今年は映画館で、177本の新作(「2001年宇宙の旅」のような名画も数本含まれるが)を見て、自宅で16本のDVDを見ている。合計すると、1年で193本も観たことになる。法座や出張を考えると、これはかなりの割合だ。だいたい一人で映画館に行ったり、知らないお店でひとりランチすることなど、10年前には想像も出来なかった。
 ところが、そのことをまめに記入し続けている性格は、10年間も、今も同じで、その意味では、何も変化していない。

 これはほんの1例だが、そんな変化と継続が、連続してぼくの中で起っているといっていい。ほぼ予定や予想通りに運んでいることもあるし、まったく変わっていないこともある。それでいて、まったく想定外のことが、ぼくの中で起こり続けているとも言える。それは、昨年の自分の上にも起っていることだ。きっとこれからもそうであろう。そして、そんな繰り返しで、この娑婆の生活は、結局、自分の思いとはまったく裏腹に、突然、その終焉を迎えるのだ。そう考えると、まったく哀れであり、またいつもチッポケなことに固執している自分が滑稽でもある。同時にどこかで愉快な気もするのから、なんとも不思議だ。

 年頭の所感は書かないが、数字を眺めていると、今年は、もっと読書したり、お聖教に定期的に親しみたいとは思った。5年前までは50冊は読んでいたものが、いまはその半分以下だ。なにか勉強会をしてもいいし、もしまとまるものがあるのなら、少しずつでも文章にしていってもいいかもしれない。

 ほんとうは、昨年観た映画のことを書くために始めたのだが、まったく別の方向に進んでいった。12月には面白い映画か多かったし、12月30日に、今年最後に観たブルガリア映画(『ソフィアの夜明け』)のことを触れようと書きかけたが、妙なところに行き着いた。

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まもなく報恩講法座

 さて、今年も、祖師親鸞聖人のご恩徳を讃え、共に聞法・聴聞する集いである報恩講のご縁が巡ってまいりました。講師陣には、M先生からのご指名(交代)で、ゆうこも担当させてもらいます。仏青大会についで2回目で、お楽しみに。

 今日の午後からは、事務所には、故郷の富山から直接戻られたT嬢が、9日ぶりに復帰。 年始から、急に報恩講の準備が進んできましたね。ところが、昨日になって、今回の世話人リーダーが、体調不良で入院という緊急事態。皆さんにご協力いただいて、乗り切るしかないようです。

 心配なのはお天気。京都の三ケ日は、わりと穏やかな日々でしたが、今日の午後から冷え込んできて、また寒気に襲われる模様。特に、山陰や北陸は大荒れの天気になるとの予想。例年、報恩講さまは、天候の影響や風邪引きなの体調不良での直前のキャンセルが連続する行事なので、皆さんも、お気をつけておでかけください。

◆1月9日(日)昼1時30分~5時(法要・法話・分級座談会)
          夜7時~9時30分(法話・分級座談会・他)

◆  10日(祝)朝9時~12時(法話・分級座談会)
                    昼1時30分~4時30分(法要・法話・分級座談会)

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2011/details/01/hoonkou2011-1.htm

  宿泊や食事の申込みは、すでに締め切っていましたが、今日もキャンセル続出。やはり高齢の方を中心に体調を崩れさたるする方も増えるようですね。欠員ができたので、もし、参加ご希望の方は、大至急、華光会館までお申し出ください。

 なお、宿泊や食事が不要な方でも、お参りを予定されている方も、事前にお申込みをお願いします。これも華光会館までです。

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帰省予定が、なぜか例年通りの3カ日

  正月三カ日。

 この5年間は同じパターンで過ごしている。修正会のあと、夜は、名古屋の姉一家と一緒に会食して、新年を祝う。

Img_3851 2日からが正月休みで、3日、4日と、子どもたちとのんびりとゲームをして過ごして、3日には、ぼくが子どもを連れて、京都駅周辺をブラブラするというパターンだ。Img_3855

 でも、今年は、2日から4日にかけて、久しぶりに連れ合いの家族がいる広島に帰省することになった。結婚してからは、毎年、正月は広島に帰省していたが、2人目が生まれて頃から、先方にもいろいろな都合があって、寒い時期の帰省はなくなっていた。
 今年は、連れ合いもいろいろと考えるところがあって、車でのImg_3832帰省決めていた。

 ところが、大晦日に雪が降った。そこへ、子供が熱を出し、連れ合いも体調を崩した。彼女も長距離の運転に慣れていないこともあって、元旦の夜には、正月の帰省は延期というこImg_3870_2とになった。ちょっぴり寂しいような、大方ホッとしたような、そんな心境だった。

というわけで、結局、なんの予定もないまま、この3日間は、午前中だけは一人で映画館に出かけた以外は、子供たちも遊ぶという例年どおりのおImg_3871正月となった。

卓球をしたり、ボードゲームや、カードゲームをしたり、羽子板に絵を描いたりもした。3日は、二人を連れて梅小路公園に出かけた。SL館は休館中で、ただ整備中のSLの煙だけが見えていた。SLの横には、新幹線が走っている。ちょうど五重の塔も見えている。公園で、鬼ごっこや羽子板をして、けっこう走り回ったりもした。帰りに、スタバーに寄ったら、「お子さん、ナナホちゃんというんですか。私もナナといいます。ナナオですけどね」と、気さくにお店の女の子が声をかけてくれた。「ナナホなんですね、うちは…」。Img_3863

 ボードゲームは、お年玉がわりに、「ネコとネズミの大レース」を買った。ドイツ製の木と紙のおもちゃで、少々お値段はするが、これがなかなか美しく、単純だが、なかなか白熱して大人でも面白い。ところが、説明書というものがないので、宇治のおもちゃ屋の店主が、丁寧に遊んで説明してくれたそうだ。短時間でも遊べるので、報恩講では、きっとお相手させられることでしょうから、皆さん、ルールは事前に勉強してImg_3867おこう。

 なお、カードゲームは、同じおもちゃ屋で買った、アイスクリームを重ねていくゲーム。これもちょっと頭を使うが、面白かった。

 羽子板は、下地を塗って子ども達が絵を描いたものだ。

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先斗町の町家にて

Img_3804 修正会が終わって、家族揃っての会食。

 父の傘寿(80歳のお祝い)と合わせて、両親の金婚式を姉一家とお祝いしたことから、もう6年続く恒例行事になった。3家族集まって、子と孫を合わせると、ちょうど10名になる。

 今年は、四条先斗町にある、古い町家をImg_3816改装した居酒屋風のお店へ。10名ではちょっと狭目だが、手頃な個室が予約できた。古い町家は、すきま風が入って寒いし、階段が細くて登りづらくて、お年寄りにはやや不向きなところもあったが、雰囲気は悪くなかった。まずは、Img_3827シャンパンで乾杯して、食事を楽しんだ。

 別に何を話すというわけでもなく、最後は、退屈で帰りたがったナナホのリクエストで、みんなで尻とりまですることになった。
 Img_3825こうして、年に一度だけでが、家族が一同に揃い、同じ時間と空間を共有しながら、穏やかに杯を交わさることが、うれしいのである。

 元旦の夜。

 冷たいみぞれも、帰りには止んでいた。

Img_3831 繁華街は艶やかに賑わっている。

 昨晩の雪が細い路地のあちこちに残っている。足元が危ない父の手を引いて歩いた。京都先斗町に残った雪も、明日にはすべて溶けてしまうだろう。Img_3830

 お店の横の細い路地を抜けると、木屋町通に出て、高瀬川沿いには、角倉了以翁を顕正する碑が立っていた。

 この界隈は歴史(特に幕末)の舞台となり、小説にも登場する高瀬川だが、江戸時代初期に角倉親子によって開かれた、京都と伏見を結ぶ運河だった。

 すでにその役割は終えているが、桜を始め季節の風情を醸しだしている。

 今夜も、静かに暗闇の中を流れていた。

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修正会~いろは歌~

 元旦。

Img_3794 大晦日は、少し夜更かしで、遅めに起床。慌てて準備をして、京都に下宿中の一人暮らしの仏青の諸氏をお招きする。仕事の都合で京都に残っているのなら、少しぐらいはお正月気分を味わってもらえばいいと、ここ数年続いている。お雑煮やお節料理でお持てなしして、5年ものの古酒(これは美味だった)と、金箔入りの焼酎(日本酒はしているけど、焼酎は初めてだな)をお屠蘇がわりに飲んだ。今年は、全員男性だった。しかも、4名とも長身の大柄なイケメン(例外もあるか?)が集まった。ほんとうなら、ゆっくり飲みたいところだけれども、この後は修正会があるので、お酒も、口をつけた程度だ。

 心配していた天気も回復して、昨日の雪から好天にめぐまれた。おかげで、広島や石川、神奈川と、遠方からの参加もあり、子どもさんたちも入れると、50~60名のお参りがあった。 

 昨年のことがあったので、勤行は、初めてゆうこと二人で担当すImg_3792ることにして、父は法話に専念してもらった。一同で、お正信偈と現世利益和讃を華光節でいただく。元旦に、皆さんと一緒に、尊前で声に出して勤行することだけでも、尊い気分になるから、不思議だ。「御文章」は、初めてゆうこが拝読した。

 事前に、ご法話は短めで、「いろは歌」の話をすると聞いていた。

「いろはにほへと ちりぬるを
 わかよたれそ つねならむ
 うゐのおくやま けふこえて
 あさきゆめみし ゑひもせす」

「色は匂へど 散りぬるを
 我が世誰ぞ 常ならん
 有為の奥山 今日越えて
 浅き夢見じ 酔ひもせず」

  この「いろは歌」 は、『大般涅槃経』 の 「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」 という「諸行無常偈」とか 「雪山偈」などといわれる偈文の意を表しているとも言われている。

  無常のところで、死-一期無常だけでなく、刹那、刹那の変化についてやまないことが話題になった。私のこころはどうだ。人により、時により、状況により、ちょっとした言葉やメールの一文でも、また人の態度や雰囲気に接しただけで、私のこころは、もろくも移ろい続け、瞬間、瞬間に変わり続けていくではないか。そんな頼りなく、末通っていかないものでありながら、虚仮そのもののわが心を、なぜか真実だと自惚れ、その心を頼りにしながら、真実そのもののご法を、その心で計らって聞いているのである。まさに轉倒しているのが、凡夫の聞法である。

 「有為の奥山」とは、有為は無為に対して、無明煩悩の世界、有為転変の世界、しかも奥山で、その迷いどこまでも深く辺がない。その迷いの世界を、明日でも、明後日でもない、今日-まさに今、迷いを超えて離れさせていただくならば、浅はかな夢から目が覚める、酔いが覚めて、もう二度と迷い(無明)の世界には戻らない身となるのである。この今日迷いを超えて、目覚めさせていただくことこそが、聞法の要点だといっていい。

Img_3796(ちなみに、「いろは歌」は導入の部分のお話で終わったので、これからの地方法座で、もう少し詳しくここをお話しようとも考えている)。

 結局、「いろは歌」を導入に、メーンは、お正信偈の「帰命無量寿如来」の「南無のお心」へと展開。元旦から、悟朗先生の「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」の説法獅子吼に、お屠蘇気分でウトウトしていた人達も、目を覚めさせられたか。ああ、やっぱり「いろは歌」通りの内容だったー。「有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず」である。

無明の闇に沈んでいるとも、迷いに酔っているとも微塵も思っていない、この重病人の私を目掛けて、南無阿弥陀仏が雄叫びをあげておられるのだ。

「目覚めよ! 目覚めよ! 目覚めよ!!」と。

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謹賀新年

 新年あけまして、おめでとうございます。

 2011年の幕があがりました。どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。

 華光会館では、毎年恒例で、1月1日の1時30分から4時30分まで、「修正会」法座が勤まります。

 皆さんで、お正信偈と、現世利益和讃を読誦して、ご法話を拝聴します。そのあと、時間が許すかぎり、新春座談会。今年の抱負や一言をいただきます。

 京都の雪は、夜に止みましたね。それでも、ここ数日は、大荒れの予報。北国は雪で、朝のお参りにも影響が出るかもしれませんね。どうぞ、お気をつけてお出かけください。

 「弥陀の悲心招喚」

 さて、年賀状(法座案内)には、この言葉を添えた人が多いです。大悲の親に、ずっと招かれ、呼び続けていたわせけですから、ただ仰せのままに、「南無阿弥陀仏」。

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